
アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset : 1810-1857)の「悲しみ(Tristesse)」は、現在の言葉で言えば、自分の価値を疑い、自己肯定感を持てない自分の存在を嘆いた詩と言ってもいいだろう。「今の私に残された慰めは、時どき涙を流せたことだけ」といった最後の言葉は、どうしようもないやりきれなさを告白しているようでもある。
しかし、そうした幻滅感(désenchantement)を表している詩句は、大変に簡潔でありながら、音楽的で、美しい。また、母音や子音の反復が非常に巧みに配置され、意味を際立たせている。その音楽性を感じることで、悲しみがいつしか慰めに変わっていくことになるだろう。
いくつかの単語の意味を確認した上で、まず«Tristesse»の朗読に耳を傾けてみよう。
fierté――誇り、プライド
génie――才能
Vérité――真実
dégoûté――うんざりする
éternel――永遠の
se passer de――……なしで済ませる
第1−2詩節 – 自己肯定感ゼロの「私」

J’ai perdu ma force et ma vie,
Et mes amis et ma gaieté ;
J’ai perdu jusqu’à la fierté
Qui faisait croire à mon génie.
Quand j’ai connu la Vérité,
J’ai cru que c’était une amie ;
Quand je l’ai comprise et sentie,
J’en étais déjà dégoûté.
私は失った、私の力を、そして私の命を、
私の友たちを、そして私の陽気さを。
私は失った、あのプライドまでも、
それが私の才能を信じさせてくれていたのに。
私が「真実」を知った時、
私はそれを友だと思った。
私がそれを理解し、感じた時、
私はすでに、それに嫌気がさしていた。
日本語訳の中であえて「私」を反復したのは、フランス語の [ j ] の音が、二つの詩節の中で数多く反復されているのを示すためである。
J’ai – j’ai – jusqu’à – / j’ai – j’ai – je – j’en – déjà
この子音反復(頭韻:Allitération)は、[m]の音でも行われ、「私」の存在を際立たせる役割を果たしている。
ma – ma – mes – amis – ma – mon / amie
音の反復はそれだけでは終わらず、詩句の先頭の言葉を反復するアナフォール(anaphore)が、効果的に用いられる。
第1詩節では、« J’ai perdu »(私は失った)が繰り返され、喪失感が強く打ち出される。
第2詩節では、« Quand »(……の時)が反復され、「真実(la Vérité)」を知った(connue)ことと、それを理解し(comprise)感覚的に感じ取った(sentie)ことの対比が、音によって示される。
そして、[e]の韻を辿ると、陽気さ(gaieté)やプライド(fierté)を失い、「真実(Vérité)」を知って理解するに至ったときには、すべてを失った自分にすでに嫌気がさしていた(dégoûté)という事実に気づかされる。
確かに、自分にはそれなりに何かがあると思い、それが本当の自分だと信じていたにもかかわらず、実は何もないというのが「真実」だとしたら、嫌気がさすしかない。
こうした自己嫌悪や自己肯定感の喪失が、それを語る言葉の音によっても導かれているところに、逆説的ではあるが、ミュッセの詩人としての才能を認めることができる。
第3−4詩節 「真実」を認めることが、良きこと、慰めとなる。

Et pourtant elle est éternelle,
Et ceux qui se sont passés d’elle
Ici-bas ont tout ignoré.
Dieu parle, il faut qu’on lui réponde.
Le seul bien qui me reste au monde
Est d’avoir quelquefois pleuré.
そして、その真実は永遠のもの。
そして、それなしで済ませた人々は、
この地上では、何ひとつ知ることはなかった。
神は語る、人は神に応えなければならないと。
この世で私に残されたただ一つの救いは、
時に涙を流したこと。
この6行の詩句を強く印象付けるのは、母音 [e]の反復、すなわちアソナンス(母音韻)であり、冒頭の二つの « Et » が、詩句を締めくくる « est » を準備する役割を果たしている。
その結論は「涙を流したこと(avoir pleuré)」が « le seul bien »(ただ一つの救い、善きこと)であるというものだが、そこに至るまでに二つの次元が « Et » によって呼び起こされる。
一つは、「真実(la Vérité)」が存在する次元であり、それは「永遠(éternel)」であり、「神(Dieu)」の呼びかけがある次元。
もう一つは「地上(Ici-bas)」であり、そこでは「真実」が顧みられることはない。
では、[e]の音によって導かれるその真実とは何か。
それは、第1詩節ですでに « et » の音が響いていたように、人間という存在は本質的に、« ma force et ma vie (…), mes amis et ma gaieté »(私の力も命も、友も陽気さも)持たない、ということだ。さらに、« génie »(才能)があると思い込んでいることから生まれる « fierté »(プライド)もない。それこそが人間の本来のあり方なのだ。
パスカルの言葉を借りれば、« L’homme n’est qu’un roseau. »(人間はひとつの葦にすぎない。)であり、神が語るのもまさにその真実に他ならない。
第3詩節でミュッセは、その真実が永遠であると認める。その上で、その過酷な真実を認めないことは、何ひとつ知らないことと同義だと呟く。
そして第4詩節では、人間は真実を告げる神の声に応えなければならない(il faut qu’on lui réponde)という、絶対的な命令を伝える。
その辛い真実を認めることには勇気が必要であり、胸の鼓動も高鳴る。
その「どきどき感」は、[k] の音によって表現されているようだ。
残念ながら私の耳で直接それを感じ取ることはできなかったのだが、フランスの学生用解説書によれば、第2詩節で提示されていた [k]の子音反復(頭韻:allitération)が、第4詩節で再び用いられることで、鼓動の高まりが表現されているのだという。
- (2) Quand – connu – cru – que – Quand – comprise
- (4) quon – qui – quelquefois
そして、その鼓動の高まりを越えて神の声に応えるとき、« le bien » が訪れる。それは直接的には「良きこと」であり、この詩の流れに即して言えば「救い」や「慰め」といった意味として捉えることができる。
また、プラトン哲学の視点からすれば、それは「真(la Vérité)」「善(le Bien)」「美(le Beau)」の三位一体の一つであり、イデア界への憧憬を示すとも考えられる。涙を流すこと、しかも「時に(quelquefois)」涙を流すということは、その憧れの証しなのだ。
このように詩全体を読み解いてくると、このソネットの前半部分で描かれた「幻滅」は、単なる絶望ではないことがわかってくる。それはむしろ、自らの真実の姿を直視し、それを受け入れることが「良きこと」であり、救いや慰めとなるための、不可欠な前提に他ならないのである。
フランスで出版されている詩の解説書によれば、ミュッセの« Tristesse »は、ポール・ヴェルレーヌの« Le ciel est, par-dessus le toit »(空は屋根の上に)と読み比べることで、さらにその読解が深まるのだという。
ヴェルレーヌのこの詩は、アルチュール・ランボーから別れを告げられたことに逆上し、ピストル銃撃事件を起こした彼が、ブリュッセルの牢獄に投獄されていた際の極限の体験を歌ったもの。
絶望的な状況のなか、牢獄の狭い窓から見える変わらぬ青空や鳥のさえずりを見つめるヴェルレーヌの詩を、いわば鏡のようにかざしてみる。そうすることで、二つの詩の底に流れる魂の叫びが共鳴し、理解がより一層深まっていくのを実感できる。
ヴェルレーヌ 「空は、屋根の彼方で」 Paul Verlaine « Le ciel est, par-dessus le toit » 『叡智』 Sagesse 祈りのリフレイン
Le ciel est, par-dessus le toit,
Si bleu, si calme !
Un arbre, par-dessus le toit,
Berce sa palme.
La cloche, dans le ciel qu’on voit,
Doucement tinte.
Un oiseau sur l’arbre qu’on voit
Chante sa plainte.
Mon Dieu, mon Dieu, la vie est là,
Simple et tranquille.
Cette paisible rumeur-là
Vient de la ville.
– Qu’as-tu fait, ô toi que voilà
Pleurant sans cesse,
Dis, qu’as-tu fait, toi que voilà,
De ta jeunesse ?