和様式の美の形成 飛鳥時代から平安時代へ

和風の確立と自然への愛

894年、遣唐使が廃止された。それは意識が国内に向かう現象の一つの現れであり、和様式が確立していく中での象徴的な事件といえる。

10世紀の初頭には、やまと絵が誕生し、洗練された和歌を集めた「古今和歌集」も編纂された。その時に確立した和様式の大きな特色は、(1)自然への愛好であり、(2)表現としては平面的、(3)「中心の不在」だといえる。

自然愛については、『古今和歌集』の仮名序がそのことをよく表している。
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。(中略)花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。」
命あるもの全てが歌の対象となるだけでなく、鶯のさえずりもカエルの鳴き声もすでに歌である。自然そのものが歌なのである。

日本において、自然への愛は、四季の変化への敏感な感受性と密接に関連している。

土佐光起筆 清少納言


11世紀の初頭に書かれたとされる清少納言の「枕草子」の有名な第一段には、四季の美がはっきりと定着されている。

「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。」

仏教画でも、四季の表現が見られる。もう一度、平等院鳳凰堂壁扉画の「九品来迎図」を見てみよう。この絵は、生前の行いによって決まる阿弥陀如来のお迎えが、9つの階位に別れる様子を描いている。従って仏教の教えを説くことを目的とした宗教画である。しかし、その背景には、宇治周辺の四季を感じさせる風景が描かれている。

平等院鳳凰堂、下品上生図

南側扉は秋の風景で、鹿や秋の草が見える。北側扉は早春から春にかけてで、薄く雪がかぶった洲崎、農家の藁屋、山桜、農婦、青草などによって、季節の動きが感じられる。東は夏で、草庵、滝、峠などが描かれる。
仏教の教えに、日本的な季節感が融合している例と言えるだろう。

やまと絵の風景画でも、それぞれの季節と描かれる事象は固定化されていた。春は元日の雪、梅、鶯。夏は賀茂際、田植え、鵜飼い、滝、納涼。秋は七夕、秋草、鹿。冬は雪、山里等。

神護寺の山水屏風は鎌倉時代の作とされるが、秋から冬にかけての風景を描いている。

神護寺、山水屏風

右には水浴、屋敷の池には蓮。秋の草である萩があり、水辺にいる野鴨は渡り鳥で、冬の訪れを告げている。1枚の屏風の上に、季節の移り変わりが描かれているのである。

平安時代の末期になると、ひらがなが芸術的な美を獲得する。「三十六人家集」のような和歌集の冊子に書かれた仮名文字は、その美しさで際立っている。その上で、文字の後ろを見ると、料紙に四季の草花の模様が施され、季節感が織り込まれていることがわかる。

三十六人歌集、順集
三十六人歌集、重之集

こうした季節感の表現、自然への愛好は、日本的な感性の最も根本にある心性である。その本質は、『古事記』の冒頭で語られる天地開闢の神話を通して知ることができる。

天地初發之時、於高天原成神名

天と地が初めて発した時、高天原に成った神の名は

天と地が初めて別れ、高天原(タカマノハラ)に神が姿を現す。これが古事記の世界における天地創造の瞬間である。
その時3柱の神が姿を現すのだが、そこで「成る」という言葉が使われる。成るというのは、何かが神に成るのであって、無から出現するのでもなく、誰かが能動的に作り出すのでもない。自発的に、自然に出来てくるのが、「成る」である。

丸山真男は、「歴史意識の古層」の中で、世界の創造神話を三つの型に分けている。

1)「つくる」 
人格的な創造者が一定の目的で世界と万物を作る。
キリスト教の神による創造がその例。
この場合、作るものと作られるものは、主体と客体に分離しており、二つは非連続的。

2)「うむ」 
生殖行為によって産む。
産むものと産まれるものは主体と客体に別れているが、二つの間には、血縁による連続性がある。
『古事記』では、イザナキ、イザナミによる国作り神話がこの例。

3)「なる」 
世界に内在する神秘的な霊力の作用で具現化する。
主体と客体の分離はなく、ある物、ある運動(エネルギー)が形を取り、自ずから出来上がり、自発的に連続していく。そこにあるのは、他動詞的な働きかけではなく、自動詞的な成り行きである。
「於高天原成」の「成」は、まさにこのタイプの創造神話である。

最初に成ったのは、三柱の神(アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミ)。
その後すぐに二柱の別の神が成る。その際の記述が、日本的な自然愛好の起源だと考えられる。国が出来たばかりで幼い時の様子と、神が成る状況を描写した部分がそれに当たる。

次国稚如浮脂而久羅下那洲多陀用幣琉之時 如葦牙因萌騰之物而成神名

次に、国が幼くて、浮いた脂のように、くらげ(久羅下)のように、漂っている(多陀用幣琉)時、あしかび(葦牙)のように萌えあがる(萌騰)ものに因って成れる神の名

注目したいことは、脂、くらげが水の成分から成っていること。ここで、日本的な心性の根本には水の原理があることが示されている。

さらに、水が火の原理と対立することは、後に語られるイザナミの死が、彼女の最後の子どもである火の神カグツチによってもたらされるという出来事によって、強く印象付けられる。

水が生命の源であり、乾燥は死につながる。平安末期の六道絵では、水は遊びをもたらし、乾燥は飢餓に直結することを示している。

鳥獣戯画、水遊び
餓鬼草子

このように、水が生命の源である。そして、植物は水に養われ、そこから萌えあがる。葦牙(あしかび)とは葦の芽。水辺に群生する様子がここでは萌騰と表されている。「萌騰」は「成る」の勢いを強めた表現といえるだろう。

脂のように漂う国土から萌えあがる一柱の神の名は、「宇摩志/阿斯訶備/比古遅/神(ウマシ/アシカビ/ヒコジ/ノカミ)」。
ウマシは立派な、ヒコは男、ジは神を意味する。阿斯訶備(あしかび)という名称は、この神が葦として成ったことを示している。

この神の名前からわかることは、『古事記』に描かれた創世神話の中で、人間の祖先である神が植物と考えられていることである。
これは日本特有というのではなく、熱帯や温帯モンスーン気候の地域とも共通し、湿潤な気候の中で、命の誕生を草木の芽吹きと重ねて考えたからに違いない。
芽は大地から萌え出してくる。その時、生命の誕生は、人間が種をまくという主体的な作業を前提とするのではなく、雑草のように自然に生えてくるものと考えられている。「成る」の動きである。

ここで、「自然」という言葉に注目してみよう。よく知られているように、自然という漢字が山川草木、花鳥風月を意味するようになったのは、明治時代のなってからである。Natureという外来語を翻訳するために、自然という漢字が当て字が使われた。それ以前おいて、自然の元々の意味は「おのずから/しかる」であり、丸山真男によれば、自然的発生の観念を中核とした言葉といえる。
葦は自ずから然るものの代表であり、植物でもあり、人間でもあった。

丸山真男に従ってもう一つ注目したいのが、「次」という言葉である。『古事記』の神々は、最初に三柱、次に2柱、次に7代の神々が、次々に発生する。
さらに、イザナミ、イザナキによる国作りでも8つの島が次々に生まれ、人間の発生も連続的に行われる。一つの時点に留まることはなく、今という時が間断なく連なっていくのである。

その連続は人間の生活の中では、四季の移り変わりとして感知されることになる。そこで、自然への愛好は暦と結びつき、例えば、春の訪れは梅や桜の開花や鶯の鳴き声によって告げられる。それが和歌や大和絵のテーマである。

実際、和歌において、四季と風景は密接に関係している。
春は梅、桜、鶯。夏は橘、卯の花、あやめ、ほととぎす。秋は萩、紅葉、鹿、雁。冬は雪と、雪に紛れて咲く梅。
この時代に形作られた季節感は現代にまで続き、「早春賦」や「夏は来ぬ」などの歌として親しまれている。

暦と自然現象の対応は日本人にとっては当たり前のことと感じられる。

大和絵の主題は、山、川、樹木、動物、鳥など、自然そのもの、それらが四季に応じて変化する様子である。
10世紀に日本の絵画が描いたのは、四季の変化に応じた景物だった。

東寺 山水屏風

再び、東寺の山水屏風。本来は唐絵の屏風として、宮中での儀式の際に使われたと考えられている。庵にいるのは白楽天を思わせる老隠者。
しかし、背景には桜、柳、藤などの花や木が描かれ、春の景色であることがわかる。そのことは、大和絵の風景画的側面が強く出ていることを示している。
実際、家や人間の姿は、自然の中の一つの要素にすぎなくなっている。どこかに中心があるはなく、特段目立つ部分もなければ見劣りする部分もない。その意味でも、絵画としても平面的。人間が特権化されるのではなく、花鳥風月、山川風水が平等に画題になっている。

その特色は、同じテーマを扱ったヨーロッパの絵画と比較するとよくわかる。ヨーロッパで暦は、人間の日々の営みと対応する。例えば、「ベリー公のいとも豪華な時禱書」の4月の挿絵。

Les très riches heures du duc de Berry, avril

背景に森が描かれているが、背景の中心は城である。そして、主題は貴族たちの集い。つまりテーマは、人間の営みであり、決して森という自然への愛好ではない。

同じ「ベリー公のいとも豪華な時禱書」の3月の挿絵。

Les très riches heures du duc de Berry, mars

ここで表現されるのは、人間が自然を征服し、畑を作り、生産活動が行われている様子。従って、この絵画は自然に対する人間の勝利の象徴である。

他方、日本では、人間が主体となり自然に働きかけて文明化するという、キリスト教的な世界観は決して支配的にならない。あくまでも、「成る」世界観が主流である。
そこでは、人間と自然物との間の境が低く、人間も自然の一部であると考えられる。『古事記』の中で、人間は「青人草」と呼ばれることがあり、神も葦から成っている。人間と自然と神は生命の動きの一つの現れであり、それらの間に絶対的な垣根はない。個々の生命は死を迎えるが、生命そのものは雑草のように次々に発生し、永遠に続いていく。

日本人にとって、暦に従って移り変わる木や花、鳥や動物、自然の風景は、自分の心を移す鏡でもあり、神々がまとう束の間の姿でもある。
存在するもの全てに命を感じ、全てが神となりうるという感覚。どんなものにでも霊的なものを感じ、つい拝んだりしてしまう。一人の神や始祖がいるわけではないので、八百万の神々はどこにでも出現し、様々な形になる。

そこで、山の中にちょっとした空間があると、すぐに捧げ物をし、祭壇として拝んだりする。

「今」という時は常に移り変わり、その変化に生命を感じる。中心のなさ、恒常性のなさ、つまり、はかなさに命を感じ、美を見出す日本的な感性は、古代から続く日本人の自然観に由来するといえるだろう。

このような美意識が、10世紀に藤原氏を中心とした貴族たちによって作り上げられた。歌に歌われ、絵に描かれる一本の花も、実は自然全体のことである。
万物には生命があり、神が宿ると感じられ、そこに美が出現する。

全てが平等だからこそ、平面的で、中心がない。それが和様式の美の特色だといえる。そして、その中心には、自然に対する信仰がある。

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