
17世紀のフランス・バロック音楽の素晴らしい演奏と歌をyoutube上で聞くことができる。
作曲は、ルイ14世の宮廷で活動していた、マラン・マレ、ミッシェル・リシャール・ド・ラランド、ルイ・クープラン、ロベール・ド・ヴィゼ。
マラン・マレ:リュリ氏のための墓石(Tombeau pour Monsieur de Lully)

17世紀のフランス・バロック音楽の素晴らしい演奏と歌をyoutube上で聞くことができる。
作曲は、ルイ14世の宮廷で活動していた、マラン・マレ、ミッシェル・リシャール・ド・ラランド、ルイ・クープラン、ロベール・ド・ヴィゼ。
マラン・マレ:リュリ氏のための墓石(Tombeau pour Monsieur de Lully)

ジェラール・ド・ネルヴァルは、何度か精神の病に襲われ、最後は自ら死を選んだ。そのために、現在でも狂気と幻想の作家と呼ばれることがある。そして、そうしたレッテルがあるために、彼の作品は特定の色眼鏡を通して読まれ、理解が妨げられる傾向にある。
ネルヴァルは、若い時代から韻文詩を書いていた。その中で、詩法の規則に従い、音節数や韻を踏んでさえいれば、それだけで詩といえるのかどうか問いかけるようになった。その結果、散文でも詩情(ポエジー)を生み出すことができるのではないかと考えた。
彼が目指したのは、後にボードレールがするように、ジャンルとしての「散文詩」を作ることではなかった。散文というジャンルの中で、詩的散文(écriture poétique)により、詩情(ポエジー)を生み出すことだった。
このことは、ネルヴァルが何度か精神病院に収容され、最晩年の1855年に発表された『オーレリア』の中では、いかにも自伝のように見える作品の中で、狂気の体験について語っていることもあり、なかなか理解されてこなかった。
しかし、特定の偏見なしに彼の文章を読むと、ネルヴァル的散文の美を感じ取ることができるようになる。
ここでは、『オーレリア』の第2部6章の中で語られる、「私(je)」が精神病院で日々を過ごしている時の一節を読み、ネルヴァルが何を表現しようとしたのか見ていこう。
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室町時代の後半、幕府の力が衰え、戦国時代が到来する。その群雄割拠の中から、織田信長、豊臣秀吉が登場し、天下統一を成し遂げた。
彼等の活動した安土桃山時代、日本は空前の金銀のラッシュが起こり、芸術の世界でも、背景が黄金色の襖絵や障子画が今はなき安土城等の内部を飾った。
こうした室町時代の末期から安土桃山時代にかけて、美術の世界では、平安時代から続くやまと絵の伝統と、鎌倉時代に大陸からもたらされた禅宗と伴に移入された水墨画の伝統が、融合・統一された。
一方は、優美でありながら、儚さに基づく「あはれ」の感情に基づく抒情的の美。もう一方は、禅的な無を核とする余白の美。
一見すると矛盾するその二つの美意識を統合することで、どのような美が生まれたのだろうか。
アメリカの女性ジャズ・ヴォーカリスト、ステーシー・ケントがフランス語で歌ったアルバム「パリの詩(Raconte-moi)」は、外国人が歌っているとは思えない、きれいなフランス語。選曲もよく、とても聴きやすい。
フランス語の初学者がフランス語に親しむために最適のアルバムかもしれない。
その中から何曲か聴いてみよう。
「冬の庭(Jardin d’hiver)」

The Voiceは、フランスでは2012年から始まった音楽オーディション番組。
現在では、大人だけではなく、子供が参加するThe Voice Kidsもある。
https://www.tf1.fr/tf1/the-voice
https://www.tf1.fr/tf1/the-voice-kids
参加者の歌だけではなく、プロフィルの紹介や審査員のコメントなどあり、フランス語の音やリズムに親しむには、ちょうどいい番組になっている。
印象に残っている歌手が最初に登場した時の様子と、その後の活動の中から一曲選んで聴いてみよう。
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「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」は、シャルル・ボードレールが最初に公けにした散文詩。
1855年、『フォンテーヌブロー』という選文集の中で、韻文詩「二つの薄明(Deux crépuscules)」の後ろに置かれ、4つの詩節からなる散文だった。
https://bohemegalante.com/2020/08/31/baudelaire-crepuscule-du-soir-en-prose-1855/
その後、詩人は別の機会を見つけ、何点かの散文詩を発表し、1862年になると、『ラ・プレス(La Presse)』という新聞に、26点の作品を4回に分けて掲載しようとした。
その際、3回目までで20作品が公けにされたが、連載4回目の掲載はなかった。しかし、ゲラ刷りが残っていて、その中に「夕べの黄昏」も含まれている。
しかも、そのゲラ刷りにある詩は、1855年の版とはかなり異なっている。全く違うと言っていいほど、違いは大きい。
『ラ・プレス』の連載の最初の回では、文学部門の編集責任者だったアルセーヌ・ウセーに向けられた献辞の手紙が置かれ、ボードレールが「散文詩というジャンル」を確立しようとする意図が語られている。
アルセーヌ・ウセー宛の手紙と、「夕べの黄昏」の2つの版を検討することで、1862年の時点でボードレールの考える散文詩がどのようなものなのか、探ってみよう。
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シャルル・ボードレールは、「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」と題される詩作品を二つ書いている。
最初は韻文。発表されたのは1852年。
ただし、その際には、「二つの薄明(Les Deux Crépuscules)」という題名で、昼の部分と夜の部分が連続していた。
1855年になると、韻文詩から出発し、散文詩も執筆する。それは、ボードレールが最初に公にした散文詩だった。
発表されたのは、フォンテーヌブローの森を多くの人の散策の地とするのに貢献したクロード・フランソワ・ドゥヌクール(Claude-François Denecourt)に捧げられ、数多くの文学者たちが参加した作品集『フォンテーヌブロー(Fontainebleau)』(1855)の中。
最初に「二つの薄明」という題名が掲げられ、「夕べ(Le Soir)」と「朝(Le Matin)」と題された韻文詩が置かれる。その後、散文の「夕べの黄昏(Le Crépuscule du soir)」と「孤独(La Solitude)」が続く。

『フォンテーヌブロー』を読んでみると、不思議なことに気が付く。
ドゥヌクールの貢献を讃えるため、自然の美を歌う作品が集められている中で、ボードレールだけが都市をテーマにしている。フォンテーヌブローとは何の関係もない。
その理由を探っていくと、彼が韻文詩と同時に散文でも詩を書き始めた理由が分かってくるかもしれない。
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シャルル・ボードレールは、自分たちの生きる時代のパリの生活情景を詩の主題として取り上げ、美を生み出そうとした。
こうした姿勢は、『1846年のサロン』の最終章「現代生活の英雄性(Le Héroïsme de la vie moderne)」の中で、同時代の絵画の美を提示する際に示されたものだった。
ボードレールの詩の対象となるパリの情景は、人々の日常生活、その中でも、一般には悪であり、醜いと見なされるもの。
韻文詩集の『悪の花(Fleurs du mal)』という題名が、そのことを明確に現している。
19世紀半ばのバリの様子は、幸いなことに、マルセル・カルネ監督の映画「天井桟敷の人々(Enfants du paradis)」で見ることができる。(脚本は、詩人のジャック・プレベール。)
『1846年のサロン』の最終章「現代生活の英雄性(L’Héroïsme de la vie moderne)」で、ボードレールは、彼の考える美を定義した。
伝統的な美学では、美とは唯一で絶対的な理想と考えられてきた。例えば、ヴェルヴェデーレのアポロン、ミロのビーナス。


理想の美は、いつの時代に、どの場所で、誰が見ようと、常に美しいと見なされた。
それに対して、19世紀前半のロマ主義の時代になり、スタンダールやヴィクトル・ユゴーが、それぞれの時代には、その時代に相応しい美があると主張した。
ボードレールも、美は相対的なものであるという考え方に基づき、自分たちの生きる時代の美とは何か、彼なりの結論を出す。
その例として挙げるのは、ポール・ガヴァルニやウージェーヌ・ラミ。


ボードレールは、こうした美のあり方を、「現代生活の英雄性」と名付けた。
続きを読むボードレールは『1846年のサロン』の中で、肖像画(portrait)を理解するには、二つの様式があるという。一つは歴史、もう一つは小説。
Il y a deux manières de comprendre le portrait, — l’histoire et le roman.
歴史的理解の代表は、例えば、ダヴィッドの「マラーの死」。
小説的理解の代表は、トーマス・ローレンスの「ランプトン少年像」。ルーベンスの「麦わら帽子」も、後者に含まれるかもしれない


