小林秀雄 ベルクソン 「生」の体験

ベルクソンは、時計によって測られる「時間」とは別に、私たちが内的に体験する時間を「持続」と名付け、その直接的な「生」の体験を思索の中心に置いた。

小林秀雄は、アルチュール・ランボーについての卒業論文を書いて以来、「生」の内的な体験が芸術の本質であるという19世紀後半に成立した芸術観を体得し、ベルクソンの思想にも最初から大きな親近感を示した。
そして、いかにも小林らしく、ベルクソンについて語る時でも、彼の思索の基礎には彼自身の体験がずっしりと横たわっている。

youtubeに、小林がある講演会でベルクソンについて語る部分がアップされているので、10分あまりの内容をを聞いて見よう。(小林の話し方はしばしば落語家の志ん生にそっくりだと言われる。)

この講演の内容は、「信じることと知ること」に掲載されている。

小林が語っているのは、ベルクソンが1913年にロンドン心霊研究会で行った「生きている人のまぼろしと心霊研究」という講演(『ベルグソン全集』第五巻、渡辺秀訳、白水社)について。

ある夫人の夫が戦場で戦死した。その時刻に、その女性は夫が死んだ夢を見て、夫の回りにいる数人の兵士まで見たと言う。後で調べると、夢で見た通り、夫は数人の同僚に取りかこまれて死んでいた。
ある高名な医師は、そうした現象はありうるかもしれないが、統計を取ってみると例は少なく、結局は偶然の一致に過ぎないと言う。
しかし、それを聞いていた若い女性が、医師には同意できないベルクソンに囁く。
ベルクソンは、夫の夢を見た女性の体験を彼女の「生」そのものと考える。医師の説明は、経験を統計の数字へと抽象化してしまっている。

この挿話に関する小林秀雄の講演内容を聞いた後で、彼のベルクソン論である『感想』の冒頭を読むと、夫を亡くした女性と同様の体験が記されていることに気づく。

  終戦の翌々年母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたへた。(中略)
母が死んだ数日後の或る日、妙な経験をした。誰にも話したくはなかつたし、話した事はない。もっとも、妙な気分が続いてやり切れず、「或る童話的経験」といふ題を思ひ付いて、よほど書いてみようと考へた事はある。今は、ただ簡単に事実を記する。

小林が「童話的経験」と呼ぶものが、ベルクソンの「持続」における経験と重なる。

仏に上げる蝋燭(ろうそく)を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷(おうぎがや)の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であった。門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もないような大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。

「おっかさんは、今は蛍になっている。」
これは現実の認識ではあり得ない。現実認識においては、Aと非Aが同一であることはなく、「母」は決して「蛍」ではない。
しかし、そうした認識こそが事実とずれているのではないかと、小林は次に問いかける。

ところで、無論、読者は、私の感傷を一笑に付する事が出来るのだが、そんな事なら、私自身にも出来る事なのである。だが、困った事がある。実を言えば、私は事実を少しも正確には書いていないのである。私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異って実によく光るとか、そんな事を少しも考えはしなかった。私は、後になって、幾度か反省してみたが、その時の私には、反省的な心の動きは少しもなかった。おっかさんが蛍になったとさえ考えはしなかった。何も彼(か)も当り前であった。従って、当り前だった事を当り前に正直に書けば、門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。つまり、童話を書く事になる。後になって、私が、「或る童話的経験」という題を思いついた所以(ゆえん)である。

「おっかさんは、今は蛍になっている。」という認識は、小林にとっては、「事実を少しも正確には書いていない。」 というのも、それでは「母」と「蛍」をAと非Aに分離し、その上でA=非Aという等式を考えることになるからだ。

事実は、「おっかさんという蛍が飛んでいた」のだと、小林は主張する。
それが、直接的な「生」の体験としての言葉になる。

ただし、そうした言葉は、私たちの現実認識とは全く異なっているために、「童話」を語るしかない。

その後も、「妙な経験」は更に続く。

ゆるい傾斜の道は、やがて左に折れる。曲り角の手前で、蛍は見えなくなった。人通りはなかった。S氏の家を通り過ぎようとすると、中から犬が出て来て、烈(はげ)しく私に吠えかかった。いつも其処(そこ)にいる犬で、私が通る毎に、又、あいつが通るという顔付きをする、言わば互いによく知り合った仲で、無論、一ぺんも吠えついた事なぞない。それが、私の背後から吠えつくのが訝(いぶか)しかった。私は、その日、いつもの不断着で、変わった風態(ふうてい)に見える筈(はず)もなかった。それよりも、かなり大きな犬だから、悪く駆け出したりして、がぶりとやられては事だ、と思い、同じ歩調で、後も見ず歩きつづけたが、犬は、私の着物に、鼻をつける様にして、吠えながらついて来る。そうしているうちに、突然、私の踝(くるぶし)が、犬の口に這入(はい)った。はっと思ううちに、ぬるぬるとした生暖かい触覚があっただけで、口は離れた。犬は、もう一度同じ事をして、黙って了った。私は嫌な気持ちをこらえ、同じ歩調で歩きつづけた。後を振り返れば、私を見送っている犬の眼にぱったり出くわすであろう。途端に、犬は猛然と飛びかかって来るだろう。そんな気持ちがしたから、私は後を見ず歩いた。もう其処は、横須賀線の踏切りの直ぐ近くであったが、その時、慌ただしい足音がして、男の子が二人、何やら大きな声で喚(わめ)きながら、私を追いこし、踏切への道を駈けていった。それを又追いこして、電車が、けたたましい音を立てて、右手の土手の上を走って行った。私が踏切りに達した時、横木を上げて番小屋に這入ろうとする踏切番と駈けて来た子供二人とが大声で言い合いをしていた。踏切番は笑いながら手を振っていた。子供は口々に、本当だ本当だ、火の玉が飛んで行ったんだ、と言っていた。私は、何んだ、そうだったのか、と思った。私は何の驚きも感じなかった。

犬に噛まれ、「ぬるぬるとした生暖かい触覚」を感じる。二人の子どもが出てきて、蛍を見たと大きな声で言う。
こうした出来事は、決して非合理的ではないし、あり得ないことではない。

そして、それらは、「おっかさんという蛍が飛んでいた」という一見あり得ないことと、切れ目なく繋がっている。
「生」の流れは常に「持続」し、私たちはただただ「生」を生きている。そこで体験する様々な出来事をどのように認識し、解釈するかは、事後的な反省の結果でしかない。

以上が私の童話だが、この童話は、ありのままの事実に基いていて、曲筆(きょくひつ)はないのである。妙な気持になったのは後の事だ。妙な気持は、事実の徒(いたず)らな反省によって生じたのであって、事実の直接な経験から発したのではない。では、今、この出来事をどう解釈しているかと聞かれれば、てんで解釈なぞしていないと答えるより仕方がない。という事は、一応の応答を、私は用意しているという事になるかも知れない。寝ぼけないでよく観察してみ給え。童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう。

「童話はありのままの事実に基づいている」にもかかわらず、「妙な気持ち」がするとしたら、その理由はどこにあるのか?

出来事が起こっている時には、ただそれだけであって、それを生きているにすぎない。
しかし、事後的に経験を振り返りる時、私たちは、様々な解釈を行う。それが合理的だとされることもあれば、意味不明で馬鹿げていると見なされることもある。
小林によれば、そうした事後的な認識は、「事実の徒(いたず)らな反省」ということになる。結局、「何も彼もが、よくよく考えれば不思議」なのだ。


このように読んで来ると、「母という蛍の童話」が、ベルクソンの「生」の哲学を読者に体感させるための挿話であることがわかってくるだろう。

ベルクソンの「時間」と「持続」の区別は難しいことではない。
例えば、自分の年齢を考えてみればいい。もし何の記録もなければ、生まれてからどれだけの時間が経ったかなど、誰にもわからないだろう。
生きている限り、「生」は途切れることなく、ずっと続いている。つまり、「持続」している。
それに対して、生まれた年や日に印を付け、他の年や日と区切り、そこから今に至る年や日を測定する。そうして計測される「生」の流れが、「時間」なのだ。

別の視点から見ると、「生」の中で体験する出来事は、常に合理的に説明できることばかりではなく、むしろ理屈に合わず、意味の分からないことも多い。
こう言ってよければ、全てが「童話的体験」なのだ。
ただし、説明できないと納得できず気持ちが悪いので、意識的に考える時には、合理的な説明を思い描き、なんとなく納得する。逆に、納得できないことには、間違いとか錯覚というレッテルを貼る。
小林に言わせれば、そんな認識は、「事実の徒らな反省」ということになる。


ベルクソンの哲学が芸術と深い関係を持つのは、19世紀後半からの芸術が、「生」の体験の回復を目指したからだと考えられる。

伝統的な芸術は、意識化された世界像を再現することを基礎にしてきた。実はその芸術観は、日常的なレベルではまだ続いていて、1枚の絵画を見て、「本物そっくり!」と感嘆の声を上げたりする。
しかしそれでは、芸術作品は現実の再現、本物のコピーにすぎないことになる。

19世紀後半から、一部の芸術家たちは、そうした二元的な芸術観を放棄し、作品そのものが一つの現実であり、「生」そのものであることを目指した。
そうした流れの中に、ベルクソンの哲学(ベルクソン 「生」の哲学)も、小林秀雄の批評も位置する。

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