第4−5詩節では、夢と現実の対比がもう一度繰り返される。

Belle île aux myrtes verts, pleine de fleurs écloses,
Vénérée à jamais par toute nation,
Où les soupirs des cœurs en adoration
Roulent comme l’encens sur un jardin de roses
Ou le roucoulement éternel d’un ramier !
– Cythère n’était plus qu’un terrain des plus maigres,
Un désert rocailleux troublé par des cris aigres.
J’entrevoyais pourtant un objet singulier !
美しい島、緑のギンバイカが生え、咲き誇る花々に満ちあふれ、
永遠に、全ての人々から崇拝される。
熱愛する心を持つ人々のため息が
流れていく、バラの庭を漂う香りのように、
あるいは、山鳩の永遠のさえずりのように。
— シテール島は、もはやひどく痩せ衰えた土地でしかなかった、
甲高い叫びに乱された、岩ばかりの荒れ果てた地。
ちらっと見えたのは、一つの奇妙な物!
夢に関する思いは、les soupires roulent(ため息が流れる)と現在形の動詞で書かれている。
それが今現在を示すのではなく、時間の流れない「永遠の現在」であることは、vénérée à jamais(永遠に崇拝される)、roucoulement éternel(永遠のさえずり)と、永遠という言葉が使われることで、明確に示される。

ため息を漏らすのは、熱愛する(en adoration)心(les cœurs)を持った人々であり、シテール島が、愛の女神ヴィーナスの島であることに基づいている。
バラの庭の上を漂う香り(l’encens)や、山鳩のさえずり(le roucoulement d’un ramier)は、恋愛の場に相応しい背景を形作る。
第2詩節で触れられた愛は、独身男たちの遊びの恋愛だったが、ここではむしろ優雅な恋愛が思い起こされる。
ボードレールは、「艶なる宴」の画家ヴァトーの絵画「シテール島への巡礼」を連想させようとしたのかもしれない。
それに対して、現実のシテール島に接近する時には、Cythère n’était plus que (シテール島はもやは・・・でしかなかった)と、半過去が用いられる。
それは、この詩が、シテール島への旅の思い出という枠組みで綴られているからであり、半過去は「過去における現在」を意味する。

船から間近に見える島は、岩だらけ(rocheeux)で、荒れ果てた土地(désert)。
しかも甲高い叫び声(des cris aigres)で、静寂が掻き乱されていた(troublés)。それが何の叫びなのかは、今のところわからない。
そして、最後に、一つの奇妙な物(un objet singulier)が見える。
何だろう?
読者の好奇心が掻き立てられる。
奇妙な物が何か明かされるのは第7詩節。
第6詩節では、「・・・ではない」という否定表現で答えが延期され、読者はじらされることになる。
Ce n’était pas un temple aux ombres bocagères,
Où la jeune prêtresse, amoureuse des fleurs,
Allait, le corps brûlé de secrètes chaleurs,
Entre-bâillant sa robe aux brises passagères ;
Mais voilà qu’en rasant la côte d’assez près
Pour troubler les oiseaux avec nos voiles blanches,
Nous vîmes que c’était un gibet à trois branches,
Du ciel se détachant en noir, comme un cyprès.
それは、木立の影に隠れた神殿ではなかった。
かつては、年若い女司祭が、花々に恋い焦がれ、
通(かよ)ったものだった、心に秘めた情熱に身を焦がし、
衣を半ばはだけながら、通り過ぎる微風に。
しかし、海岸の近くを沿うように進み、
鳥たちを船の白い帆で乱し、
私たちが見たもの、それは3本の枝のある絞首台だった。
空に黒々と突き出している、一本の糸杉のように。

第6詩節のCe n’était pas un temple(それは神殿ではなかった)という否定は、修辞学で、緩叙法あるいは曲言法(litote)と呼ばれる用法。
あえて否定することで、対象を強く浮き上がらせる働きをする。
例えば、大好きな相手に向かい、「大嫌い!」と言う。
中原中也の詩「北の海」の一節。
「海にいるのは、あれは人魚ではないのです。/海にいるのは、あれは、浪なみばかり。」
波しか見えないのに、「人魚ではない」ということで、人魚を連想させる。
ボードレールの詩句でも、神殿に通う若い女性の司祭の、神に対するのか、恋人に対するのかわからない情熱的な愛が、体のほてりや衣服の乱れと連動し、シテール島が愛の島であったが強く印象付けられる。

その仕掛けを施した後で、再び現実に戻り、船が島の海岸の近くを通る際に見えたもの、先に「一つの奇妙な物(un objet singulier)」と言われたものが何かの答えが明らかになる。
それは、「三本の枝の付いた絞首台(un gibet aux trois branches)」。
そのようにして、神殿と絞首台のコントラストがくっきりと浮かび上がる。
このコントラストに関しては、ボードレール自身が、ジェラール・ド・ネルヴァルのエーゲ海諸島の紀行文を出発点としたと書いているように、ネルヴァルの「シテール島の旅」から、そのまま借用したものだった。
ネルヴァルは、ルネサンスの時代に出版された『ポリフィロスの夢(Songe de Poliphile)』やシャルル・ノディエの『フランシスクス・コロンナ』などに基づきながら、シテール島におけるヴィーナスの信仰について考古学的・宗教学的な考察を繰り広げた後で、現実の旅の記述に戻り、そこで絞首台を見たと語った。
Pendant que nous rasions la côte, avant de nous abriter à Santo-Nicolo, j’avais aperçu un petit monument, vaguement découpé sur l’azur du ciel, et qui, du haut d’un rocher, semblait la statue encore debout de quelque divinité protectrice… Mais, en approchant davantage, nous avons enfin distingué clairement l’objet qui signalait cette côte à l’attention des voyageurs. C’était un gibet, un gibet à trois branches, dont une seule était garnie. Le premier gibet réel que j’aie vu encore, c’est sur le sol de Cythère, possession anglaise, qu’il m’a été donné de l’apercevoir !
(Gérard Nerval « Voyage à Cythère [suite] », L’Artiste, le 11 août 1844 )
私たちが、サント・ニコロの港に停泊する前、海岸の近くを通っている間、私は小さな建物を目にしていた。それは真っ青な空におぼろげに浮かび上がり、岩の上から見ると、島の守り神の立像のようだった。・・・ しかし、さらに近づくと、旅人たちの注意を海岸に向ける物が、最後には、はっきりと見えてきた。絞首台だ、三本の枝のある絞首台で、その一つには死体がかかっていた。生まれて初めて見る本物の絞首台、それを見たのが、シテール島の上だった。その島は今、イギリスが所有している。
(ジェラール・ド・ネルヴァル「シテール島への旅(続き)」『芸術家誌』1844年8月11日)
« Nous rasions la côte »(海岸に沿って進む)という文を前提にして、ボードレールは « en rasant la côte »という詩句を書いたに違いない。
最後に見えるのは、「3つの枝のある絞首台(un gibet à trois branches)」。
そして、そこには一人の死体しか架けられていない。そのことも、次に続く第8詩節で踏襲される。

ちなみに、「三つの枝の絞首台」に関しては、イギリスには、三角形の三角に水平に木を据えた「タイバーン・トゥリー」(三連の木)という絞首台があり、ネルヴァルの意識では、シテール島がイギリスの支配下にあることを強調するものだったかもしれない。
では、なぜボードレールは、あえてここまでネルヴァルの記述を連想させる詩句を作ったのだろう?
その問いを頭に置きながら、第8-10詩節を読んでいこう。
第8詩節では獰猛な鳥が絞首台に吊された遺体をついばみ、第10詩節になると獰猛な野獣が足元を徘徊する。
De féroces oiseaux perchés sur leur pâture
Détruisaient avec rage un pendu déjà mûr,
Chacun plantant, comme un outil, son bec impur
Dans tous les coins saignants de cette pourriture ;
Les yeux étaient deux trous, et du ventre effondré
Les intestins pesants lui coulaient sur les cuisses,
Et ses bourreaux, gorgés de hideuses délices,
L’avaient à coups de bec absolument châtré.
Sous les pieds, un troupeau de jaloux quadrupèdes,
Le museau relevé, tournoyait et rôdait ;
Une plus grande bête au milieu s’agitait
Comme un exécuteur entouré de ses aides.
獰猛な鳥たちが、獲物の上にとまり、
熱に浮かされたように、絞首刑になった男のすでに熟した肉体を破壊していた、
1羽1羽が、一つの道具のようにして、不純な嘴を突きさしながら、
この腐敗したものの、血に染まった全ての箇所に。
目は二つの穴だった。崩れた腹の
重たい内臓が、股の上に流れ出していた。
そして、死刑を執行する鳥たちは、おぞましいご馳走を喉に詰め込み、
遺体を嘴でつつき、完全に去勢してしまっていた。
足元では、嫉妬深い四つ足の野獣の群が
鼻面を上に向け、ぐるぐると回り、うろついていた。
さらに大きな一匹が、真ん中で、動きまわっていた、
手下たちに囲まれた、死刑執行人のように。

エーゲ海の島々を巡り、女神ヴィーナスを祀るシテール島へと至る旅が、ここで一気に様相を変える。
絞首台に吊された遺体(un pendu)の上では、獰猛な鳥たち(de féroces oiseaux)が飛びかい、下では四本足の野獣(quadrupèdes)が、獲物にありついた鳥たちを嫉妬(jaloux)しながら、回りをうろつく(rôdait)。
絞首刑になった男は、獲物(pâture)、腐敗したもの(pourriture)と名付けられ、鳥や獣は、死刑執行人(bourreaux, exécuteur)と呼ばれる。
第9詩節では、遺体の悲惨な状態が、生々しく描き出される。
目は二つの穴(deux troux)、内臓(les intestins)が股(cuisses)にまで流れ出し、去勢(châtré)までされてしまっている。
こうした醜い情景は、ネルヴァルの紀行文には見られない。
ネルヴァルの世界では、夢と現実の衝突が起こった後からは、もう一つの夢が現実を包みこむような方向に進んでいく。
シテール島でも、現実の状況が確認されれれされるほど、ヴィーナスの信仰に関する記述に多くの文が費やされ、岩だらけの島に異教的な愛の覆いが被せられる。
ボードレールの世界では、想像力は、過去の信仰を再び甦らせるネルヴァル的な方向とは反対に、絞首台を中心にした場面を更に過酷で、醜く、悲惨に描き出す。
もし実際にシテール島に死刑台があったとしても、猛禽類が群がるような光景は現実的ではない。第8-10詩節の場面は、現実的ではなく、ボードレールの心の中のイメージなのだ。

ジェラール・ド・ネルヴァルを出発点としながら、まったく違う世界を目指したことを、ボードレールははっきりと意識していた。
そのことは、1851年に12編の詩の掲載を『パリ評論』の編集長テオフィル・ゴーチエに依頼した際の送り状からも、見てとることが出来る。
L‘incorrigible Gérard prétend au contraire que c’est pour avoir abandonné le bon culte que Cythère est réduite en cet état.
( 逆に、”矯正しがたい” ジェラールは、善き信仰を捨ててしまったために、シテール島がこんな状態にあるのだと、主張しています。)
実際、ネルヴァルの紀行文には、次のような言葉も見られる。
Ainsi les dieux s’éteignent eux-mêmes, ou quittent la terre, vers qui l’amour des hommes ne les appelle plus ! Leurs bocages ont été coupés, leurs sources taries, leurs sanctuaires profanés ; par où leur serait-il possible de se manifester encore ? ( Gérard Nerval « Voyage à Cythère », L’Artiste, le 30 juin 1844 )
こんなふうにして神々は消え去り、地上を離れる。地上に向かい、人間たちの愛が、神々を呼び寄せることはもはやない ! 木立は切られ、泉は涸れ、神聖な場所も汚された。どこから、神々が再び姿を現すことだできるだろう?
(ジェラール・ド・ネルヴァル「シテール島への旅」『芸術家誌』1844年6月30日)
こうした宗教思想を表明する紀行文の著者を、ボードレールは「矯正しがたいジェラール」と呼び、自らの詩の中で、まったく別の世界観を表現したのだった。
そして、その対比を明確にするためにこそ、夢と現実を衝突させる出発点をネルヴァルから借用したのだった。
。。。。。
第11-15詩節になると、紀行文的な要素はなくなり、シテール島の旅がある一つのアレゴリーであることが明らかにされる。
ネルヴァルのエーゲ海諸島の紀行文は1844年に雑誌に掲載され、その後、1851年の『東方紀行(Voyage en Orient)』に収録されたのだが、その際には様々な手が加えられており、ボードレールが「シテールの旅」を構想する際に頭の中にあった文とは少し違っている。
「芸術家誌(L’Artiste)」に掲載された3つの紀行文は、以下のPDFで読むことが出来る。
(Gérard de Nerval, Voyages en Europe, Éditions du Sandre, 2011. )