第10章は、1855年1月26日のネルヴァルの死以前に発表された「オーレリア」(1855年1月1日)の最後の部分。
以前の夢と同じように、まず地球内部のマグマのように全てが融合した状態が知覚され、そこから徐々に明確な場面が形成されていく。
第10章

こうした考えが少しづつ私を絶望へと追い込んでいったのだが、その絶望をどのように描けばいいのだろうか? 悪い精霊が、魂の世界で、私の場所を奪ってしまったのだ。——— オーレリアにとって、その精霊が私そのものだった。そして、私の肉体に生命力を与えている悲壮な精霊の方は、衰弱し、軽蔑され、彼女から誤解され、絶望か虚無に永遠に運命付けられていた。私は持ちうる限りの意志の力を使い、これまで何枚かのヴェールを持ち挙げてきた神秘の中に、さらに入り込もうとした。夢は時に私の努力を揶揄することがあり、しかめ面で移ろいやすい映像だけしかもたらさなかった。私はここで、精神が一点に凝集したために起こったことに関して、かなり奇妙な考えしか提示することができない。長さが無限のピンと張られた一本の糸のようなものの上を滑っていくように感じた。地球は、すでに見てきたように、融解した金属の多色の脈が縦横に走っていたが、中心の火が徐々に開花することで少しづつ明るくなり、火の白さが内部の襞を染める桃色と溶け合っていった。時に、巨大な水たまりに出会いびっくりすることがあった。その水たまりは、雲のように空中にぶら下がりっていたが、しかし、塊を取り出すことができるほどの密度があった。明らかに地上の水とは異なる液体であり、精霊の世界における海や大河を形作る液体が蒸発したものだった。
私は巨大な海岸に到着した。そこには山のような起伏があり、緑色の葦の一種でびっしりと覆われていた。その植物の先端は黄色く、太陽が枯れさせたようようだった。——— ただし、以前と同じように、太陽は見えなかった。——— 一つの城が、私が上り始めた海岸を見下ろしていた。反対側の坂には、とても大きな町が広がっているのが見えた。山を横切っている間に、夜がやって来た。家々と通りの明かりが見えてきた。そこを下っていくと市場があり、そこでは、南フランスにあるような果実と野菜が売られていた。

暗い階段を降りると、通りに出た。ある集会場のオープニングを告げる広告が貼ってあり、内部の細かな配置が項目毎に記されていた。その広告の縁飾りは花模様だったが、非常に巧みに描き彩色されていて、本物の花のようだった。——— 建物の一部はまだ建設中だった。アトリエの中に入っていくと、何人かの職人たちが見え、ラマの姿の巨大な動物を粘土で作っていた。しかし、それには大きな羽根が付けられることになっているようだった。その怪物は一筋の炎で貫かれているようで、徐々に生命が吹き込まれていった。その結果、無数の深紅の血管網が張り巡らされた怪物は、体をくねり、静脈や動脈を形作った。無機物に受胎がなされたとも言え、羽根の先端や羊毛の塊でできた繊維質の突起によって、植物が一瞬のうちに生えるように、体中が覆われていった。私は立ち止まり、その傑作を眺めたが、神による創造の秘密を盗み見たようだった。「私たちがここで所有しているのは原始の火です。」と誰かが私に言った。「その火が最初に生まれた存在に生命を吹き込んだのです。かつてその火は地表まで吹き出していました。しかし、その源が枯れてしまったのです。」私はそこで金銀細工の作業も目にした。地上では知られていない二種類の金属が使われていた。一種類は赤い色をし、赤色硫化水銀と対応しているように見え、もう一種類は蒼穹の青い色をしていた。それらの装飾品は、金槌もノミも使われず、自然に形が作られ、色がつき、科学的な合成物から生み出される金属の植物のように開花した。「人間も創造しないのですか?」と私が職人の一人に尋ねると、こんな答えが返ってきた。「人間は上から来るのです。下からではありません。私たちが自分自身を作ることができるでしょうか?ここでしているのは、技術が次々に進歩することで、一つの物質を調合するだけなのです。ただし、その物質は、地表の殻を構成する物質よりも繊細なものです。あなたには自然なものと思われるこれらの花々も、これから生きているように見えるようになる動物も、私たちの知識が最高度に高められた末に達した技術によって作り出されたものです。今後、一人一人がそうした判断を下すことになるでしょう。」
ここで語られる「創造」のテーマは、現在では荒唐無稽に思われるかもしれないが、しかし、18世紀後半から19世紀前半にかけて、科学技術の進歩に従い、人間が生物を創造できるのではないかという希望と恐れが生まれてきたことを反映している。
それは、現代において、DNAを操作することで、人間が人間を作り替えることの善悪、生命倫理が論じられることと似ている。
メアリー・シェリーが1818年に出版した『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』は、まさにそうした思想に基づいている。
「フランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし、自在に操ろうという野心にとりつかれる。そして、狂気すらはらんだ研究の末、「理想の人間」の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも、計画を実行に移す。自ら墓を暴き、人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで、11月のわびしい夜に、怪物の創造に成功した。」(ウィキペディア)
このテーマは、科学技術による生命の創造という側面だけではなく、人間の魂や心と肉体の関係、神と人間の関係などを含み、ネルヴァルにおける「人間の魂の研究」に相応しいものといえる。

そうしたことが、私に語られたか、あるいは私が意味を感知したと思った、おおよその言葉だった。私は会場の部屋をあちこち見て回り、たくさんの人を目にした。その中には、よく知った人たちがいた。ある人たちはまだ生きているし、様々な時代に亡くなった人たちもいた。生きている人たちには私が見えないようだった。死んでいる人たちは、返事はするのだが、私のことを知らないようだった。最も大きな部屋にやってきた。一面に鮮やかな赤いビロードが張り巡らされ、金糸で織られた幾何学的な図形の装飾が付き、豪華な絵柄が描かれていた。部屋の真ん中には、王冠の形をしたソファーが置かれていた。通りかかった人たちは、そこに腰掛け、弾力性を試していた。しかし、式典の準備がまだ終わっていなかったので、彼らは別の部屋に向かっていった。結婚式が話題になっていて、式の時間を告げるために新郎がやって来るということだった。それを耳にした途端、普通ではない熱狂が私を捉えた。私が想像したのは、みんなが待っているのは私の「分身」であり、彼がオーレリアと結婚するに違いないということだった。私は大騒ぎをし、みんなを当惑させたようだった。激しい調子で話し始め、嘆きの理由を説明し、知っている人たちに助けを求めた。一人の老人が私に言った。「そんな風に振る舞わないように。皆が怖がってる。」 私は大きな声でこう言い返した。「あいつが、手にしている武器で、ぼくを殴ったことはわかっている。でも、何も恐れずにあいつを待っている。ぼくの知っている合図は、あいつを打ち負かすに違いないんだ。」
ここに入ってくる時に目にした工房があったが、そこで働く職人の一人がその時に姿を現した。手には長い棒を持ち、先端は火で赤く焼けた玉でできていた。私は彼に飛びかかろうとした。しかし、彼のかざしている玉が、常に私の頭を脅かしていた。取り囲んでいる人々は、私の無力さを揶揄しているようだった。・・・私は王冠のところまで後ずさりしたが、魂は言葉にできないほどの自負心で一杯だった。腕を上げ、一つの合図をした。私には、魔法の力を持つように思われる合図だ。一人の女性の叫び声、はっきりとし、振動し、胸を引き裂く苦痛が刻まれた叫び声がして、私は飛び起きた! 私が言おうとしていた未知の言葉の最後の音が、唇の上から消え去ろうとしていた。・・・ 私は床に倒れ込み、熱い涙を流しながら、熱心に祈り始めた。——— しかし、闇の中であれほど苦しげに響いたあの声は、一体何だったのだろう?

あの声は、夢に属してはいなかった。現実に生きている人の声だった。そして、私には、オーレリアの声であり、話し方だった。・・・
私は窓を開けた。全てが静まりかえっていた。もう叫び声は繰り返されなかった。——— 外に出て人に尋ねてみたが、誰も何も聞いていなかった。——— しかし、私は確信していた。あの叫びは現実であり、生者たちの空気がそれを反響したのだった。・・・ あの時、偶然、一人の苦しむ女性が家の近くで叫んだのだ、と言う人が出てくるかもしれない。———— しかし、私の考えによれば、地上の出来事は目に見えない世界の出来事と繋がっていた。それは不可思議な関係の一つで、自分も説明することができず、指摘するのは簡単だけれど、定義することは難しいものなのだ。・・・
私は何をしてしまったのだろう? 私の魂が不死の生命の確信を得た、あの魔法の宇宙の調和を乱してしまったのだった。恐るべき神秘に参入し、神の法を犯したために、永遠に呪われてしまったらしい。待ち受けるのは、怒りと軽蔑だった! 苛立った影たちは、叫び声を上げ、空中に不吉な輪を描きながら、逃げ去っていった。嵐が近づいた時の鳥たちのように。
注:
再び「分身」のエピソードが語られ、対立が強調される。その決定的なエピソードが、「分身」を打ち負かすことができるという「合図」であり、その身振りをすることで、「私」はオーレリアを再び失うことになる。
その理由は、その「合図」が「宇宙の調和」を乱してしまう役割を担っていることにある。調和はまた「地上の出来事」と「目に見えない世界の出来事」の対応でもあり、「現実」と「夢」の対応でもある。
従って、「私」の「合図」が引き起こした「叫び声」は、夢と現実の繋がりも乱すことになり、「私」の魂は調和を失い、不安定に彷徨わなければならなるなる。
注2:
1855年1月1日に『パリ評論』という雑誌に掲載された「オーレリア」は、ここで終わっている。しかし、「私」が永遠に呪われた状態で結末を迎えることは考えにくく、物語がさらに続くことが予想される。
実際、1月26日のネルヴァルの死後、2月15日に「オーレリア 第2部」が同じ雑誌に掲載された。
その記事は、ゲラ刷りに校正が行われていず、未完と言わざるをえないが、しかし、最終的には「調和」の方向に向かっていることを読み取ることができる。
さらに、「調和」が言葉の「美」、つまり「詩的世界」の形成と同調していることも、ネルヴァルの言葉から感じ取ることができる。
「 第2部」は「第1部」に劣らず、あるいはそれ以上に、興味深い作品だといってもいいだろう。