ネルヴァル 「ファンテジー」 Nerval « Fantaisie » 音楽と絵画とデジャ・ヴュと

ネルヴァルの「ファンテジー」は、音楽性と絵画性が絶妙に組み合わされ、ロマン主義的な美が見事に表現されている。

詩句は音楽性に富み、朗読すると口にも耳にも心地よい。

喚起される情景は、古きフランスの光景であり、「詩は絵画のように、絵画は詩のように」(Ut pictura poiesis)というホラティウスの言葉を実現している。
それと同時に、一つのメロディーから過去の光景が一気に描き出される様は、プルーストのマドレーヌと同じように、記憶のメカニスムが作り出す魅力を感じさせてくれる。

ネルヴァルは、もっとも早く民謡の美を発見し、詩の中にその音楽性を取り入れることを主張した詩人だった。
「ファンテジー」で彼は、ロマン主義時代に大人気だったロッシーニ、ウエーバー、そしてモーツアルトさえ、民謡の一曲と交換してもいいと言う。

Fantaisie

Il est un air pour qui je donnerais
Tout Rossini, tout Mozart et tout Weber ;
Un air très-vieux, languissant et funèbre,
Qui pour moi seul a des charmes secrets.

ファンテジー

一つのメロディがある。そのためなら、あげてしまってもかまわない
ロッシーニの全て、モーツアルトの全て、ウエーバーの全てを。
とても古いメロディー。物憂く、暗い。
でも、私にだけは、密かな魅力がある。

ウエーバーの名前は、funèbreと韻を踏むために、Webreと発音するとネルヴァルは注で記している。韻は男性韻(e)で始まり、女性韻(re)を包む、抱擁韻となっている。

この第一詩節では、10音節の詩句の4行全てで、4音節目の後句切れがあり、4/6のリズムが規則的に続いている。

ネルヴァルがこの詩を書きながら、実際のどんなメロディーを思い描いていたのか明確にはわからないが、彼が書いた民謡に関する文章からすると、「ルイ王の娘」のような曲を考えたいたのかもしれない。

それに対して、当時の音楽シーンでメジャーだったのは、ロッシーニの「ウイリアム・テル」やウエーバーの「魔弾の射手」だった。

モーツアルトに関しては、ネルヴァルにとって「魔笛」が特別に大切な曲になる。地中海沿岸の国を一年かけて回った旅を綴った『東方紀行』のエピソードの一つとして、エジプトのピラミッドの中で行われる密議として、「魔笛」に言及される。

ネルヴァルは、メジャーなものではなく、時代に取り残されたものに魅力を感じ、マイナーな美を発掘する傾向にある。

その感性は、今ここにあるものではなく、不在のものへのメランコリックな憧れに美を見出すロマン主義的な感性と対応する。

詩人は、古びたメロディーを耳にする度に、魂が200年若返るという。
この詩が書かれたのは1832年。200年遡ると、1630年。ルイ13世の治世下。

Or, chaque fois que je viens à l’entendre,
De deux cents ans mon âme rajeunit :
C’est sous Louis treize… Et je crois voir s’étendre
Un coteau vert que le couchant jaunit,

そのメロディーを聞く度に
二百年、私の魂が若返る。
それはルイ十三世の時代だった。。。目の前に広がるように思える、
緑色の小さな丘が。夕日が黄色く染めている。

一つの曲に触れ、過去の記憶が一気に甦るシステムは、プルーストのマドレーヌと同じである。
「ファンテジー」の特色は、これが個人の人生を超えた、200年前の記憶であることだろう。それは個人を超えたというよりも、輪廻転生のような生まれ変わりを前提としている。
200年の間に彼は何度か生まれ変わり、その度に、緑の丘が夕日に染まる風景を繰り返し見てきたに違いない。

プルーストはネルヴァルを最大限に評価し、『失われた時を求めて』の原理となる「無意識的記憶の喚起」あるいは「心の間歇(Intermittences du cœur)」をネルヴァルの作品の中に発見している。
その本質は、プルーストのよれば、イメージ相互間、思考相互間の、何にもまして重要な関係を正しく捉えることにある。

一般的には関係がないと思われるものや、別々に存在していると思われるものの間にある親密な関係に気づくこと。
例えば、ネルヴァルの「蝶」という小詩には、次のような詩句がある。

Le Papillon ! fleur sans tige,
   Qui voltige, (…)

ちょうちょ、枝のない花、
   ひらひらと空を舞う。(。。。)

昆虫と植物は同一化できない。しかし、詩人の感性は、蝶がひらひらと舞う姿を見て、花を思う。二つの別の存在の類縁関係を直感したのだ。
この場合は、目に見える二つの存在、蝶と花が隣接しているといえ、換喩的関係と考えられる。

それに対して、無意識的記憶の喚起は、不在の過去と存在する今を関係づけるので、隠喩的である。
突然記憶の中にかつての光景が甦り、今との特別な関係を明かす。そのことで、個別の存在が、実は別の生と重なり合い、豊かな響きを立てていることに人は気づく。

Puis un château de brique à coins de pierre,
Aux vitraux teints de rougeâtres couleurs,
Ceint de grands parcs, avec une rivière
Baignant ses pieds, qui coule entre des fleurs.

次に見えるのは、レンガのお城。角は石造り。
窓のステンドグラスは赤っぽい色に染まっている。
その周りには大きな庭があり、小川が
城の足元を濡らし、花々の間を流れている。

この詩節は、詩句によって描かれた絵画といえる。

城はレンガ造りで、角には石がはめ込まれている。
こうした様式の建造物は、パリ北方にあるヴァロワ地方のいたるところに見られる。

夕日が染める色に関して、赤(rouge)ではなく、赤っぽい(rougeâtre)という言葉が使われている。その理由は、はっきりとした映像ではなく、少しぼんやりやとした雰囲気を出すことで、過去の映像の印象を作り出すため。

その城を中心にして、庭、小川、花々と、周囲の様子が描き出されていく。
この光景を描き出す2行の詩句も、4/6のリズムが用いられ、de grands parcs, une rivière, ses pieds(城の下部), des fleursが、次々と目の前に浮かび上がってくる。

この城のある風景は、パリ近郊のサン・ジェルマン・アン・レーにある、アンリ4世の館(Pavillon Henri IV)をイメージして描かれたのかもしれない。

この館は、丘の上に立ち、その下にはセーヌ河が流れている。
ルイ13世の世継ぎであるルイ14世が誕生したのは、この城館の中。
現在は、レストランになっていて、誰でも訪れることができる。

映像は、次に、城の窓へとズームアップされる。

Puis une dame, à sa haute fenêtre,
Blonde aux yeux noirs, en ses habits anciens…
Que, dans une autre existence peut-être,
J’ai déjà vue ! — et dont je me souviens !

次に、高窓のところに、一人の女性が見えてくる。
金髪で、黒い目。古い時代の服を身を身にまとう。
たぶん、別の時代に生きていた時、
すでに彼女を見たことがある!ーそして今、思い出す!

サン・ジェルマン・アン・レーのお城を見ると、窓が高いことがよくわかる。

こうした高窓の一つに、女性の姿が見えてくる。

金髪で、目が黒いところまで見えてくるのは、思い出の中のイメージだから。現実では、そんな細部までは見えない。

まとっているのは、ルイ13世時代のローブ。

J’ai déjà vue
この言葉は、「ファンテジー」がデジャ・ヴュの詩であることを、はっきりと示している。
詩人は、前生で彼女に会ったことがある。そして、今思い出している。
過去と今が結ばれ、輪廻転生を実感する。それは生が回帰し、永続することの証となる。


「ファンテジー」は音楽的にも素晴らしく、描き出される映像は美しい。
ネルヴァルの詩の中でも最も魅力的で、単純さの中に深みのある、素晴らしい作品だといえる。

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