
ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の大きな功績は、ルネサンスの時代に、新しい形の抒情詩を導入し、定着させたことだった。
すでに記したように、抒情詩(poésie lyrique)とは本来、lyre(竪琴)の伴奏で歌われることを前提にしており、音楽的な要素が強いもの。ロンサールの抒情詩は、感情の動きを伝える詩であると同時に、声に出して歌われることも多かった。
実際、1552年の『恋愛詩集(Les Amours)』には、クレマン・ジャヌカンやピエール・セルトンといった優れた作曲家による楽譜が付けられていた。
1560年代からはロンサールの詩に曲を付けることが盛んに行われ、何人かの作曲家はロンサールの詩だけを集めた曲集を発表した。オード「可愛い人よ、見に行こう、バラの花は」も、ギヨーム・コストレーやジャン・ド・カストロたちによって作曲されている。
結局、1570年代を頂点に16世紀末まで,約30人の作曲家がロンサールの200篇以上の詩に曲を付けることになった。
こうした音楽的な側面は、ルネサンスの時代精神と深く関係していた。
人間が奏でる音楽の理想は、「天球の音楽」の「模倣」であり、天空の純粋な諧調(ハーモニー)を地上に響かせることだったと考えられるからである。