ランボーの「酔いどれ船」は傑作と言われ、パリのサン・シュルピス教会のすぐ横にある壁には、100行の詩句全部が書かれている。

しかし、意気込んで読んでみても、難しくて理解できないところが多い。
この詩のどこに、多くの読者を惹きつける魅力があるのだろう。
今から、4行詩が25節続く詩の大海原に、船を漕ぎだしてみよう。
変革の時
旅に発つ前には、それなりの準備が必要となる。
ランボーが「酔いどれ船」を書いたと考えられる1871年、社会、芸術、文学のレベルで、変革の時期を迎えていた。
社会的なレベルでは、1870年の普仏戦争にナポレオン三世が敗れ、1871年はパリの市民たちの蜂起(パリ・コミューヌ)が勃発。
絵画のレベルでは、アカデミーの伝統に従った絵画、ロマン主義絵画、レアリスムの絵画に変わり、印象派の画家たちが活動を始め、1874年には第一回印象派展が開かれた。(ただし、一般的な評価は19世紀の末まで待たないといけない。)
文学的には、1860年代から、ロマン主義的な感情の吐露を押さえ、形式的な美を重んじるパルナス派が主流を占めていた。 1871年8月、ランボーはパルナス派の中心人物の一人バンヴィルの詩法を揶揄する詩を書き、新たな詩を模索する。
ランボーの個人的なレベルの出来事も見ておこう。

1854年10月、アルチュール・ランボーは、ベルギーに近いアルデンヌ地方に位置するシャルルヴィルという小さな町に生まれた。
15歳くらいから詩を書き始めたらしく、1870年には、テオドール・ド・バンヴィルという詩人に自作の詩を送り、出版してくれるように依頼したこともある。
この時、彼は2度ほどパリに出奔し、その体験を基に、「谷間に眠る男」「わが放浪」など、まだ伝統的な手法で書かれた詩を書いている。
翌1871年5月、学校の先生と友人に宛てて、「見者の手紙」を呼ばれる手紙を書き、伝統的な詩とは違う新しい詩を生み出す意欲を示した。その中で、ボードレールを詩人の中の詩人と褒め称えている。
それと前後して、パリに再び出奔。パリ・コミューヌを体験した。
8月になるとヴェルレーヌに手紙を書き、パリで彼と会い、二人の激しい関係が始まる。
伝説としては、ヴェルレーヌが、送られてきた「酔いどれ船」を読んで感激し、ランボーをパリに呼び寄せたといわれている。その真実のほどはわからない。
とにかく、上京したランボーが、9月下旬の詩人達の集まりで「酔いどれ船」を読んだということが、事実として伝えられている。

その時、ランボーは18歳になる直前。それまで彼が目にしたのは、故郷のアルデンヌ地方からパリまでの限られた光景だけ。海を見たことはなかった。シャルルヴィルを流れるムーズ河が、「酔いどれ船」の大海原の源だっただろう。
ランボーの想像力は、現実を前にして疾走し始め、留まるところを知らなくなる。
その様子を最もよくわからせてくれるのは、1873年にブリュッセルで書いたと思われる詩「アマランサスの花の列」。
何を見ているのか、何を空想しているのか分からず、現実と非現実の境目が溶けてしまう。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/
酔いどれ船の旅は、疾走する想像力が描く幻影(=現実)なのだ。
ボードレールの導き
ランボーを旅に駆り立て、彼の想像力が産み出す世界で大航海へと向かわせるのは、ボードレールの詩だったに違いない。
「旅への誘い(L’Invitation au voyage)」は、直接的な誘いになっただろう。
それ以上に重要なのは、『悪の華』第2版(1861)の最後に置かれた「旅(Le Voyage)」。
その詩の最後で、ボードレールは次のように歌った。
Ô Mort, vieux capitaine, il est temps! levons l’ancre !
Ce pays nous ennuie, ô Mort! Appareillons!
Si le ciel et la mer sont noirs comme de l’encre,
Nos cœurs que tu connais sont remplis de rayons !
おお、死よ、年老いた船長よ、時がきた! 錨を上げよう!
この国に我らはうんざりしている。おお死よ、出港しよう!
空と海が墨のように黒くとも、
お前のよく知る我らが心は、光に満たされている!
この一節は、新しいものを求め、新しい詩を創作しようという詩人の姿を見事に表現している。
Mort(死)に対する呼びかけは、この世、現実、これまでの伝統から離れることを意味する。
この国は退屈。出航するしかない。
普通だったら美しい空も海も、今は墨のように真っ黒。それに対して、これから出航していく大海原は、光に満ちあふれているだろう。
その大海原は、私たちの心に他ならない。ということは、現実から離れて向かう先は、人間の内面でもある。
そのようにして、未知の大海原=宇宙(マクロコスモス)=人間(ミクロコスモス)のつながりが示される。
Verse-nous ton poison pour qu’il nous réconforte!
Nous voulons, tant ce feu nous brûle le cerveau,
Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ?
Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !
我らに毒を注いでくれ。気持ちが楽になるよう!
我らが望むこと、それは、この炎が我らの脳髄を燃やす限り、
深淵の底に沈むこと。地獄でも、天国でも、どちらでもいい?
未知なるものの底で、新たなるものを見出すことだ!
毒を注いでくれという死に対する呼びかけは、この世を離れるという意味。そして、ボードレールは、未知なるもの(l’inconnu)の底に潜り、新たなるもの(du nouveau)を見つけることを望む。
その際、未知なるものは、地獄でも、天国でもどちらでもいい。そのことは、地上での価値観は意味を持たず、地上から遠く離れていることだけが、「新たなるもの」の発見を可能にすることを意味している。
新しい世界に旅立とうとするとき、自分の内面に未知なる場所を見出し、自己の深淵に下っていくという詩節は、示唆に富んでいる。

ランボーは、故郷のシャルルヴィルを旅立ち、パリの詩人たちの許に向かう。それは、新しい詩への旅立ちでもあった。
ボードレールの「旅」の詩句は、その出航を促す役割を果たしたことだろう。
出航 束縛と自由
「酔いどれ船」は、それまでの主流だったものから自由になり、新たなものを生み出しつつあった時代を背景として、束縛と自由を歌うところから始まる。
まず、詩全体の雰囲気を味わうために、ジェラール・フィリップの朗読を聞いてみよう。
熱に浮かされたようなこの朗読。ジェラール・フィリップは詩に酔っているとしかいいようがない。
ランボーの船は酔っている(ivre)。
この酔いもボードレールによって命じられたものだろう。「酔いたまえ。」
https://bohemegalante.com/2019/07/15/baudelaire-enivrez-vous/
酩酊船はこうして出航する。
Comme je descendais des Fleuves impassibles,
Je ne me sentis plus guidé par les haleurs :
Des Peaux-Rouges criards les avaient pris pour cibles,
Les ayant cloués nus aux poteaux de couleurs.
無感覚な「大河」を下りながら、
ぼくはもう、船を曳く人々に導かれているようには感じなかった。
大声で叫ぶアメリカン・インディアンたちが、やつらを標的にして、
裸にして磔にしたんだ。色とりどりの旗ひらめくマストに。
私たちにとって、船を曳く人(haleur)というのはわかりにくい。フランスでは、船が川を進むとき、人や馬が岸辺にいて、綱をつけて引っ張っることがあった。その時、綱に繋がれて導かれていた船に自由はなかった。

ランボーの酔いどれ船は、その束縛から解放され、自由を得る。そして、大河を下っていく。
その河は、苦痛(impassible)を感じない。その形容詞は、感情を動かされない、苦しみを感じないという意味だが、当時主流だったパルナス派の詩の中心的な概念でもある。無感動で、形の美を追究する詩。
それまではパルナス派的な詩の流れの中にいたけれど、これからは自由になるという宣言がここでなされていることになる。

綱を曳いていた男たちは、アメリカン・インディアン(des Peaux-Rouges)によって船のマストに縛り付けられ、磔になってしまった。
綱を引く人々が旧大陸(ヨーロッパ)の伝統を、新大陸(アメリカ)の原住民たちが革新や変化を象徴すると考えれば、この4行は、刷新への第一歩を記していると読み取ることができる。
J’étais insoucieux de tous les équipages,
Porteur de blés flamands ou de cotons anglais.
Quand avec mes haleurs ont fini ces tapages,
Les Fleuves m’ont laissé descendre où je voulais.
ぼくは、乗組員たちの誰にも関心がなかった。
フランドル地方の小麦とか、イギリスの綿花とかを運んでいるだけだ。
船曳きたちが静かになると、騒ぎも収まり、
「大河」はぼくを勝手に下らせてくれた。行きたいところに。

フランドル地方の小麦とイギリスの綿というのは、これまでの伝統を意味しているのだろう。まだ船の荷物はこれまでのまま。
他方で、束縛を意味する船曳きたちは息絶え、船の乗組員たちの動きもなくなる。船を操縦する人間は消え去り、河の流れに従って行くことになる。
その行き先は、「ぼくの行きたいところ。」 束縛から自由への移行が、この言葉によってはっきりと示される。
続く第3詩節から第5詩節では、船(「私」)が「大河」から海に出、海岸近くから沖へと流されていく姿が描かれることになる。