
ステファン・マラルメは、フランス語の詩句の可能性を極限にまで広げた詩人と言われている。
「現れ(Apparition)」は1863年頃に書かれたと推測される初期の詩だが、すでに彼の試みをはっきりと見て取ることができる。
「現れ」で使われる詩句は、12音節(アレクサンドラン)で平韻(AABB)。フランス語の詩句として典型的なもの。
伝統的な枠組みをあえて使うのは、フランス詩に親しんだ読者には、6/6のリズムが体に染みついているからだろう。
日本語であれば、5/7のリズムに匹敵する。
フランス詩では、リズムと意味は対応するのが基本。リズムから逸脱した要素は、意味的に強調される。
マラルメはありふれた型を設定し、その内部で様々な詩的技法を駆使することで、多様なリズム感を持つ美しい詩を作り上げた。
「現れ」は、そうした詩人の試みを体感させてくれる。
Apparition
La lune s’attristait. // Des séraphins en pleurs
Rêvant, l’archet aux doigts, // dans le calme des fleurs
Vaporeuses, tiraient // de mourantes violes
De blancs sanglots glissant // sur l’azur des corolles
— C’était le jour béni // de ton premier baiser.
月が悲しんでいた。熾天使は、涙にくれ、
夢見がちに、弓に指をかけ、静かで
煙のようにかすむ花の中、引き出していた、息絶え絶えのヴィオルから、
白いすすり泣き、花弁の蒼さの上を滑りゆくすすり泣きを。
ーー 祝福された日、あなたの初めての口づけで。
第1詩行は、6/6のリズムが保たれ、最初の6音の詩句が、詩全体の状況を設定する。
「月が悲しんでいた。(La lune s’attristait.)」
もし「月が悲しかった(la lune était triste)」とすると、月がその時どのような状態だったのかという説明になる。
代名動詞s’attristerを使うことで、月が自ら行動を起こし、能動的に悲しんでいることが明確に表現される。
この最初の6音節の詩句(エミスティッシュ)が描き出す月の悲しみは、ボードレールの詩「月の悲しみ(tristesses de la lune)」を参照していると考えることもできる。
https://bohemegalante.com/2020/06/24/baudelaire-tristesses-de-la-lune/
初期のマラルメは、ボードレールの圧倒的な影響下にあった。

後半の6音節(エミスティッシュ)になると、その悲しみは、熾天使(してんし:séraphin)たちにも伝わり、天使たちも涙を流している(en pleurs)。
ちなみに、熾天使は、19世紀後半を代表するリトレ・フランス語辞典によれば、位階の最高位にあたる階級に属する天使。
このように、第1詩行では、最初の6音で悲しむ月が、後半の6音で涙を流す天使の姿が、きっちりとした枠組みの中で提示される。
続く、2−4行では、天使たちが音楽を奏でる様子が描かれる。
その際、詩句のリズムに変化がもたらされ、6/6からずれた単語の意味にアクセントが置かれる。
Rêvant, / l’archet aux doigts, // dans le calme des fleurs (2 / 4 // 6 +次行に
Vaporeuses, / tiraient // de mourantes violes (4 / 2// 6
De blancs sanglots / glissant // sur l’azur des corolles (4 / 2 // 6 )
第2詩行は、最初の6音節が、2/4と別れ、リズムが細かく刻まれる。
その最初の2音節を構成するrêvantは、前の行のséraphinsの動作を説明するために、「ルジェ(rejet)」の位置にあり、「夢見る」という意味にアクセントが置かれる。
さらに、fleursに対して、次の行のvaporeusesは「ルジェ」であり、「煙のような」という意味にアクセントが置かれる。
また、動詞tirer(引き出す)の目的語は、次の行のsanglots(すすり泣き)であり、構文が二つの詩行にまたがっている。
4行目の最初の6音は、4/2に分割されるが、glissant(滑る)は後半の6音節と区切れ(césure)を跨いで繋がる「句またぎ(enjambement)」が用いられ、「滑る」という意味にアクセントが置かれているのがわかる。

こうしたリズムの詩句を通して、涙にくれる天使たちがヴィオラを弾いている姿が浮かび上がってくる。
天使たちの回りを花が取り囲んでいる。
その花々は煙のように消え去りそうで、沈黙を守る。花弁は青い。
今にも死にそうなヴィオラ(mourantes violes)で奏でられるのは、白いすすり泣き(blancs sanglots)。
花弁の青(azur des corolles)とすすり泣きの白が、美しいコントラストを作り出す。

悲しみの感情が音楽性豊かな詩句で歌われるこの4行の詩句を読むと、ヴェルレーヌの「秋の歌」を思い出すかもしれない。
「秋の日の/ヰ゛オロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し。」
https://bohemegalante.com/2019/09/30/verlaine-chanson-dautomne/
「現れ」は1860年代初頭に書かれながら、公表されることはなく、「呪われた詩人たち」(1883)の中で、ヴェルレーヌによって公にされた。その際、ヴェルレーヌは、この詩を「すばらしく洗練された(exquis)」と形容した。
面白いことに、マラルメは、第五詩行で、サプライズを準備する。
これまで歌われてきた月の悲しみの日は、祝福の日(jour beni)だと言うのである。
しかも、その祝福は、愛する人の初めての口づけ(ton premier baiser)によって行われた。
誰もが、「なぜ?」と思うだろう。
その5行目の詩句の韻はbaiser(口づけ)。それが韻を踏む相手は、6行目のmartyriser(殉教させる)。
こうした韻の効果を使い、マラルメは読者を次の展開へと引き込んでいく。
Ma songerie aimant // à me martyriser
S’enivrait savamment // du parfum de tristesse
Que même sans regret // et sans déboire / laisse
La cueillaison d’un Rêve // au cœur qui l’a cueilli.
私の夢想は、好んで自らを殉教者のように苦しめ、
賢く、酔いしれていた、悲しみの香りに。
後悔さえなく、失望もなく、その香りを残すのは
「夢」を収穫する季節、それを摘み取った心の中に。
夢想の中で、香り(parfum)に酔いしれる(s’enivrer)。
そこに詩的美の効果を求めるのは、きわめてボードレール的。
しかも、その時、マラルメは、自らを殉教者のように苦しめ(se martyriser)、悲しみの香り(parfum de tristesse)に酔う。

その香りは、「夢の収穫の季節(cueillaison d’un Rêve)」によってもたらされる。
Rêveの最初が大文字になっているのは、夢が一つの固有名詞と見なされていることを示す。
その「夢」とは、「あたなの最初の口づけ」を得ることだろう。
その実現の日は、祝福の日かもしれない。
しかし、それは、楽園のアダムとエバが「善悪を知る木(arbre de la connaissance du bien et du mal )」から実をもいで口にした時でもある。
最初の人間は、知恵を得たために、楽園から追放された。
だからこそ、香りに酔う私は、我を忘れて熱狂するのではなく、賢く(savamment)酔う。
夢を収穫した心には、後悔(regret)も失望(déboire)もない。
このように、たとえ夢想の中であろうと「夢」を収穫した者は、悲しみの香りに酔いながら、楽園を追放され、彷徨わなければならない。
それが殉教者(martyre)の運命なのだ。
J’errais donc, / l’œil rivé // sur le pavé vieilli
Quand avec du soleil // aux cheveux, / dans la rue
Et dans le soir, / tu m’es // en riant / apparue
Et j’ai cru voir la fée // au chapeau de clarté
Qui jadis / sur mes beaux // sommeils / d’enfant gâté
Passait, / laissant toujours // de ses mains mal fermées
Neiger de blancs bouquets // d’étoiles parfumées.
だから、私は彷徨っていた、古びた舗石に目を釘付けにして。
その時、髪には日の光が降り注ぎ、通りの中、
夕暮れ時に、あなたが、微笑みながら、私の前に現れた。
私は、光の帽子を被る妖精を見たように思った。
かつて、甘やかされた子供の美しい夢の上を、
通り過ぎていった妖精。彼女のしっかりと握られていない手からは、いつも、
雪のように降るかかっていた、香り豊かな星々の白い花束が。
私は彷徨っていた(j’errais)という言葉は、楽園追放が前提になっている。
その時、目は古い舗石(pavé vieilli)に注がれているが、古びた(vieiili)は、前の行の収穫した(cueilli)と韻を踏み、収穫が世界の衰退の原因であることを暗示している。
次いで、逆転が突如として起こる。
愛する人が私の前に姿を現す(tu m’es (…) apparue)のだ。
この出現が、詩の題名の「現れ(apparition)」にほかならない。
どこにでもある道(dans la rue)を通り過ぎていく「あなた」。
夕暮れ時(dans le soir)にもかかわらず、その髪には太陽(soleil aux cheveux)が降り注いでいる。あるいは、太陽のような金髪。
そして、微笑みを浮かべている(en riant)。
その詩句の中で、riantはri / antと分離され(dièrèse)、2音節に数えられる。
さらに、その詩行の後ろのエミスティッシュ(6音節)の中で、3/3のリズムに区切られ、riant(笑う)にアクセントが置かれていることがわかる。
そのようにして、太陽に出現とともに、微笑みが詩のイメージの中心を占めるようになる。
そして、最後の4つの詩行では、韻は全て[ e ]となり、一つのまとまりとして提示される。
最初の[ e ]の綴り字は éで終わり、男性韻:clarté, gâté.
後の綴り字は éesと書かれ、女性韻 :fermées, parfumées
微妙なヴァリエーションが加えられている。
では、そこで何が語られるのか。
「あなた」と呼びかけられる存在は、妖精(fée)のように見え、光の帽子(chapeau de clarté)を被っている。
私は、かつて(jadis)、まだ甘やかされた子供(enfant gâté)の頃、美しい眠り夢(beaux sommeils)の中を、彼女が通り過ぎる(passait)のを見たことがあった。
しかも、その時には、彼女の手から、香りのいい星々(étoiles parfumées)の白いブーケ(blancs bouquets)が、雪が降るように(neiger)、流れ落ちていた。
楽園からの追放は、対立する要素を浮かび上がらせ、神秘的な逆転を可能にする。
月 vs 太陽
悲しみ vs 微笑み
涙にくれる熾天使 vs 光の帽子をかぶった妖精
蒼い花弁、(白いすすり泣き)vs 白いブーケ
悲しみの香りvs 香りのいい星々
こうした要素の逆転を可能にするのが、「夢」を収穫することであり、あなたの最初の口づけを夢見、それを得ること。
それによって楽園を追放されるが、その失楽園が、思い出の中の妖精と再び巡り合わせてくれる。
自分を殉教者のように苦しめることは、悲しみを引き起こす。しかし、あなたを出現させてくれる契機でもある。
マラルメは、悲しみの錬金術とも呼べる詩句を駆使し、« la lune s’attristait »から、« Neiger de blancs bouquets d’étoiles parfumées »という美しい詩句を導き出した。
「現れ」は、その過程を見事に描き出している。
最後に、ドビュシーがこの詩に基づいて作曲した、素晴らしい曲を聴いてみよう。