
ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)は梅毒のために神経系が犯され、晩年はかなりの精神障害を患い、最後は精神病院で死を迎えた。
そのためもあってか、心理学に興味を持ち、神経病学者ジャン゠マルタン・シャルコーがサルペトリエール病院で開催していた公開講座に通い、催眠術によるヒステリー患者の治療などに立ち会っていたことが知られている。
シャルコーの指導を受けたスエーデンの医師アクセル・ムンテは、『サン・ミケーレ物語』の中で、火曜講座でモーパッサンと出会い、催眠術や様々な精神障害について長く話しあったものだったという思い出を語っている。

そうしたモーパッサンの気質が、幻想的と見なされる彼の短中編小説の土台となっていることは、代表作の一つである「オルラ」からも知ることができる。
日記形式で語られる日常生活の中で、「私」が襲われる様々な幻覚や不可解なでき事は、単に怪奇現象として幻想小説の枠組みを通して語られるのではなく、当時の心理学的な視点から検討されている。
催眠術の場面が描かれ、専門の学術雑誌らしい名称が挙げられ、「暗示」や「意志」といった専門用語が使われる。
目に見えない何かの存在を確認しようとする「私」の行動は、科学的な実験とその検証のようでもある。
モーパッサンは、「幻想的なもの」と題された雑誌記事(1883年10月7日)の中で、以前の幻想は恐怖を生み出すために超自然な出来事を用いたが、これからは、日々の細々とした事象を通して、魂の混乱や説明不可能な恐怖の強い感覚を語るのだとしている。
彼は、日常生活を送る中で感じる心理と身体の関係を様々な角度から考察し、物語の形で表現したのだった。
最初の症状
「オルラ」の冒頭は、「私」の最初の症状の提示になっている。
5月8日は、素晴らしい日差しで、「私」は自分の家を愛し、窓から見えるセーヌ河やルーアンの町を気持ちよく感じ、素晴らしいブラジル船籍の帆船を見て喜びを感じる。
しかし、5月12日になると、少し熱があり、苦しいというよりも悲しさを感じる。しかし、どうして気持ちが落ち込んでいるのかわからない。「なぜだろう?」と自問するのだが、何の影響によるのかわからない。
私たちを取り囲むもの、見るともなく見ているもの、そうとは知らずにかすっているもの、触るともなく触れているもの、はっきりとわからないままに出会っているもの、それら全てが、私たちに、私たちの体に、そして、体を通して、私たちの思考や心自体に、素早く、びっくりさせるような、説明できない効果を及ぼしているのだろうか?
私たちも時々、特別な理由がないのに、なんとなく落ち込む時がある。原因を考えてもわからない。
「私」はそうした状況を、「不可視なものの神秘」と呼ぶ。そして視覚、聴覚、臭覚、味覚といった五感では、その神秘を捉えることができないと考える。
5月16日、熱が出て、病気になったと確信する。「魂が体と同じくらい苦しく」なり、18日になると医者に診察してもらう。
脈拍が早く、目が開き、神経がイライラしているのだが、特別に危険な兆候はないという診断結果。治療として、シャワーを浴び、抗不安薬(臭化カリウム)を飲むことが決められる。

5月25日の日記では、治療にもかかわらず症状はむしろ悪化する様子が記される。
夕方になるとひどい不安に襲われる。しかも、何を恐れているのかはわからない。イライラして、憂鬱になる。
眠ると悪夢にうなされる。誰かが「私」の胸の上に乗り、首を締め付ける。叫ぼうとしても声が出ず、必至に抵抗して払いのけようとするが、どうしてもできない。最後は、恐怖のあまり飛び起きる。
現在であれば、こうした症状は、不安神経症とか強迫性障害とか診断されるだろう。そして、原因として、しばしばストレスが挙げられる。
ただし、ストレスということ自体、はっきりした原因がないことの裏返しでしかない。ストレスと診断されると、何となく納得してしまうというのが現状だろう。
ところで、ストレスという用語は物理学から来たもので、物質の外側からの圧力によって歪みが生じた状態を指す。
それは、「私」が心の状態の原因を、「私たちを取り囲むもの」以下のものを見てもわかるように、体の外部に求めることと共通している。
心理学の問題
ヨーロッパにおいて、魂、精神、心は、神学や形而上学の領域に属し、思弁的な思考の対象とされてきた。
17世紀のデカルト哲学によれば、「精神」は空間に場所をとらないが、「身体」は空間に場所をとる「延長」、つまり「物質」であるとして、心身二元論を採用した。
そのことは、心の問題に関して、身体的な感覚を検証し、科学的な実験を行う余地がなかったことを示している。

しかし、19世紀に入り、実証主義精神が高まり、世紀の後半には、実験を用いた心理学も誕生しつつあった。
その一つの例を見てみよう。
左の二の本の直線のうち、どちらが長いだろう?
私たちの視覚には、下の直線が長く見える。しかし、実際には二つの長さは同じ。そして、長さが同じだと教えられた後でも、下の方が長く見え続ける。つまり、二本が同じ長さだという「認識」は、一方の方が長いという「知覚」を書き換えることがない。
ドイツの心理学者ミュラー・リヤーが1889年に発表した「錯視」の研究である。
このように認識と知覚の関係が実験可能だとすれば、それまで狂気の問題として扱われたきた「幻覚」や「幻聴」も考察の対象にすることができるはず。そのように考えてもおかしくない。
誰にも見えないものが見えると言い張る人間がいる。彼はその実在を頑なに信じて疑わない。としたら、彼は狂気に陥っているのか?
ある男の母親が死んだ直後、彼は空を飛ぶ一匹の蛍を見て、母が飛んでいると思う。「おっかさんが蛍になった」と分析的に考えたのではなく、「おっかさんという蛍が飛んでいた」と直感的に感じたのだった。
彼にとって蛍は母親であり、ただそれだけのことだと言う。そして、その確信が揺らぐことはない。
彼は気が狂っているのだろうか?
実は、こんな奇妙なことを言い張ったのは小林秀雄だ。彼はベルクソンの哲学を論じる前置きとして、自分の体験をありのままに語ったのだった。(『感想』)
他人には現実とは思えない幻視や幻聴体験を、検証可能な実験によって心理学的に探求することは可能だろうか? そうした体験をどのように説明できるのだろうか?

モーパッサンは神経梅毒によると思われる様々な症状に悩まされ、狂気にまで陥る過程を経験していたため、神経病理学、生理学、心理学などの実験に強い関心を持ったに違いない。
その一つの現れが、サルペトリエール病院で行われたシャルコー博士の公開講座への参加である。
シャルコーは受講者たちの前で、ヒステリーの患者に催眠術を掛け、睡眠状態でヒステリーの症状を再現させた。
彼の主催するサルペトリエール学派の説によれば、催眠状態はヒステリー患者のみに引き起こされる病的な状態と見なされた。
その説に対して、ナンシー学派は、「暗示」によって、健常者にも催眠を誘発することができると主張した。
「オルラ」の中で、モーパッサンはナンシー学派の学説を採用している。
いずれにしても、どちらの学派の説においても、催眠術によって睡眠状態を引き起こすという点では共通していて、その起源はドイツ人医師メスメル(1734-1815)の「動物磁気」説に由来している。

メスメルは、宇宙全体に充満しているなんらかの流体が人間の中にも流れていると考え、それを「動物磁気」と呼んだ。
彼によれば、「動物磁気」のバランスが取れていれば健康であり、バランスが崩れると病気になる。
初めの頃、メスメルは磁石を使った治療を行った。しかし、彼自身の体内に蓄積された磁気が患者の磁気に影響を与えるのだと考えるようになり、身体的な接触によって患者の磁気を動かす治療法を開発した。
その際、患者にはしばしば痙攣や失神が起こり、睡眠状態に陥ることがあった。
シャルコーやナンシー学派が催眠術を用いたのは、メスメルの治療法を発展させたものに他ならない。
ここで興味深いのは、催眠術では、他者の働きかけによって人が行動するという事実である。その働きかけは、物理的なものではなく、「動物磁気」を始め、「暗示」にしても、目に見えない。
つまり、人間は、不可視の力によって影響を受け、なんらかの行動をすることがあるということになる。
そのことは、現代の心理学や精神病理学について振り返ってみると、よく理解できる。
例えば、21世紀を生きる私たちは、無意識の存在をおぼろげにでも信じ、意識しないなんらかの力が心身に影響を及ぼすことを否定しない傾向にある。

精神分析学の創始者であるフロイトは、シャルコーの講義に出席した学者の一人だが、彼の用語である「トラウマ」は、現代社会において誰も疑う者がないほどに流通している。
フロイトは、本来は身体に受けた傷を意味する「トラウマ」という言葉を、「心の傷」として精神医学の用語に転用した。
その流れの中で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が、現代の大きな心理的問題として取り扱われている。
ここで考えたいことは、心は物質的なものではなく、ストレスにしても、トラウマにしても、その存在が特定されることはないということである。それらは決して目で見ることができず、外科的な手術で取り除くこともできない。
そうした不可視な力が人間の心身に影響を与える。そう考える現代人の思考は、メスメルやシャルコーから連続しているといってもいいだろう。
興味深いことに、モーパッサンは、「オルラ」の中で、目に見えない力の考察を、「暗示」を使った催眠術では終わりにせず、「意志」を導入することでもう一歩進める。
「暗示」では、患者は意識しないままに、治療者(他者)の言葉に従って行動する。見えない力は、外部からやって来る。
それに対して、「意志」はどうだろう。
「意志」は患者本人の思考であり、その望みが人を動かす。つまり、見えない力は、内部のものである。
この関係を心身の相互関係から考えると、「暗示」は身体から心への力、「意志」は心から身体への力という、逆方向の関係であるといえる。
では、「暗示」が患者の外部にいる他者から行われるとすると、「意志」の場合にも、命令する「私」とそれを受け取る「私」という二者がいるのだろうか?
そうであれば、「意志」を持つ「私」が、「暗示」する他者と同じように、肉体を持つことはありうるのだろうか?
この問いは一見馬鹿げているように見えるが、「私」の分裂は「分身」の問題として、神話や伝説、文学の中で長く扱われてきたテーマである。
「もう一人の私」と出会った「私」は、しばしば、どちらが本当の「私」か決する必要に迫られる。
もしこうした状態に陥った人間がいるとしたら、彼の精神は異常をきたし、狂気に陥っているのだろうか?
それとも、「意志」を持った自己が外部で物質化することがありうると考えていいのだろうか?
そうした考えは、小林秀雄における「蛍=母」の確信と同じように、何か大きな世界観を反映しているのだろうか?

ちなみに、「意志」という言葉はショーペンハウアーの哲学用語であり、「盲目的な生存」を望む「意志」が、表象である世界の中で働くのため、世界の中で起こる経験的な事柄は全て非合理になり、生は苦悩に導かれるという悲観主義が説かれた。
「オルラ」におけるモーパッサンの心理学研究は、こうした問題を前提にして展開している。
「オルラ」における心理学的考察
「オルラ」ではただ「私」の症例が日記形式で語られるだけではなく、理性的な考察、科学的な考察も行われ、学者や学会誌への言及もある。

(1)モン・サン・ミシェルの伝説
「私」はモン・サン・ミシェルを訪れ、内部の教会建築に施された、「怪物や悪魔、幻想的な動物、怪物のような花々」を目にする。

その後、僧侶からその地に伝わる伝説を聞く。夜、海岸を歩いていると、二つの奇妙な声が聞こえる。一方は大きな声で、もう一方は弱々しい声。
ある人々によると、それは、人間の男の顔をした山羊と女の顔をした雌山羊だという。
もしそんな生物がいるとしたらどこかで見たことがあるはずだという「私」に対して、僧侶は、自分たちは現実に存在しているものの百分の一も見たことがないと答える。
例えば、風は、建物を壊し、木々を根こそぎにするが、目には見えない。
そのように考えると、私たちが見たことがなく、目に見えないものでも、存在している可能性は多い。
こうした思考法は、神の存在を前提にする宗教からすれば、違和感のないものだと考えられる。
(2)パラン博士の催眠術
7月16日、「私」は、パラン博士がサブレ夫人に催眠術をかける現場に立ち会う。
その日の日記には、ナンシー学派やイギリスの学者(名前は挙げられていないが、ジェイムズ・ブレイドを念頭に置いているに違いない。)、メスメルたちの名前が挙げられ、「催眠術」や「暗示」といった専門用語も使われている。
パラン博士は、催眠術で二つの実験を行う。
最初は、サブレ夫人を眠らせた後、彼女に1枚の名詞を渡す。そして、それは鏡だと言い、何が見えるか問いかける。
「私」はサブレ夫人の後ろに座っているのだが、彼女は「私」の姿が鏡に見えると言い、髭を触るとか、ポケットから1枚の写真を取り出すなどといった行動を言い当てる。

次に、「暗示」の実験として、翌朝「私」の家に行き、5000フラン貸してくれと頼むように命じる。
そして、翌日、サブレ夫人は実際に、「暗示」のままに行動する。
催眠状態に置かれたサブレ夫人にはヒステリー症状は見えないので、この実験はサルペトリエール病院の公開講座でシャルコーが実践していた催眠術ではなく、誰にでも催眠術は有効としたナンシー学者の実験を描いているものと考えられる。
(3)ヘルマン・ヘレスタウス博士の研究書
10月16日、「私」はルーアンの図書館で、古代世界と近代世界における未知の生物に関する、ヘルマン・ヘレスタウス博士の研究書を借り出す。博士は、神学と哲学の専門家。
博士は人間の周りを徘徊する不可視の存在を研究し、次のように結論付けた。
人間は常に新種の生物を予知し、恐れてきた。その生物は人間よりも力があり、人間に取って代わる存在になるかもしれない。
そうした恐れの中で、超自然な存在を作り出してきたが、それらは恐怖心から生まれた亡霊に他ならない。
この書物によれば、人間を脅かす不可視の存在は、恐怖心が作り出す幻ということになる。この説は、超自然を合理的に解釈しているといえる。
(4)「科学の世界誌」

この科学雑誌は、ブラジルのサンパウロ地方で、狂気が伝染病として流行していることを伝える。
その伝染病は、ヨーロッパの中世に流行した伝染性の狂気であり、それに取り憑かれた人々は、家を捨て、村を離れ、耕作を放棄する。
そして、彼らに取り憑いているのは、目には見えないけれど手で触れることはできる生物だとされる。それは、人々が眠っている間に彼らの生気で体を養い、水と牛乳は飲むけれど、それ以外には手をつけないという。
そして、ドン・ぺドロ・ヘンリケス博士を始めとする一行が現地調査をし、その「驚くべき狂気」の原因を調べ、治療法を探っているという報告が、掲載されている。
この雑誌は、「科学的」という名称からもわかるようにいかにも現実的で、実際に狂気が伝染する現象がブラジルで確認されたかのような印象を与える。
だが、狂気が伝染するということは証明されていない。
ここでモーパッサンが考えているのは、1870年代になり、ロベルト・コッホやパストゥールらの研究によって、結核、コレラ、ペストといった病気の病原体が次々に発見されたことと関係しているのではないかと考えられる。
この時代に、ある種の病気は、外部から体内に侵入した病原菌によって引き起こされることが証明された。
モーパッサンはそうして伝染病に関する最新の知見を、狂気に適用したのだろう。
心理学的観察と実験
日記の主は、上記の心理学的考察に基づき、自らが感じている明確な原因のわからない不安や恐怖の原因を解明するため、観察と実験を重ねていく。
その前提は以下の通り。
a. 外界から受け取った刺戟が肉体を通り心理に影響することを認める。
例1:天気がいいと、気分がよくなる。
例2:「暗示」ー 他者からの命令で、睡眠状態で、意識がないままに行動する。
b. 心の状態が身体に与える影響も認める。
例1:不安のために、体調が悪くなる。
例2:「意志」ー 自分が抱く意志で、肉体を活動させる。
(1)実験のきっかけ
「私」の記述によれば、抗不安薬(臭化カリウム)を飲むなどしても、不安、イライラ、眩暈、不眠、微熱といった症状は改善しない。
7月4日には、寝ている間に誰かに乗りかかられ、口から生命を吸われているように感じ、飛び起きる。

翌日の7月5日、決定的な出来事が起こる。
寝室のドアをしっかりと閉じ、眠る前にコップの水を飲む。その時、水差しには水がいっぱいまである。
睡眠から2時間後、ナイフで胸を刺されたような感じがし、喘ぎながら目を覚ます。水を飲もうとすると、水差しが空になっている。
水差しは空だった! 完全に空っぽだった! 最初、何も理解できなかった。すぐにとても恐ろしい動揺を感じ、座ることができないほどだった。というか、椅子からずり落ちた! すくっと立ち上がり、回りを見た! もう一度座ったのだが、驚きと恐れで動転していた。水晶の水差しが透明だったのだ! それをじっと見て、推測しようとした。手がぶるぶるしていた! 水を飲んだのだろうか? でも誰が? 自分? 自分だろうか? 自分でしかありえないのだろうか? としたら、ぼくは夢遊病者だということになる。そうとは知らずに、謎めいた二重生活を送ってきたのだ。としたら、私たちの中には二人の人間がいるのかもしれない。あるいは、魂のぐったりしている時などに、不可知で不可視の他人が、拘束された肉体を動かしているのかもしれない。その肉体は、私たちに従うのと同じ位か、それ以上に、他者に従っているのだ。
誰もいない部屋の中で、自分は飲んだつもりはないのに、水がなくなっている。では誰が飲んだのか?
そんな状況に置かれたとき、論理的に考えるとしたら、自分が夢遊病者になり、意識しないままに水を飲んだと推測するしかないだろう。
しかし、それを認めることは、自分の精神に異常をきたしているのではないかという疑いを抱くことでもある。
では、自分が飲んだのではないとしたら、どうなるのか? 目に見えない存在が実在するのか?
正常な精神であれば、不可視で不可知の存在は信じないのではないか。
こうした状況に置かれた「私」は、目に見えない存在が実在し水を飲んだのか、もしそうだとすれば、その存在は何なのか、という問題を検証するために、いくつかの実験を行うことになる。
その際、目に見えないものが存在し、現実に影響を与えることがあるという知見が、前提としてある。
例1:風が吹いて、木が揺れる。風は見えない。
例2:細菌が病気を誘発する。病原菌は裸眼では見ることができない。
(2)食物の実験
最初の実験は、7月6日に行われる。
「私」は眠る前に、テーブルの上に、ワイン、牛乳、水、パン、イチゴを置く。
その結果、水と牛乳は飲まれているが、後の3つは手付かずのまま残された。
7月7日、同じ実験をして、同じ結果になる。
7月8日、水と牛乳を置かないで、それ以外のものだけにする。結果はすべてが手付かずのまま。
7月9日、水と牛乳だけ置くが、水差しを布で包み、紐で縛っておく。
目が覚めた時、シーツに乱れはなく、自分が動いた形跡はない。水差しの包みもそのまま。しかし、水も牛乳も飲まれている。
この実験結果をどのように考えればいいのか?
「私」が7月12日に付けた日記の記述からは、いくつかの推論が提示されている。
過剰な想像力のおもちゃ。夢遊病患者。「暗示」と呼ばれる、現在のところ説明不可能な影響力に動かされている。
そして、自分が狂気に近づいているのではないかという恐れが記される。
ちなみに、パラン博士による催眠術の様子は、この後、7月16日の日記に記されている。
「暗示」はナンシー学派の用語であり、7月初旬に行われた実験結果を、学術的に考察しようという意図が、こうしたことから見えてくる。
(3)バラ園での体験
8月6日、「私」はバラ園で、目に見えない何かによってバラが動くのをはっきりと見る。

ぼくは立ち止まり、素晴らしい3つの花をつけた「戦いの巨人」という種類のバラを眺めた。その時、見た。はっきりと見たのだった。本当にすぐ近くで。バラの花の一つが、見えない手で曲げられたように、折り曲がった。その手が花を摘んだかのように、枝から離れた。一本の腕がその花を口びるに当てるようなカーブを描いて、花が上に持ち上がった。そして、透明な空気の中で宙づりになった。たった一つで、じっと動かなかった。ぼくからは3歩ほどのところにある、恐ろしい赤い染みだった。
ぼくはひどく動揺して、その花をつかもううとして飛びかかった! 何も見つからなかった。花は消え去っていた。ぼくは自分に対してひどく腹を立てた。理性的で真面目な人間が、こんな幻覚を見るなんて、許されないからだ。
しかし、幻覚だったのだろうか? ぼくはすぐに振り返り、枝を探した。枝は木々の上ですぐ見つかった。折られたばかりで、枝に残っている2つの花の間にあった。

3つのバラの一つが枝から取られ、空中に浮かぶのを「はっきりと見た」としたら、どのように考えたらいいのか?
「幻覚」だとすれば、いちおう論理的な解釈にはなる。
しかし、実際に一本のバラが折られていることが確認されたら、「幻覚」とは言えなくなってしまう。
そこで、「私」は、なんらかの目に見えないものが存在し、それには「物質的な性質」があるのではないかと結論付ける。
一般的に考えれば、そうしたものを信じるのは狂気だと言われるに違いない。
しかし、「私」は自分の状態を明晰に把握しているし、論理的な思考も続けている。一般的な現実感覚とは違っているが、思考が停止しているわけではない。
8月7日の日記では、生理学的な視点から、自分の置かれた状態を分析しようとしている姿が見られる。
「私」は自分のことを「理性的に思考する幻覚者」と定義する。
「私」の頭の中で起こる「未知の混乱」は、生理学者が調べようとしているもので、精神の中にできた「深い亀裂」によって引き起こされるのではないかという。
似た現象は夢の中でも起こり、どんなに不思議なことが起こっても驚かないのは、「現実性を検証する装置」、あるいは「出来事をコントロールする感覚」が眠っているからだと考えられる。
何かの事故の後で、人間が固有名詞や動詞や数字や日付を思い出せないことがある。それは脳の一部の部分が麻痺したからで、その部位は特定されている。
その結果、今の時点で、「私」の中で、幻覚の現実性をコントロールする能力が麻痺していることがあったとしても驚くことではない。
脳の各部位にある機能を特定する作業は、21世紀にはより精密になり、科学的な検証が19世紀後半とは比べものにならないほど進んでいる。
「私」がここで思考を止めれば日記は終わりになるはずだが、しかし、現実に非合理で超自然な体験をしている時、こうした学問的な説明だけでは気持ちが収まらない。不安や不快感は続く。
(4)オルラの出現

8月13日になると、ひどく無気力、虚脱感に襲われる。自分の「意志」を動かす気力がなくなり、何も望まない状態になる。そして、「誰かがぼくのために望み、ぼくはそれに従う」だけと感じる。
8月14日には、自分がもうだめになり、「誰かがぼくの魂を所有し、支配している」とさえ感じるようになる。
そうした状態は、催眠術でパラン博士から「暗示」を与えられたサブレ夫人の状態でもある。
違いは、「暗示」という明確な指示がないこと。「誰か」とは誰なのかがわからない。
8月17日、ヘルマン・ヘレスタウス博士の研究書を読んだ後、窓から星空を眺めていると、星々には何かが存在しているのではないかと思えてくる。
そうした存在に対して、人間は小さく無知な存在に感じられる。
そうした心持ちでいる時、本のページがひとりでに持ち上がるのが見える。風が吹いたわけではないし、部屋には誰もいない。
そこで「私」は、「彼がそこにいて、本を読んでいる」のだと理解する。そして、「彼」を捕まえようとするのだが、窓を開けて逃げてしまう。その時には、「彼」が「私」を恐れたのだった。
このようにして、「私」と「彼」の戦いが始まる。
8月19日、「科学の世界誌」を読み、ブラジルで伝染性の狂気が流行していることを知り、「私」はその病に感染したことを確信する。5月8日、ルーアンの港に停泊するブラジルの帆船を見た時、感染したに違いない。
その伝染病は、原始人たちが感じた恐怖であり、後には、土の精や魔神や妖精など空想的な存在として具現化してきたものだった。
原始的な恐怖のそうした粗雑な概念化の後になると、より展望のきく人々がより明確にその存在を感知した。メスメルがそれを予見していたのだが、10年ほど前からは、メスメルが実践する以前に、医師たちがその力の性質を明確にしたのだった。彼らは、新しい主の武器を使い、すでに隷属している人間の魂に対して、神秘的な欲望による支配を行った。そして、それを磁気、催眠、暗示などと呼んだ。・・・ぼくは彼らが、不注意な子どものように、その恐ろしい能力を使って遊ぶのを見たんだ! ぼくたちにとって不幸なことだ! 人間にとっての不幸だ! 彼が来た。か、か、彼の名前は? か、彼が自分の名前を叫んでいるらしい。ぼくにはよくきこえない・・・かれ、そう、彼が叫ぶ・・・ぼくは聞きとろうとする・・・聞こえない・・・繰り返してくれ・・・ル・・・、 オルラ・・・、聞こえた・・・、ル・オルラだ・・・、彼だ・・・、ル・オルラだ・・・、彼がやって来たんだ!
ああ! 鷲は鳩を食べた。狼は羊を食べた。ライオンは尖った角の野牛を呑み込んだ。人間は、矢と剣と火薬で、ライオンを殺した。ル・オルラは、人間が馬や牛にしたのと同じことを、人間にする。彼の所有物にし、召使いにし、食物にする。意志という唯一の力によって。私たちにとって何と不幸なことか!
ここで初めてオルラという名前が発せられ、その上でオルラの力の源泉が何かが明確にされる。
ここでは、オルラが人間を支配する力は「意志」であると明記されている。また、メスメルや彼に続く医師たちに言及した箇所でも、「神秘的な欲望」という表現が使われる。
それは能動的な活力であり、人間を支配し、人間を動かす「恐ろしい能力」である。
実際、催眠術において、「暗示」は意識の眠っている人間を自由に動かす力である。
「意志」も同様に人間を動かすが、「暗示」とは違い、動かされる人間の内部の力であり、能動と受動が一人の人間の中で共存している。
では、「意志」に動かされる受動的な位置にいるのは誰か?
8月13日と14日の記述を思い出すと、「私」はひどく無気力になり、「意志」を動かす気力がなく、誰かに魂を所有し、支配されているように感じているとされていた。
従って、「意志」の力を受けるのは、日記を書いている「私」、意識化されている「私」だということになる。
そのように考えると、オルラとは「意志」を持つ「私」であり、多くの場合、「意志」を受けて活動する「私」と分裂し、「私」が二重化する。
その状態は、伝統的な小説では「分身」の物語や、「私」の「影」や「鏡像」としてテーマ化されてきた。

そして、「私」が置かれていた最初の状況が、恐怖や不安だったとすれば、その原因であるオルラとは戦わざるをえないことになる。
「オルラがぼくの中にいる。ぼくの魂になる。ぼくはオルラを殺すだろう!。」
未知なるものに自分が乗っ取られたり、攻撃されるとしたら、それを解消するためには、攻撃に転じ、相手を殺すしかない。
しかし、その相手は「もう一人の私」。もしオルラを殺したら、「この私」はどうなるのだろう?
(5)鏡の実験
オルラと戦うためには、幻覚を見ているのではなく、物理的な実態として存在することを確認する必要がある。
以前の実験では、寝ている間に水と牛乳を飲むことを確認した。しかし、それは「私」の意識が働いていない間の出来事であり、夢遊病者の「私」がその行為をしたのではないかという恐れがある。
オルラが実在することの証明には、私の意識が働いている時に、その物質性を確認する必要がある。
8月19日に行われる実験では、「鏡」が使われる。
「私」はオルラの存在を強く感じながら、鏡の付いた家具の前に座っている。
ぼくは何かを書くふりをしていた。奴を騙すためだ。あいつも、ぼくの様子を探っていた。その時突然、ぼくは感じた、そして確信した。奴はぼくの肩越しに読んでいるんだ。そこにいて、耳に触れるくらいだった。
ぼくは手を伸ばして立ち上がり、素早く一回転したので、倒れそうになった。どうだろう?・・・ 真昼みたいによく見ていた。でも、鏡に映るぼくの姿が見えない! 空っぽで、深く澄んでいて、光で輝いている! ぼくの姿がそこに映っていなかった・・・ぼくは真正面にいた! 鏡は上から下まで見えていた。それを、ぼくは、ぎょっとした目で見つめた。前に進む勇気がもう持てなかった。動くことさえできなかった。奴がそこにいるのだが、またぼくから逃げるだろうと感じていた。知覚することができない奴の体が、鏡に映るはずのぼく姿を食べ尽くしてしまったのだ。
鏡を見たとき、自分の姿が見えない! しかも、鏡の中には、何も映っていない。
その時の恐怖はどれほどのものだろう。自分のこととして考えてみると、「私」の感情を実感することができるだろう。
では、なぜ見えないのか?
オルラの体は不可視で、知覚することができない。その体が私と鏡の間にあるために、鏡に映るのはオルラの透明の体だということになる。「空っぽで、深く澄んでいて、光で輝いている」のは、その体の鏡像なのだ。
そのことを、「私」は、オルラの体が自分の鏡像を「食べ尽くしてしまった」と表現している。
実は、鏡に何も映っていないことから、「私」だけではなく、部屋にある全てのものが食べ尽くされていることがわかり、オルラの存在が部屋全体を覆い尽くしていることが示されている。

その後、鏡の奥が靄のかかったようになり、自分の姿が徐々に見え始める。それは、オルラの体が消え始めた印であり、私は「日食の終わり」に立ち会ったように感じる。
そして、最後に自分の姿が鏡の上にはっきりと映るのを見ると、見えない時にはオルラが存在していたことを確信する。
ぼくは奴を見たんだ! それで恐怖の感情がぼくの中に残った。今でもぼくを震えさせるほどだ。
このようにして、「私」はオルラが物理的に存在することを確認するのだが、ここで重要なことは、「私」の意識がはっきりと目覚め、知覚作用を行っていることである。
そのために、自分の姿が鏡に映らないという現象が、幻覚でも、睡眠中の夢遊病でもなく、現実の出来事であるという認識を「私」が持てることになる。
「ぼくは奴を見た!」という確信は、そこからくる。
そして、オルラが実在することが確認できた後は、彼との戦いへと進んで行く。
9月10日の日記には、とうとう「私」がオルラを部屋に閉じ込め、家に火を付ける様子が描かれている。
しかし、そうすることで、本当に彼を殺すことになるのだろうか?
日記の最後は、次の言葉で終わる。
いや・・・、いや・・・、疑うことはできない、疑うことはできない・・・、奴は死なない・・・、としたら、・・・としたら・・・、ぼくは自分を殺さなければならなくなるだろう!。。。
鏡の実験でオルラの物理的な存在を確認したとはいえ、それが本当に人間と同じ肉体なのか?
しかも、オルラの出現の場面で明かされたように、その存在の根源は「意志」であり、「もう一人の私」として具現化される存在だとも考えられる。
としたら、「もう一人の私」を殺すことは、「私」を殺すことにつながりかねない。つまり、オルラとの戦いは、「私」を自殺の一歩手前まで導いたのである。
では、最後の自問をどのように理解したらいいのだろうか?
解釈は読者に委ねられている。
出版当時だけではなく、現在の視点からしても、「オルラ」を通して狂気の兆候が見られ、実在しない存在を扱った幻想的な物語と見なされるに違いない。
モーパッサンは「オルラ」の原稿を雑誌社に郵送した後、召使いに次のように告げたらしい。
一週間もすれば、新聞はいっせいに、私は気が狂ったとか書き立てるだろう。何とでも言わせておけばいい。私の精神は正常なのだし、「オルラ」を書いている時も、何を書いていたかははっきりとわかっていた。もちろん想像の産物だけれど、読者たちはびっくりして、背筋が寒くなるような戦慄をおぼえることだろう。
モーパッサン自身が神経症の症状を示し、この小説の出版後ではあるが自殺を試み、精神病院で最期を迎えたことを知ると、「オルラ」が狂気日記であるという説は同意が得られやすい。
他方、私は、モーパッサンがオルラを「意志」の具現化として表現したことに注目したい。
「意志」は、『意志と表象としての世界』の著者であるショーペンハウアーの哲学用語であり、人間の持つ「盲目的な生存」を指すものと考えられる。
その思想を非常に簡潔に言えば次のようになる。
無制限で盲目的な欲求から生じる「意志」は、他者の「意志」とぶつかり合い、世界で起こる全ての事柄は非合理になり、生きることは苦悩そのものとなる。
その苦しみから逃れるための方法として、ショーペンハウアーは、「美の観照」という芸術的体験と、「意志の断念」に向かう宗教的体験を提案した。
この視点に立つと、オルラ(私の意志)を殺すことは、「意志の断念」と対応するのではないかと考えられる。
「私」の日記の初期の頃には、不安や恐怖からイライラが募り、憂鬱になり、悪夢にうなされるなどの症状に言及された。その後は、不安神経症ともいえる症状を心理学的に探求し、最期はオルラの発見と対決にまで至った。
その結末をどのように解釈するにしろ、その過程において、目に見えない心理を様々に観察し、実験し、その結果の考察が行われた。
その軌跡をたどることで、読者は不安や恐怖を感じ、何が幻覚で、どこまでいくと精神の異常と見なされるのかなどと考える。
オルラを狂気の印と考えるにしろ、心理学実験の一つと考えるにしろ、「私」の生命の動きをともに体験することが、読者に最初に求められることだといえる。
心理学と「生」の体験
モーパッサンは、「脂肪の塊」のような現実的な小説では、人間の行動や言葉から心理を浮き彫りにし、「オルラ」のような超自然な要素が出現する小説では、心理が身体の生理や外部の認識にどのような影響を与えるかを、恐怖や不安体験として描き出した。
その二つの系列の小説群のどちらでも、モーパッサンの興味は心理学にあったと考えられるのだが、それは19世紀後半の時代精神と対応している。
「心理学の問題」の部分で、小林秀雄が母親の死の直後、蛍が飛んでいるのを見て、「おっかさんという蛍が飛んでいた」と確信したことに言及したが、小林がこの挿話を挙げたのは、ベルクソンの哲学を解説するための導入としてだった。
小林秀雄 ベルクソン 「生」の体験

ベルクソンは、時計による計測が可能で規則的な「時間」とは違う”時間”について考察を深めた。
その”時間”とは、楽しい時には短く、退屈な時には長く感じるような”生きた時間”であり、彼はそれを「持続」と名付けた。
「時間」と「持続」は二元論的に対立するのではなく、人間が「生きる」体験の二つの捉え方と見なすことができる。
時計の示す時間に従って活動する時には「時間」を意識し、そうした意識がないときには「持続」を生きている。
ベルクソン 「生」の哲学
モーパッサンは心理学を小説の骨格にすると主張したが、その心理学は人間の「生」に焦点を当てるという意味で、「持続」と対応していると考えていいだろう。

ベルクソンは1859年に生まれ。「彼の最初の著作意識に直接与えられたものについての試論」は、1889年に出版された。
1850年生まれのモーパッサンが「脂肪の塊」で脚光を浴びたのは1880年。「オルラ」の出版は1886年。
二人が同じ時代の精神性を表現していると考えると、モーパッサンの小説を時代に即して理解することができるはずである。
モーパッサンの生み出す現実のイリュージョン(=小説)は、時計によって規定された現実以上に、「生」の感覚を感じさせる「持続」を体験させてくれる。そんな風に考えてみたい気持ちに捉えられる。
翻訳
『オルラ/オリーヴ園~モーパッサン傑作選~』太田浩一訳、 光文社古典新訳文庫。
参考
ロール・ミュラ『ブランシュ先生の精神病院 ― 埋もれていた19世紀の「狂気」の逸話』吉田春美訳、原書房。
エドワード・S・リード『魂から心へ 心理学の誕生』村田純一 、染谷昌義 、鈴木貴之 訳、講談社学術文庫。