日本の美 平安時代 その7 源氏物語絵巻

平安時代の美は、京都の貴族文化の中で熟成した、総合芸術として確立していった。その様子を最も見事に表現しているものの一つが、平安時代末期に作成された「源氏物語絵巻」である。

「源氏物語絵巻」は当時の宮廷社会の様子を『源氏物語』のエピソードに則り美しく描き出しながら、『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が言葉にした「生きとし生けるもの」の「言の葉」が、平安的美意識の根源にあることを示している。
言い換えれば、人間は自然の中で動物や植物と同じように現実に密着して生き、四季の移り変わりに心を託して歌い、描き、生きる。そして、そこに美を感じる。

まず、「宿木 三」を復元された絵で見てみよう。

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ヴォルテール 想像力の二つの側面 Voltaire imagination passive et imagination active

啓蒙の世紀(siècle des Lumières)と呼ばれる18世紀において、理性の光で無知を照らす道具の一つが、ディドロが中心となって編集された『百科全書(l’Encyclopoédie)』だった。
その中で、想像力(imagination)の項目を担当したのが、ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)。

17世紀にデカルトやパスカルによって誤謬の源とされた想像力に関して、ヴォルテールは二つの側面を区別する。一つは、受動的想像力。もう一つは、能動的想像力。

Il y a deux sortes d’imagination : l’une, qui consiste à retenir une simple impression des objets ; l’autre, qui arrange ces images reçues et les combine en mille manières. La première a été appelée imagination passive ; la seconde, active. 

二種類の想像力がある。一つは、対象に関する単純な印象を留めるもの。他方は、受け取った映像をアレンジし、様々な風に結び付ける。最初のものは、受動的想像力と呼ばれ、二つ目は能動的想像力と呼ばれた。

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日本の美 平安時代 その6 やまと絵

寝殿造りの住居の仕切りには、屏風や障子が使われたが、その上には絵が描かれていた。
9世紀半ばには、絵のテーマとして、日本的な風景を描いたものも現れ始める。それらは『古今和歌集』に載せられる和歌と対応し、屏風の絵の横に、和歌が美しい文字で描かれることもあった。

例えば、素性法師が竜田川を歌った和歌の前には、次のような詞書が置かれている。

二条の后の東宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川に紅葉流れ
るかたをかけりけるを題にてよめる

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 
紅深き 波や立つらむ 

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日本の美 平安時代 その5 寝殿造りと庭園 

日本的感性は、超越性を求めず、現世的、日常世界的であり、四季の変化に敏感に反応する。
そうした感性が定式化され表現された一つの形が『古今和歌集』だとすると、その歌集に収められた和歌を詠った貴族たちが生活する住居や庭園は、もう一つの美の形だといえる。

平安時代後期に描かれた『源氏物語絵巻』の「鈴虫1」を、復元された絵で見てみよう。
上からの視線にもかかわらず室内が見え、庭には水が流れ、秋の野原の草花が描かれている。

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日本の美 平安時代 その4 時間意識

平安時代の時間意識に関して言えば、人間は自然の一部だという意識と並行関係にある。
人々は、仏教に帰依し、死後に極楽浄土に行くことを理想としたわけではない。
ヨーロッパにおいてのように、理想を永遠に求めることはしなかったということになる。
逆に、たとえこの世が煩悩や汚れに満ち、苦の娑婆だとしても、移り変わり儚い時間の中に美を見出した。

在原業平の歌には、そうした時間意識がよく現れている。

濡れつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

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日本の美 平安時代 その3 『古今和歌集』自然と人間

平安時代は総合芸術の時代だといえる。
貴族たちは、書院造りの住居に住み、内部に置かれた障子や屏風に描かれた絵画に囲まれて日々を過ごした。その絵画は、和歌を素材にして描かれるものもあれば、逆に絵画を題材とした和歌も作られた。
室内では、美しい装束を纏い、仮名による物語が語られ、歌合、絵合等の遊びが行われる等、耽美主義的な生活が繰り広げられた。

10世紀以降になると、大陸文化の和様式化が進み、京都という閉鎖された空間で、少数の貴族達が宮廷生活を送る中、新しい美の感受性が確立していったと考えられる。

そうした中で、905年に、後醍醐天皇の勅令により紀貫之たち編者が編集した『古今和歌集』は、大きな役割を果たした。
ここでは、和歌を通して見えてくる人間と自然の関係について考えてみよう。

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日本の美 平安時代 その2 大陸モデルの和様化

山水屏風、東寺、部分

日本の文化は、古墳時代から江戸末期まで、大陸文化の圧倒的な影響の下にあった。文藝にしても、建築、彫刻、絵画といった視覚表現にしても、モデルとなる理想像は常に大陸にあった。
それが変化したのは、明治維新以降、ヨーロッパのモデルが移入されてから。
それ以前は、6世紀半ばの仏教伝来から数えるだけでも、約1300年の間、日本の目指すべき高度な文化と見なされたものは、大陸文化だった。

そこで注目したいことは、大陸から移入された文化はほぼ完全に日本化され、日本文化の本質を形成する主要成分になっていることである。
ヨーロッパ文化が輸入されてからすでに150年以上経つが、日本文化に完全に溶け込んだとは言えず、舶来品の印がついていることが多い。(ただし、洋服や住居はかなり溶け込んでいるといえる。)

大陸文化が日本で受容され、日本文化の一部と見なされている例を幾つか見ていこう。

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ジャン・ジャック・ルソー 『告白』 Jean-Jacques Rousseau Confessions 誰とも違う自己を語る

18世紀後半を代表する文学者ジャン・ジャック・ルソーは、『告白(Confessions)』の中で、これまで誰もしたことがない新しい試みをすると宣言する。
その試みとは、自己を語ること。

もちろん、それまでに回想録は数多くあったし、私的な自己を語るというのであれば、モンテーニュの『エセー』も同じだった。
では、ルソーは何をもって、新しい試みと言うのだろうか。

ルソーは、彼の自己(moi)は、誰とも違っていると言う。
現代では、「私」は他の人とは違う唯一の存在と考えるのが普通だが、彼以前には他者と同じであることが「私」の価値であり、違う私に価値を見出すことはなかった。

そして、ルソーの言う「人とは違う私」の中心は「私の内面」。
彼は、個人の価値を、社会的な役割ではなく、心が感じる感情に置いた。

現代の私たちの価値観ではごく当たり前になっていることの始まりが、ルソーの『告白』にあるといっても過言ではない。

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モンテーニュ 「読者へ」 Michel de Montaigne Au lecteur 自己を語る試み

1580年、モンテーニュは、『エセー(Essais)』の最初に「読者へ(Au lecteur)」と題した前書きを付け、自分について語ることが16世紀にどのような意味を持っていたのか、私たちに垣間見させてくれる。

現在であれば、自己を語ることはごく当たり前であり、日本には私小説というジャンルさえある。
それに対して、モンテーニュは、自己を語ることの無意味さを強調する。
そして、彼が書いたことは彼自身のことなので、他人が読んでも時間の無駄だと、読者に向かって語り掛ける。

出だしから、読むなと言われれば、読者は当然読みたくなる。
次の時代のパスカルも、18世紀のルソーもモンテーニュの熱心な読者だし、現代のフランスでも読者の数は多い。

16世紀のフランス語は現在のフランス語とはかなり異なっているので、多少綴り字などを現代的にしたテクストで、「読者へ」を読んで見よう。

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