アポリネール 「大道芸人たち」 Apollinaire « Saltimbanques » 新しい芸術に向けて

1913年に出版された『アルコール(Alcools)』に収めらた「大道芸人たち(saltimbanques)」は、ギヨーム・アポリネール(Guillaume Apollinaire)による’芸術家の肖像’あるいは’芸術観’を表現した詩だと考えられる。

一行8音節の詩句が4行で形成される詩節が3つだけの短い詩。
韻の連なりはAABBと平韻。AAは男性韻、BBは女性韻と非常に規則的。
非常に簡潔な詩の作りになっている。
唯一の特色は、『アルコール』の他の詩と同じように、句読点がないこと。

内容に入る前に、詩の音楽性を感じるため、意味にこだわらずに朗読を聴いてみよう。

第一詩節では、村から村へと回って歩くサーカスの芸人たちの姿が、「遠ざかる(s’éloigner)」という一言で要約される。

Dans la plaine les baladins
S’éloignent au long des jardins
Devant l’huis des auberges grises
Par les villages sans églises

平原の中 芸人たちが
遠ざかっていく 庭に沿って
灰色の宿屋の 閉ざされた扉の前
教会のない 村々を通り

「芸人たち(les baladins)」が「遠ざかる(s’éloignent)」という動詞に対して、場所を示す前置詞句が4つ重ねられている。
dans la plaine (平原の中)
au long des jardins(庭に沿って)
devant l’huis (閉ざされた扉の前)
par les villages(村々を通り)

ここで注目したいのは、それらの前置詞によって、芸人たちがどこから来たのかも、これからどこに行くのかも、示されないこと。草原の中にいる彼等は、とにかく、村から「離れていく」存在として描かれる。

その一方で、村の宿屋の扉が、彼等に閉ざされていることは、huisという言葉が使われることで、暗示される。huisはしばしばclos(閉ざされた)という言葉と共に使われ、一般に公開されないことを意味する。
旅の芸人たちは、芝居やサーカスをして住民たちを楽しませるが、しかし、村に受け入れられることはない。

「宿屋(auberges)」は「灰色(grises)」で、「村(villages)」には「教会(églises)」もない。
教会は、この詩の中では、現実を超えた聖なるもの、あるいは精神性を意味する。
一箇所に定住し、移動しない人々は、自分たちと異質の人々を決して受け入れようとはしない。そうした姿勢が「灰色」と「教会がないこと(sans églises)」によって象徴されている。

そんな村々から、旅する芸人たちは、遠ざかっていく。その動きは、流音 LとRの反復によって、音的にも表現される。
Dans la plaine les baladins : l – l – l – l
S’éloignent au long des jardins : l – l – r
Dans l’huis des auberges grises : l – r – r
Par les villages sans églises : r – l – l
旅の大道芸人たちは、LとRの流れと共に、村から離れていく。

第2詩節では、4つの動詞が使われ、第1詩節と対象を成す。

Et les enfants s’en vont devant
Les autres suivent en rêvant
Chaque arbre fruitier se résigne
Quand de très loin ils lui font signe

そして 子どもたちが 去って行く 先頭をきって
他の人々は 後についていく 夢見ながら
果実の実る木それぞれは あきらめている
とても遠くから 彼らが木に合図をする時

子どもたちが前を進み、他の人々は後を付いていく。その姿は何を伝えているのか?

東西南北、彼等がどちらの方向に進んでいくのかは分からない。
その一方で、子どもという将来を担う存在が一団の前に位置することは、彼らの生きる時間が「未来」に向かって進んでいくことを示していると考えられる。
そうした時間の捉え方は、1910前後に活発となった「未来派」の動きと対応しているのではないか。

1880年生まれのアポリネール、1881年生まれのパブロ・ピカソが20歳代の頃、「未来派宣言」が次々に発表され、伝統的な文化・芸術を排斥し、新しい時代にふさわしい機械文明の美(一つの象徴はエッフェル塔)、エネルギー感、スピード感などを重視する芸術観が盛んに主張された。

アポリネールやピカソが描く大道芸人たちは、そうした未来派の流れに沿っている。
それに対して、村人たちは、じっと動かない、伝統的な古い芸術観を持った人々。彼らは新しい時代の新しい芸術を受け入れようとはしない。

子どもたちの後を付いている大道芸人は、自分たちの新しい芸術が実現し、受け入れられることを「夢見ながら(en rêvant)」、歩いている。
devantとrêvantが韻を踏み、前に向かうことが夢見ることと連動していることが、音によって示されている。

その時、彼らの目に入るのは、「果実が実る木(arbre fruitier)」。
木々はまだ「非常に遠く(très loin)」にあり、「合図(signe)」をしても、すぐに果実を実らせることはない。どの木も、今の所はまだ、「あきらめている(se régine)」。
当時、ピカソたちの絵が広く受け入れられていたわけではない。木々は、まだじっと果実が熟するのを待っていた。

第3詩節では、そうした現状が確認されることになる。

Ils ont des poids ronds ou carrés
Des tambours, des cerceaux dorés
L’ours et le singe, animaux sages
Quêtent des sous sur leur passage

彼等は持っている 丸かったり四角だったりするダンベルを 
太鼓を 金色の輪を
熊と猿 賢い動物たちは
小銭を物乞いする 通りすがりに

大道芸人たちが持つ「ダンベル(poids)」、「太鼓(tambours)」、「輪(cerceaux)」は、見物人たちを楽しませるものだが、しかし、移動する彼らにとっては「重荷(poids)」でもある。

他方、一緒に連れている「熊(ours)」と「猿(singe)」は、「賢く(sages)」、乞食が物乞いをするように、「小銭(sous)」を「要求し(quêter)」、芸人たちの物質的な必要を満たす役割も果たす。
もしかすると、人間よりも現実的であり、伝統を重視する村人たちと旅の大道芸人たちをつなぐ仲介者かもしれない。

いずれにしても、大道芸人たちは、決して伝統を守り、変化しようとはしない村に留まることはなく、通り過ぎていく。
「通過(passage)」という最後の言葉は、第1詩節の「遠ざかる(s’éloigner)」と対応し、新しい芸術を求めて未来へと向かう姿勢を強調する。

このように、アポリネールの描く「大道芸人たち(saltimbanques)」は、伝統を刷新し、新しい美を生み出そうとしたピカソを始めとする芸術家たちの状況を、簡潔な詩句で描き出した詩として読むことが出来る。

ピカソの描くアポリネール

最後に、イヴ・モンタンの歌で、アポリネールの詩句にもう一度耳を傾けてみよう。新しい時代に相応しい芸術への希望に溢れている感じが、ひしひしと伝わってくる。

1913年には優れた美術評論「キュビズムの画家たち」を発表した。そのなかでアポリネールは、「芸術は自然の模倣ではない。それは感覚に与えられたものを再現するのではなく、芸術家の内面にあるものを表すのだ。芸術家は自分の心によって現実を超越するのだ。」と主張した。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中