ラ・フォンテーヌ 「狼と犬」 La Fontaine « Le Loup et le Chien » 自由からありのまま(naturel)へ

イソップ寓話の「狼と犬」は日本でも比較的よく知られている。
犬は、束縛されてはいるが、安逸な生活を送る。
狼は、自由だが、いつも飢えている。
そして、イソップ寓話では、狼が体現する自由に価値が置かれる。

17世紀のフランスのサロンや宮廷は、「外見の文化」の時代。
貴族たちは、社会の規範に自分を合わせないといけないという、強い束縛の中で生きていた。服装や振る舞いが決められ、逸脱したら社会から脱落することになる。
そうした束縛が支配する場で、「狼と犬」の寓話を語るとしたら、どんな話になるだろうか。

言葉遣いの名手ラ・フォンテーヌの「狼と犬」では、教訓は付けられていず、「狼は今でも走っている。」という結末。
そこで、読者は、自分で教訓を考える(penser)ように促されることになる。

束縛ではなく自由を選ぶと言うことはたやすい。
しかし、実際に自由に生きることは簡単ではない。そのことは、ルイ14世の宮廷社会に生きる貴族たちも、21世紀の日本を生きる私たちも、よくわかっている。

ラ・フォンテーヌの寓話は、最初から決まった結論に読者を導くよりも、「考える(penser)」ことを促す。その意味では、デカルトやパスカルと同じ17世紀フランスの「考える」文化に属している。

「狼と犬(Le loup et le chien)」は、ラ・フォンテーヌの寓話の中でも、とりわけ韻文としての工夫が多く見られ、狼と犬の対比が詩の言葉としても見事に表現されている。

41行ある詩行で、12音節、10音節、8音節の詩句が組み合わされ、韻も、aa(平韻)、abab(交差韻)、abba(抱擁韻)、aaa(連続韻rime redoublée)など、様々なヴァラエティが施されている。

音の面でも、例えば、「狼は骨(os)と皮(peau)だけだった」という時、[ o ]の音が反復され(アソンアンス)、その音が、犬(dogue)と響き会うことで、狼と犬の類縁性が音として表現される。

犬と狼の類似は、黄昏を意味する、「狼と犬の間(entre loup et chien)」という表現に基づいていると考えてもいいかもしれない。
暗い中で、向こうに見える狼と犬の区別がつかない、それほど似ていると考えられたところから、その表現は来ている。

        Le loup et le chien

Un Loup n’avait que les os et la peau ; (10 : a)
        Tant les Chiens faisaient bonne garde. (8 : b)
Ce Loup rencontre un Dogue aussi puissant que beau, (12 : a)
Gras, poli, qui s’était fourvoyé par mégarde. (12 : b)

(詩行の後ろの数字は音節数。a, b等は、韻を表す。)

狼と犬

骨と皮だけの狼が一匹いた。
それほど、犬たちがしっかり見張り番をしていたのだった。
その狼が、一匹の猟犬と出会う。力強く、美しく
太っていて、毛並みが輝いている。うっかり道に迷ってしまったのだった。

普通に考えれば、狼の方が犬よりも強い。
しかし、ラ・フォンテーヌの狼は、骨(os)と皮(peau)だけで、痩せ細っている。
犬たちがしっかりと家畜を守っているからだった。
この最初の2行から、二匹の動物の力関係の逆転が予告されている。

その後、一匹の犬が出てくるのだが、普通の犬(chien)ではなく、猟犬(Dogue)と言われる。
その犬は、うっかり群から離れ、一匹で森に迷いこんだ。
本来であれば、狼を見て怯えるはずだけれど、しかし、ラ・フォンテーヌは、犬の姿を、力強く(puissant)、美しく(beau)、肉がたっぷりつき(gras)、毛並みが磨かれている(poli)、つまり輝いているとする。

骨と皮だけの 狼 vs でっぷりと太った力強い犬。それは、犬の優位を示すはっきりとした印になる。

        L’attaquer, le mettre en quartiers, (8 : c)
Sire Loup l’eût fait volontiers. (8 : c)
        Mais il fallait livrer bataille (8 : d)
        Et le Mâtin était de taille (8 : d)
        A se défendre hardiment. (8 : e)
        Le Loup donc l’aborde humblement, (8 : e)
    Entre en propos, et lui fait compliment (10 : e)
        Sur son embonpoint, qu’il admire. (8 : x)

猟犬を攻撃し、バラバラにする。
そうできれば、狼殿は、喜んでしただろう。
しかし、戦をしかけないといけなかった。
大きな猟犬は、自分の力で、
勇敢に防衛できた。
狼は、そこで、身を低くして近づいていき、
話しかけ、おせいじを言う、
犬の恰幅のよさを、素晴らしいと思っているのだ。

森の中をうろつき、痩せ細っている狼を殿下(Sire)と呼ぶのは、明らかに嫌み。
狼は、頭の中では殿下らしく、つまり犬に対して優位に立つ狼らしく、猟犬に襲いかかり、バラバラにしてやろうと思う。
しかし、動詞が eût faitと接続法大過去に置かれ、現実の出来事ではなく、前の行の原型のattaquer, mettren en quartiersと同じように、現実ではなく、概念を示すだけになっている。ようするに、思っているだけだ。

現実の行動はというと、身を低くして犬に近づき、恰幅のいいお腹を褒める。その時、動詞は現在形で語られ、過去の出来事というよりも、目の前で起こっているかのように語られる。

犬の方は、Dogue(猟犬)ではなく、Mâtin(大きな猟犬)という単語が使われ、ますます立派な存在になる。
狼に襲われたとしても、勇敢に立ち向かい、自分を守ることができる。

狼は殿下(sire)という称号を付けられても弱いままであり、犬の方は、chiensからDogueになり、Mâtinとなる。

狼殿(Sire Loup)は、頭の中では、相手をバラバラにしてやると思いながら、実際の行動では相手にすり寄っていく。そんな狼に注がれるラ・フォンテーヌの視線は、決して優しいものではない。

それをはっきりと示すのが、連続韻(aaa : rime redoublée)。
犬と狼の対比を示すとき、連続韻が用いられ、犬のhardiment(勇敢に)と、狼のhumblement(謙虚に、身を低くして)、compliment(おべっか)が韻を踏む。
なんと皮肉な韻!

その皮肉は、狼が犬のでっぷりとした腹を羨ましく、素晴らしいと思うという時の動詞(admire)が、次の行に出てくる「立派な殿下(beau sire)」と韻を踏むことで、ますます強調されることになる。
体格のいい立派な犬が、痩せこけた狼に、「立派な殿下(beau sire)」と呼びかける。

  Il ne tiendra qu’à vous, beau sire, (8 : x)
D’être aussi gras que moi, lui repartit le Chien. (12 : a)
        Quittez les bois, vous ferez bien : (8 : a)
        Vos pareils y sont misérables, (8 : b)
        Cancres, haires, et pauvres diables, (8 : b)
Dont la condition est de mourir de faim. (12 : c)
Car quoi ? Rien d’assuré, point de franche lippée. (12 : d)
        Tout à la pointe de l’épée. (8 : d)
Suivez-moi ; vous aurez un bien meilleur destin. (12 : c)

ご立派な殿下、あなた次第で、
私のように肉づきがよくなるかどうか決まります、と犬が答えた。
森を離れれば、よい暮らし。
お仲間たちは、森の中で惨めな暮らし。
役立たずで、貧乏で、哀れな奴ら。
飢えて死ぬ運命。
どうしてかって。保証は一切なし。ただ飯にもありつけず、
全ては剣の先で勝ち取らないといけません。
私について来てください。もっといい運命をお持ちになれるでしょう。

犬は狼を閣下(sire)と敬称を付けて呼び、表面上は敬意を示している。
そして、どうすれば恰幅がよくなれるかアドヴァイスするのだが、同時に、狼たちの現状を、決して宮廷やサロンでは使われない言葉で悪く言う。

その3行は、8音節の詩句で語られ、非常にテンポがいい。

1)森を離れれば、よい暮らし。
Quittez les bois, / vous ferez bien : 4/4
8音節が真ん中の4音節で区切られ、非常に軽快な詩句になっている。

2)お仲間たちは、森の中で惨めな暮らし。
  Vos pareils y sont misérables (8)
8音節が一気に続き、狼たちが惨め(misérables)だと言い放つ。

3)役立たずで、貧乏で、哀れな奴ら。
Cancres, / haires, / et pauvres diables, 2/ 2/ 4
2音節、2音節、4音節とテンポがいい上に、名詞が列挙されるだけで、軽快な印象。
しかも、それらの名詞は、詩では普通用いられないような乱暴な言葉。
目上の殿下の仲間に対して投げかける言葉ではない。

この後、決定的な言葉が12音節の詩句で書き込まれる。

Dont la condition est de mourir de faim.
彼等の定め(条件)は、飢えて死ぬこと。

狼たちは食べる物もなく、死ぬしかない。
ここで条件(condition)と言われることは、別の言葉にすれば、運命ということになる。

犬は狼に向かって、私についてくれば、「もっといい運命(un bien meilleur destin)」を得られるだろうと誘う。
ここでははっきりと「運命」という言葉が用いられる。
そして、犬は、運命は変えられるという立場に立っていることがわかる。

運命は変えられるか、変えられないのか。
それは、17世紀のキリスト教において最も大きな論争の一つだった。
イエズス会は、個人の力によって、よりよい生を送り、神の恩寵を得られるという立場。
ジャンセニストたちは、そうした考えは人間の傲慢であり、神の恩寵は神の意志にかかっているという立場。パスカルはその代表的な思想家。

狼の運命は飢えて死ぬことだが、しかし犬の忠告に従い、犬のように生きれば、よりよい運命になる。運命は変えられる?


   Le Loup reprit : Que me faudra-t-il faire ? (10 : a)
Presque rien, dit le Chien : donner la chasse aux gens (12 ; b)
        Portants bâtons, et mendiants ; (8 : b)
Flatter ceux du logis, à son maître complaire ; (12 : a)
        Moyennant quoi votre salaire (8 : a)
Sera force reliefs de toutes les façons : (12 : c)
        Os de poulets, os de pigeons, (8 : c)
  Sans parler de mainte caresse. (8 : d)
Le loup déjà se forge une félicité (12 : a)
        Qui le fait pleurer de tendresse. (8 : d)

狼が言う。わしは何をすればいいんだ。
ほとんど何も、と犬。追い払えばいいのです、
杖をついた奴らや、乞食たちを。
そして、家の人をおだて、ご主人様に気に入られること。
そうすれば、あなたの報酬は、
あらゆる種類のたくさんの残り物。
鳥の骨、鳩の骨。
もちろん何度も撫でてもらえます。
狼は、そんな幸運を思い描いただけで、
心優しく、涙を流す。

ここでは犬の日常が描かれる。
一方では、貧しい人々を追い払う(donner la chasse)。
他方では、主人たちにおべっかを使い(flatter)、気にいられる(complaire)。
17世紀の価値観では、人に気にいられること(plaire)が、最も重要なことだった。

そうした行為の結果得られるサラリー(salaire)を数え上げるとき、ラ・フォンテーヌは皮肉を効かせる。
サラリーは、残り物(reliefs)。もっと具体的に言えば、鳥や鳩の骨(os)、つまり人間の食べ残し。そして、撫でてもらうこと。
犬にとって、「もっといい運命(un bien meilleur destin)」とは、残り物をもらう生活なのだ。

しかし、いつも飢え、死と向かいあっている狼からすれば、施しを受け、愛撫してもらえる生活を思い描いただけで、涙が出るほど幸せに感じられる。
この描写も、ラ・フォンテーヌ流の皮肉と考えた方がいいだろう。

人におべっかを使い、おこぼれに預かることを幸せと感じる宮廷人やサロンに集う人々。彼等の現実がこんなだとしたら、誰が憧れることだろう。
飢える方がましか? それとも、偽善的でも不自由しない生活がましか?

狼は飢えではなく、安逸な方を選ぼうとする。つまり、自分の手で運命を変えようとする。

Chemin faisant il vit le col du Chien, pelé : (12 : a)
Qu’est-ce là ? lui dit-il. Rien. Quoi ? rien ? Peu de chose. (12 : c)
Mais encor ? Le collier dont je suis attaché (8 : a)
De ce que vous voyez est peut-être la cause. (12 : c)

道を進みながら、狼は犬の首を見た。毛が抜けている。
そこはどうしたんだ、と問いかける。何でもありません。何? 何でもない? 大したことではありません。
でも何だ? 首輪です。私の繋がれている首輪が、
たぶん、あなた様が見えていることの原因です。

毛が抜けている(pelé)という単語が、最初の詩句の12音節の中で、特別の位置を占め、強調されているのが、音の上からも、形の上からもよくわかる。
そのことで、狼の目が犬の首の上に留まり、毛が抜けて禿げた跡を見つける感じが、非常によく出ている。

次の詩句の2匹の会話はテンポが非常に早い。
Q’est-ce là / Quoi ? / Rien ? / peu de chose / そして、次の行の、Mais encore (音節数の関係で、eが書かれない。)。
その速さは、狼の知りたい気持ちと、犬のドギマギ感を見事に表現している。

そして、最後の決定的に重要な言葉が発せられる。
attaché (繋がれている。)

これまでは、へりくだったり、おべっかを言ったり、気にいられるための行動が列挙されてきた。食物を得るためであれば、殿下(sire)と呼ばれる狼にとってさえ、そうしたことは何でもなかった。
しかし、「縛られる(attaché)」という予想を狼はしていなかった。

Attaché ? dit le Loup : vous ne courez donc pas (12 : a)
    Où vous voulez ? Pas toujours, mais qu’importe ? (10 : b)
 Il importe si bien, que de tous vos repas (12 : a)
        Je ne veux en aucune sorte, (8 : b)
Et ne voudrais pas même à ce prix un trésor. (12 : c)
Cela dit, maître Loup s’enfuit, et court encor. (12 : c)

縛られている?と狼が言う。お前は走らないのか、
好きなところに。いつもそうできるとは限りません。でもそれが何か?
非常に重要なことだ。だからこそ、お前に与えられるどんな食事も、
全く欲しいとは思わないし、
そんな代償と引き換えなら、宝石だったて欲しくはない。
そう言うと、狼先生は逃げだし、今でもまだ走っている。

狼は、縛られることだけは受け入れることができない。
お腹が減って死ぬとしても、逆に、おべっかを使い人に取り入ることも拒否しないのに、縛られることだけは拒否する。
なぜ?

ほとんどの解釈では、ラ・フォンテーヌの寓話も、イソップ寓話と同じように、束縛を嫌い、自由を選択したと考えている。
しかし、宮廷生活では、外見を無視し、規範に従わなければ、排除されてしまう。それが、モリエールの『人間嫌い』のテーマだ。
21世紀の日本にしても、自由に生きれば幸せになるなどという楽天的な考え方が通用しないことは、誰でも知っている。

ラ・フォンテーヌは、「縛られる(attaché)」という言葉を反復し、「走る(courir)」という言葉と対比させる。
狼は、犬に向かって、自分が行きたい所に走らないのか(vous ne courez donc pas)と問いかけ、最後に犬から逃れ、「今でもまだ走っている(court encore)」。

この対比が示すのは、狼にとって走ることはもっとも自然なこと(le naturel)であり、狼の性質そのものだということ。
それを変えれば狼ではなくなってしまうし、変えることもできない。
たとえ空腹で死ぬことが定めらた運命だとしても、本質は変えられない。
それがラ・フォンテーヌの「狼と犬」から読み取ることができる教訓だといえる。

ラ・フォンテーヌは、ジャンセニスム的思考に従い、運命は神によって決められていて、人間の力で変えることはできないと考えていたのだろう。
その上で、人間は、犬の忠告を受け入れ、自分の力で運命をよりよいものにすることができるように思うかもしれないが、そんなことをしいても、惨めな生活が待っているだけかもしれない。
なぜなら、本質的で自然なこと、ありのまま(le naturel)は変えることができないし、変えないことが幸福に繋がるからだと、ラ・フォンテーヌは考えていたのではないだろうか。

犬と狼の違いは、黄昏(犬と狼の間)という表現に見られるほど、わずかしかない。しかし、その違いが本質的な差をもたらす。
犬は人間に従属していきる本質を持ち、狼は森の中を走る本質を持つこと。狼が犬になろうとしても幸福にはなれないし、その逆も同じこと。

読者は、自分がどちらに属するのか見極め、決められた運命の中で、より幸福に生きる道を「考える(penser)」。
もちろん、それはそれぞれの読者が考える問題だ。ラ・フォンテーヌは、教訓を明記しないことで、その自由を残しておいてくれたといえるだろう。

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