ヴェルレーヌ 「月の光」 Verlaine « Clair de lune » ロココ的世界から印象へ

ヴェルレーヌの詩は音楽性が豊かだが、それと同時に絵画的表現にも富んでいる。

Antoine Watteau, Le Pèlerinage à l’île de Cythère

詩集『雅な宴』(Fêtes galantes, 1869)は、ロココ絵画の創始者であるアントワーヌ・ヴァトーが描いた優美な世界を再現し、その中で恋の始まりから終わりまでを描いている。

その詩集の冒頭を飾るのが「月の光 Clair de lune」。
優雅でありながらもの悲しく、美しい衣裳の下に決して明かせぬ本心を隠す、宮廷生活の雰囲気を見事に伝えている。

しかし、絵画的世界はいつの間にか音楽の世界へとつながり、ヴェルレーヌの世界に引き込まれてしまう。

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ヴェルレーヌ 「グリーン」 Verlaine « Green » 自然の感性

Auguste Renoir, Cueillette des fleurs

英語のgreen(緑)が題名になっているこの詩は、「ヴァルクール」と並んで、物憂さも、漠然とした悲しみもない。

https://bohemegalante.com/2019/07/27/verlaine-walcourt/

朝まだき、詩人は木や花の中で幸せに満たされ、愛する人の傍らで安らぐ。
その時、自然はヴェルレーヌの心と響き合い、恋人たちをつなぐ慎ましい贈り物になる。

Green

Voici des fruits, des fleurs, des feuilles et des branches
Et puis voici mon cœur qui ne bat que pour vous.
Ne le déchirez pas avec vos deux mains blanches
Et qu’à vos yeux si beaux l’humble présent soit doux.

Paul Cézanne, Fleurs dans un vase

グリーン

見てください。果物や花を、葉や枝を。
それから、わたしの心臓も。あなただけを想い、鼓動しています。
この心を引き裂かないでください、あなたの白い両手で。
あなたの麗しい目に、この慎ましい贈り物が、心地よくありますことを。

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ヴェルレーヌ 「ヴァルクール」  Verlaine « Walcourt » 印象派的

『言葉なきロマンス』に「ベルギーの風景」という章があり、その最初に置かれているのが「ヴァルクール」。

1872年、ヴェルレーヌはマチルドとの新婚生活を捨て、ランボーと共にベルギーに向かう汽車に乗り込んだ。

ブリュッセルに着く前に、彼等はヴァルクールという町を通りかかる。その時、詩人は幸福感に満ちあふれていたのだろう。
「ヴァルクール」には、いつもの物憂い悲しみなど、どこにも感じられない。屈託がなく、浮き浮きとした心が、そのまま表現されている。

その感情の動きが、印象派の絵画の手法と同調するかのように、小さなタッチで、素早く描かれている。

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ヴェルレーヌ 「巷に雨の降るごとく」 Verlaine « Il pleure dans mon cœur », Ariettes oubliées III 日本的感性?

Camille Pissaro, Avenue de l’Opéra, effet de pluie

ヴェルレーヌの「巷に雨の降るごとく」は、掘口大學の名訳もあり、日本で最もよく知られたフランス詩の一つである。

掘口大學の訳も素晴らしい。

巷に雨の降るごとく
わが心にも涙降る。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

ヴェルレーヌの詩には、物憂さ、言葉にできない悲しみがあり、微妙な心の動きが、ささやくようにそっと伝えられる。
こうした感性は、日本的な感性と共通しているのではないだろうか。

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエッタ その1」  Verlaine « Ariettes oubliées I » 日本的感性とヴェルレーヌの詩心

「忘れられたアリエッタ その1」は、ヴェルレーヌの詩の精髄がそのままの形で詩になっている。この詩を理解することで、「ヴェルレーヌ的」とは何か、そしてなぜ彼の詩が日本でこれほど愛されているのか、理解することができる。

「忘れられたアリエッタ」と題された9つの小さな詩は、『言葉なきロマンス(Romances sans paroles)』に収録され、1874年に出版された。

1874年は、第一回印象派展が開催され、モネの「印象・日の出」から、印象派という名称が生まれた年。
印象派の画家たちからの直接的な影響はないとしても、同時代的な表現法の類似が、ヴェルレーヌの詩との間に見出されることは確かである。

ヴェルレーヌの生涯でいえば、ランボーとのイギリスでの生活が破綻し、ブリュッセルのホテルで彼の手を銃で撃ち、監獄に入れられていた時期。
その頃の詩作はランボーとの相互的な影響作用で、音楽性がもっとも強く打ち出されていた。「何よりも先に音楽を」と歌った「詩法」が書かれたのも、1874年。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/

「詩法」の中で、詩句を音楽的にするためには奇数の音節数が大切だとしている。「忘れられたアリエッタ その1」は、全て7音節の詩句からなり、奇数音節が実践されている。

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ヴェルレーヌ「詩法」 Verlaine « Art poétique » 何よりも先に音楽を La musique avant toute chose

詩は大きく分けると、歴史や神話を語る叙事詩と、個人の思いや感情を吐露する抒情詩に分類される。
19世紀のフランスでは、抒情詩が詩の代表と考えられるようになり、それに伴い音楽性がそれまで以上に重視されるようになった。
とりわけ、19世紀後半の詩人達、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメたちの詩句は音楽的である。

ポール・ヴェルレーヌの「詩法」« Art poétique »は、「何よりも先に、音楽を」という詩句で始まり、抒情詩=音楽の流れを見事に表現している。

実際、ヴェルレーヌ自身大変に音楽的な詩人であり、彼の詩は数多くの作曲家によって曲を付けられ、現在でもしばしば歌われている。
https://bohemegalante.com/2019/04/13/verlaine-musique-philippe-jaroussky/

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ヴェルレーヌと音楽 フィリップ・ジャルスキー Verlaine et la musique Philippe Jaloussky

ポール・ヴェルレーヌは、詩における音楽の重要性を強く意識し、「詩法」« Art poétique »の中で、「何よりも先に音楽を」(De la musique avant toute chose)と主張した。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/
実際、ヴェルレーヌの詩句は、多くの作曲家によって曲を付けられている。

文学を扱うフランスのテレビ番組’ La Grande Librairie’で、カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーが、ジェローム・デュクロのピアノをバックに、「グリーン」(アンドレ・カプレ作曲)を歌い、その後で少しだけではあるが、ヴェルレーヌの詩と音楽について語っている。

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ヴェルレーヌのコレスポンダンス 「クリメーヌに」 Verlaine, « À Clymène »

「クリメーヌに」« À Clymène »は、数あるヴェルレーヌの美しい詩の中でも、最も美しい。しかも、その土台には、ボードレールから受け継いだコレスポンダンスの思考があり、それを音楽的に表現している。

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