パスカル 『パンセ』 人間は考える葦である Pascal, Pensées, Un roseau pensant

ブレーズ・パスカルの「人間は考える葦である。」という言葉は誰でも知っている。しばしばデカルトの「我思う、故に我在り。」と並べて語られることもある。

この有名な二つの言葉には共通する要素がある。それは、「考える(Penser)」という動詞。
« L’homme, […], c’est un roseau pensant. » (Pascal)
« Je pense, donc je suis. » (Descartes)

17世紀の二人の思想家、哲学者は、「考える」ということを思索の中心においていることがわかる。

パスカルの『パンセ』の中で、考える葦が出てくる文を読んでみよう。

  L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant. Il ne faut pas que l’univers entier s’arme pour l’écraser. Une vapeur, une goutte d’eau, suffit pour le tuer. Mais quand l’univers l’écraserait, l’homme serait encore plus noble que ce qui le tue, parce qu’il sait qu’il meurt ; et l’avantage que l’univers a sur lui, l’univers n’en sait rien. 
  

  人間は一本の葦にすぎない。自然の中で最も弱い存在。しかし、考える葦である。人間を押しつぶすために、世界全体が武装する必要はない。蒸気一つ、一滴の水滴があれば、人間を殺すには十分である。しかし、もし宇宙が人間を押しつぶすとしても、人間は彼を殺すものよりずっと高貴である。というのも、彼は自分が死ぬことを知っているからだ。宇宙の方は、人間に対して持っている優位について、まったく知らずにいる。

パスカルは2つの点を指摘する。
1)人間は、葦のように弱い存在。
2)人間の高貴さは、自分が弱いと知っていること=考えることができることにある。

Philippe de Champagne, Ex voto

パスカルはジャンセニスムというキリスト教思想の代表的な思想家と言われている。
その思想を簡単に言えば、魂の救いは、神によって予め決まっていて、人間の自由意志や行動にはよらない、というもの。

それに対して、人間の意志や行動を重視するイエズス会に属する宗教者たちもいた。

二つの考え方の違いは、次のような問いに対する答えの違いから実感することができる。

「運命を変えることはできるのか?」

努力によって運命を変えることができると考える人がいる。その人は、イエズス会的な考え方をしていることになる。
他方には、自分の努力によって運命を変えたつもりでも、その変更はすでに運命によって決まっていたものだと考える人もいる。つまり、全ては運命によって決まっていると考えている。その人は、ジャンセニスム的な思考の持ち主だといえる。

パスカルが人間の弱さを強調し、人間の偉大さは自分の弱さを知る時だと言うとしたら、その弱さはまず第一に、神の絶対性に対する無力さを意味している。
「蒸気一つ(Une vapeur)、一滴の水滴(une goutte d’eau)があれば、人間を殺すには十分(suffit pour le tuer)」という言葉は、その無力さを強調する言葉だと考えることができる。

人間の無力さ、弱さは、別の箇所では、想像力(imagination)によって容易に騙されることから示される。
想像力は、誤りや偽りを作り出す主(maîtresse d’erreur et de fausseté)であり、理性の敵(ennemie de la raison)とされる。
人間は肉体に閉じ込められていて、五感が生み出す印象や主観的な思いに支配され、しばしば理性よりも想像力を信じてしまう。

パスカルは、人間は弱い存在=葦であるからこそ、自分の弱さを知ることの重要性、そして、考えること(penser)の価値を強調する。

  Toute notre dignité consiste donc en la pensée. C’est de là qu’il faut nous relever, non de l’espace et de la durée, que nous ne saurions remplir.
  Travaillons donc à bien penser : voilà le principe de la morale.

  我々の尊厳は、従って、考えることにある。そこから自らを高めなければならないのであり、空間や時間からではない。私たちは空間や時間を満たすことはできないのだ。
  よく考えるように努めよう。それが私たちのよき行動の原則である。

Philippe de Champaigne, Portrait d’homme

「空間や時間を満たすことができない(l’espace et la durée que nous ne saurions remplir)」という表現は、時空間を満たすことができるのは神だけ、ということを前提にしている。

別の視点から考えてみよう。
私たちは一般的に、五感で感じる経験可能で、科学的に検証可能な事象を現実だと考えている。つまり、感覚的に知ることができる世界を現実だと見なしている。
それに対して、感覚的経験に基づく世界を知ることができるのは、それぞれの現象を超えた抽象的で客観的な世界像を予め知っているからだ、という考え方もある。
プラトンのイデア論は、そうした世界像の一つである。
プラトンにとって、現実はイデアの影であり、イデアのコピーにすぎない。
キリスト教において、もし現象を超えた世界=時空間を知るとすれば、それは神しかいない。人間は、時空間に従属し、パスカルの表現を借りれば、時空間を満たすことはない。

このように考えると、パスカルの思考を理解することができる。
人間は時空間に従属してるので、真実を把握するのは難しい。真実に近づくためには、感覚を通してではなく、考えること(la pensée)から出発しないといけない。それが、人間の威厳(dignité)なのだ。

そして、人間の正しい行動=道徳(la morale)の原理は、よく考えること(bien penser)であると結論づける。

Philippe de Champagne, La Cène

パスカルは、神を前にした人間の無力さを強調するために、理性を人間の中心に据えたデカルトと対比されることがある。
パスカル自身、「私はデカルトを許すことはできな。彼の哲学の全体を通して、神なしで済ませることができることを望んでいたと思われるからだ。(Je ne puis pardonner à Descartes ; il aurait bien voulu, dans toute sa philosophie, pouvoir se passer de Dieu.)」と書いている。

しかし、考える(penser)という視点で捉えると、デカルト同様に、人間の中心に思考(la pensée)を据えた17世紀フランスの思想家であるという側面が見えてくる。
神なき人間の悲惨(Misère de l’homme sans Dieu)についての様々な考え(pensées)」が、彼の著作「パンセ」なのだ。

17世紀フランスの美術、演劇、モラリストの箴言、ラ・フォンテーヌの寓話、ペローのコントなど、全ての土台には、常に「考える」ことがあるといっていいだろう。

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