ボードレール 犬と香水瓶 Baudelaire Le chien et le flacon 詩人の肖像

散文詩「犬と香水(Le Chien et le Flacon)」の中で、ボードレールは、香水のかぐわしい香りよりも汚物を好む犬の姿を描く。
その嫌みは、韻文詩「アホウドリ(L’Albatros)」の中で船乗りたちに揶揄されたアホウドリの反撃と見なすことができる。

その詩で歌われる香水瓶が、1857年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』だとすれば、「犬と香水」は、詩集を裁判にかけ、罰金刑を科し、6編の詩の削除を命じた判決を行い、それを支持した人々に対する嫌みとして受け取ることもできる。

犬の悪趣味に対する攻撃。言葉は直接的で、ボードレールの生の声が聞けるような感じがする。
最先端の芸術家は、その新しさのために社会には理解されない。自分たちの優越性を心の片隅で信じながら、時にはこんな風に、自分を認めない相手に思い切り毒づくこともあるのだろう。

       Le Chien et le flacon

 « — Mon beau chien, mon bon chien, mon cher toutou, approchez et venez respirer un excellent parfum acheté chez le meilleur parfumeur de la ville. »
 Et le chien, en frétillant de la queue, ce qui est, je crois, chez ces pauvres êtres, le signe correspondant du rire et du sourire, s’approche et pose curieusement son nez humide sur le flacon débouché ; puis, reculant soudainement avec effroi, il aboie contre moi en manière de reproche.

       犬と香水瓶

 「ー 可愛い子、いい子、ワンちゃん。こっちにおいで。すごくいい香水の香りを嗅ぎにおいで。この街で一番の香水屋で買ったんだ。」
 犬が尾を振る。こうした哀れな存在たちにとっては、笑いとか微笑みに対応する身振りなのだと思う。その犬が尾を振りながらこちらに近づき、興味深げに、湿った鼻を蓋の開いた香水瓶の上に置く。すると突然、ゾッとして後ずさり。非難するかのように、私に向かって吠えたてる。

犬に対する呼びかけとして使われるtoutouという単語は子供言葉であり、上の者が愛しさを込めて下の者に対して使う言葉でもある。
従って、その言葉によって、犬より「私」の方が上の立場にあるとはっきり感じられる。
その関係は、甲板の上の船乗りとアホウドリとは逆の状態。
https://bohemegalante.com/2020/11/20/baudelaire-albatros-portrait-poete/

その犬に素晴らしい香りの香水を嗅がせてあげようとする。しかし、犬はその匂いを嫌がり、「私」に向かって吠えかかる。
「非難するかのように(en manière de reproche)」という言葉は、犬がただ香水を嫌がるだけではなく、攻撃的な反応をすることも示している。

こうした状況を描いた後で、ボードレールは犬のエピソードを通して何を言いたいのか明らかにする。

 « — Ah ! misérable chien, si je vous avais offert un paquet d’excréments, vous l’auriez flairé avec délices et peut-être dévoré. Ainsi, vous-même, indigne compagnon de ma triste vie, vous ressemblez au public, à qui il ne faut jamais présenter des parfums délicats qui l’exaspèrent, mais des ordures soigneusement choisies. »

 「ー ああ! 哀れな犬。もし私が糞尿の袋を与えたなら、お前は大喜びでクンクンとし、たぶんガツガツ食べさえしただろう。そんな風だから、お前、私の悲しい生活のつまらない同伴者よ、お前は大衆に似ているんだ。大衆には決して繊細な香りの香水を贈ってはいけない。いらつかせるだけだから。贈るのは、慎重に選んだゴミでいい。」

ボードレールはここで、犬は「大衆(le public)」と似ている(ressembler)と明かす。
この手法も、「アホウドリ」の中で、「『詩人』は大雲の王子(アホウドリ)と似ている(Le Poète est semblable au prince des nuées)」と明示したのと同じ。
アレゴリー(寓意)の中身を「似ている」という言葉でこれほどはっきりと明らかにしてしまうのは、あまり詩的とは言えない。
ではなぜあえてそうするのか?
その答えは、これらの詩が、寓意の内容を明かさなければ理解できないような相手、つまり大衆に向かって投げかけられているからだろう。

アホウドリが船乗りたちの「鈍感な旅の同伴者(indolents compagnons de voyage)」であるように、犬は「ぼくの悲しい生活のつまらない同伴者(indigne compagnon de ma triste vie)」。
つまらないと訳したindigneという形容詞は、本来、相応しくないという意味。つまり、詩人の同伴者としては相応しくない存在なのだ。
しかし、生きている限り、共にいるしかない。船乗りとアホウドリが同伴者であるように。

ボードレールはその同伴者に『悪の華』という最高の香水を贈った。しかし、そうすべきではなかった。
プレゼントをするなら、「ゴミ(ordures)」を「慎重に選べば(soigneusement choisies)」よかった。

こうした直接的な攻撃は、攻撃された相手をますます頑なにするに違いない。
そこで、大衆からの不理解を気にかけず、自分は現実社会の中の「異邦人(L’Étranger)」だと言うだけですませることもできる。
https://bohemegalante.com/2020/10/18/baudelaire-letranger-nuages-la-bas/

しかし、時には、思わず生の感情を出してしまい、相手に毒づくこともある。
近代化が進み、効率を求め、合理的な経済優先の社会の中で、普段はアホウドリのように揶揄される存在である詩人が、大空を悠々と飛ぶのではなく、地上に降りて相手に思い切り嫌みを言う。
香水の香りが分からず、糞尿を喰らう奴ら、と。

ボードレールのこうした悪態に共感するのかしないのか。判断は読者に委ねられる。


今の社会でも、多くの会話は、噂話、グチ、悪口、芸能ネタ、身内ネタ、恋バナ、etc. etc. で占められているという。
そんな時、たまには「犬と香水瓶」のように、思わず回りの社会に対して毒づいてしまうこともあるだろう。ゴミではなく、香水を味わえる人間でありたいと願いながら。

現代社会の難しさは、何が香水で何が汚物か判断が個人に委ねられているところにある。そんな中で、いい物とは何かを示す指針があるとありがたい。
ボードレールの詩はそうした指針の一つではないだろうか。


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中