この二枚の絵画のどちらが好きだと感じるだろうか?
1枚の絵を見て、人は何かを感じる。好き、嫌い、きれい、きれいだと思わない、といった印象だけかもしれない。
2枚の絵を見比べると、どちらかに好みが傾くこともある。すると、何が違うのか、理由を考えるきっかけになる。
若い男女が口づけをする場面を描いた2枚の絵画。その違いを意識して見直してみると、それぞれの絵画がどのように描かれているのか、よりはっきりと見えるようになる。
その際には、好悪、優劣をつけるのではなく、まずは、何が描かれているのか、客観的に観察することが大切になる。
2枚の最も大きな違いは、どこにあるのだろう?
一方は背景も含め、細部までリアルに描かれている。それに対し、他方の背景は壁だけで、非常にシンプルに描かれている。
その違いを意識するだけでも、接吻だけにスポットライトが当たっているのか、画面全体に注意が向かっているのか、という違いに気づくだろう。
室内の状況が細密に描かれている絵を、もう少しよく見てみよう。
男性の左手は画面のほぼ中央にあり、女性の背中を抱きかかえている。
女性は男性の腕に寄りかかるというよりも、自ら進んで男性の顔に自分の顔を近づけ、口づけを交わそうとしているように見える。
場面の左側には窓があり、男性の右手は窓枠の柱をつかんでいる。その動作は、彼が今にも逃げだそうとしている様子を感じさせる。
そのため、一方では顔を差し出して口づけをするようでいながら、もう一方では、どこか逃げ腰な感じも生み出している。
背景に関しては、左側は室外の風景画、右側は室内の様子。
特に興味深いのは、室内の柱の陰にひっそりとたたずむ三人目の人物。その存在が、描かれている画面に強い物語性を生み出している。

この絵画の題名は「ロミオとジュリエットの最後の接吻」。
従って、口づけをしている男女はロミオとジュリエットであり、シェークスピアの戯曲であれば、第3幕第5場の場面を描いていることがわかる。
ジュリエット
もう行ってしまうの? まだ夜も明けないのに。
ナイチンゲールなの、ヒバリじゃないわ、
びくびくしているあなたの耳に今聞こえたのは。
夜になると、あのザクロの木で鳴くの。
本当にナイチンゲールなのよ。
ロミオ
いや、ヒバリだよ。朝を告げているんだ。
ナイチンゲールじゃない。ごらん、意地悪な朝の光が、
東の空に浮かぶちぎれ雲を、透かし模様に照らしている。
夜空の灯火は燃え尽きた。陽気な朝日が、
霞のかかった山の上に、爪先立ちしている。
ここから去れば、生き延びる。留まれば、死ぬ。
ジュリエット
朝日じゃないわ。見れば分かるもの。
太陽が息を吐く時に出てくる流れ星よ。
今夜、松明の代わりになって、
照らしてくれるの、あなたがマンチュアに行く道を。
まだここにいて。急ぐことなんてないわ。
ロミオ
捕まって、殺されたっていい。
望むところだ、君がそう望むなら。
あの薄明かりは、朝の眼差しなんかじゃなくて、
月の女神の青白い光だ。
あれもヒバリじゃなかった。その鳴き声が、
頭上高く、空一杯に響いたとしても。
ここにもっといたい。行きたくなんかない。
死よ、来るがいい、それがジュリエットの望みなら。
どうした? ゆっくり話そう。まだ朝じゃない。
ジュリエツト
いえ、朝よ。さあ早く行って。
ヒバリなの、調子っぱずれにうたっているは。
甲高い、耳ざわりな金切り声を上げて。
ヒバリは、甘い声を使い分けるって言うけれど、
でも、このヒバリはだめ、私たちを引き裂くんだから。
ヒバリとヒキガエルは、目を取り替えっこしたの。
だったら、声も取り換えてくれたらよかったのに。
この声が、私たちの手と手を引き離させて、
朝を呼び寄せ、あなたをここから追い立てるの。
もう行って。どんどん明るくなってくる。
ロミオ
外が明るくなればなるほど、僕らの心は暗くなる。
(乳母、急ぎ登場。)
乳母
お嬢様!
ジュリエット
ばあや?
乳母
お母様がこちらにおいでになります。夜が明けます。よろしゅうございますか、お気をつけください
(乳母、退場)
ジュリエット
窓からは朝の息吹が。その代わりに、私の命を吐き出して。
ロミオ
では、これで。さあ、別れよう。もう一度口づけを。この口づけを最後にして、降りていこう。(縄梯子をつたって降りていく。)
このセリフを読むことで、柱の陰にいるのが、ジュリエットの乳母であることがわかる。
この絵を描いたのは、19世紀イタリア画家フランチェスコ・アイエツ。
彼は、修道僧ロレンスの計らいで、ロミオとジュリエットが密かに結婚式を挙げる場面も描いている。


この結婚の場面からの連想で、ジュリエットの部屋の後ろに、キリストの十字架がかかっている理由も理解できる。それは、一夜を明かした二人が、すでに結婚していることを暗示しているのである。
このように見てくると、「ロミオとジュリエットの接吻」では、細部まで細かく描き込まれ、全てがリアルで具体的に描かれている理由がわかってくる。
この絵画は、物語の一場面を描いたもので、状況を説明する役目を担っている。そのために、こう言ってよければ、非常に散文的な表現になっている。
「もう一度口づけを。この口づけを最後にして、降りていこう。」
この言葉を思いながらこの絵を見ると、二人の気持ちが生き生きと伝わってくる。
次に、背景が単純化されている絵画を見ていこう。
中世風の古城の空間は冷ややか空気を感じさせ、物音ひとつしない中で、情熱的に口づけを交わす男女がいる。
ここでは、他の要素に目がいかず、二人の接吻だけにスポット・ライトが当たる。
背景は石の壁。左手には別の部屋か廊下のような空間が見える。
右下に石の階段があり、その上に二人の影が溶け合うように投げかけられている。
色彩的には、男性の服は茶系、女子の服はブルー系。どちらもほぼ単色であり、単純化されている。
男性の身体は、大きなマントで覆われ、羽根飾り付帽子が彼の顔に影を落としているために、表情もはっきりとは描かれていない。
それに対して、女性の身体は大きくくねり、顔にも光が当たり、男性の方にかけている手の指先は微妙に開いている。
そうした彼女の身の動きが、口づけに、より情熱的で、官能的な表情を与えている。
もしこの絵画に説明的な部分があるとしたら、男性の右足が石段に置かれていること。
影に隠れているためにはっきりとしないのだが、そのわずかな仕草によって、二人が禁断の関係にあることを暗示しているのかもしれない。(ロミオとジュリエットのように。ただし、女性の服は品質の高さを感じさせるが、男性の服は質素であり、身分の違いがあるという考察もあり、その場合には、同じ社会階級に属するロミオとジュリエットとは違うことが示されていることになる。)
この絵画では、説明的な「ロミオとジュリエットの最後の接吻」とは逆に、全てが単純化され、二人の愛の表現だけに焦点が当てられ、強い抒情性が打ち出されている。
題名は、ただ一言、「接吻」。絵に相応しい。
。。。。。。。。。
余談になるが、「接吻」が1859年に制作された時期は、イタリア独立戦争にあたっている。
そのために、この絵は、赤い服の男性と青い服の女性の抱擁を通して、フランス(青い女性)とイタリア(赤い男性)の密約(プロンビエールの密約)を暗示する、政治的なメッセージを持っていると言われることもある。
1861年に、フランチェスコ・アイエツが、まったく同じ構図で、女性の服の色だけを変えた絵を描いている。それに対しても、政治的な意味を考える解説がある。
さらに、1867年に再び同じ構図が描かれると、別の意味を与える。
1861 1867
そのようなエピソードを絵画解読の鍵としてしまうと、画布の上に描かれた映像が見えなくなってしまうことがよくある。
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1036144209.html
絵画を見るためには、そうしたエピソードを画布の上に投げかけるのではなく、そこに何がどのように描かれているのかを見て取る、曇りのない眼を養うことが大切である。
フランチェスコ・アイエツの作品に興味があれば、You Tubeでも簡単に見ることができる。