ボードレール アホウドリ Charles Baudelaire L’Albatros 詩人の肖像

1857年に出版された『悪の華(Les Fleurs du mal)』は、非道徳的な詩篇を含むという理由で裁判にかけられ、有罪の判決を受ける。その結果、詩人は出版社とともに罰金を科され、かつ6編の詩の削除を命じられた。

ボードレールは第二版を準備するにあたり、単に断罪された詩を削除するだけではなく、新しい詩を付け加え、100編だった詩集を126編の詩集にまで増やし、1861年に出版した。
「アホウドリ(L’Albatros)」はその際に付け加えられた詩の一つである。

ただし、執筆時期については、もっとずっと早く、1841年にボードレールが義理の父親から強いられ、てインドのカルコタに向かう船旅をした時期ではないかという推測もある。
その旅の途中、あるいは、フランスに帰国した後、「アホウドリ」が書かれたという説は広く認められている。

他方、1859年に、もう一つの詩「旅(Le Voyage)」と一緒に印刷されために、その時代に書かれたという説もある。
『悪の華』第二版(1861)の中で、「アホウドリ」は冒頭の詩「祝福(Bénédiction)」に続き二番目の位置を占め、「旅」は詩集の最後に置かれている。
「旅」で歌われる「未知なるもの、新たなるもの」の探求へと向かう「詩人の肖像」が、アホウドリとして詩集の最初に描き出されているのである。

「アホウドリ」は、一行12音節の詩句で綴られ、4行詩が4つ、計16行で構成されている。
韻は全て交差韻(ABAB)。女性韻、男性韻の順番も規則的。

意味的にも、空と船上の対比の中で、大きな羽根の鳥が対照的な存在と見なされ、図式的な構図に基づいた詩になっている。

そうした明解さは、裁判で有罪の判決を受けた詩人が、ブルジョワ社会に対して投げかける皮肉という意図に由来するのかもしれない。
無理強いされたインド旅行の船上であれば、自分を理解しない義理の父や船乗りたちに対して向けられた反発の気持ちから書かれた詩とも考えられる。
いずれにしても、具体的な状況に基づいた創作意図があり、そのために、わかりやすい構図の上に詩句が構成されている。

L’Albatros

Souvent, pour s’amuser, les hommes d’équipage
Prennent des albatros, vastes oiseaux des mers,
Qui suivent, indolents compagnons de voyage,
Le navire glissant sur les gouffres amers.

         アホウドリ

しばしば、楽しみのため、船乗りたちは
アホウドリを捕まえる。巨大な海の鳥たちは、
鈍感な旅の同伴者、
苦い深淵の上を滑る船についてくる。

「船乗りたち(hommes d’équipage)」と「アホウドリたち(albatros)」は、主と従の関係にある。
船乗りは捕まえる側で、主人。
アホウドリは捕まる側で、もてあそばれる存在。

それにもかかわらず、「船についてくる(suivre le navire)」としたら、アホウドリはよほど「感覚が鈍い(indolent)」鳥だということになる。
Indolentという単語に関しては、仏和辞典を見ると、ものぐさ、無精な、無気力なといった意味が上げられているが、フランスの辞書ではinsensible, qui ne se laisse pas affecter, nonchalant, qui manque de vivacitéといった意味が強い。
従って、この詩句の中では、何もせずに船についてくる怠惰な鳥というよりも、船乗りに捕らえられ、もて遊ばれてもまだついてくる鈍感な鳥と考えたほうがいいだろう。

しかし、なぜ船についてくるのか? 本当に鈍いからなのか?
真の理由は、船が「深淵(gouffres)」の上を滑るように航海するからではないか。
ボードレールの詩の世界において、「深淵」はキーワードの一つ。
未知なるもの、新たなるものを見出すためには、身の危険を冒して深淵に飛び込むしかない。

深淵に飛び込んだからといって、いつでも探しているものが見つかるわけではない。単なる破滅が待っているだけかもしれない。その意味で、深淵は「苦々しい(amer)」。

船乗りたちは深淵に飲み込まれないように船を進める。彼らは未知を求めているわけではなく、座礁を避けようとする。
しかし、彼らは深淵の上を滑るように航海し、深淵をありかを教える。
だからこそ、たとえ彼らに捕まったとしても、アホウドリたちは船についていく。

À peine les ont-ils déposés sur les planches,
Que ces rois de l’azur, maladroits et honteux,
Laissent piteusement leurs grandes ailes blanches
Comme des avirons traîner à côté d’eux.

船乗りたちが甲板の上にアホウドリたちを置くとすぐに、
蒼穹の王者たちは、不器用で、恥ずかしげ、
惨めな様子で、大きな白い翼を、
オールのように、体の横に引きずっている。

第2詩節では、主体である船乗りたち(ils)と客体であるアホウドリたち(les)の上下関係が主語と目的語によって示さる。
空では白い翼(ailes blanches)を広げて飛び回る王者(rois)が、甲板では人間に支配される存在なのだ。

「蒼穹(azur)」は19世紀の後半の詩の世界では、理想や無限を暗示する重要な言葉であり、アホウドリは青い大空の上では王者に他ならない。
しかし、船上では、不器用(maladroit)に歩き、そんな自分の姿を恥じる(honteux)しかない。

大空を滑空する時には誇らしげな大きな白い羽は、帆船の時代にはほとんど不要になってしまったオール(aviron)に例えられる。
船上では、無用の長物なのだ。
それどころか、歩く時には邪魔になる。
大きな翼を惨めな様子で(piteusement)引きずる(trainer)様子は、何とも言えず皮肉だ。

第1,第2詩節では、アホウドリは複数形に置かれ、空と甲板、アホウドリと船乗りの関係が一般論として語られてきた。
第3詩節になると、一羽の鳥が取り上げられる。

Ce voyageur ailé, comme il est gauche et veule !
Lui, naguère si beau, qu’il est comique et laid !
L’un agace son bec avec un brûle-gueule,
L’autre mime, en boitant, l’infirme qui volait !

この翼ある旅人は、何と不器用で、弱虫なのか!
少し前まではあんなに美しかったのに、今はなんと滑稽で醜いのか!
一人の船員は、パイプで嘴をつつく。
別の船員は、びっこをひいて歩き、かつて空を飛んでいた弱者を真似る!

第3詩節は、他の詩節と違い、感嘆符が3度用いられ、強い感情の表出が見られる。そのために、この詩節だけ、1859年に付け加えられたのではないかと推測されることもある。

「この翼のある旅行者(ce voyageur ailé)」。
旅行者とはアホウドリのことだが、ここで突然単数になり、しかも「この(ce)」と目の前にいるかのように提示される。
それは特定の一羽を取り上げることであり、一般論として語られてきた内容が、具体化され、実感を伴って語られる。

その鳥に向かって残酷な形容詞が投げかけられる。
「不器用(gauche)」「弱虫な(veule)」「滑稽(comique)」「醜い(laid)」。
船乗りたちは嫌がらせをして、翼のある旅人をイライラさせる(agacer)。
「パイプ(brûle-gueule)」で「嘴(bec)」を突ついたり、足を引きずるような(boitant)歩き方のマネ(imiter)をして。

第4詩節になると、この詩がアレゴリーであることが明かされる。

Le Poète est semblable au prince des nuées
Qui hante la tempête et se rit de l’archer ;
Exilé sur le sol au milieu des huées,
Ses ailes de géant l’empêchent de marcher.

「詩人」とは、大雲の王子のよう。
嵐に取り憑き、射手をあざ笑う。
地上に追放されるや、嘲笑の叫びの中、
巨大な翼が歩行を妨げる。

「詩人(Poète)」が似ているという「大雲の王子(prince des nuées)」とは、翼のある旅人、つまり甲板で嫌がらせを受けているアホウドリのこと。
nuéeには群という意味もあるので、アホウドリの群の王子と考えてもいい。
そのアホウドリが「詩人」の寓意であることが、ここで明らかになる。

詩人は、詩的世界の中では、想像力を自由に働かせ、創造主として詩句を生み出す。「嵐(tempête)」も恐れないし、批判者を嘲る(se rit de)こともある。
しかし、地上に追放される(exilé)と、彼の詩は嘲笑の対象になり、想像力の翼が彼の歩みを妨げる。
その皮肉は運命は、「大きな雲(nuées)」と「嘲笑の叫び(huées)」が韻を踏むことで、音の面からも強調されている。

地上における詩人に対する扱いは、『悪の華』が裁判にかけられ、有罪の判決を受けたボードレールがひしひしと実感していたことに違いない。
彼はまさに「翼のはえた旅人」なのだ。
だからこそ、『悪の華』の第二版に「アホウドリ」を付け足し、詩集の最後には「旅(Le Voyage)」を配置した。
その中で、ボードレールは出航を思い描く。

Un matin nous partons, le cerveau plein de flamme,
Le coeur gros de rancune et de désirs amers,
Et nous allons, suivant le rythme de la lame,
Berçant notre infini sur le fini des mers :

ある朝、私たちは旅立つ、脳髄は炎に包まれ、
心は恨みと苦い欲望で一杯。
私たちは行く、波のリズムに従い、
私たちの無限を、海の有限の上で揺すりながら。
https://bohemegalante.com/2019/10/20/baudelaire-le-voyage-1/

この旅立ちへの思いを抱く詩人が、現実社会の中でどのような状況に置かれているのかを暗示するアレゴリーが、「アホウドリ」なのだ。
そして、それは詩人シャルル・ボードレールの肖像でもある。

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