ジェラール・ド・ネルヴァル 「シルヴィ」 Gérard de Nerval, Sylvie エルムノンヴィルにて

ジェラール・ド・ネルヴァルの代表作の一つ「シルヴィ」の中で、主人公の「私」は、パリの劇場の舞台に姿を現す女優に夢中になり、そこから連想の糸に導かれて、幼い頃を過ごしたパリ北方に位置するヴァロワ地方で出会ったアドリエンヌやシリヴィのことを思い出す。

その小説の中では、パリとヴァロワ地方、現在と過去が巧みに組み合わせられ、最終的には、全てが「私」から失われる物語が展開する。

ここでは、9章「エルムノンヴィル」を取り上げ、ネルヴァルが、現実に存在する風景をかなり忠実に再現しながら、どのような言葉を紡いで現実に厚みを付け加え、彼の文学世界を構成していくのか、その過程を見ていこう。


パリから馬車でヴァロワ地方に戻った「私」は、お祭りで踊っているシルヴィと再会し、翌日も彼女に会いに行こうとする。

 Plein des idées tristes / qu’amenait ce retour tardif / en des lieux si aimés,/ je sentis le besoin /de revoir Sylvie /, seule figure / vivante / et jeune encore / qui me rattachât à ce pays. / Je repris la route de Loisy. / C’était au milieu du jour ;/ tout le monde dormait, / fatigué de la fête. Il me vint l’idée / de me distraire / par une promenade à Ermenonville, / distant / d’une lieue / par le chemin de la forêt. / C’était par un beau temps d’été. /

私はとても悲しい気持ちに満たされていた。こんなに時間が経ってから、大好きだった所に戻って来たためだった。シルヴィにもう一度会う必要があると感じた。彼女だけが、生き生きとし、今も若々しい姿をしていて、私をこの地方に結び付けているのだ。私は再びロワジー(注:シルヴィの住む村)への道を歩き始めた。真昼だった。誰もがまだ眠っていた。お祭りで疲れていたのだ。ある考えが頭に浮かんだ。エルムノンヴィルを散策すれば、気晴らしになるだろう。エルムノンヴィルは、森の道を通って、4キロほど先にある。夏らしい素晴らしい天気だった。

大好きだった場所に戻ってくるのが遅すぎたことで引き起こされる悲しみは、「私」が現在抱えている喪失感を強調する役割を果たす。
何を失ったかと言えば、それはシルヴィの愛。

そのように考えると、手の届かない理想にメランコリックな憧れを抱くことで生まれるロマン主義的な抒情性が、今では手の届かないシルヴィを求めることから生まれてくることが理解できる。

ところが、「私」がシルヴィに会いに行こうというその瞬間、ネルヴァルは、「私」に寄り道をさせ、エルムノンヴィルへの散策という場面を設定する。

その散策は、「最初」「少しの間」「最後に」という段階で進行する。

Je pris plaisir / d’abord / à la fraîcheur de cette route / qui semble l’allée d’un parc. / Les grands chênes / d’un vert uniforme / n’étaient variés que / par les troncs blancs des bouleaux / au feuillage frissonnant. / Les oiseaux se taisaient, / et j’entendais seulement le bruit / que fait le pivert / en frappant les arbres / pour y creuser son nid. / Un instant, / je risquai de me perdre, / car / les poteaux / dont les palettes annoncent diverses routes / n’offrent plus, / par endroits, / que des caractères effacés. / Enfin, / laissant le Désert à gauche, / j’arrivai au rond-point de la danse, / où subsiste encore le banc des vieillards. / Tous les souvenirs / de l’antiquité philosophique, / ressuscités par l’ancien possesseur du domaine,/ me revenaient / en foule / devant cette réalisation pittoresque / de l’Anacharsis / et / de l’Émile.

最初、その道の清々しさが嬉しかった。公園の小道のようだった。巨大な樫の木は、一面が緑で、それに変化を付けるのは、葉がサラサラと震える樺の木の白い幹だけだった。鳥たちは声を立てずにいた。聞こえてくるのは、キツツキが巣を作るために木々を叩く音だけだった。少しの間、道に迷いそうになった。というのも、様々な道を告げる標識のついた柱があるのだが、ところどろこで文字が消えていたからだった。最後に、左手にある「砂漠」を行きすぎ、(村人たちが朝まで)ダンスを踊っていた円形の広場に着いた。そこにはまだ、老人の椅子が残っている。この領地の年老いた所有者によって再生された哲学的古代のあらゆる思い出が、私の中に数多く甦ってきた。『若きアナカルシスのギリシア旅行』や『エミール』の場面を、絵のように美しく実現した景色が目の前にあった。

まず描かれるのは、エムルノンヴィルの美しい自然の風景。巨大な樫(chênes)の木々の緑と樺(bouleaux)の木の白とのコントラスト。サラサラと震える葉(feuillage frissonnant)。キツツキ(pivert )が木を叩く音。

そうした自然の中では、決められた道を歩き、目的地に真っ直ぐ向かうよりも、迷子になって彷徨った方がはるかに魅力的に感じられる。

その後、草も木もはえない「砂漠(le Désert)」や様々な方向に向かう道が交差する円形の広場(le rond-point)を行きすぎ、「老人の椅子(banc des vieillards)」を目にする。

上の写真で見ることができるように、ネルヴァルが描写した場面は現在でもほぼ同じ姿で目にすることができる。

そして、「老人の椅子」に至った時、石で出来た椅子の姿を契機として、「私」の思考は、古代の哲学へと突然移行し、18世紀に大流行したバルテルミー神父のギリシア旅行記やジャン・ジャック・ルソーの『エミール』へと繋がっていく。

この地を所有していたのは、ルネ・ルイ・ド・ジラルダン侯爵。
彼はルソーの弟子といえる貴族で、自然と哲学的な思想を融合させた庭園についての著作『風景の構成について』がある。
ネルヴァルがここで描いているエルムノンヴィルの景色は、ジラルダン侯爵によって実現したフランスの風景式庭園に他ならない。野生に見える自然の中に、「砂漠」や「老人の椅子」、次に出てくる「哲学の神殿」等が配置されているのは、そのためである。

 Lorsque je vis / briller les eaux du lac / à travers les branches / des saules / et / des coudriers, / je reconnus / tout à fait / un lieu / où mon oncle, / dans ses promenades, / m’avait conduit / bien des fois : / c’est le Temple de la philosophie, / que son fondateur n’a pas eu le bonheur / de terminer. / Il a la forme du temple de la sibylle Tiburtine,/ et, / debout encore, / sous l’abri d’un bouquet de pins, / il étale tous ces grands noms de la pensée / qui commencent par Montaigne et Descartes, / et qui s’arrêtent à Rousseau. / Cet édifice inachevé / n’est déjà plus qu’une ruine,/ le lierre le festonne / avec grâce, / la ronce envahit les marches disjointes./

湖の水が、柳やハシバミの枝を通して輝いているのが見えた時、かつて叔父さんが、散歩をしながら、何度も連れてきてくれたところだと、すぐにわかった。「哲学の神殿」がある。その建築を考えた人は、しかし、完成する幸福を得ることができなかった。その神殿は、(ローマ近郊の)ティブルの巫女の神殿と同じ形をし、松の木々に覆われて今も立ち続け、偉大な思想家たちの名前を掲げている。それらの名前は、モンテーニュとデカルトから始まり、ルソーで終わる。その未完成の建物はすでに廃墟でしかなく、蔦が優雅にからみつき、茨が崩れた階段まで伸びている。

次の写真は、ローマ近郊のチボリ公園に近くにある神殿。

「哲学的古代のあらゆる思い出(Tous les souvenirs / de l’antiquité philosophique)」を最も明確な形にしたものが、「哲学の神殿(Temple de la philosophie)」だといえる。
そして、その円柱には哲学者たちの名前が彫られている。

ただし、ネルヴァルが名前を挙げているモンテーニュの柱は存在しない。
デカルト、ルソーの他にはニュートンやヴォルテール、そしてモンテスキューの名前がある。
ネルヴァルが、記憶違いでモンテスキューをモンテーニュと書いたのか、あえてモンテーニュとしたのかは不明。

「私」は、幼い頃、伯父さんに連れられて神殿を見たという。そのことは、神殿が「私」の思い出の中の存在でもあることを暗示する。

「ティブルの巫女の神殿(temple de la sibylle Tiburtine)」への言及は、エルムノンヴィルを古代ローマと結び付け、歴史の厚みを加える効果を果たしている。

ちなみに、18世紀後半の画家ユベール・ロベールは、チボリ公園の神殿とエルムノンヴィルの神殿を描いているので、ネルヴァルは彼の絵画を念頭に置いているのかもしれない。
もしそうであれば、絵画的な記憶も、エルムノンヴィルの自然描写に溶け込んでいることになる。

Là, / tout enfant, / j’ai vu des fêtes / où les jeunes filles / vêtues de blanc / venaient recevoir / des prix d’étude et de sagesse. / Où sont les buissons de roses / qui entouraient la colline ? / L’églantier et le framboisier / en cachent les derniers plants, / qui retournent à l’état sauvage./ — Quant aux lauriers, / les a-t-on coupés, / comme le dit la chanson des jeunes filles / qui ne veulent plus aller au bois ? / Non, / ces arbustes de la douce Italie / ont péri / sous notre ciel brumeux. / Heureusement / le troène de Virgile / fleurit encore, / comme pour appuyer la parole du maître / inscrite au-dessus de la porte : / Rerum cognoscere causas ! / — Oui, / ce temple tombe / comme tant d’autres, / les hommes oublieux / ou fatigués / se détourneront / de ses abords, / la nature indifférente / reprendra le terrain / que l’art lui disputait ; / mais / la soif de connaître / restera éternelle, / mobile de toute force / et de toute activité !

ここで、小さな子どもの頃、お祭りを見たことがあった。小さな女の子たちが白い服を着て、勉強と賢い振る舞いに与えられる賞をもらいにやって来ていた。丘を取り囲むバラの茂みは、今どこにあるのだろう? 野バラや木イチゴがバラの最後の木々を覆っているが、その木々も野生の状態に戻ろうとしている。——— 月桂樹は、もう切られてしまったのだろうか? もう森に行きたくないと歌う少女たちの歌詞のように。いいや、穏やかなイタリアの灌木は、霧深い私たちの空の下、枯れてしまった。幸運なことに、ウェルギリウスの詩句に出てくるイボタノキが今でも花を咲かせている。それは、門の上に記された大詩人の言葉を証明しているかのようだ。「レールム・コグノスケレ・カウサース(事物の原因を認識すること)!」(注:『農耕詩』第2巻のエピローグ)——— そうだ、この神殿は他の神殿同様に倒れてしまう。忘れっぽく、疲れた人間は、いつか神殿に近づくことを止めるだろう。無関心な自然は、人間の業が争った土地をいつか取り戻すだろう。しかし、知ることへの餓えは永遠に残り続け、あらゆる力とあらゆる活動の源になる。

子どもの頃の思い出は「私」の個人的な回想のように思われるが、次に、「もう森に行きたくないと言う少女たちの歌(chanson des jeunes filles qui ne veulent plus aller au bois)」と続くことで、フランスの古い民謡を連想させることになる。

そして、「バラの茂みは今どこにあるのだろう? 」「木々も野生の状態に戻ろうとしている。」「月桂樹に関しては、もう切られてしまったのだろうか?」といった言葉によって、「私」個人が抱えている喪失感が、ヴァロワ地方全体の喪失感であることが、暗に示される。

その上で、再び、「哲学の神殿」の現実に戻る。
その門の上には、実際に、ウェルギリウスの「Rerum cognoscere causas」というラテン語の詩句が掘られている。

その詩句は「事物の原因を認識する」という意味であり、ネルヴァルはその言葉から「知識への渇望(soif de connaître)」という思考を取りだし、それが人間の「あらゆる力と活動の源泉(mobile de toute force et de toute activité )」だとする。

神殿は崩れ落ちるが、知識への渇望は人間に生命力を与えるという対比。それは、現在の喪失感と、それでもなおシルヴィを求めることの対比と対応している。

 Voici les peupliers de l’île, / et la tombe de Rousseau, / vide de ses cendres. / O sage ! / tu nous avais donné le lait des forts, / et nous étions trop faibles / pour qu’il pût nous profiter. / Nous avons oublié tes leçons / que savaient nos pères, / et nous avons perdu le sens de ta parole, / dernier écho des sagesses antiques. / Pourtant / ne désespérons pas, / et, comme tu fis à ton suprême instant, / tournons nos yeux vers le soleil ! /

島のポプラの木々とルソーの墓が見える。墓に彼の遺骨なく、空っぽだ。おお、賢者よ! あなたは私たちに強者の乳を与えたが、私たちはあまりにも弱く、その乳を有効に使うことができなかった。私たちは、祖先から与えられた教えを忘れてしまい、古代の叡智の最後のこだまであるあなたの言葉の意味が分からなくなってしまった。しかし、絶望しないでおこう。あなたが最期の瞬間にしたように、自分たちの目を太陽に向けよう!

エルムノンヴィルの公園において、「哲学の神殿」と並ぶもう一つの見物はジャン・ジャック・ルソーが最初に葬られたポプラの島。湖の中に小島があり、ポプラの木が、墓のまわりを取り囲んでいる。

1778年、ルソーはこの近くにある小さな小屋の中で最期の時を迎え、ポプラの島に葬られた。
その後、1794年、彼の遺骨はパリにあるパンテオンに移された。
そのために、ポプラの島の墓は、ここで記されているように、遺骨がなく、空のままで置かれている。

ネルヴァルは、ルソーの言葉を「古代の叡智の最後のこだま(dernier écho des sagesses antiques)」とし、ルソーは最期の瞬間に太陽に目を向けたという言い伝えに従い、「あなたが最期の瞬間にしたように、自分たちの目を太陽に向けよう(tournons nos yeux vers le soleil)」と記す。

そして、「絶望はしないでおこう(ne désespérons pas)」という気持ちを持ちながら、それでも太陽ではなく、現実に存在する城館に目をやる。

J’ai revu / le château, / les eaux paisibles / qui le bordent, / la cascade / qui gémit dans les roches, / et cette chaussée / réunissant les deux parties du village, / dont quatre colombiers / marquent les angles, / la pelouse / qui s’étend au-delà / comme une savane, / dominée par des coteaux ombreux ; / la tour de Gabrielle / se reflète / de loin / sur les eaux d’un lac factice / étoilé de fleurs éphémères ; / l’écume bouillonne, / l’insecte bruit… / Il faut échapper / à l’air perfide / qui s’exhale / en gagnant les grès poudreux du désert / et les landes / où la bruyère rose relève le vert des fougères. / Que tout cela est solitaire et triste ! / Le regard enchanté de Sylvie, / ses courses folles, / ses cris joyeux, / donnaient / autrefois / tant de charme / aux lieux / que je viens de parcourir ! / C’était encore une enfant sauvage, / ses pieds étaient nus, / sa peau hâlée, / malgré son chapeau de paille, / dont le large ruban / flottait / pêle-mêle / avec ses tresses de cheveux noirs. / Nous allions boire du lait à la ferme suisse, / et l’on me disait : / « Qu’elle est jolie, / ton amoureuse, / petit Parisien » / Oh ! / ce n’est pas alors / qu’un paysan aurait dansé avec elle ! / Elle ne dansait / qu’avec moi, / une fois par an, / à la fête de l’arc.

私は城館を再び見た。穏やかな水が城館を囲み、滝が岩の間で苦しげな音を立てている。少し盛り上がった土地が村の二つの地区を繋いでいる。四つの隅には鳩小屋が置かれている。その向こうでは、芝生が草原のように広がり、陰になった小さな丘が見える。さらに向こうでは、ガブリエルの塔が人造池の水の映り、水の上には儚い花が星のようにちりばめられている。泡が立ち、昆虫がぶんぶんと音を立てる。・・・そこから湧き上がる危険な空気から逃れるには、乾燥した土地の埃っぽい砂岩、そして、バラ色のヒースがシダの緑を際立たせている荒れ地まで行かないといけない。それにしても、全てが何と孤独で悲しいことか! シルヴィのチャーミングな眼差し、狂ったように歩き回る様子、陽気な叫び声が、以前であれば、今私が歩いてきたばかりの土地に多くの魅力を与えていた。あの頃、彼女はまだ野生的な子どもだった。裸足で、麦わら帽子をかぶり、大きなリボンが黒髪の房と一緒にフワフワしていたけれど、肌は日に焼けていた。二人でスイス風の農場にミルクを飲みに行った時には、人々が私にこう言ったものだった。「なんて可愛いんだろう、お前さんの恋人は。チビのパリっ子。」 ああ!その頃なら、農家の子が彼女とダンスを踊ることなんてなかった! 彼女が踊るのは、私だけだった、一年に一度、弓の祭りの時に。

目の前にある城館を見れば、取り巻く自然は決して美しいとはいえない。城の前の池は人間によって作られたもので、「儚い花(fleurs éphémères)」が水面に映っている。
その池からは、「人を偽る危険な空気(air perfide)」が立ち上る。

そうした空気を逃れるには、「植物の咲かない土地の埃っぽい砂岩(grès poudreux du désert )」や「バラ色のヒースがシダの緑を引き立てる荒れ地(landes où la bruyère rose relève le vert des fougères)」まで行かないといけない。
しかし、そこにしても、やはり「それら全てが何と孤独で悲しいことか(que tout cela est solitaire et triste)!」と、強い口調で言うしかないほど、生命感に欠けた世界を前にしている。

そこで、「私」は再び、生命の源であるシルヴィの過去の姿を描き出し、次の第10章で「私」がシルヴィの許を尋ねることの意味を、予め読者に予告する。
つまり、彼女は、この地で唯一、「生き生きとし、今もまだ若々しい(vivante / et jeune encore)」存在であるが、過去においても、世界に「数多くの魅力(tant de chamre)」を与える存在だった。

彼女と共にスイス風の農場で飲むミルクは、ジャン・ジャック・ルソーが私たちに与えた「強者の乳(lait des forts)」だと考えてもいいだろう。
それを飲むことは、古代から続く時間を現在に接続し、現在に生命を吹き込むことなのだ。


そのように考えると、ここまで辿ってきたエルムノンヴィルの散策は、次の章で「私」がシルヴィと再会する目的を読者に告げていることになる。
彼女の愛を取り戻すことが、全ての原動力となる生命の起源へと戻り、喪失感に満たされた現在に生命を回復させることにつながる。
そのような思いの中で、今では手が届かないシルヴィに到達しようとする強い渇望が、ロマン主義的な抒情性を作品に与える。

また、ジラルダン侯爵によって造営された風景式庭園を描くことで、ネルヴァルは「シルヴィ」をルソーの作品の系譜に位置づけようともする。
さらに、ルソーを古代の叡智の最期のこだまとすることで、ルソーを超えて、古代ローマやギリシアの思想まで遡る。

その一方で、フランスに古くから伝わる民謡を付け加えることで、鉄道網から取り残された古い村々こそが、過去から切り離されたパリの近代生活にとって、生命の源であったことを思い出させもする。

物語のあらすじとは関係のないエルムノンヴィルのエピソードが、「私」の生きる現実に歴史的、文化的な厚みを加え、「シルヴィ」という作品に深みを与えることが、こうした検討から明らかになる。


ネルヴァルのフランス語は音楽性に富み、とても美しい。
朗読に合わせ、描かれた場面の映像を思い浮かべながら、全体を読み直してみよう。

Plein des idées tristes / qu’amenait ce retour tardif / en des lieux si aimés,/ je sentis le besoin /de revoir Sylvie /, seule figure / vivante / et jeune encore / qui me rattachât à ce pays. / Je repris la route de Loisy. / C’était au milieu du jour ;/ tout le monde dormait, / fatigué de la fête. Il me vint l’idée / de me distraire / par une promenade à Ermenonville, / distant / d’une lieue / par le chemin de la forêt. / C’était par un beau temps d’été. / Je pris plaisir / d’abord / à la fraîcheur de cette route / qui semble l’allée d’un parc. / Les grands chênes / d’un vert uniforme / n’étaient variés que / par les troncs blancs des bouleaux / au feuillage frissonnant. / Les oiseaux se taisaient, / et j’entendais seulement le bruit / que fait le pivert / en frappant les arbres / pour y creuser son nid. / Un instant, / je risquai de me perdre, / car / les poteaux / dont les palettes annoncent diverses routes / n’offrent plus, / par endroits, / que des caractères effacés. / Enfin, / laissant le Désert à gauche, / j’arrivai au rond-point de la danse, / où subsiste encore le banc des vieillards. / Tous les souvenirs / de l’antiquité philosophique, / ressuscités par l’ancien possesseur du domaine,/ me revenaient / en foule / devant cette réalisation pittoresque / de l’Anacharsis / et / de l’Émile.

Lorsque je vis / briller les eaux du lac / à travers les branches / des saules / et / des coudriers, / je reconnus / tout à fait / un lieu / où mon oncle, / dans ses promenades, / m’avait conduit / bien des fois : / c’est le Temple de la philosophie, / que son fondateur n’a pas eu le bonheur / de terminer. / Il a la forme du temple de la sibylle Tiburtine,/ et, / debout encore, / sous l’abri d’un bouquet de pins, / il étale tous ces grands noms de la pensée / qui commencent par Montaigne et Descartes, / et qui s’arrêtent à Rousseau. / Cet édifice inachevé / n’est déjà plus qu’une ruine,/ le lierre le festonne / avec grâce, / la ronce envahit les marches disjointes./ Là, / tout enfant, / j’ai vu des fêtes / où les jeunes filles / vêtues de blanc / venaient recevoir / des prix d’étude et de sagesse. / Où sont les buissons de roses / qui entouraient la colline ? / L’églantier et le framboisier / en cachent les derniers plants, / qui retournent à l’état sauvage./ — Quant aux lauriers, / les a-t-on coupés, / comme le dit la chanson des jeunes filles / qui ne veulent plus aller au bois ? / Non, / ces arbustes de la douce Italie / ont péri / sous notre ciel brumeux. / Heureusement / le troène de Virgile / fleurit encore, / comme pour appuyer la parole du maître / inscrite au-dessus de la porte : / Rerum cognoscere causas ! / — Oui, / ce temple tombe / comme tant d’autres, / les hommes oublieux / ou fatigués / se détourneront / de ses abords, / la nature indifférente / reprendra le terrain / que l’art lui disputait ; / mais / la soif de connaître / restera éternelle, / mobile de toute force / et de toute activité !

Voici les peupliers de l’île, / et la tombe de Rousseau, / vide de ses cendres. / O sage ! / tu nous avais donné le lait des forts, / et nous étions trop faibles / pour qu’il pût nous profiter. / Nous avons oublié tes leçons / que savaient nos pères, / et nous avons perdu le sens de ta parole, / dernier écho des sagesses antiques. / Pourtant / ne désespérons pas, / et, comme tu fis à ton suprême instant, / tournons nos yeux vers le soleil ! / J’ai revu / le château, / les eaux paisibles / qui le bordent, / la cascade / qui gémit dans les roches, / et cette chaussée / réunissant les deux parties du village, / dont quatre colombiers / marquent les angles, / la pelouse / qui s’étend au-delà / comme une savane, / dominée par des coteaux ombreux ; / la tour de Gabrielle / se reflète / de loin / sur les eaux d’un lac factice / étoilé de fleurs éphémères ; / l’écume bouillonne, / l’insecte bruit… / Il faut échapper / à l’air perfide / qui s’exhale / en gagnant les grès poudreux du désert / et les landes / où la bruyère rose relève le vert des fougères. / Que tout cela est solitaire et triste ! / Le regard enchanté de Sylvie, / ses courses folles, / ses cris joyeux, / donnaient / autrefois / tant de charme / aux lieux / que je viens de parcourir ! / C’était encore une enfant sauvage, / ses pieds étaient nus, / sa peau hâlée, / malgré son chapeau de paille, / dont le large ruban / flottait / pêle-mêle / avec ses tresses de cheveux noirs. / Nous allions boire du lait à la ferme suisse, / et l’on me disait : / « Qu’elle est jolie, / ton amoureuse, / petit Parisien » / Oh ! / ce n’est pas alors / qu’un paysan aurait dansé avec elle ! / Elle ne dansait / qu’avec moi, / une fois par an, / à la fête de l’arc.

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