東洋的なるもの 鈴木大拙の教え

鈴木大拙(1870-1966)は、世界に禅を普及させた最大の功労者であり、Zenという言葉が世界中で通用するようになったのが大拙の功績であることを疑う余地はない。

ここでは、鈴木大拙が1963(昭和38)年に行った約50分間の講演を出発点として、「東洋的」な考え方、感じ方、言葉の使い方などについて考えてみよう。

この講演の中で、大拙は、「東洋的」と「西洋的」を対比しながら、以下のテーマについて説明を重ねていく。
1)英語と日本語の違いが明らかにする思考方法の違い:主語と目的語
2)概念的理解 vs 感情的感知
3)自然:nature vs 「自(おの)ずから然(しか)る」
4)自由:束縛からの解放 vs 「自(おの)ずに由(よ)る」

最初に注意しておきたいことがある。それは、「西洋」と「東洋」の違いを強調することで、お互いが理解不可能だというのではなく、違いを認識した上で、よりよい相互理解や調和を目指そうと呼びかけていることである。

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ロンサール ガティーヌの森の樵に反対して Pierre de Ronsard Contre les bûcherons de la forêt de Gastine 1/3

ピエール・ド・ロンサール(1524-1585)の「エレジー(Élégie)」第24番は、森で木を切る樵に向かい、木から血が流れているのが見えないのかと詰問し、手を止めるように命じる内容の詩であるために、現在ではエコロジー的な視点から解釈されている。
そのために、しばしば詩の前半部分が省略され、樵に手を止めるようにと命じる詩句から始まり、「ガティーヌの森の樵に反対して」という題名で紹介されることが多い。

しかし、ヨーロッパにおいて、18世紀後半になるまで山や森は人間が征服すべき対象であり、16世紀に自然保護という思想は存在していなかった。
ロンサールも決してエコロジー的な考えに基づいていたわけではなく、アンリ・ド・ナヴァール(後のアンリ4世)が彼らの故郷にあるガティーヌの森を開墾し、売却することに反発するというのが、「エレジー」第24番に込められた意図だった。

ロンサールが悲しむのは、木を切る行為そのものではなく、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の対立の時代に翻弄され、1572年のサン・バルテルミの虐殺を逃れたアンリ・ド・ナヴァールが、宮廷で生き延びていくための資金を得るために、ガティーヌの森を伐採することだった。
あるいは、旧教側を信奉するフランス国王の宮廷詩人だったロンサールが、新教側のアンリ・ド・ナヴァールを批難する意図を持って書かれたエレジー(哀歌)だとも考えられる。

そうした歴史を知ると、ロンサールが詩に込めた意味と、後の時代の解釈との間にずれが生じていることが明らかになる。
では、そうしたズレた解釈は、後世の誤りだと考えるべきだろうか?

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エミール・ゾラ 自然主義 — 生の科学 ー 1/2

エミール・ゾラ(1840-1902)は19世紀後半に自然主義を推進した小説家であり、エドゥアール・マネの絵画を1860年代に高く評価した数少ない美術批評家でもあった。

ゾラの思想の根本にあるのは実証主義的、科学主義的な精神であり、観察と実験に基づく生理学の理論を小説に応用した「実験小説論」を構想し、「遺伝」と「環境」の複雑な関係を基礎とした数多くの小説を執筆した。

それと同時に、個人の「気質」を芸術創造の中心的な要素とし、「芸術作品とは、一つの気質を通して見られた自然の一片である。」と主張した。

ゾラは「自然」を「生命」現象として見なし、そこに「真実」を見る。
そのために、「精神的な事象の研究に、物理的事象の研究において採用した純粋な観察と正確な分析を導入する」ことを試みたのだった。

そうした精神性を持つゾラが、19世紀後半は「進化」の時代であるという認識の下、19世紀前半のロマン主義は淘汰されるべきものと見なし、新しい時代の芸術観として自然主義を提示したのだった。
その名称は、写実主義(リアリズム)と差異化させるためであり、彼は自然主義の旗手として、時代を導くリーダーとして先頭に立とうとした。

1890年代になると、軍部の陰謀によってスパイ容疑をかけられたユダヤ人のアルフレド・ドレフュス大尉を弁護するため、1898年に「私は告発する!」と題された大統領宛の公開状を新聞に発表し、軍部の不正を強く非難した。
こうした社会活動の実践も、自然主義のリーダーとしての活動と軌を一にしている。

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 4/5

第19-20詩節では、かつて愛し合った思い出の地に別の恋人たちがやって来て、彼らの思い出は別の思い出に上書きされてしまうことに対する悲しみが表現される。

« Oui, / d’autres à leur tour // viendront, couples sans tache,
Puiser dans cet asile // heureux, calme, enchanté,
Tout ce que la nature // à l’amour qui se cache
Mêle de rêverie // et de solennité !

« D’autres auront nos champs, // nos sentiers, nos retraites ;
Ton bois, ma bien-aimée, // est à des inconnus.
D’autres femmes viendront, // baigneuses indiscrètes,
Troubler le flot sacré // qu’ont touché tes pieds nus !

(朗読は6分6秒から)

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 2/5

第3詩節は単純過去の動詞(il voulut)から始まり、オランピオが次の行為を行うことが示される。
そして、その際にも、ユゴーの思想の中で大きな意味を持つ言葉が使われる。
その言葉とは、「全て(tout)」。
ユゴーの世界観の中では、超自然の存在も、人間も、動物や植物、鉱物も含め、「全て」が一つの自然を形成している。

Il voulut tout revoir, // l’étang près de la source,
La masure /où l’aumône // avait vidé leur bourse,
Le vieux frêne plié,
Les retraites d’amour // au fond des bois perdues,
L’arbre / où dans les baisers // leurs âmes confondues
Avaient tout oublié !

(朗読は55秒から)

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 1/5

1840年に発表されたヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)の詩集『光線と日陰(Les Rayons et les Ombres)』に収められた「オランピアの悲しみ(Tristesse d’Olympia)」は、ユゴーの数多い詩の中でも代表作の一つと見なされてきた。

その詩の中でユゴーは、恋愛、自然、時間の経過、思い出、憂鬱といったテーマを、彼の超絶的な詩法に基づいて織り上げられた詩句を通して美しく歌い上げる。

前半は、六行詩が8詩節続き、オランピオ(詩人=ユゴー)と自然との交感が描写される。
後半では、四行詩が30詩節からなる、オランピオの独白が綴られる。

全部で168行に及ぶ長い詩だが、1820年に発表されたラマルティーヌ(Lamartine)の「湖(Le Lac)」とこの詩を読むことで、フランスロマン主義の抒情詩がどのようなものなのか理解できるはずである。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/

まず、第1詩節を読んでみよう。

Tristesse d’Olympio

Les champs n’étaient point noirs, / les cieux n’étaient pas mornes.
Non, le jour rayonnait / dans un azur sans bornes
Sur la terre étendu,/
L’air était plein d’encens / et les prés de verdures
Quand il revit ces lieux / où par tant de blessures
Son coeur s’est répandu !

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ベルナルダン・ド・サン・ピエール 自然の研究 Bernardin de Saint-Pierre Études de la nature メランコリーについて

ベルナルダン・ド・サン・ピエール(1737-1814)は青年時代を旅に費やし、軍人として、マルティニーク、マルタ島、ロシア、フィンランド、モーリシャス列島、など、様々な地域を訪れた。
1771年にフランスに戻ってからは、ジャン・ジャック・ルソーと親交を結び、自然や政治に関するルソーの思想を吸収。
1773年の『フランス島(モーリシャス列島)紀行』を始めとして、『自然の研究(Études de la nature)』(1784-1788)や、その第4巻に含まれる『ポールとヴィルジニー(Paul et Virginie)』(1788)等を出版し、作家としての評価を得た。

フランス革命の後、国立植物園の館長になり、アカデミー・フランセーズの一員として迎えられたりもする。しかし、彼の『自然の研究』は、科学的で客観的な自然の研究ではなく、自然の中で全ては調和が取れているという前提の下、自然と人間の感覚的感情的な交感や、神の存在などを問題にしている。

ここでは『自然の研究』第12巻に収められた「自然の精神的法則について」という章の一節を読み、自然が表現するメランコリー(憂鬱な気分)についての考察を見ていこう。

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ジャン・ジャック・ルソー 「内面」の時代へ 心の時代の幕開け

ジャン・ジャック・ルソーが後の時代に与えた影響は、18世紀の全ての思想家や作家と比べ、圧倒的に大きなものがある。

1712年生まれのルソーは、18世紀を代表する哲学者・文学者であるヴォルテール(1694-1778)よりも後の世代であり、『百科全書』の編集者ドゥニ・ディドロ(1713-1784)や感覚論の中心人物コンディヤック(1714-1780)と同世代に属する。

彼が生きたのは、デカルト的な「理性」を人間の中心に据え、観念から出発して真理を追究する観念論の時代から、生まれながらの観念は存在せず、人間は白紙状態(タブラ・ラサ)で生まれ、全ては「感覚」を通して得られる「経験」に由来すると考える経験論や感覚論が主流となる時代へと移行する時代だった。

ルソーはその流れを踏まえながら、新しい一歩を踏み出した。そして、その一歩が、19世紀のロマン主義の本質となっただけではなく、現代の私たちにまで影響を及ぼしている。

日本でも、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の有名な言葉はよく知られている。
「心で見なくては、ものごとはよく見えない。大切なものは、目には見えない。」

目で見て、手で触れることができる物質世界こそが現実であり、科学的な実験によって確認される物理的な事実が正しいと見なす世界観が一方にはある。
しかし、それ以上に大切なものが、人間にはある。それは心の世界。人間にとって物よりも心の方が大切だと見なす方が人間的と見なす考え方もある。

「感覚」から「感情」へと進み、人間の価値を「内面」に置く世界観。その道筋を付けたのが、ジャン・ジャック・ルソーなのだ。

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モリエール 人間嫌い Molière Le Misantrope 17世紀後半の二つの感受性 オロントのソネットと古いシャンソン

「人間嫌い(Le Misantrope)」の中で、オロントが自作のソネットを読み、アルセストとフィラントに率直な意見を求める場面がある。(第1幕、第2場)

この芝居が上演された17世紀後半は、人と合わせることが礼儀正しさと見なされ、相手に気に入られるように話すことが、宮廷社会に相応しい行動だった。

フィラントは、そうした「外見の文化」の規範に従い、ソネットを誉める。

その反対に、アルセストは、心にもないことを言うのは偽善だと考え、思ったことを率直に伝えるのが正しい行為だと考えている。
そこで、オロントに意見を求められた時、最初は遠回しな言い方をするが、最後には直接ソネットは駄作だと貶してしまう。
https://bohemegalante.com/2020/10/11/moliere-misantrope-sonnet-oronte/

その際に比較の対象として、古いシャンソン「王様が私にくれたとしても(Si le roi m’avait donné)」を取り上げ、その理由を説明する。
その時の詩とシャンソンに関するアルセストの批評から、私たちは、17世紀後半における2つの感受性を知ることができる。

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ヴィクトル・ユゴー 「エクスターズ」 『東方詩集』 Victor Hugo « Extase »  Les Orientales 

1802年に生まれ1885年に83歳で死んだヴィクトル・ユゴーが、フランス・ロマン主義文学の中心であったことに異論の余地はない。
1820年代にはすでにロマン主義を先導する詩人、劇作家だった。
また、現在でもよく知られている『ノートル・ダム・ド・パリ』や『レ・ミゼラブル』の作者でもある。

そうしたユゴーの創作活動は、簡潔にまとめるにはあまりにも膨大であるが、ここでは1829年に出版された『東方詩集(Les Orientales)』に収録された「エクスターズ(Extase)」を読み、ユゴーの詩の本質がどこにあるのか考えみよう。

最初の出版物である『オード集(Odes et Poésies diverses)』(1822)の「序文(Préface)」には、次のような一節が見られる。

 Au reste, le domaine de la poésie est illimité. Sous le monde réel, il existe un monde idéal, qui se montre resplendissant à l’œil de ceux que des méditations graves ont accoutumés à voir dans les choses plus que les choses.

詩の領域は果てしない。現実世界の下には、理想の世界がある。その理想の世界は、大切なことをずっと瞑想し、事物の中に事物を超えたものが見えている人々の目には、光輝いた姿を現している。

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