接続法アレルギーを解消する

接続法は難しいと思われがちだが、概念さえわかると、何も難しいことはない。役割としては英語の不定法(to do)、日本語の体言止め(する/こと)と同じ。文の構造の中で、動詞を名詞的に取り扱うための法である。

Je ne crois pas son départ.
Je ne crois pas qu’il parte.

この例文を見ても分かる通り、son départ(彼の出発)とqu’il parte(彼が出発すること)は、文中で同じ役割をしている。

主語付き不定法

Je ne crois pas partir.

Je ne crois pas qu’il parte.

不定詞(原形)の場合には、partirする人はcroireの主語と同じである。
それに対して、partirする人がcroireの主語と違う場合には、接続法を用いる。
つまり、不定詞(原形)と接続法の違いは、主語のあるなしだけということになる。

このように考えると、接続法とは時間の中に行為を位置づける時制ではないことがわかる。接続法に置かれた動詞は、その概念だけを取り上げ、名詞化する用法なのである。

Partirは「出発する」という意味だが、既に出発したのか、これから出発するのかはわからない。出発という概念だけが示される。
Il est parti.と直説法の活用をされて、初めて、出発が既に終わっていることがわかることになる。
それに対して、名詞のdépart(出発)は、partirと同じように、出発という概念だけを示している。
誰が出発する(した)のかは、son départ、彼、彼女の出発というように、所有形容詞で示される。

Je ne crois pas qu’il parte

qu’il parteは彼が出発することという意味であり、son départと同じだと考えることができる。

Je ne crois pas qu’il soit parti.

この場合、既に出発したということを信じていないということになり、接続法過去は、je ne crois pasの時点では既に終了している出来事を想定していることを示している。想定しているだけで、その現実性は問うていないことに注意しよう。

このように、接続法は、直説法ではなく、概念だけを示し、現実性を問題にはしない。
その意味で、不定法(原形)と同じように考えることができる。

活用の意味

活用に関しては、直説法と同じように、単純形(未完了)と複合形(完了)、時制の一致に伴う過去の時間帯への移行がある。

複合形(完了)単純形(同時)
現在Je sois venu
接続法過去
Je vienne
接続法現在
過去Je fusse venu
接続法大過去
Je vinsse
接続法半過去

接続法半過去や大過去は、時制の一致でしか用いない。
しかし、最近では現在のままで済ませることも多い。

Elle déteste que je vienne sans prévenir.

Elle détestait que je vinsse sans prévenir.

Elle détestait que je vienne sans prévenir.

接続法はいつ使うのか?

感情、疑念、義務、命令、目的、譲歩、勧告、禁止、願望、後悔、願い、思考内容を意味する動詞や表現、最上級の表現の後で、接続法が要求される。
しかし、私たち日本人には、内容から接続法と直説法のどちらが適切か判断するのは難しく、接続法を要求する動詞をその都度覚えた方が実用的である。

フランス語のwikipediaの« subjonctif »の項目には、そうした表現が列挙されている。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Subjonctif

接続法の考え方

直説法は、動詞の活用によって、動詞を時間の中に位置づけ、現実化する。
接続法は、動詞の概念だけを取り出す。

接続法は時制ではなく、名詞あるいは不定詞と同じとみなせば、まったく難しい概念ではないことがわかる。

文法で私たちが接続法を難しいと考えるのは、活用が直説法と違い、覚えるのが面倒だというところから来ている。

そのことがわかると、接続法アレルギーはなくなるはず。

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