ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 1/8

「散歩と思い出」は、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)が生前に残した最後の作品の一つであり、詩人でもあった作家の美学がもっとも端的に表現されている。

パリやモンマルトルは、1850年あたりから都市開発の波に洗われ、古い街並みが新しい姿へと変貌を遂げつつあった。
それまで目に見えていた過去の姿が徐々に消え去り、目に見えないものへと変わっていく。
そうした中で40歳を少し超えたネルヴァルは、ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出し、人生の半ばを超え、現在の時間を生きながら、過去が甦ってくるように感じる始める。

そうした意識を持った時、ネルヴァルは、今を描くことが過去の探求にもつながり、過ぎ去った過去という目に見えないものを追い求めることでメランコリックな憧れを心の中に醸成するというシステムを、彼の美学の中心に据えた。

絵入りの雑誌「イリュストラシオン」に1852年に発表した「十月の夜」は、パリの場末やパリ郊外の町を通して、同時代の現実をリアルに描くという口実の下で、目に見えない「夜」を出現させる試みだった。
https://bohemegalante.com/tag/10月の夜/

同じ「イリュストラシオン」誌に掲載した「散歩と思い出」になると、過去の探索はネルヴァル自身の幼年時代にまで及び、「思い出」を核にしたポエジーの創造が目指されている。

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イラクの国際会議に出席したマクロン大統領のインタヴュー

2021年8月28日、イラクの首都バグダッドで、サウジアラビア、イラン、エジプト等の中東9か国とフランスの首脳が参加する国際会議が開催され、アフガニスタンにおけるIS(イスラミックステート)の活動への対策などが話し合われた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210829/k10013229821000.html

翌8月29日に行われたマクロン大統領のインタヴュー。
内容もさることながら、相手に対して話しかける姿勢が、日本の政治家とはかなり違っていることに気づく。
その違いが、政治家の資質なのか、それとも自動詞的な日本語と他動詞的なフランス語の違いによるのか、興味深い。

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小林秀雄「モオツアルト」と中原中也の四編の詩

小林秀雄の評論の中でも最もよく知られている「モオツアルト」は、昭和21年12月30日に発行された『創元』の創刊号に掲載された。
この雑誌の編集者の一人は小林自身であり、その号には彼が選んだ中原中也の未発表の詩4編も収録されている。

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ベルナルダン・ド・サン・ピエール 自然の研究 Bernardin de Saint-Pierre Études de la nature メランコリーについて

ベルナルダン・ド・サン・ピエール(1737-1814)は青年時代を旅に費やし、軍人として、マルティニーク、マルタ島、ロシア、フィンランド、モーリシャス列島、など、様々な地域を訪れた。
1771年にフランスに戻ってからは、ジャン・ジャック・ルソーと親交を結び、自然や政治に関するルソーの思想を吸収。
1773年の『フランス島(モーリシャス列島)紀行』を始めとして、『自然の研究(Études de la nature)』(1784-1788)や、その第4巻に含まれる『ポールとヴィルジニー(Paul et Virginie)』(1788)等を出版し、作家としての評価を得た。

フランス革命の後、国立植物園の館長になり、アカデミー・フランセーズの一員として迎えられたりもする。しかし、彼の『自然の研究』は、科学的で客観的な自然の研究ではなく、自然の中で全ては調和が取れているという前提の下、自然と人間の感覚的感情的な交感や、神の存在などを問題にしている。

ここでは『自然の研究』第12巻に収められた「自然の精神的法則について」という章の一節を読み、自然が表現するメランコリー(憂鬱な気分)についての考察を見ていこう。

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ボーマルシェ セビリアの理髪師 Beaumarchais Le Barbier de Séville 誹謗・中傷の技術 Art de la calomnie

『セビリアの理髪師(Le Barbier de Séville)』は1775年に初演されたボーマルシェの戯曲。
後に、ロッシーニによって作曲され、喜劇の内容を持つオペラとして現在でも人気を博している。

若い男女(アルマヴィヴァ伯爵とロジーヌ)の恋愛をめぐり、二人を助ける召使い(フィガロ)、ロジーヌと結婚しようとする医師(バルトロ)、バルトロの味方をする音楽教師(バジール)たちが繰り広げる物語は、18世紀後半のフランス革命を前にした時代には、権力者に対する市民の知恵を表現したものと受け取られ、上演許可までに紆余曲折があったことが知られている。

今回はそうした時代的な考察を抜きにして、アルマヴィヴァ伯爵が町に来ていることを知った音楽教師バジールが、バルトロに向かって伯爵を厄介払いする策略を告げる場面を読んでいくことにする。

その策略とはcalomnie、つまり、相手を悪く言い、悪い噂を広めること。
これは、現代の社会において、SNSやTwitterなどの手段でばらまかれる悪意ある言葉がどのように力を振るうのかを考えることにつながる問題でもある。

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子どものための本が生まれるまで

「子ども用」という言葉は、大変に大きな価値観の転換を含んでいる。子供服や子ども用のおもちゃ、そして子ども用の本。そうしたものは、「子どもが大人とは違う特別な存在である」という感受性を前提にしている。ここではまず、子どもに関する感受性の変化について見ていこう。

子どものイメージ

子供用品があふれている現代から見れば、子どもは大人とは違う特別な扱いをする方が普通である。しかし、かつては、体が小さく、体力がないだけで、後は大人と同じように見られていた時代があったと言われている。

今でも、経済的に発達していない国では、幼い年齢の子どもが労働力の一部として社会の中に組み込まれ、働かされていたりする。それが当たり前だった時代が、かつてはあった。

こうした違いは、子どもをどのように見るかにかかっている。
現代においては、子どもはみんな可愛いと思い、大人になるための発達段階に応じた教育が必要だと考えられている。しかし、こうした考え方はヨーロッパでは16世紀以降に出来上がってきたものであり、フィリップ・アリエスというフランスの学者の言葉を借りれば、子どもは「体の小さな大人」にすぎなかった。子どもだからといって特別に可愛がるという気持ちはなかったのである。

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児童文学からジブリ・アニメへ

宮崎駿監督がインタヴューの中で何度も答えているように、監督は児童文学の愛読者であり、『本へのとびら ——— 岩波少年文庫を語る 』(岩波新書)という本まで執筆している。
児童文学作品を映画化したこともある。
「魔女の宅急便」は角野栄子の同名の小説を原作にして、主人公のキキが魔女として独り立ちするために知らない町に行き、成長していく姿を描いている。
ジブリ・アニメの中では、「ゲド戦記」「借りぐらしのアリエッティ」「コクリコの坂から」「思い出のマーニー」等も、児童文学作品を基に制作されている。

そうしたことは、ジブリ・アニメが観客として最初のターゲットにしているのが、子どもであることと関係している。「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」はもちろんのこと、「天空のラピュタ」でさえも監督の意図としては小学校4年生に向けられているという。

そして、読者として想定された子どもたちに向けて送られるメッセージがある。
人と人のつながり、人間と自然のつながり、目に見えないものの大切さ、文明と自然の複雑な関係等、多くのことがアニメを通して伝えられる。
その内容は、子ども用だからという理由で単純化され、すぐに解決策が与えられるものではない。
それだからこそ、アニメを見終わった後、楽しい気分になるだけではなく、ずっと心に残り続ける「何か」がある。

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星の王子さまの秘密 2/2

キツネの教え

『星の王子さま』は「大人の中にいる子ども」に向けられた児童文学に属し、子どもを楽しませながら教育することを目的とした伝統的な児童文学とは一線を画している。その意味で、教訓が全面に出てくることはない。

しかしその一方で、大人が心の底で求めていること、例えば、「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。」といった格言が伝えられ、この物語の魅力の大きな部分を作り出している。
私たちが普段の生活の中で忘れがちな大切なことを教えてくれる書物という位置づけは、こうした教訓的な内容に基づいている。

教訓は、王子さまが地球で出会ったキツネによってもっともはっきりした形で伝えられる。
そのキツネが王子さまに教えるのは、「愛すること」の意味である。

王子さまは、とても好きだったバラの花を本当の意味で愛することができず、彼女を置き去りにして、小さな星を脱出してしまった。
それから後の惑星めぐりの旅は、愛し方を学ぶための試練ともいえる。

王子さまはずっと、どうしたら愛することができるか、その答えを探していた。そして、求めていたからこそ、キツネから与えてもらうことができる。

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