サルトル 『嘔吐』 Jean-Paul Sartre La Nausée 存在とは何かという問い

サルトルと言えば「実存主義(existentialisme)」という哲学思想が浮かび、「実存(存在)は本質に先立つ(l’existence précède l’essence )」という表現と共に、代表的な小説として『嘔吐(La Nausée)』という題名が連想される。

そこで、『嘔吐』の読者は、まず哲学的な興味から作品にアプローチすることになるだろう。
しかし、主人公ロカンタンが日記らしきものに書くことは、「存在するとはたんにそこにあることだ。・・いたるところに無限にあり、余計なものであり、・・それは嫌悪すべきものだった。・・私は叫んだ、”なんて汚いんだ。なんて汚いんだ”。」(白井浩司訳『嘔吐』)
こんな調子が続くと、読者の頭の中は、???となってしまう。

少し頑張って、サルトルの哲学の主著『存在と無(L’Être et le Néant)』にトライして、「存在とはある。存在はそれ自体においてある。存在はそれがあるところのものである。」(松浪信三郎訳)が彼の主張だと言われても、ますます???が重なるばかり。

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ボードレール 「異邦人」 Charles Baudelaire « L’Étranger » 片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず  

散文詩「異邦人(L’Étranger)」は、ボードレールが、ノルマンディー地方にあるオンフルールの海岸や、ウージェーヌ・ブーダンの風景画の中で見た、空に浮かぶ雲を思い起こしながら、詩人の存在について歌った詩だといえるだろう。

詩人は、世界のどこにいても「外国人(étranger)」であり、人間にとって自然だと思われている感情を持たず、常に違和感を感じている。

ボードレールは、自分の中の詩人に向かい、矢継ぎ早に質問をする。

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カミュ 「異邦人」 Albert Camus L’Étranger 最後の一節(excipit)

アルベール・カミュの『異邦人(L’Étranger)』の最後には、死刑の判決を下されたムルソーの独房に司祭がやって来て、懺悔を促す場面が置かれている。

そこでは、それまで全てに無関心なように見えたムルソーが、司祭に飛びかかるほど強い拒否反応を示す。

裁判の弁論では、他の人々には不可解に見える彼の行動について、理由の推定が行われた。つまり、一つの出来事にはそれなりの原因があるとする一般論に基づいて、彼の行動に関する物語が作られたのだった。
司祭は、死後の魂を救済するという意図の下、独房の死刑囚に懺悔を強いようとする。それは、裁判の場を支配していた漠然と共有された社会通念ではなく、明確に定まった宗教的倫理によって、ムルソーを再定義し直すことに他ならない。

ムルソーにとって死は生の連続性の中にあり、そのまま受け入れることができる。しかし、司祭の勧めは、全く別のシステムを受け入れることになり、激しく反発せざるを得ない。
司祭が独房から去った後、ムルソーは、『異邦人』の最も中心的なテーマである「死」と直面する。

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カミュ 「異邦人」 Albert Camus L’Étranger ムルソーの裁判 Plaidoyer de l’avocat de Meursault

『異邦人(L’Étranger)』の第2部は、アラブ人を銃で撃ち、死なせてしまったムルソーの裁判と死刑になるまでが語られる。

裁判では、アラブ人を殺した動機と同時に、母の葬儀に際してのムルソーの態度が取り上げられ、検察や弁護士が、全てをある一定の論理に従って整理しようとする。
その一方で、ムルソーにとって、全てが自分とは関係のない出来事のように思われる。
そのズレは、裁判が社会通念に従い、不可解な生の出来事を一つの物語として組み立て直す作業だということを示している。

裁判官は、「なぜ?」という疑問に対する答えがなされることで、判決を下すことができる。納得がいく説明ができなければ、罪人として告発された人間を裁くことはできない。

ところが、ムルソーは、しばしば、「なぜかわからない」と応える。彼は、自分の行動を社会通念に合わせて説明しなおすことをしない人間なのだ。
そうした側面は、第一部では、母の葬儀に対する無関心な態度や、恋人マリーに愛しているかと問いかけられ、「わからない」としか答えない様子、理由もなく殺人をしてしまう行動などから、描き出されていた。

第2部では、裁判の場面を通して、ムルソーが対峙せざるをえない社会通念がより明確に浮かび上がってくる。

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カミュ 「異邦人」 Albert Camus L’Étranger 冒頭の一節(Incipit) 変な奴の違和感

時々、ちょっとおかしいと感じる人に出会うことがある。逆に、自分が他の人と少し違っているのではないかと感じ、居心地が悪くなる時があったりする。
そうした違和感は、あまり意識化されていない回りの雰囲気を漠然と感じ取り、そこから多少ズレていると朧気に感じる時に生まれてくる。
つまり、個人がおかしいというよりも、目に見えない規範との違いが、居心地の悪さ、違和感を生み出すのだといえる。

アルベール・カミュは、1942年に出版された『異邦人(L’Étranger)』の中で、そうした違和感をテーマとして取り上げた。

ムルソーは、母親の死、恋人への想い、殺人等に対して、「当たり前」とは違う反応をする「変な奴」。
普通であれば、ある状況に置かれればこうするだろうという行動を取らない。そのために、他の人たちは、彼の行動の理由も、彼自体も理解できない。
しかも、いくら「なぜ?」と問いかけても、ムルソーの答えはピンとこない。

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モリエール 人間嫌い Molière Le Misantrope 17世紀後半の二つの感受性 オロントのソネットと古いシャンソン

「人間嫌い(Le Misantrope)」の中で、オロントが自作のソネットを読み、アルセストとフィラントに率直な意見を求める場面がある。(第1幕、第2場)

この芝居が上演された17世紀後半は、人と合わせることが礼儀正しさと見なされ、相手に気に入られるように話すことが、宮廷社会に相応しい行動だった。

フィラントは、そうした「外見の文化」の規範に従い、ソネットを誉める。

その反対に、アルセストは、心にもないことを言うのは偽善だと考え、思ったことを率直に伝えるのが正しい行為だと考えている。
そこで、オロントに意見を求められた時、最初は遠回しな言い方をするが、最後には直接ソネットは駄作だと貶してしまう。
https://bohemegalante.com/2020/10/11/moliere-misantrope-sonnet-oronte/

その際に比較の対象として、古いシャンソン「王様が私にくれたとしても(Si le roi m’avait donné)」を取り上げ、その理由を説明する。
その時の詩とシャンソンに関するアルセストの批評から、私たちは、17世紀後半における2つの感受性を知ることができる。

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モリエール 人間嫌い Molière Le Misantrope 批判の仕方 comment critiquer ?

Statue de Molière à la Comédie française

モリエールは「人間嫌い(Le Misantrope)」の中で、主人公アルセストと彼の友人フィラントの前を前にして、オロントが自作の詩を読み、率直に批評して欲しいという場面を設定している。

フィラントは、中庸を守り、人と合わせることが礼儀正しいとされる17世紀フランスの宮廷社会的規範を、忠実に実践している人物。
それに対して、アルセストは、自分の心に忠実に生き、内心の思いを率直に伝えることを信条としている。

その二人の前で、オロントは「希望(L’Espoir)」という題名のソネットを読む。その時、言葉の上では率直に批評して欲しいと言うが、心の底では賞賛されることを期待している。

ところで、フランス語を勉強し、フランス文学に親しんだ人間であれば、パリに行った時、演劇の殿堂であるコメディー・フランセーズに、一度は足を踏み入れてみたいと思うに違いない。
そのコメディー・フランセーズで上演された「人間嫌い」の中から、ソネットの場面を見てみよう。(フランス語がわかるわからないではなく、パリで芝居を見る喜びを感じながら。)

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モリエール 人間嫌い Molière Le Misantrope 自分に正直に生きる?

Nicolas Mignard, Molière

17世紀を代表する劇作家の中で、コルネイユとラシーヌは古代ギリシアやローマの英雄たちを登場人物にした悲劇を中心に創作活動を続けた。
他方、モリエールの芝居は、彼と同じ時代の人々を舞台上に登場させた。

その理由は、モリエールの活動が田舎回りの劇団から始まり、そこでは滑稽な笑劇が人気を博したことから来ているかもしれない。
その過程で、彼の興味は、ルイ14世を頂点とした宮廷社会の中で、個人と社会の葛藤から生じる様々な問題に向いたのだと考えられる。

「人間嫌い(Misantrope)」が取り上げるのは、21世紀の私たちの視点から見ると、偽善と正直さの葛藤のように思われる。簡単に言えば、人と上手くやっていくためには多少の噓もしかたがないか、それとも、正直であることが大切なのか。

主人公のアルセストを特徴付けるのは、正直さのように感じられる。
人々は心を偽り、その場だけでいい顔をして、後ろに回れば悪口を言い放題。アルセストはそうした「偽善(hypocrisie)」を攻撃し、心に抱いた思いは全てそのまま口にし、行動する。
ところが、彼の愛する女性セリメーヌは、偽善そのもの。どんな男にもいい顔をし、誰からも好かれようとする。
彼等二人の間には、中庸を地でいくフィラント。彼は人の気持ちを害さず、「人に気に入られる(plaire)」振る舞いを忘れない。

では、17世紀にも同じ視点でこの劇が捉えられたのだろうか。

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浮世絵への道 étapes vers le Ukiyo-é 

江戸時代を代表する浮世絵が17世紀の後半に描かれるようになるまでには、室町時代後半からの絵画の伝統があった。
その流れを辿ってみると、平安時代に確立した大和絵と、鎌倉時代以降に大陸から移入された漢画が融合され、新しい時代の美意識を生み出していく様子を見ることができる。

地獄草紙 東博本 雨炎火石

「うき世」とは、元来は、「憂世」と記され、日々の生活の過酷さを表す言葉だった。
来世に極楽「浄土」に行くことが理想であり、この世は「穢土(えど)」であり、厭わしく、憂うべき場所。

そうした現実感は、地獄絵等によって表現されている。
地獄の絵とされているが、実際には、現実の過酷さの実感を伝えるものだったと考えられる。

その「憂世」が「浮世」に変わる。
現実の厳しさは変わらない。しかし、束の間の一生だからこそ、昨日の苦しさを忘れ、明日の労苦を思い煩わず、今日この時を、浮き浮きと楽しく生きようと考える。
最先端をいくファッションを楽しみ、最新の話題や風俗を享受する。
そうした時には、官能性を隠すことなく、悪所と言われた遊里と芝居町を住み処とする美女や役者たちをモデルにして、美人画や役者絵が描かれる。

浮世絵は、現実を「浮世」と思い定めた時代精神を表現する絵画なのだ。

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