小林秀雄 雪舟 絵画の自立性について

小林秀雄は、ボードレールから学んだ芸術観に基づいて、「近代絵画の運動とは、根本のところから言えば、画家が、扱う主題の権威或いは強制から逃れて、いかにして絵画の自主性或いは独立性を創り出そうかという烈(はげ)しい工夫の歴史を言うのである。」(『近代絵画』)と定義した。

要するに、一つの山を描くとして、モデルとなる山に似ていることが問題ではなく、絵画に描かれた山それ自体が表現するものが重要だということになる。

こうした考え方は、画家の姿勢だけではなく、絵を見る者の観賞の仕方とも関係している。
「雪舟」(昭和25(1950)年)の中で、小林秀雄が雪舟の山水画について語る言葉を辿っていると、実際、絵画の自立性という考え方に基づいていることがはっきりとわかる。

小林が見つめているのは、雪舟の「山水長巻」(さんすいちょうかん)。
全長16メートルにも達しそうな長い墨画淡彩の絵巻の中に、二人の男が散策する姿が描かれている場面がある。

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小林秀雄 ボードレール 『近代絵画』におけるモデルと作品の関係

小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。

『近代絵画』は次の一文から始まる。

近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。

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小林秀雄 「実朝」 知る楽しみ 2/2

文学部の大学院生だった頃、「文学の研究をして何の意味があるのだろうか?」という疑問が湧き、「研究を通して対象とする作品の面白さや価値を人に伝えること」という言葉を一つの答えとしたことがあった。

最近、それを思い出したのは、二つのきっかけがある。
一つは、ドガの「14歳の小さな踊り子」に関するユイスマンスの言葉によって、その作品の美を感じたこと。 ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2

もう一つが、小林秀雄の解説で、源実朝の一つの和歌の詠み方を教えられたことだった。

箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ

この和歌を前にして、私には、海に浮かぶ小さな島に波が打ち寄せる風景しか見えてこない。それ以上のことはまったくわからない。

そんな私に対して、小林秀雄はこう囁く。

大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、またその中にさらに小さく白い波が寄せ、またその先に自分の心の形が見えて来るという風に歌は動いている。(小林秀雄「実朝」)

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小林秀雄 ベルクソン 「生」の体験

ベルクソンは、時計によって測られる「時間」とは別に、私たちが内的に体験する時間を「持続」と名付け、その直接的な「生」の体験を思索の中心に置いた。

小林秀雄は、アルチュール・ランボーについての卒業論文を書いて以来、「生」の内的な体験が芸術の本質であるという19世紀後半に成立した芸術観を体得し、ベルクソンの思想にも最初から大きな親近感を示した。
そして、いかにも小林らしく、ベルクソンについて語る時でも、彼の思索の基礎には彼自身の体験がずっしりと横たわっている。

youtubeに、小林がある講演会でベルクソンについて語る部分がアップされているので、10分あまりの内容をを聞いて見よう。(小林の話し方はしばしば落語家の志ん生にそっくりだと言われる。)

この講演の内容は、「信じることと知ること」に掲載されている。

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小林秀雄的思考と皮肉 — 考える葦のアイロニー

卒業論文でアルチュール・ランボーを取り上げて以来、小林秀雄の根底には常にランボーがいたのではないかと、私は個人的に考えている。

その基本となるのは、一般に認められていることから距離を置き、皮肉(アイロニー)を投げつける姿勢。
その言葉の、ランボーで言えば中高生的な乱暴さが、小林なら江戸っ子的な歯切れのよさが、魅力的な詩句あるいは文を形作っている。

そして、その勢いに飲まれるようにして、読者は、分かっても分からなくても、詩句や文の心地よさに引き込まれ、彼らのアイロニーを楽しむことになる。

小林秀雄にはパスカルに関する興味深い文があり、その冒頭に置かれた「人間は考える葦である」に関する思考は、「小林的なもの」をはっきりと示している。

まずは、小林の考えに耳を傾けてみよう。

人間は考える葦だ、という言葉は、あまり有名になり過ぎた。気の利いた洒落(しゃれ)だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考える力がある、と受取った。どちらにしても洒落を出ない。(「パスカルの「パンセ」について」昭和16年7月)

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エドゥアール・マネ 「エミール・ゾラの肖像」  物と人を等しく扱う絵画 — 何を措いても見ること —

私たちは花を見ると花だと思うし、人間を見れば人間だと思う。しかし、そのように認識することで、一本一本の花、一人一人の人間の具体的な姿に注目しなくなるようである。
それに対して、画家の目は、それぞれの対象の形態や色彩に注意が引かれるらしい。

エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」に関して、画家オディロン・ルドンの言った言葉が、そのことをはっきりと教えてくれる。

ルドン

ルドンはこの絵のエミール・ゾラを見て、「人間の性格の表現であるよりも、むしろ静物画」だと感じる。
私たちは直感的に、人間の形態があればそれを人間だと思う。しかし、画家はそれとは違う目を持つため、人と物の区別の前に、形と色に敏感に反応する。

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小林秀雄「モオツアルト」と中原中也の四編の詩

小林秀雄の評論の中でも最もよく知られている「モオツアルト」は、昭和21年12月30日に発行された『創元』の創刊号に掲載された。
この雑誌の編集者の一人は小林自身であり、その号には彼が選んだ中原中也の未発表の詩4編も収録されている。

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小林秀雄の語る中原中也 言葉に触れる体験としての文学

私たちが最初に文学作品を読むのは、多くの場合、小学校での授業だろう。そこで、どこが好きとか、どこが面白かったとか尋ねられ、感想文を書かされたりする。
中学や高校になれば、作者の思想を考えたり、心情を推察したりし、それについての自分の考えを言わされたりもする。
そんな時、「自由に解釈していいと言いながら、正解が決まっている」という不満を抱いたりすることもある。

こうした読み方をしている限り、文学を好きになるのはなかなか難しい。というのも、文学作品に接する第一歩はそこにはないから。

では、作品と読者が触れ合う第一歩はどこにあるのか?

読者が眼にするのは文字。文字の連なりを辿っていくと、理解の前に、感触がある。比喩的に言えば、読書とは、「見る」よりも先に「触れる」体験だといえる。
その「感触」は「理解」と同時に発生しているのだが、多くの場合、「理解」だけが前面に出て、「感触」は意識に上らないままでいる。

その「感触」は決して感想ではない。むしろ実際の「触覚」に近く、ほとんど身体感覚だといえる。

中原中也の死に関して小林秀雄が書いた文章を読み、言葉の運動を体感してみよう。

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ランボー 「花々」 Arthur Rimbaud « Fleurs » ランボー詩学の精髄:初めに言葉ありき

「花々(Fleurs)」は、ランボー詩学の精髄を理解させてくれる散文詩。

詩人は現実に存在する何らかの花を描くのでも、それについて語るのでもない。

彼の詩学の理解に有益な韻文詩「アマランサスの花の列(Plates-bandes d’amarantes…)」において、詩人は現実から出発し、言葉が現実から自立した世界へと移行した。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

散文詩「花々」になると、現実などまったくお構いなしに、ただ言葉が連ねられていく。
読者は、勢いよく投げかけられる言葉の勢いに負けず、連射砲から繰り出される言葉たちを受け取るしかない。
ランボーがどんな花を見、何を伝えようとしたかなどを考えるのではなく、言葉そのものが持つ意味を辿るしかない。
そうしているうちに、言葉たちが生み出す新しい世界の創造に立ち会うことになる。

正直、「花々」を一読して、何が描いてあるのか理解できない。まずは、文字を眼で追いながら朗読を聞き、言葉の勢いを感じてみよう。

Fleurs

D’un gradin d’or, – parmi les cordons de soie, les gazes grises, les velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au soleil, – je vois la digitale s’ouvrir sur un tapis de filigranes d’argent, d’yeux et de chevelures.
Des pièces d’or jaune semées sur l’agate, des piliers d’acajou supportant un dôme d’émeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines verges de rubis entourent la rose d’eau.
Tels qu’un dieu aux énormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

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小林秀雄とランボー 初めに言葉ありき 

小林秀雄が大学時代、「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を、大正15年(1926)10月に発行された『仏蘭西文学研究』 に発表し、翌年には「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東大仏文に提出したことはよく知られている。

小林の訳した『地獄の季節』は昭和5年(1930)に初版が出版された。
その翻訳は、小林自身の言葉を借りれば、水の中に水素が含まれるように誤訳に満ちている。しかし、荒削りな乱暴さが生み出すエネルギーはまさにランボーの詩句を思わせ、今でも岩波文庫から発売されている。
個人的には、どのランボー訳よりも素晴らしいと思う。

それと同時に、小林秀雄がランボーから吸収したもの、あるいはランボーとの共鳴関係の中で学んだ詩学は、彼の批評の中に生き続け、言葉に出さなくても、彼の批評には生涯ランボーが生きていたのではないか。

昭和31年(1956)2月に発表された「ことばの力」は、小林の言葉に対する基本的な姿勢を明かすと同時に、ランボーの詩がどのようなものだったのか教えてくれる。

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