17世紀の時代精神 社会の中の「人間」

ルネサンスの時代、「人間」には価値があるという認識が生まれた。そして、16世紀の後半になると、ミッシェル・ド・モンテーニュが「私」を検討し、「動き」の中にある「人間」を様々な視点から描き出した。
その二つの段階は、調和した円環に動きが加えられ、凹凸のある、いびつな真珠へと変形していくというイメージで形象化できる。

モンテーニュの後、17世紀になると、いびつな真珠を矯正する動きが急速に強まり、世紀の後半になるとその形は直線になってしまう。しかもその線には方向性があり、前進する。

時間で言えば、循環する時間が直進する時間になる。その上で、前に進むことが「進歩」と捉えられるようになる。時間は前進し、人間も文明も進歩するという思想が支配的になっていく。

「進歩」はヴェルサイユ宮殿によっても確認される。
1623年、ルイ13世がヴェルサイユに小さな宮殿を建造させ、その後、徐々に拡張していく。しかし、まだ狩りの館といった状態に留まっていた。
その状態から一気に姿を変えるのは、ルイ14世の時代。1660年代に大改造が行われ、20年後にはパリからヴェルサイユに首都機能が移転されるまでになる。
わずか数十年の間のヴェルサイユの変化をみれば、文明の進歩を目の当たりにするように感じるだろう。

「進歩」の概念は、17世紀後半の「新旧論争」によって明確に表明される。
1687年、シャルル・ペローは『ルイ14世の世紀』と名付けられた詩をアカデミー・フランセーズで朗読し、ルネサンス以来理想とされてきた古代と比較しても、ルイ14世が君臨する今の方が優っている、と宣言した。
そのことは、「新しいもの」が「古いもの」よりも優れているという「進歩」の概念が、多くの人々に認められたことを示している。

「人間」のあるべき姿を求めて

16世紀後半に生まれたバロック様式の建築や絵画を見ると、力強い躍動感に溢れている。バロック様式は、全てが動きの中にある、と捉える時代精神の表現だといってもいい。
17世紀に入ると、四方八方に拡散する動きを制御することが求められるようになる。

政治的に言えば、1610年、アンリ4世が暗殺され、9歳のルイ13世が即位する。
ルイ13世の治世では、王母のマリー・ド・メディシスが権力を握るが、1624年からは枢機卿リシュリューが実質的に国家の運営を担った。その間、大貴族の力をそぎ、新教徒の勢力を抑制、王を中心にした中央集権化を進めた。
1643年、ルイ13世が死去。4歳のルイ14世が国王に即位する。

こうした時代、絵画に目を移すと、バロック的な動きから、古典主義の静止へと、様式が移行する様子が見えてくる。
左右のバランスが崩れ、劇的な光と闇の戦いが物語性を生み出し、動きそのものが主題であるかのような絵画から、均整が取れ、全てが理想的な状態にある静止した瞬間が画布に定着される絵画へ。
17世紀を代表する画家ニコラ・プッサンのバロック様式の絵画と古典主義の絵画は、その移行を見事に示している。

1628-9年に描かれた「聖エラスムスの殉教」にある動きが、約10年後に描かれた「アルカディアの牧人たち」にはない。
ここでは全てが静止し、墓石に記された「我、アルカディアにもあり」と掘られた文字を中心に、安定した構図の中、羊飼いと女神が古代ギリシアの彫刻のような姿で、バランスよく配置されている。
フランス古典主義における規範的作品とされるこの絵画は、渦巻く動きを制御し、人間や世界のあるべき姿を求めていた17世紀前半の時代精神を、目に見える形で表現していると考えてもいいだろう。

ルネ・デカルトの哲学は、そうした時代精神に基づき、「理性」を中心に、「人間」を制御しようとした。
「我思う、故に我在り。」
日本でもよく知られているこの言葉は、「私」の中心には「考える」という機能があり、それを司るのが「理性」であるという考えに基づいている。
「理性」は、よい判断をすることを可能にし、偽りと正しいことを区別する能力。人間であれば誰もが持っていると、デカルトは言う。

ところで、人間には「理性」と対極にある原理がある。それが「情念(パション)」。現代であれば、感情と言った方がわかりやすいかもしれない。
この二つの対立は、能動と受動による。
情念(passion)は、pâtir(受ける、蒙る)という動詞に由来し、受動的な働き。
理性は、働きかける(agir)の側にあり、能動的な働き。
人間は、「情念」の動きを「理性」によって制御しなければならない。

このデカルトの思想から、二つの点を取り出すことができる。
(1)人間には「理性」と「情念」という二つの側面がある。
私たちにとって当たり前すぎるこの考え方は、17世紀になって確立したと考えられる。そのことは、学問を理科系と文化系に分ける2分法がこの時代に定着し始めることからもわかる。
(2)自由な動きを「理性」の力によって、正しい方向に導く必要がある。
人間の価値は、自由に動くことではなく、価値ある人間に相応しい振る舞いにある。あるがままの人間ではなく、あるべき人間になることが、この時代を生きる人間の課題になる。

デカルトと同時代、あるべき人間をヒーローにして芝居を書いたのが、ピエール・コルネイユ。
コルネイユの『ル・シッド』は、恋愛を素材にして、どのような振る舞いが相手の愛に相応しいかを舞台上で論じた作品。
一言で言えば、恋愛において、感情に素直に従うべきなのか、理性を働かせて社会の規範を守るべきなのか?
『ル・シッド』の主人公であれば、相手の愛を得るためには、尊敬に値する人間になる必要がある。従って、パッションに引きずられるのではなく、理性的に振る舞う。たとえ一旦は愛する人と敵対することになっても、社会的な規範に従い、みんなから賞賛される行動をする。それが、最終的には、相手の愛を得る唯一の手段なのである。

ところで、デカルトの哲学書にしろ、コルネーユの芝居にしろ、受容される場所は、王を中心にした宮廷や貴族の館で開催されるサロンを中心にしていた。芝居であれば舞台で上演され、書籍でも宮廷やサロンに集う人々の前で朗読された。文芸作品は、一人で黙読されるのではなく、集団の中で声に出することで耳から耳へと伝わっていったのである。

そうした環境で、文芸や芸術は、人々の振る舞いを洗練させる役割を果たした。
17世紀は経済活動が活発化し、大商人たちが台頭し、貴族の称号の売買も行われた。彼らが宮廷やサロンに相応しくあるためには、服装だけではなく、言葉遣いも洗練される必要がある。

そこで、フランス語自体、しっかりした規定を定める必要が出てくる。
フランス語は16世紀に初めて公用語として認められ、その後、ラテン語に劣らない優れた言語となるために様々な改革が行われた。豊かさを増すことは、複雑で、混乱したものが含まれる可能性もあった。
そうした中で、1635年、言語の統制を行うことを中心的な課題とするアカデミー・フランセーズが、枢機卿リシュリューによって認可され、設立された。
1647年になると、文法学者ヴォージュラが、『正しく話し書くことを望む人々にとって有益となる、フランス語に関する覚書き』を出版。宮廷で使われている言葉を基本にして、フランス語の正しい慣用を定めようとした。
フランス語の整備は、1694年にアカデミー・フランセーズが『フランス語辞典』を出版することで、一応の完成形に達する。

バロック的な拡散する動きを「理性」によって制御し、均整が取れ、洗練された姿に変えること。17世紀前半の時代精神は、その姿に理想像を見出していたと考えることができる。

人間は弱い存在だから・・・

あるべき人間の姿が提示された後に来るのは、現実の社会の中で人間がどのように存在しているのか、という問いになる。
17世紀後半の文学が問題にする社会とは、宮廷社会やサロンを中心にした貴族と富を得た市民の集う場所と考えていいだろう。

では、そこに集う人間は、どのような存在として捉えられたのだろう?
「人間」に関して、デカルトはパッション(情念)と理性という二つの側面を取り上げ、理性を情念の上に置いた。
しかし、現実において、人間は情念あるいは感情に引きずられることが多い。情に負ける。その方が人間的だと考える人もいるだろう。人間は弱い存在なのだ、と。

では、人間という弱い存在は情念に引きずられるままでいいのか? それで魂の救いはあるのか? 社会は混乱しないのか? 統制は必要ないのか?
こうした問いの前で、二つの態度が見られた。
(1)人間の無力を自覚し、人間を超えた存在である神を信頼する。
(2)現実の人間の姿を観察し、弱さの表現となる様々な問題点を明らかにする。

(1)の考え方は、ジャンセニスムという宗教思想に代表される。

Philippe de Champaigne, Ex-voto de 1662

ジャンセニスムでは、人間は原罪を犯した存在であり、無力であると考える。
自分の魂が救われるかどうかは、自分の行為によって決めることはできない。それが可能だと考えるのは傲慢である。神の恩寵を待つしかないのだ。その恩寵が誰に下るのかは神のみが知る。そして、その決定は絶対的である。人間が介入する余地はない。

こうした考え方は、教会の主流を占めていたイエズス会の、人間の自由意志を重視する考え方と対立し、激しい弾圧の対象となった。

「人間は考える葦である。」という有名な言葉で知られるブレーズ・パスカルは、ジャンセニスムの側に立った思想家。
パスカルが主張するのは、人間は神の恩寵を自らの意思に基づいて受け入れるのであり、そうすることで正しい信仰に至ることができる、ということだった。
このように考えると、神の恩寵の絶対性と人間の自由意志は矛盾しないことになる。

人間を超える存在(神、運命)を前提にして演劇作品を書いたのが、ジャン・ラシーヌ。
ラシーヌの主人公たちは、激しい情念に捉えられながら、何とか理性の力によって情念を押しとどめようとする。しかし、情念は神が定めた運命として襲いかかり、主人公は悲劇的な結末を迎える。
ラシーヌは、そうした葛藤を通して、自由意志を貫こうとする人間の姿を浮き彫りにし、そこに美を見出した。

(2)の考え方に基づき、社会における人間の姿を描いた作家たちは、人間の欠点と思われる部分を様々な仕方で描き出した。

Abraham Boss, Salon des dames

17世紀の宮廷、サロン社会は「外見の文化」に基づいていた。
「外見の文化」というのは、「本物」と「見掛け」が分かれている文化。
例えば、王宮では、身分に応じて着ることができるドレスが決められていたりした。従って、ドレスという外見を見れば、来ている人間がどの階級に属するかがわかることになる。

逆に言えば、外見をつくろうことで、相手を騙すことも可能になる。偽物の侯爵がいくらでも出来上がる。
そうした社会では、見える姿を通して、本当の姿を見破る術が必要とされる。

実際、華やかな外見に彩られた宮廷やサロンの中では複雑な人間関係が織りなされていた。そこで受け入れられるための規定が細かく決まっていたし、約束事を守らなければ排除される。場に「ふさわしい」ことが最大の美徳であり、そのためには場を読むことができなければならなかった。

しかし、人間は弱い存在。偽りの姿を使ってでも、愛を得、地位を得、財産を得ようとすることもあっただろう。とすれば、噓の姿に騙されないために、裏を読む技術も必要となる。

「我々の美徳は、ほとんどの場合、偽装された悪徳にすぎない。」
このラ・ロシュフコーの言葉は、17世紀後半の外見の文化を生き抜く上で必要な「裏を読む力」を一言で言い表している。
彼の『箴言集』は、簡潔な文章によって、人間とは常に自己愛で動く生物であることを暴露する。
「嫉妬の中には、愛よりも、自己愛の方が多くある。」
人を愛するのは、その人から愛されるために過ぎない。
このような論理で、人間の行動の裏面を明らかにし、人間の弱さを赤裸々に語っていく。

喜劇作家と言われるモリエールは、市民社会を舞台に上げ、社会の規範から外れた行動を取る主人公たちの「過剰さ」を笑いの対象とした。
貴族になることを望む市民が、貴族的な洗練を過剰に真似ようとすれば、その様子は滑稽になる。過剰な嫉妬、過剰なケチさ、過剰な信仰ぶり、過剰な正直さ。そうした過剰がモリエールによって、観客の目の前で明らかになり、笑いを誘う。

ラ・ファイエット夫人は恋愛を素材にした。
心の中に秘めた愛を隠し通そうとする女性、隠された愛を盗み見ようとする男性、暴露された愛に苦しむ夫という三角関係を描き出す。
目に見える行動(=外見)と目に見えない感情(心)という対比に基づき、お互いの心の読み合いが物語を形作っていく。

ラ・フォンテーヌは、イソップ童話の枠組みを使い、宮廷やサロンに集う人々の人間関係を、動物を使った寓意として表した。「セミとアリ」「犬とカラス」「牛になろうとしたカエル」「樫と葦」など、社会生活を送る上で教訓になる素材を、17世紀の社会に合わせて語り直すことで、読者に自分の行動を考えるための素材を提供した。

シャルル・ペローは、古代ギリシアのイソップの寓話ではなく、フランスの昔話を取り上げ、宮廷社会において貴族の子女が取るべき行動がどうあるべきかという規範を示した。
「赤ずきんちゃん」の教訓は、狼は若い男のことで、狼の言葉に耳を傾けたりすると、寝室の中まで入ってきてしまうし、食べられてしまうかもしれない、というもの。
粉ひきの三男が貴族の服を着ることで貴族になりすまし、最後は王女と結婚する「長靴をはいた猫」では、王女から愛される手段として、「衣裳、顔立ち、若さ」が有効だという教訓が付けられる。まさに、「外見の文化」とは何かが、そのまま明かされている。

このシャルル・ペローが「新旧論争」の中心人物であり、古代よりルイ14世の君臨する現代の方が優れているという主張をしたのだった。
新しいものが古いものより優れているという「進歩」の概念が成立し、時間は未来に向かい直線的に進んで行く。
「サンドリヨン(シンデレラ)あるいは小さなガラスの靴」の王宮には時計があり、12時になる前、11時45分を告げる音が聞こえる。
時計の存在自体が17世紀後半には新しいものだったが、時を刻む細かな数字は、時間が時計によって科学的に計量可能になったことを示している。

17世紀後半、シンデレラの王宮の時計が象徴するように、理性に基づく科学精神が発展していた。目に見えるもの、手で触れることができるものが現実だと見なす考え方が主流になった。
逆の視点からすると、目に見えないもの、たとえば神、あるいは心の中は、人間にとって神秘となり、実証の対象から外れることになる。
現代の言葉で言えば、物理的な事象を対象とする理科系と、心や感情を扱う文化系の区別がはっきりと付けられるようになった。
人間を小さな宇宙と呼び、渾然一体とした統一体と見なした時代が終わり、理性を中心に肉体と精神から成る存在と見なす、合理主義の時代が到来しようとしていた。