
パリの守り神、聖ジュヌヴィエーヴ。その聖女の名前がついた聖ジュヌヴィエーヴの丘に、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会は立っている。
この教会の最も大きな特色は、見事なジュベ(Jubé 内陣仕切り)が残っていること。ジュベの役割は、聖職者と俗信徒の席を仕切ることにあった。フランス革命以降、席の区別をなくすため、多くの教会はジュベを取り払った。

パリでは、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会だけで、石のジュベを見ることができる。

パリの守り神、聖ジュヌヴィエーヴ。その聖女の名前がついた聖ジュヌヴィエーヴの丘に、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会は立っている。
この教会の最も大きな特色は、見事なジュベ(Jubé 内陣仕切り)が残っていること。ジュベの役割は、聖職者と俗信徒の席を仕切ることにあった。フランス革命以降、席の区別をなくすため、多くの教会はジュベを取り払った。

パリでは、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会だけで、石のジュベを見ることができる。
1820年に発表されたラマルティーヌの「湖」« Le Lac »は、ロマン主義的抒情詩の典型的な作品。この詩を読むと、フランス・ロマン主義の本質を知ることができる。

詩の内容は、失われた幸福を懐かしみ、それが失われたことを嘆くというもの。
昨年、愛する人と二人で幸福な時を過ごした。その湖に今年は一人でやってきた。時は否応なく過ぎ、幸福な時は失われてしまった。その悲しみを抒情的に歌う詩である。
パリで一つだけ教会を訪れるとしたら、ノートルダム寺院に行くことになるだろう。しかし、マドレーヌ寺院は、ノートルダム寺院を超えるほどの美しさを誇っている。

キリスト教の教会でありながら、ギリシア神殿風。外観はコリント式の円柱が立ち並び、古代ギリシア・ローマのパンテオンを思わせる、新古典主義建築の代表。
ルーブル美術館のすぐ横にあるサン・ジェルマン・ロクセロワ教会は、起源7世紀から存在していることが確認されている。

この教会の鐘の音が、1572年の聖バルテルミーの大虐殺の際に、合図になったと言われている。
1860年、パリの大改造で狭い通りが拡張され、六階建ての建物が立ち並ぶようになった。今、それ以前の古いパリの姿を見ることができる場所は限られている。

古い通りの目印は、道の狭さと低層の小さな建物。
メトロのオデオン駅を下りるとすぐに、サン・タンドレ通りが見える。
この通りは、大改造以前のパリの街並みがどんなものだったか教えてくれる。
自然の景色が描いてあれば、実際の風景を写生したものと思ってしまうことが多い。しかし、現実の風景画が描かれるようになったのは、19世紀のことだった。
18世紀の後半にユベール・ロベールが描いたイタリア・ティボリにあるヴェスタの神殿と滝の絵。雄大な滝を中心にした自然の光景に見える。


フォンテーヌブローの森に隣接しているバルビゾン村は、19世紀の前半から半ばにかけて、テオドール・ルソーやミレーなど、風景画家達を数多く迎えた。