ヴェルレーヌ 「白い月」 Verlaine « La lune blanche »

ヴェルレーヌは、一言で言えば「職人的な詩人」といえる。
ヴィクトル・ユゴーのようにあらゆるジャンルで最高の業績を残したわけではなく、ボードレールのように理論に基づいて詩作を展開したのでもない。また、ランボーのように一瞬の煌めきを放って詩の世界を駆け抜けるのでもなかった。

ヴェルレーヌは、ただ己の感性の赴くままに詩句を書き綴る。すると、そこから静かな悲しみを感じさせる音楽が流れ出し、私たちの心を日本的な「あはれ」を思わせる情緒で満たしていく。彼の詩が、不思議なほど日本人の感性に響くのはそのためだろう。

«La lune blanche»は、1行がわずか4音節、1詩節が6行。
第6行(各詩節の最後の行)は手前の5行から一拍置くように配置され、読者への語りかけの役割を果たしている。
脚韻の型は、 ABABCC。 第3詩節は、AAAABB。
全体は、その詩節が3つで構成される。

ちなみに、日本では月は黄色だが、フランスでは白色が普通。だから、題名の「白い月」は、私たちにとっての「黄色い月」と同じだといえる。

まず、いくつかの単語の意味を確認しておこう。

ramée : こんもりと茂った枝、木の葉の茂み
saule : 柳
apaisement:安らぎ、穏やかさ (paix:平和)
firmament:大空、天空
iriser:虹色に輝かせる (iris:虹彩)
exquis : 絶妙な、素晴らしい


La lune blanche
Luit dans les bois ;
De chaque branche
Part une voix
Sous la ramée…

Ô bien-aimée.

白い月が
輝いている、森の中。
枝という枝だから
流れ出る、一つの声、
木陰の下。。。。

ああ、愛する人よ。

こんもりとした森を月が照らし、愛する人を思う心には、木々の枝からつぶやくような声が聞こえてくるかのように感じられる。
この心と景色が溶け合うような情景は美しい。

しかし、それ以上に、この詩句が持つ「音」の響きはさらに美しい。

最も象徴的なのは、やはり冒頭の lune の先頭にある [ l ] 音の連なりかもしれない。 La – lune – blanche – Luit – dans les bois。

次に、豊かな韻(rime riche)を踏む blanche と branche の中で [ l ] から [ r ] への交代が起きると、続く詩句では [ r ] の音が part、ramée と心地よく引き継がれていく。

そして最後には、ramée と aimée が韻を響かせ、この美しい心象風景のすべてが bien-aimée(最愛の人)への切ない呼びかけへと収斂していく。


第2詩節では、その情景が池の水の上に映し出される。

L’étang reflète,
Profond miroir,
La silhouette
Du saule noir
Où le vent pleure…

Rêvons, c’est l’heure.

池は映す、
深い鏡として、
シルエットを
黒い柳の。
そこでは風が泣いている。。。。

夢見よう、今がその時。

池に映るのは、森の景色全体ではなく、一本の黒い柳のシルエット。
そして、そこに吹き付ける風が pleure(泣いている)とされることから、心は悲しみに沈んでいることが感じられる。

しかし、« Le vent pleure » という表現は、決して激しい悲しみを示すものではない。むしろ穏やかで密かな悲しみであり、心象風景全体にどこか「あわれ」の情緒を醸し出す。

詩句の音楽もまた、美しい。第一詩節に出てきた韻(bois – voix)を miroir が受け、それが noir へと繋がっていく。

さらに、miroir – noir で反復される [ r ] 音が、再び [ l ] 音と重なり合いながら、池の上の鏡像におぼろげな印象を与えていく。 (L’étang – reflète – profond – miroir – la – silhouette – saule – noir – le – pleure)

そして最後には、Rêvons – l’heure へと至り、目の前に夢幻的な世界が浮かび上がってくる。

東山魁夷の「緑響く」や「夕星」といった名画が持つ静謐な空気感は、まさにこうした幻のような情景へと私たちを引き入れてくれるかのようだ。


第3詩節になると、視線は再び上空へと向けられる。

Un vaste et tendre
Apaisement
Semble descendre
Du firmament
Que l’astre irise…..

C’est l’heure exquise.

広くやさしい
静寂が
降りてくるよう、
大空から、
あの星(月)が虹色に輝かせている大空から。。。。

それが、至福の時。

l’étang(池)という限定された空間から、le firmament という無限を思わせる大空へと意識が移行していく。そこには l’astre(天体)としての月が輝き、天空を虹色に染めている(iriser)。

その時、それまでの悲しみは和らぎ、apaisement(静寂、安らぎ)が訪れる。
しかも、その安らぎは « Un vaste et tendre apaisement » と8音節で構成されており、音そのものの広がりからも、その大きさが感覚的に伝わってくる。
それはまさに、l’heure exquise(至福の時)にほかならない。

全体の過程を辿れば、第1詩節の « Ô bien-aimée » という呼びかけ(まだ届かない思い)から、第2詩節の « Rêvons, c’est l’heure. » という夢想の誘い、そして最後の « C’est l’heure exquise. » へと至る。

私たち読者がこの詩をなぞるとき、いつしか心地よい幸福感に包まれるのは、この三つのステップを自然に追体験しているからだろう。

そして、その背景には常に美しい音楽が流れている。 大空の広がりを思わせる部分では、ゆったりとした鼻母音 [ ɑ̃ ]が響き、豊かな奥行きを感じさせる。 (tendre – apaisement – semble – descendre – firmament)

その後、訪れた幸福感は、引き締まった [ i ] の音によって心に深く刻みつけられていく。 (irise – exquise)
その際、第2詩節の最後の韻であった [ œ ] (pleure / heure)が、第3詩節でもいったん « heure »の中で再び響き、その後で [ i ] へと変化することで、exquise(至福)の響きがよりいっそう強く印象付けられる。

『白い月(La lune blanche)』の美しさは、描き出された心象風景からだけではなく、その背後に流れる精緻な音楽からも醸し出されている。
フランス語の響きに耳を澄ますとき、その秘密が自然と身体に染み渡ってくる。

だからこそ、とりわけヴェルレーヌの詩は、フランス語で読みたい。フランス語の響きそのもので読まなければ、その美の核心に触れることはできないのだから。


ゆったりとした歌声で聴くと、音楽性がさらに強く感じられる。


ガブリエル・フォーレが曲をつけ、バーバラ・ヘンドリックスが歌う« La lune blanche ».

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