LA BOHEME GALANTE 　ボエム・ギャラント 　

ヴェルレーヌが１８７４年に出版した詩集『言葉なき恋愛（Romances sans paroles）』は、メンデルスゾーンのピアノ曲集『言葉なき恋愛（Lieder ohne Worte）』に由来すると言われている。

メンデルスゾーンのピアノ曲集には、「ベニスのゴンドラ乗りの歌」と題された曲が３つ入っている。
同じように、ベルレーヌの詩集にも舟歌がある。
「クリメーヌに」。
「神秘的な舟歌（Mystiques barcarolles）」という詩句で始められる。

作曲家と詩人を繋ぐものとして、もう一つの舟歌があるかもしれない。
それが、ショパン晩年の曲「舟歌」。フランス語の曲名は、Barcarolle。
ヴェルレーヌが、« Mystiques barcarolles »綴ったとき、メンデルスゾーンだけではなく、ショパンの曲も心に思い描き、二人の舟歌が詩人の内部で鳴り響いていただろう。

そうして出来上がった詩「クリメーヌに」は、ヴェルレーヌの中でも、最も美しい。

ベルリオーズの「ヴェニスの舟歌」には、第1巻作品１９の６、第2巻作品３０の６，第5巻作品５９の５の3曲がある。
ここでは、ダニエル・バレンボイムのピアノ演奏で、作品３０の６を聞いてみよう。

ヴェニスの運河を流れる水の揺らめきと、ゴンドラの上でまどろむメランコリックな雰囲気が醸し出されている。

ショパンの「舟歌」は、第一音から華やかな水しぶきが太陽に当たって輝き、まだ見ぬヴェニスへの憧れを感じさせる。
しかし、その憧れの地は、憧れの地に留まるしかない。そこから来るメランコリーが、ますます憧れを強烈にし、ゴンドラに揺られてまどろむ旅人を夢の世界へと導く。

そんな風にして、ショパンの「舟歌」が続く数分間の間、ピアノの音色が私たちの心を魅了する。

マウリッツ・ポリーニのピアノは、音の輝きを美しく響かせる。

ヴェルレーヌは、詩という言葉の芸術の世界に生きながら、「言葉のない」ロマンスを生み出そうとした。
『言葉なき恋愛（romances sans paroles）』という題名は、言葉がないという、詩とは相容れない表現によって、言葉の音楽性を際立たせようとしたのではないだろうか。メンデルスゾーンのピアノ曲集の題名を借用したのは、そのため。

その上で、ショパンの曲を暗示するようにして、「クリメーヌに」の冒頭で、舟歌（Barcarolle）という単語を使った。

詩句を口に出して読んだり、頭の中で音として感じる時、« Mystiques Barcarolles »という言葉だけでも、すでに甘美だ。
Mysquesに含まれる i の音の鋭さと、Barcarollesに含まれる母音 aやoの丸みが対比され、barcarollesという言葉の円やかさが強く感じられる。
rやlの流れ、bとcの対比などが、３音節で構成される単語の中で溶け合い、口を、頭を、そして心をうっとりとさせてくれる。

その感じを味わうと、続く« Romances sans paroles »という文字の繋がりが、単なる題名として読んでいた時とは違う、美を纏うようになる。
aとoがbarcarollesから引き継がれ、さらに鼻母音のanが反復され、音に豊かな響きを与える。

Mystiques barcarolles,
Romances sans paroles,
Chère, puisque tes yeux,
Couleur des cieux,

「クリメーヌに」は、愛する人（当時のヴェルレーヌにとってはランボー）の目、声、肌の色、香り、そして魂にふれながら、それら全てが関連して、共感覚の世界を作り出す。
詩人はその世界に溺れ、恍惚とすることを夢に、現実にそうあって欲しいと願う。

こうした内容が、言葉によって語られる。
しかしそれ以上に、言葉の音楽性が読者を共感覚の世界に招き入れる。
そして読者は、詩的恍惚感で満たされることになる。

私の詩的感性は、「クリメーヌに」がヴェルレーヌのもっとも美しい詩だと言う。
https://bohemegalante.com/2019/03/05/verlaine-a-clymene/
朗読する度に、口がこんな快感を覚える詩は、他にない。

メンデルスゾーン、ショパンからヴェルレーヌへ。ヴェニスのゴンドラ乗りたちの歌を起源として、美の変奏が続けられた。

そして、その変奏は、フォーレやチャイコフスキーなどによって引き継がれていく。