ピエール・ド・ロンサール ルネサンスの抒情詩と天球の音楽 2/2

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の大きな功績は、ルネサンスの時代に、新しい形の抒情詩を導入し、定着させたことだった。
すでに記したように、抒情詩(poésie lyrique)とは本来、lyre(竪琴)の伴奏で歌われることを前提にしており、音楽的な要素が強いもの。ロンサールの抒情詩は、感情の動きを伝える詩であると同時に、声に出して歌われることも多かった。

実際、1552年の『恋愛詩集(Les Amours)』には、クレマン・ジャヌカンやピエール・セルトンといった優れた作曲家による楽譜が付けられていた。
1560年代からはロンサールの詩に曲を付けることが盛んに行われ、何人かの作曲家はロンサールの詩だけを集めた曲集を発表した。オード「可愛い人よ、見に行こう、バラの花は」も、ギヨーム・コストレーやジャン・ド・カストロたちによって作曲されている。
結局、1570年代を頂点に16世紀末まで,約30人の作曲家がロンサールの200篇以上の詩に曲を付けることになった。

こうした音楽的な側面は、ルネサンスの時代精神と深く関係していた。
人間が奏でる音楽の理想は、「天球の音楽」の「模倣」であり、天空の純粋な諧調(ハーモニー)を地上に響かせることだったと考えられるからである。

天球の音楽

ルネサンスの人間観、世界観、宇宙観は現在のものとは全く違っていた。

1)四大元素に基づく宇宙・世界観
全ては四大元素から成り立つと考えられていた。四つの元素とは、空気、火、水、大地。
人間も含め全てのものが、それらの組み合わせで出来ている。

この四つの元素が基礎となり、人間の体液、気質を決定する。アラビアでは、惑星との対応も説かれた。
空気 : 血液  : 多血質 : 木星
火  : 粘液  : 胆汁質 : 火星
水  : 黄胆汁 : 粘液質 : 金星 あるいは月
大地 : 黒胆汁 : 憂鬱質 : 土星

2)宇宙・世界の三段階
四大元素から作られる世界には、神、天上界、地上界という三段階の秩序があると考えらえた。

A:「神」は完全な存在であり、永遠で不動。

B:「天上界」は天使の世界。
天使は無数に存在し、動きがある。その動きは完璧な円運動をし、循環する。
そして、最も純粋な調和(ハーモニー)から成り立ち、「天球の音楽」を奏でる。

「天球の音楽」は、古代ギリシャにおいて、天体の運動が音を発し、宇宙全体がハーモニーを奏でるという発想から生まれた。その根底には、宇宙が数の原理に基づき、音楽はその原理を体現するという、ピタゴラスの思考があったと考えられている。

C:「地上界」は多様性、可能性、物質性の世界。
そこには、4つの段階がある。
鉱物(単なる存在)
植物(成長する存在)
動物(感覚を持つ存在)
人間(肉体+魂)

人間は、肉体と魂に別れ、魂は向上することで天使に近づくことが可能。
「人間の価値」は、人間が堕落して動物以下の存在になることも、上昇して天使に近くなることも可能な、自由な存在であることだと考えられた。

また、人間はその可能性によって、宇宙・世界全体を反映するとも考えられる。
従って、大宇宙(マクロ・コスモス)に対応する「小宇宙(ミクロ・コスモス)」と見なされた。

3)音楽
ルネサンスにおいて、音楽は最も高度な学問だった。
古代ギリシアのピタゴラス以来、音楽の中には数と調和(ハーモニー)が融合していて、天球では全ての部分が調和した美しい音楽が響いていると考えられてきた。

従って、音楽は芸術であると同時に学問でもあった。
地上で奏でる音楽は「天上の音楽」と共鳴し、大宇宙の運動を地上界に呼び覚ますと同時に、宇宙に影響を与える力を持つと考えられた。
音楽のハーモニーが人間の魂に調和をもたらし、4つの気質を調和させ、肉体と精神を健康にすることも可能になる。

人間が大宇宙に対応する小宇宙だとすると、ルネサンスの音楽の理想は「天球の音楽」と対応し、それを「模倣」することで、地上に究極のハーモニーを再現することだといえる。

Carlo Crivelli, Couronnement de la Vierge (détail)

ルネサンスの美は、建築においても絵画においても均整(プロポーション)と調和を絶対的な原則としているが、その根本は音楽的なハーモニーにあったと考えてもいいだろう。

ロンサールの叙事詩に数多くの曲が付けられたことは、彼の詩句が音楽性を強く感じさせてことを意味している。
そのことは、彼が「天球の音楽」を強く意識していたことの証拠でもある。

実際にロンサールの詩に同時代の作曲家たちが曲をつけたものを聞くことが出来る。
クレマン・ジャヌカン・アンサンブルの歌うロンサールの12の詩は、ポリフォニーのハーモニーが美しく響き、耳に心地よい。

生きた自然

地上の音楽が「天球の音楽」を反映していると見なすことは、全てが四大元素によって構成される世界観に基づいている。
その視点から見れば、人間も含め全ての存在が元素の組み合わせで出来ていて、自然にも生命が息づいているのも自然なことだと考えられる。

ロンサールが故郷のベルリにある泉を讃える時、自然はニンフたちに満ち、水の流れは命の動きを感じさせる。
夏の灼熱の暑さの中、木陰が詩人に涼しさを感じさせてくれる。
「おお、ベルリの泉よ( Ô Fontaine Bellerie)」(Odes, II, 9, 1550)を構成する5つの詩節を全て読んでみよう。

おお、ベルリの泉よ。
ニンフたちに愛される
美しい泉よ。お前の水が、
サチュロスから逃れるニンフたちを、
水源の窪みに隠す時。
サチュロスは、走り、迫りくる、
お前の小さな流れのほとりまで。

お前は、父なるこの地の
永遠のニンフ。
この緑の草原で、
お前の詩人を見ておくれ。お前を飾るのは、
まだ小さな子山羊。
左右の角が、
若々しい額から生え始めている。

夏、私は眠り、安らぐ、
お前の芝生の上で。そして、創作する、
緑の柳の下に隠れ、
何とは知らぬものを。それは、お前の栄光を、
宇宙中に広めるだろう。
「記憶の女神」に命じるのだ、
お前が私の詩句によって生き永らえるようにと。

真夏の灼熱が、
お前の緑の岸辺を焼きはしない。
あらゆる場所で、
お前の陰は、厚く濃い、
庭から来る牧人にとっても、
耕すのに疲れた牛たちにとっても、
あちこちにいる動物たちにとっても。

ああ、お前はこれからもずっと、
泉たちの女王であり続けるだろう。
私は、岩に穿たれた
水の流れを祝福しよう。
くぐもった音を立てながら、
水源からザワザワと流れ、
ピチピチと跳ね回る水の流れを。

このオードは、古代ローマの詩人ホラティウスが故郷の泉を歌った詩、「おお、バンドゥシアの泉(O fons Bandusiae)」に基づいている。

燃え盛る夏の暑さの中で涼しさを感じさせてくれる泉を詩人である「私」が讃えるという詩の内容を、ロンサールは「模倣」しているのである。
それには明確な理由がある。
プレイアッド派のマニフェストである『フランス語の擁護と顕揚』の中で、フランス語とフランス詩の向上を図るための基本的な方法として、古典作品を「模倣」することが提示された。
ロンサールは、その方針に従い、古典の手本に基づいて「ベルリの泉」を構想したのだった。

ただし、違いも見られる。
ホラティウスは子山羊を神に捧げる生け贄として描いた。他方、ロンサールは子羊を、泉を囲む草原の生き生きとした新鮮さを彩る要素として登場させる。
また、ベルリの泉には、バンドゥシアの泉には存在しないニンフやサチュロスといった神話的な存在を住まわせる。そして、それらの動きを通して、自然に生命感を生み出す工夫をしている。

さらに、ロンサールが最後に描く水の流れには、古代ローマの詩にはない音楽性が感じられる。
ホラティウスも水の流れる音を歌のように描いているが、ロンサールはその音を「enroué bruit(くぐもった音)」「jasarde(ザワザワ)」「trépillante(ピチピチ)」といった具体的な音で再現し、オードの中に泉の奏でる音楽が実際に響くのである。

ベルリの泉では生命が脈動し、その動きが音楽を奏でる。その音楽は、ニンフの住む自然を祝福する賛歌であり、詩人もその賛歌に倣い、オードを歌う。
そのように考えると、自然を歌う抒情的な詩の中に、ルネサンスの天空で奏でられる「天球の音楽」の響きを共鳴させようとしたであろうロンサールの意図が見えてくる。

1584年の「ガティーヌの森の樵夫たちに反対して(Contre les bûcherons de la forêt de Gastine)」(Élégie 24)になると、自然はより生々しく生命を感じさせる。

 よく聞け、樵夫よ、少しの間、腕を止めろ。
お前が倒しているのは、木ではない。
見えないのか、血がドクドクと滴っているのが。
堅い木の皮の下に生きていたニンフたちの血だ。

木を切り倒そうとする樵夫に対して、ドクドクと滴り落ちる血が見えないのかと問う詩人には、自然の生命がはっきりと感じられている。ニンフたちはその象徴だ。

しかし、こうした生命の動きは、時間の推移に従い、必然的に死に向かわざるをえない。
そのために、最後の詩節では、時間のもたらす作用に関する哲学的な考察が行われる。

 この世を信じる人間は、なんと不幸なことか!
おお神々よ、真実を語る哲学が言うには、
全てのものは、最後には滅び、
形を変え、別の形を纏う。
タンペの谷は、いつか山になり、
アトスの頂上は、広い野原になり、
海神ネプチューンは、時に小麦で覆われる。
物質は残る。形態は失われる。

この世は儚く、全ては失われる。古代文学の中で何度も歌われたタンペの谷は山になり、アトス山でさえ野原になり、海は小麦畑になってしまう。
何一つ永遠なものはない。従って、この世を信じる人間は不幸だと言わざるをえない。

カッサンドルに捧げたオード「可愛い人よ、見に行こう、バラの花は」では、「意地悪な自然よ(marâtre Nature)」と嘆き、だからこそ今という時を掴めという、カルペ・ディエムの思想を愛する人に伝えた。
それに対して、「ガティーヌの森の樵夫たちに反対して」では、「物質(matière)は残る。形態(forme)は失われる。」と締めくくる。
全てのものは形を変える。谷は山になり、山は草原になる。しかし、物質は残る。

その物質とは何か?
ルネサンスの世界観に基づけば、それは四大元素だと考えられる。
空気、火、水、大地が全ての根源であり、その組み合わせが様々に形を変える。しかし、4つの元素が失われることはない。

ロンサールがルネサンスの世界観に基づき、生きた自然を歌い、「天球の音楽」を地上に響かせる詩を綴ったことを、この哲学的な考察によって確認することができる。
言い換えれば、「天球の音楽」がロンサールの詩句に共鳴し、リラの伴奏で歌われる詩という音楽的な要素を強く持つ抒情詩が、数多く作曲家たちにインスピレーションを与えたとも考えられる。

ピエール・ド・ロンサールの詩は、フランス・ルネサンスのハーモニーを響かせ、今でも読者を魅了し続けている。


ロンサールの詩の翻訳としては、井上究一郎のものがある。
井上究一郎訳『ロンサール詩集』岩波文庫、1974年。

ルネサンスの思想やフランス文学に関しては、以下の本を推薦できる。
S. ドレスデン(高田勇訳)『ルネサンス精神史』平凡社、1983年。

絵画を通してルネサンスの世界観を解き明かした概論書がある。
若桑みどり『絵画を読む イコロジー入門』NHK出版、NHK books、1993年。
デューラーの「メランコリアI」を解説した章では、四大元素と体液、惑星の関係がわかりやすく解説されている。

フランス語でロンサールの詩に挑戦したい場合には、項目を参照。
https://bohemegalante.com/2019/03/09/ronsard-mignonne-allons-voir/
https://bohemegalante.com/2020/07/28/ronsard-quand-vous-serez-bien-vieille-au-soir-a-la-chandelle/