ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 3/8

サン・ジェルマンの散策は3章でも続き、今度は秘密結社であるフリーメーソンに関係する集会の様子が描かれ、そこで歌う男性歌手の様子から、1810年にナポレオンの遠征に参加したネルヴァルの父親の思い出が思い出され、シレジアの地で亡くなった母親のことにも言及される。
さらに、若い時代に感じた恋愛感情が思い出され、「彼女たちへの愛が、私を詩人にした。」といった作家としての自己を語る試みがなされていく。

3.「歌声結社」

 管理人が最も愛情を込めて見せてくれたのは、一列に並んだ小さな部屋だった。「独房」と呼ばれ、監獄で働く何人かの軍人が寝泊まりしている。本物の寝室で、風景を描いたフレスコ画で飾られている。ベッドは馬の毛で作られ、ゴム紐でとめられている。全てが清潔で可愛く、船室のような感じ。ただし、日光が欠けていて、パリで私に提示された部屋と同じだった。——— 日光を必要とする「状態なら」、そこに住むことはできないだろう。私は守衛長にこう言った。「私なら、もう少し飾り付けが少なくていいので、窓に近い部屋の方が好きですね。」——— 「夜明け前に起きる時には、それはどうでもいいことです。」と彼は答えた。確かにその考察は正解だと思う。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 2/8

「 モンマルトル」の章では、1850年からパリの再開発が始まり、パリ近郊のモンマルトルにも開発の波が押し寄せる様子がリアルに綴られていた。
その中で、ネルヴァルの視線は、一般的には貧しく不潔な地区とされたモンマルトルに美を見出し、画家たちが憧れたローマ近郊の風景と比較することで、後に来る印象派絵画に先立つものだったといえる。

続く「サン・ジェルマンの城」の章では、1837年に開通したパリとサン・ジェルマンを結ぶ鉄道を利用して、サン・ジェルマンで住まいを探すという口実の下、サン・ジェルマン城を巡る描写や歴史、個人的な思い出などを書き綴っていく。

最初の部分で、アニエール、シャトゥなどと地名が列挙されるが、そのリズムは列車の通過する速度を感じさせる。

ネルヴァルのジョークも披露される。
ビールの中のゴキブリのエピソードに込められたユーモアは、現代の私たちにもすぐに理解できる。
サン・ラザール通りの番地を130番というのは、通りが108番地までしかなかったことを知ると、とても面白い。パリから30分も郊外にある町に、パリの通りの番地を付けるというジョーク。

パリ近郊鉄道図(1859年)
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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 1/8

「散歩と思い出」は、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)が生前に残した最後の作品の一つであり、詩人でもあった作家の美学がもっとも端的に表現されている。

パリやモンマルトルは、1850年あたりから都市開発の波に洗われ、古い街並みが新しい姿へと変貌を遂げつつあった。
それまで目に見えていた過去の姿が徐々に消え去り、目に見えないものへと変わっていく。
そうした中で40歳を少し超えたネルヴァルは、ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出し、人生の半ばを超え、現在の時間を生きながら、過去が甦ってくるように感じる始める。

そうした意識を持った時、ネルヴァルは、今を描くことが過去の探求にもつながり、過ぎ去った過去という目に見えないものを追い求めることでメランコリックな憧れを心の中に醸成するというシステムを、彼の美学の中心に据えた。

絵入りの雑誌「イリュストラシオン」に1852年に発表した「十月の夜」は、パリの場末やパリ郊外の町を通して、同時代の現実をリアルに描くという口実の下で、目に見えない「夜」を出現させる試みだった。
https://bohemegalante.com/tag/10月の夜/

同じ「イリュストラシオン」誌に掲載した「散歩と思い出」になると、過去の探索はネルヴァル自身の幼年時代にまで及び、「思い出」を核にしたポエジーの創造が目指されている。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 6/6 「私」の役目

ネルヴァルは、「オーレリア」の語り手に、「私の役目は、神秘主義的カバラの術で、宇宙の調和(ハーモニー)を回復させること」だと語らせたことがある。
精神の混乱に由来するらしい数多くの夢幻的な映像を描いた後、こうした主張を目にすると、ネルヴァルは誇大妄想的な狂気に取り憑かれていたのではないかと思いがちになる。

その一方で、彼の筆から流れ出てくる文章は穏やかで、美しい。しかも博識で、膨大な知識を前提とする数多くの記述が見られる。そして、ポエジーを強く感じさせる。

その二つの傾向は決して矛盾するものではない。
ネルヴァルが試みたのは、「人間の魂の研究」。
魂は謎に満ち、自分でもわからないことがたくさんある。心の思いはしばしば混乱する。そこに「調和(ハーモニー)」を回復させるのが「私の役目」だと意識したとすれば、それは決して馬鹿げたことではない。
しかも、ハーモニーを音楽的な次元で捉えれば、星と星が動くことで奏でられる「天球の音楽」とも捉えられるし、調和の取れた心地よい調べともいえる。言葉のハーモニーは、ポエジーを生み出す源泉となる。

ここでは、ネルヴァルがどのように「私の役目」を果たしたのかを見ていこう。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 5/6 変容する美

ネルヴァルの美学のベースは、若い頃に親しんだドイツの詩(バラード)が発散する「超自然主義」と、16世紀フランス詩の持つ「音楽性」。
「超自然主義」に関しては、現実と超現実とを強く対比させることで、現実を超えた世界への想いをより強くする。
「音楽性」に関しては、フランスの古い民謡からも多くを吸収すると同時に、「何を」ではなく「どのように」に重きを置き、アレンジに創作と同じ価値を見出す。

こうした美学を展開したのが、『東方紀行(Voyage en Orient)』に収められた「朝の女王と精霊たちの王ソリマンの物語(Histoire de la Reine du matin et de Soliman, prince des génies)」。その作品は建築家アドニラムを主人公にした芸術家神話ともいえ、ネルヴァルは美学について詳細に語っている。

その後、「塩密売人(Les Faux Sauliers)」において、「私」を語りの中心に据え、抒情性を生み出す文体を開発、晩年の傑作を生み出していく。

ここでは、アドニラムを中心に描かれる三人称の美から、「私」の主観を交えた美への変遷を辿ることにする。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 4/6 幻滅からポエジーへ

ネルヴァルは現実に直面すると、しばしば幻滅を感じる。子供時代から温めてきた夢が、現実を知ることで粉々になってしまうと言う。
それにもかかわらず、彼は常に現実に起こる出来事に興味を持ち、ヨーロッパだけではなく、地中海の向こう側の国々へも旅行をした。
そして、現地で見聞きしたことをもとにして紀行文を書いた。
実際、1840年代のネルヴァルの執筆活動の中心は劇評と旅行記だった。

なぜ幻滅をもたらす現実にあえて直面し、夢の世界を壊してしまうのか?

ネルヴァルは、というか、彼が生きたロマン主義の時代は、基本的にプラトニスム的思考を基盤としていた。
現実世界では、全てのものが時間の流れと共に消滅してしまう。
その儚さに対して、永遠に続く存在を求めるのがロマン主義的心情。
永遠の存在を、プラトンのイデアのように天上に置くこともあれば、心の中に置くことも、異国に置くことも、過去に置くこともあった。狂気や麻薬によって引き起こされる錯乱にさえ、現実と対立する(一瞬の)永遠を求めた。

そうした中で、ネルヴァルの戦略は、現実への失望感を大きくすればするほど、現実に属しないもの、彼が好んだ言葉を使えば、「超自然主義(surnaturalisme)」、「宗教感情(sentiment religieux)」が魅力を増すというものだった。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 3/6 「私」のポエジー

ネルヴァルにはオリエントやドイツ、オランダなどに関する紀行文が数多くあり、多くの場合、「私」を主語にした一人称の文を書いてきた。

1850年になると、訪問先は外国ではなく、フランス、しかも彼が幼年時代を過ごしたヴァロワ地方になる。
そして、同時代の社会の出来事や風物だけではなく、子ども時代の思い出を語り始める。

思い出を語ることは、旅行先での自分の体験を語る以上に、自分の内面を語ることになる。
そして、そのことが、ネルヴァル的「私」のポエジーを生み出すことに繋がっていく。

ネルヴァルにおいて、「私」について語ることで、どんな風に詩情が生まれるのか?
そのメカニスムを、1850年に発表された「塩密売人たち(les Faux-Saulniers)」を通して跡づけてみよう。
(その作品は『火の娘たち』に収められた「アンジェリック」にかなりの部分が再録されているので、ある程度までは翻訳で読むことが可能。)

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 2/6 アレンジの美学

ジェラール・ド・ネルヴァルは一度だけ「美学(esthétique)」という言葉を使ったことがある。
その美学とは、「アレンジ(arrangement)」に価値を置いたもの。彼の美学では、アレンジが「構成(composition)」と同列に置かれる。

アレンジとは、本来、配置や配列をすること。そこから発展して、すでに存在する原型の配置や配列に手を加え、最初とは違う雰囲気に作り替えることを意味する。
日本語でも、音楽に関しては、原曲をアレンジするといった表現がしばしば使われる。

ネルヴァルの考えで興味深いのは、アレンジ(編曲)と創作や作曲を同じものと見なすことにある。
言うなれば、編曲した曲を、原曲とは別の、新しい曲と見なす。
独創性という視点から見れば、盗作を堂々と認めることになってしまう。

ネルヴァルは、アレンジの美学を通して何を考え、どのような作品を生み出そうとしていたのだろう。

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ネルヴァルの美学 Esthétique de Gérard de Nerval 1/6 音楽性と超自然主義 

ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)は、ユーモアに富んだ皮肉屋。しかも、恥ずかしがり屋で、自分について語る時でも、面白おかしい演出を施して、なかなか本心を掴ませない。

最後は、パリの場末にあった安宿屋の窓で首を吊るという劇的な場面を準備し、死後のネルヴァルのイメージに大きな影響を与えた。
実際、首吊り自殺がセンセーショナルなニュースになり、夢見がちで現実を顧みない作家だったとか、一人の女性への失恋のために狂気に陥り、そのことが彼の作品を決定付けたとか、色々なことが言われた。ザリガニに紐をつけ、犬のように公園を散歩していたとか・・・。
その余波は現在でも続き、ネルヴァルの詩や散文作品は、夢、理想の女性の喪失による狂気、神秘主義といったレッテルを貼られることが多くある。

マルセル・プルーストとの関係が取り上げられることもある。意図しない時にふと湧き上がる思い出が作品世界を形成するという創作方法が『失われた時を求めて』の原型であるとされ、プルーストの先達という位置づけをされる。そんな時、ネルヴァル作品の価値が真正面から取り上げられることはほぼない。

全てはネルヴァルが自死の演出を暗い場末でしたことが原因。そう言ってしまえばそうかもしれない。
2020年に代表作の一つである『火の娘たち(Les Filles du feu)』が、野崎歓さんの翻訳で岩波文庫から出版されたが、今までと変わらず、複雑でわからないとか、叶えられない夢を追う男の幻想的で夢幻的な話として読まれてしまう。

しかし、それでは、ネルヴァルはいつまでたっても同じ読み方しかされない。彼が生涯をかけて作り出した作品の意義も、美しさも、埋もれたままになってしまう。

少しでもネルヴァルが試みたことに接近するために、ここでは彼の美学について辿ってみることにする。

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ネルヴァルの宗教的・哲学的思想 Une pensée religieuse et philosophique de Gérard de Nerval

とても残念なことに、ジェラール・ド・ネルヴァルという作家は日本でもあまり知られていず、紹介される場合があったとしても、狂気と幻想の作家とか神秘主義などというレッテルが貼られてしまう。
そのために、最初から色眼鏡をかけて読まれることになり、現実を描写した美しい文章で綴られた作品でさえも、複雑でわからないとか、意味不明などという感想を持たれたりする。

彼の作家としての実像は、現実に興味を持ち、その時々に話題になっていることを取り上げ、ユーモアと皮肉を交えて機知の利いた話にする名手だった。
しかし、何度か狂気の発作に襲われたことがあり、最晩年にはその時の体験記的な物語を公表し、最後はパリの場末で首を吊って死んでしまったために、夢と狂気の作家に祭り上げられてしまうことになった。

そうしたことのもう一つの理由は、彼の思想が「超自然主義(surnaturalisme)」と呼ばれる傾向のものであり、現実主義的、合理主義的、実証主義的思考から見ると、非理性的だと見なされること。
「超自然主義」自体は、ロマン主義の時代には多くの文学者に共有されたものであり、とりわけ不思議なものではないし、古代ギリシアから連綿と続く伝統に基づいている。
しかし、精神病院に入れられた事実やギュスターブ・ドレの版画に見られる自死の怪しげなイメージといった要素が相まって、夢と狂気の作家というレッテルが形成されていった。

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