アントワーヌ・ヴィールツ 「キリストの埋葬」 Antoine Wiertz  Christ au tombeau

アントワーヌ・ヴィールツ(1806-1865)の描く「キリストの埋葬」は、独特の魅力で見る者に迫ってくる。

中央のパネルに描かれているのが、「キリストの埋葬」であることはすぐにわかる。
では、左右のパネルに描かれているのは、誰だろう?

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戦争の惨禍  ロシア ウクライナ 日本

ロシアがウクライナに侵攻した戦争の被害を映し出す映像を目にする度に、胸が引き裂かれそうになる。
悲しいことに、戦争が続けば続くほど被害は大きくなり、死者の数も多くなる。ウクライナ軍や市民の無事を願い、一刻も早く戦争が終わって欲しいと思う。
それがロシア兵のためでも、ロシア国民のためでもある。

そんな時、ふと、日本が空襲にあった時の映像を思い出した。
Wikipediaには、空襲の被害が次のようにまとめられている。

空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災、被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。米国戦略爆撃調査団は30万人以上の死者、1,500万人が家を失ったとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本本土空襲

最初の空爆は1944年(昭和19年)6月に行われたというから、これだけの甚大な被害が出る間、日本は1年2ヶ月の間、軍事施設だけではなく、市街地に爆撃を受け続けていたことになる。
430の都市が爆撃され、東京大空襲や沖縄戦等々を経て、広島・長崎の原爆投下まで、日本政府は徹底抗戦を主張した。

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イメージの戦争 ロシアのウクライナ侵攻 映像の真偽

ロシアのウクライナ侵攻以来、毎日悲惨な映像が世界中に配信されている。それは戦争の残忍さを伝えるために重要なのだが、他方で、情報操作の道具にもなる。

ビデオの前半は、ロシアのニュース映像。国連の人権理事会でロシア外相が演説したとき、各国代表が退席した。しかし、ロシアで流れた映像では、各国が熱心に聞いている。つまり、映像を加工し、ロシア国民には外相演説時に多くの国が抗議したことがわからないように、映像が加工されている。

後半は、主にアメリカからの情報だが、ウクライナでロシア軍が苦戦している様子を映した映像。最後に出てくるのは、ロシア軍の戦車が残していった戦車に女性が乗っているTiktokの映像。女性はロシア人で、アップされたのは2021年2月、つまり去年のもので、戦争とは無関係。そうなると、それ以前の映像の信憑性も問われてくる。

戦争の残酷さ

イエメン 2022年1月

ロシアがウクライナに侵攻し、戦争の悲惨が世界中で叫ばれている。

ヨーロッパでは、地続きの国で起きている戦争ということで、イラク、アフガニスタン、シリア、そして今も続いているイエメンでの空爆と比較しても、人々の反応は大きい。
ロシアに制裁を課し、ウクライナに兵器を供与することで、何とか戦争を停止させる努力が続けられている。

しかし、そうした中で、忘れられていることがあるのではないかと、欧州議会議員ラファエル・グリュックスマンのテレビでの発言を聞いて思うことがあった。

彼のウクライナに住んでいる友人の一人が、その朝、初めて銃を手に取り、引き金を引いた。しかし、決して人間に銃口を向けることができなかった。そして、グリュックスマンに、「そんなことはできない」と言ったという。

このエピソードは、戦争で戦う一人一人が、たとえ兵士であろうと、対抗する市民であろうと、「一人の人間である」という当たり前のことを思い出させてくれる。

逆に言えば、兵士や敵・味方という鎧をまとってしまうと、相手を殺しても無感覚になってしまう。たとえ普通の市民でも、侵入してくる兵に対して銃を向け、殺害すれば誇りに思う可能性がある。
そして、戦争中は、死者の氏名ではなく、死者の数が発表され、数字の後ろにある人間の実態が隠される。

このようにして、人間性があっという間に失われる、あるいは一時的に消滅してしまうことこそが、戦争の残酷さではないだろうか。

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ギュスターヴ・フロベール 「純な心」の「美」 新しい現実の創造 4 /4

1821年に生まれたギュスターヴ・フロベールは、ロマン主義の時代に青春時代を過ごし、30歳を過ぎた頃からは新しい芸術観に基づいた小説を模索を始め、1857年には『ボヴァリー夫人』を上梓するに至った。

その後、歴史小説『サランボー』、自分たちの時代を舞台にした『感情教育』、宗教的神話的なベースを持った『聖アントワーヌの誘惑』などの長編小説を手がけるが、1877年になると、3つの短編からなる『三つの物語』を出版し、1880年に息を引き取った。

そうした彼の創作活動の中で、一般の読者にとって最も親しみ易い作品を挙げるとしたら、『三つの物語』に収められた「純な心」だろう。題名のフランス語をそのまま訳すと「シンプルな心」。
実際、いいことでも悪いことでも心のままに受け入れる女性の一生が、見事な文章で簡潔に綴られ、取り立てて大きな出来事はないのだけれど、自然に心を打たれる語り方がなされている。

フロベールは執筆の10年ほど前から、ジョルジュ・サンドと頻繁に行き来し、19世紀の最も美しい書簡集と言われることもある大量の手紙をやりとりしていた。
『三つの物語』の執筆中の手紙を見ると、フロベールはサンドに何度か「美」について語っている。

ぼくが追い求めているのは、何にもまして、「美」なのです。(1875年12月末)

ぼくが外的な「美」を考慮しすぎるとあなたは非難なさいますが、ぼくにとってそれは一つの方法なのです。(1876年3月10日)

(前略)ぼくにとって「芸術」の目的となるもの、つまり「美」。(1876年4月3日)

そこで、「純な心」を通して、フロベールが言葉によって実現しようとした「美」とはどのようなものか探ってみよう。

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ルイーズ・ヴェルネとアカデミー派の絵画

Paul Delaroche Portrait présumé de Louise Vernet

19世紀は革命が何度も起こった時代だが、絵画の世界でも、ロマン主義、写実主義、印象派など、新しい流派が次々に誕生した。
そうした新しい絵画を語る時、アカデミーの絵画が刷新を妨げた要素として悪者扱いされる。
そこでつい「型にはまり退屈なアカデミー絵画」などと言われると、鵜呑みにしてしまいがちになる。

ところが、実際の絵画を目にすると、素晴らしいものがある。
オーラス・ヴェルネやポール・ドラロッシュの描くルイーズ・ヴェルネの何枚かは、理想の美を目指し、滑らかな仕上げが求められた伝統的な絵画だが、深く心を打つ。

ルイーズ・ヴェルネは、オラース・ヴェルネの娘であり、1835年にポール・ドラロッシュと結婚した。しかし、彼女は1845年には死んでしまう。その後、ポールは立ち直ることが難しかったと言われている。

二人の描いたルイーズの肖像画には、深い愛が感じられる。夫は題名に「天使の顔」と名付けている。

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ギュスターヴ・フロベール 『ボヴァリー夫人』 市民社会の生存競争とエンマの「黒い怒り」 新しい現実の創造 3/4

『ボヴァリー夫人』の「現実」は、現実の社会を「再現」した「コピー」ではなく、フロベールが幾何学的な精密さをもって「創造」した「新しい現実」あるいは「もう一つの現実」に他ならない。
それは架空の存在だが、しかし人間の生きる実際の現実の「典型」として、読者に「現実の効果」を感じさせるものになっている。

その効果の大きさ、つまり小説の中に作り出された社会のリアルさは、『ボヴァリー夫人』が公共の秩序を乱すという罪状で裁判にかけられたことによって、それ以上にない仕方で証明されている。
フロベールの言葉に、それだけ力があったということだ。

では、どのような現実が提示されているのだろう?

登場人物たちが生きるのは、19世紀半ばの市民社会。そこを支配するのは資本であり、人々は社会規範を遵守し、良識を持って生きることが求められた。悪徳や情念は偽善によって隠されている。
ロマン主義的魂を体現するエンマは、そうした規範に違反する存在であり、葛藤の末、死に至る。

『ボヴァリー夫人』が、エンマの夫シャルルの学校時代から始まり、薬剤師オメの叙勲で幕を閉じるのは、小説内に広がる市民社会を読者に実感させるために他ならない。

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ギュスターヴ・フロベール 『ボヴァリー夫人』 反リアリズムと現実の効果 新しい現実の創造 2/4  

1849年から51年にかけて中近東を周遊したフロベールは、帰国後すぐに『ボヴァリー夫人』に取りかかり、56年に執筆が終わるまでのほぼ全ての時を小説の完成に費やした。

その時期はフランスにおけるリアリズム芸術の勃興と重なっており、絵画においては、ギュスターブ・クールベが、当時主流だった新古典主義絵画やロマン主義絵画と異なる絵画の描き方を開拓しようとしていた。

フロベールも新しい時代の芸術を模索はしていたが、しかし、リアリズムの芸術観に共感を持つことはなかった。
彼が目指したのは「美」であり、最も心を砕いたのは、小説のテーマとして日常的な素材を取り上げ、ごく普通の人々の凡庸な会話を書きながら、どのようにして「美」として成立させるかということだった。
そのために、フロベールは一文字一文字の選択に時間をかけ、書き終わった原稿に何度も手を入れ、小説全体が詩に匹敵するような完璧な構造物になるように努めた。
『ボヴァリー夫人』はその最初の果実だった。

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「ボヴァリー夫人は私(Madame Bovary, c’est moi)」は本当にフロベールの言葉?

『ボヴァリー夫人』に関する文章を読んでいると、フロベールが「ボヴァリー夫人は私(Madame Bovary, c’est moi.)」と書いたとか、質問に答えて言ったと、至る所に書かれている。しかし、はっきりした根拠が示されることはあまりない。

ルーアン大学にあるフロベール・センターを統括するイヴァン・ルクレール教授が、インタヴューの中で、その言葉の由来について語っている。

フロベール『ボヴァリー夫人』 文章の音楽性

2021年は、1821年生まれたのギュスターヴ・フロベールの生誕200年の年だった。そこで数多くの催しが開催されたが、一つのテレビ番組の中で、『ボヴァリー夫人』の文章の音楽的な美しさを感じるために俳優が抜粋を朗読し、ピアニストがショパンの「 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作」 を演奏する場面があった。
こうした例は、フランスでは、詩だけではなく、小説においても、文章の音楽性が重要であることを示している。