ヴィクトル・ユゴー 「パン」 Victor Hugo « Pan » フランス・ロマン主義の神 1/2

1831年に出版された『秋の葉(Les Feuilles d’automne)』に収められた「パン(Pan)」は、フランス・ロマン主義を主導するヴィクトル・ユゴーが、詩とは何か、詩人とはどのような存在か、高らかに歌い上げた詩。

1820年にラ・マルティーヌが「湖(Le Lac)」によって、ロマン主義の詩の一つの典型を示した。
https://bohemegalante.com/2019/03/18/lamartine-le-lac/
その約10年後、ユゴーが、古代ギリシアの神であるパンの口を通して、ロマン主義の詩を定義した。

パンは、元々は自然を表す神の一人であり、羊飼いと羊の群れの保護者。下半身はヤギ、上半身は人間、頭の上には角を突けた姿で描かれた。

パン(Pan)という言葉はギリシア後で「全て」を意味する。
そのためだと考えられるが、オルペウス教では、原初の卵から生まれた両性存在の神と同一視された。
さらに、ネオ・プラトニスムのメッカであるアレクサンドリアでは、宇宙全ての神と考えられるようになった。

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中原中也 「盲目の秋」 — 腕を振る — ランボーから中也へ 

「盲目の秋」の第一連で、中也は美しいリフレインを繰り返す。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

直接の影響関係を証明することはできないけれど、腕を振る身振りは、ランボーの「大洪水の後」でも見られる。

村の広場で、子供が腕をグルグルと回した。至る所にある風見鶏や鐘塔の雄鶏たちから理解され、キラキラと輝く突風の嵐に吹かれて。
[…] sur la place du hameau, l’enfant tourna ses bras, compris des girouettes et des coqs des clochers de partout, sous l’éclatante giboulée.
https://bohemegalante.com/2020/07/16/rimbaud-apres-le-deluge-2/

二人の詩句を続けて読むと、腕を振る身振りが通奏低音のように二人の詩人の中で響き合っていることが感じられる。

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ランボー 大洪水の後 Arthur Rimbaud « Après le Déluge » 2/2 新たな生の誕生に立ち会う

ビーバーと黒いコーヒーの後は、何が立ち上がってくるのだろうか?

  Dans la grande maison de vitres encore ruisselante les enfants en deuil regardèrent les merveilleuses images.
Une porte claqua, et sur la place du hameau, l’enfant tourna ses bras, compris des girouettes et des coqs des clochers de partout, sous l’éclatante giboulée.
Madame*** établit un piano dans les Alpes. La messe et les premières communions se célébrèrent aux cent mille autels de la cathédrale.

 窓がたくさん付き、今でもまだ水が滴り落ちている大きな家の中で、喪に服した子ども達が素晴らしい絵を見た。
 一つの扉が音を立てた。村の広場で、子供が腕をグルグルと回した。至る所にある風見鶏や鐘塔の雄鶏たちから理解され、キラキラと輝く突風の嵐に吹かれて。
 ***夫人がアルプスの山中にピアノを一台据え付けた。ミサと最初の聖体拝領が大聖堂の何十万もの祭壇で祝われた。

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いつか王子様が Someday My Prince will come ディズニー映画「白雪姫」の挿入歌をジャズで

「白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs )」は、1937年にディズニー・アニメーション・スタジオが作成した、世界最初の長編アニメーション映画。
1937年、つまり昭和12年に、これほどモダンで洗練されたアニメが作られたことには、驚くしかない。

「いつか王子様が(Someday My Prince will come)」は、そのアニメーションの挿入歌。

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ランボー 大洪水の後 Arthur Rimbaud « Après le Déluge » 1/2 新たな生の誕生に立ち会う

「大洪水の後(Après le Déluge)」は、『イリュミナシオン(Illuminations)』の冒頭に置かれた散文詩。

いかにもランボーらしく、日常的に使う単語を使った簡潔な構文の文が、機関銃から発せされるように、次々に連ねられる。
その一方で、単語と単語、とりわけ文と文の間の意味の連関が不明で、論理性がまったく見えない。

論理や意味は読者一人一人が作り出すしかない。
そんな風にして、ランボーは読者を罠に誘い込み、ゲームを楽しんでいるのかもしれない。
彼は、生き生きとした言葉の錬金術(alchimie des verbes)を行い、突風のような勢いで、読者を彼のポエジーへと巻き込んでいく。

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現代アート 最初の一歩 Premier pas vers l’art du 20e siècle 5/5 なぜ便器が芸術なのか?

Marchel Duchamp Fontaine

19世紀後半から始まった芸術観の革命は、20世紀に至り、全く新たな局面を迎える。
芸術がそれまでの芸術の枠組みを外れ、絵画であれば画布から自由になり、どこにでもある建物の壁に描かれたりもするようになる。

そうした芸術の第一歩になった作品が、マルセル・デュシャンの「泉」。

この作品は、2005年に、500人の有名なアーティストや美術史家によって「20世紀美術で最も影響を与えた作品」として選ばれた。

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現代アート 最初の一歩 Premier pas vers l’art du 20e siècle 4/5 シュルレアリスム

ルネサンスの時代から続いてきた再現芸術、つまり現実のモデルを再現することを基礎とする芸術の時代が、19世紀の後半に終わりを迎えた。

絵画に関しては、画布の上に表現された形象と色彩そのものが現実から自立し、それ自体としての価値を持つ芸術観が成立する。
そうした流れの中で、20世紀初頭のフォーヴィスムは色彩を中心にし、キュビズムは立体的な形体を中心に、作品の中に一つの世界を表現した。

1920年代に誕生するシュルレアリスム(超現実主義)では、現実への再接近が行われる。
超現実主義が現実への回帰だと考えるのは一見矛盾するように思われるが、しかし、現実を超えるということは、現実を前提としていることになる。
夢の世界と同じように、現実に不可思議な変形がなされ、理性では把握できない世界が生み出されたのだった。

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現代アート 最初の一歩 Premier pas vers l’art du 20e siècle 3/5 フォーヴィスムとキュビスム

現代アートでは、何が描かれているのかわからないし、絵画の理解を裏付ける物語は存在しない。
そうした点が、現代芸術を伝統的な芸術と区別する根本的な違いである。

では、現代アートにアプローチするためには、どうすればいいのだろうか。

作品を前にする時、理解しようとする必要はなく、ただそこに描かれているものをそのまま見るだけでいい。
頭でそうしたことがわかっていても、理解できず、何が描かれているのかわからないものを前にして、美を感じることは難しい。

その理由は、目が慣れていないから。

これから、目を慣らすために、20世紀初頭に誕生した二つの絵画の流れに属する絵を見ていこう。
一つは、フォービスム。もう一つはキュビスム。

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現代アート 最初の一歩 Premier pas vers l’art du 20e siècle 2/5 さらば 遠近法と物語

現代アートは伝統的な絵画に対して革命を起こしたといえるほど、伝統の核心をなすコンセプトを破壊し、新しい芸術のあり方を提示した。

その新しさを理解するためには、何を壊したのか知る必要がある。

ここでは、描き方の変化として、遠近法を放棄したこと、描く題材に関しては、物語の下支えを取り払ったことを、確認していく。

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現代アート 最初の一歩 Premier pas vers l’art du 20e siècle 1/5 

現代アートという用語がどのような美術作品をカバーしているのか、厳密に定義することは難しい。
ここでは、19世紀後半に起こった芸術に関するコンセプトの変化以降、20世紀に新たな潮流となった様々な美術作品を指すものとする。

現代アートは難しい、としばしば言われる。
実際、何を描いているのかわからないし、それ以前の絵画の基準では、美醜の区別もつかない。
もしピカソだと言われずにピカソの作品を見たら、素直に素晴らしいと思えるだろうか。

では、現代アートを楽しむための基本的な知識とは、どのようなものだろうか。

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