小林秀雄「モオツアルト」と中原中也の四編の詩

小林秀雄の評論の中でも最もよく知られている「モオツアルト」は、昭和21年12月30日に発行された『創元』の創刊号に掲載された。
この雑誌の編集者の一人は小林自身であり、その号には彼が選んだ中原中也の未発表の詩4編も収録されている。

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小林秀雄の語る中原中也 言葉に触れる体験としての文学

私たちが最初に文学作品を読むのは、多くの場合、小学校での授業だろう。そこで、どこが好きとか、どこが面白かったとか尋ねられ、感想文を書かされたりする。
中学や高校になれば、作者の思想を考えたり、心情を推察したりし、それについての自分の考えを言わされたりもする。
そんな時、「自由に解釈していいと言いながら、正解が決まっている」という不満を抱いたりすることもある。

こうした読み方をしている限り、文学を好きになるのはなかなか難しい。というのも、文学作品に接する第一歩はそこにはないから。

では、作品と読者が触れ合う第一歩はどこにあるのか?

読者が眼にするのは文字。文字の連なりを辿っていくと、理解の前に、感触がある。比喩的に言えば、読書とは、「見る」よりも先に「触れる」体験だといえる。
その「感触」は「理解」と同時に発生しているのだが、多くの場合、「理解」だけが前面に出て、「感触」は意識に上らないままでいる。

その「感触」は決して感想ではない。むしろ実際の「触覚」に近く、ほとんど身体感覚だといえる。

中原中也の死に関して小林秀雄が書いた文章を読み、言葉の運動を体感してみよう。

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ランボー 「花々」 Arthur Rimbaud « Fleurs » ランボー詩学の精髄:初めに言葉ありき

「花々(Fleurs)」は、ランボー詩学の精髄を理解させてくれる散文詩。

詩人は現実に存在する何らかの花を描くのでも、それについて語るのでもない。

彼の詩学の理解に有益な韻文詩「アマランサスの花の列(Plates-bandes d’amarantes…)」において、詩人は現実から出発し、言葉が現実から自立した世界へと移行した。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

散文詩「花々」になると、現実などまったくお構いなしに、ただ言葉が連ねられていく。
読者は、勢いよく投げかけられる言葉の勢いに負けず、連射砲から繰り出される言葉たちを受け取るしかない。
ランボーがどんな花を見、何を伝えようとしたかなどを考えるのではなく、言葉そのものが持つ意味を辿るしかない。
そうしているうちに、言葉たちが生み出す新しい世界の創造に立ち会うことになる。

正直、「花々」を一読して、何が描いてあるのか理解できない。まずは、文字を眼で追いながら朗読を聞き、言葉の勢いを感じてみよう。

Fleurs

D’un gradin d’or, – parmi les cordons de soie, les gazes grises, les velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au soleil, – je vois la digitale s’ouvrir sur un tapis de filigranes d’argent, d’yeux et de chevelures.
Des pièces d’or jaune semées sur l’agate, des piliers d’acajou supportant un dôme d’émeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines verges de rubis entourent la rose d’eau.
Tels qu’un dieu aux énormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

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小林秀雄とランボー 初めに言葉ありき 

小林秀雄が大学時代、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を、大正15年(1926)10月に発行された『仏蘭西文学研究』 に発表し、翌年には「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東大仏文に提出したことはよく知られている。

小林の訳した『地獄の季節』は昭和5年(1930)に初版が出版された。
その翻訳は、小林自身の言葉を借りれば、水の中に水素が含まれるように誤訳に満ちている。しかし、荒削りな乱暴さが生み出すエネルギーはまさにランボーの詩句を思わせ、今でも岩波文庫から発売されている。
個人的には、どのランボー訳よりも素晴らしいと思う。

それと同時に、小林秀雄がランボーから吸収したもの、あるいはランボーとの共鳴関係の中で学んだ詩学は、彼の批評の中に生き続け、言葉に出さなくても、彼の批評には生涯ランボーが生きていたのではないか。

昭和31年(1956)2月に発表された「ことばの力」は、小林の言葉に対する基本的な姿勢を明かすと同時に、ランボーの詩がどのようなものだったのか教えてくれる。

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