アポリネール 「ゾーン」 Guillaume Apollinaire « Zone » 新しい精神の詩 2/7 キュビスムとモデルニテ

「ゾーン(Zone)」は新しい精神(Esprit nouveau)に基づく詩の宣言として、アポリネールが詩集『アルコール(Alcools)』(1913)の冒頭に置いた詩であり、実際、19世紀後半のボードレールやマラルメ、その流れを汲むポール・ヴァレリーの詩と比べても、「新しさ」を感じさせる。

ここでは、7行目から14行目まで、そして15行目から24行目までの二つの詩節を読み、アポリネールが彼の生きている時代の素材をどのように詩の中に取り込んでいったのか見ていこう。

Seul en Europe tu n’es pas antique ô Christianisme
L’Européen le plus moderne c’est vous Pape Pie X
Et toi que les fenêtres observent la honte te retient
D’entrer dans une église et de t’y confesser ce matin
Tu lis les prospectus les catalogues les affiches qui chantent tout haut
Voilà la poésie ce matin et pour la prose il y a les journaux
Il y a les livraisons à 25 centimes pleines d’aventures policières
Portraits des grands hommes et mille titres divers            (v. 7-14)

ヨーロッパでただ一人、お前は古くさくない おお キリスト教よ
もっとも近代的なヨーロッパ人 それはあなた 教皇ピウス10世です
そして お前を窓たちが見張っている 恥がお前を捉え
教会の中に入いり 告解をしないようにする 今朝
お前が読むのは 広告 カタログ ポスター それらは大きな声で歌っている
そこに詩がある 今朝 そして 散文としては 新聞がある
25サンティームの週刊誌がある 刑事事件が満載だ
偉人たちの肖像もある 数多くのタイトルがついた三面記事もある

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アルチュール・ランボー 吐いた泥までが煌(きら)めく詩人 1/3 

アルチュール・ランボーは、10代の半ばに詩を書き始め、20歳頃には詩作を完全に捨て去ってしまった。その間に詩集としてまとめられたのは、『地獄の季節』の一冊のみ。
それにもかかわらず、現在でも世界中で最もよく名前の知られた詩人であり、活気に満ちた美しい詩句が多くの読者を魅了し続けている。

ランボーの詩がどのようなものか、的確かつ簡潔に理解させてくれる言葉がある。

ランボオ程、己を語って吃(ども)らなかった作家はない。痛烈に告白し、告白はそのまま、朗々(ろうろう)として歌となった。吐いた泥までが煌(きら)めく。(小林秀雄「ランボオ II」)

小林秀雄のこの言葉、とりわけ「吐いた泥までが煌めく」という言葉は、詩人としての天才に恵まれた若者が、社会的な規範にも、詩の規則にもとらわれず、自由に思いのままを綴った詩句が、新鮮な輝きを放ち続けていることを見事に表現している。

私たちは、その実感を、小林秀雄自身が訳した『地獄の季節』の冒頭から感じ取ることができる。

かつては、もし俺(おれ)の記憶が確かならば、俺の生活は宴(うたげ)であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった。
ある夜、俺は『美』を膝の上に座らせた。 — 苦々しい奴だと思った。 — 俺は思いっきり毒づいてやった。                   
               (ランボオ作、小林秀雄訳『地獄の季節』)

ランボーは、「美」を崇め、「美」の前で跪(ひざまづ)くことはしない。その反対に、「美」に向かい勢いよく毒づく。
その毒づいた言葉が、「美」に祝福されているかのように美しく、キラキラと煌めく。
小林のこの訳は、ランボーのフランス語の詩句の勢いを、見事に日本語の移し換えたものになっている。

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ランボー 「わが放浪(ファンテジー)」 Rimbaud « Ma Bohême (Fantaisie) » 放浪する若き詩人の自画像

「わが放浪(ファンテジー)Ma Bohême (Fantaisie)」は、1870年10月に、年長の友人ポール・デメニーに預けた手書きの詩22編の中の一編。

翌1871年6月にデメニーに手紙を書き、全ての詩を燃やしてくれと依頼した。しかし、幸いなことに、デメニーは要求に従わなかった。そのおかげで、私たちは、16歳を直前にしたランボーの書いた詩を読むことができる! 

当時のランボーは、「詩人になる」という目標を掲げ、模索していた。
1870年5月24日に高名な詩人テオドール・ド・バンヴィルに送った3編の詩(「感覚(Sensation)」を含む)は、ロマン主義的な傾向をはっきりと示していた。
その1年後、1871年5月に書かれた「見者(le Voyant)の手紙」では、ロマン主義の詩を真っ向から否定し、「あらゆる感覚を理性的に狂わせ、未知なるものに達する」という詩法を展開した。

その中間時点にあるデメニーに託した詩群は、ロマン主義から出発して「見者の手紙」の詩法へと歩みを進めつつある段階にあった。
そのことは、放浪と詩作のつながりをテーマとする「感覚」と「我が放浪」 を並べてみるとよくわかる。

「感覚」では、全ての動詞が単純未来に活用され、まだ実現されていない希望が理想として思い描かれる。

夏の真っ青な夕方、ぼくは小径を歩いて行くだろう
Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers

ランボー 「感覚」 Rimbaud « Sensation » 自然を肌で感じる幸福

理想との対比を強調するために、「わが放浪」では動詞は過去時制で活用される。

Je m’en allais, les poings dans mes poches crevées ;
Mon paletot aussi devenait idéal ;
J’allais sous le ciel, Muse ! et j’étais ton féal ;
Oh ! là ! là ! que d’amours splendides j’ai rêvées !

ぼくは出掛けていった、破れたポケットに拳骨を突っ込んで。
ハーフコートも同じように、理想的になっていた。
大空の下を歩いていたんだ、ミューズよ! ぼくはお前の僕(しもべ)だった。
あーあ! なんて数多くの輝く愛を、ぼくは夢見たことだろう!

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カンディンスキーのヴァーチャル展覧会

現在はコロナのために閉館しているパリのポンピドゥー・センターが企画して、ネット上でカンディンスキーの展覧会が開催されているそうです。
https://artsandculture.google.com/project/kandinsky

アンブル・シャルモーの紹介は、カンディンスキーの絵画が共感覚(synesthésie)と関係しているという側面を指摘、ボードレールやランボーとの共通性にも言及し、とても興味深いものです。

Même s’il est fermé, le Centre Pompidou continue à permettre l’accès à de grandes expositions grâce à la magie d’internet. En ce moment, le musée propose une gigantesque rétrospective de l’artiste Kandinsky à travers 3000 de ses œuvres.

ボードレール 「異国の香り」 Charles Baudelaire « Parfume exotique » エロースの導き

Paul Gauguin, Jour délicieux

ボードレールの詩の中には、むせかえるような官能性から出発して、非物質的な恍惚感、至福感に至るものがある。
「異国の香り(Parfum exotique)」は、その代表的な作品。
目を閉じ、愛する女性の胸に顔を埋める。すると、彼女の身体の熱と香りが、詩人を異国へと運んでいく。

その異国の島は、後の時代の画家ポール・ゴーギャンの絵画を見ると、私たちにも連想しやすい。

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ボードレール 「旅への誘い」 散文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en prose 2/2

Pieter Janssens Elinga, Interior with Painter, Woman Reading and Maid Sweeping

第6詩節では、室内の様子が絵画的に描きだされる。
ワルツへの招待に倣って言えば、絵画への招待。

 Sur des panneaux luisants, ou sur des cuirs dorés et d’une richesse sombre, vivent discrètement des peintures béates, calmes et profondes, comme les âmes des artistes qui les créèrent. (以下録音の続き)Les soleils couchants, qui colorent si richement la salle à manger ou le salon, sont tamisés par de belles étoffes ou par ces hautes fenêtres ouvragées que le plomb divise en nombreux compartiments. Les meubles sont vastes, curieux, bizarres, armés de serrures et de secrets comme des âmes raffinées. Les miroirs, les métaux, les étoffes, l’orfèvrerie et la faïence y jouent pour les yeux une symphonie muette et mystérieuse ; et de toutes choses, de tous les coins, des fissures des tiroirs et des plis des étoffes s’échappe un parfum singulier, un revenez-y de Sumatra, qui est comme l’âme de l’appartement.

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ボードレール 「旅への誘い」 韻文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en vers

「旅への誘い」は、フランス語で書かれた詩の中で、最も美しいものの一つ。
音楽性、絵画性が素晴らしく、女性に対する愛のささやきが、美に直結している。

その美は現代にも通じ、Louis Vuitton が、David Bowie を使い、L’Invitation au voyageというイメージ・ビデオを作ったことがあった。

ボードレールはこの詩を最初に韻文で書き、次に散文でも同じテーマを扱った。そのことは、詩とは韻文で書かれるものであるという、フランス詩の伝統への挑戦だった。
散文でも詩を書ける。つまり散文詩を文学のジャンルとして成立させる試みだった。

ここでは、韻文の「旅への誘い」をまず読んでみよう。

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 4/7 疾走する言葉たち 

大海原の牛の群れとマリア

第10節が幸福感を漂わせていたとすると、第11詩節では岩礁が現れ、大海原も喘ぎ、航海の困難が感じられる。

第11詩節

J’ai suivi, des mois pleins, pareille aux vacheries
Hystériques, la houle à l’assaut des récifs,
Sans songer que les pieds lumineux des Maries
Pussent forcer le mufle aux Océans poussifs !

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ヴェルレーヌ 「忘れられたアリエッタ その1」  Verlaine « Ariettes oubliées I » 日本的感性とヴェルレーヌの詩心

「忘れられたアリエッタ その1」は、ヴェルレーヌの詩の精髄がそのままの形で詩になっている。この詩を理解することで、「ヴェルレーヌ的」とは何か、そしてなぜ彼の詩が日本でこれほど愛されているのか、理解することができる。

「忘れられたアリエッタ」と題された9つの小さな詩は、『言葉なきロマンス(Romances sans paroles)』に収録され、1874年に出版された。

1874年は、第一回印象派展が開催され、モネの「印象・日の出」から、印象派という名称が生まれた年。
印象派の画家たちからの直接的な影響はないとしても、同時代的な表現法の類似が、ヴェルレーヌの詩との間に見出されることは確かである。

ヴェルレーヌの生涯でいえば、ランボーとのイギリスでの生活が破綻し、ブリュッセルのホテルで彼の手を銃で撃ち、監獄に入れられていた時期。
その頃の詩作はランボーとの相互的な影響作用で、音楽性がもっとも強く打ち出されていた。「何よりも先に音楽を」と歌った「詩法」が書かれたのも、1874年。
https://bohemegalante.com/2019/06/16/verlaine-art-poetique/

「詩法」の中で、詩句を音楽的にするためには奇数の音節数が大切だとしている。「忘れられたアリエッタ その1」は、全て7音節の詩句からなり、奇数音節が実践されている。

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ニュー・シネマ・パラダイスとロマン主義的抒情

本当に久しぶりに、「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。日本での公開は1989年だから、ざっと30年ぶりくらい。懐かしいと同時に、やはりいい映画だと思う。音楽はいつ聴いても、心を震わせてくれる。

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