ボードレール 理想とモデル 1846年のサロン

Dominique Ingres, L’Odalisque à l’esclave

ボードレールの絵画論では、現実の対象を見ずに、空想だけで描いたり、過去の傑作をベースにして新しい絵画を描くことは否定された。
絵画は、あくまでも現実のモデルがあり、そこから出発しなければならない。

しかし、モデルをそのまま忠実に再現するのでは、絵画はモデルのコピーでしかないことになる。

『1846年のサロン』の「理想とモデルについて」と題された章で、ボードレールは、線やデッサンを中心にした絵画に焦点を当てながら、モデルとなる対象と、描かれた理想象について考察する。

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ボードレール ドラクロワ 絵画論 1846年のサロン

「1846年のサロン」の中で、ボードレールはドラクロワについて論じながら、彼自身の絵画論の全体像を提示した。

その絵画論は、ドラクロワの絵画を理解するために有益であるだけではなく、ボードレールの詩を理解する上でも重要な指針が含まれている。

1)芸術についての考え方:インスピレーションか技術か
2)作品の構想と実現:自然(対象)との関係
3)作品の効果

ボードレールは、ドラクロワの絵画に基づきながら、以上の3点について論じていく。

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Ama au Japon フランスのニュースで紹介された海女の姿

日本の文化をフランス人がどのように紹介するかという、一つの例。
海女の存在は、外国人には興味を引くに違いない。

On les appelle les “Ama” au Japon, littéralement les “femmes de la mer”. Ces femmes plongeuses ont jusqu’à plus de 80 ans. Sans bouteille ni tuba, elles cherchent des coquillages et des ormeaux au fond de l’eau, grâce à des techniques de respiration transmise de mère en fille. Mais de moins en moins de jeunes Japonaises choisissent ce métier rude et dangereux. Les derniers “Ama” ainsi que leur métier risquent de disparaître.

死後のゴッホ Gogh après sa mort 栄光への階段

ゴッホが画家としての活動をしたのは、1881年から1890年の間の、僅か10年弱。
しかも、1886年にパリにやってきてから、アルル、サン・レミ、オヴェール・シュール・オワーズと、彼のパレットの上に明るい色彩が乗っていた期間は、4年あまり。
フランス詩の世界で言えばアルチュール・ランボーに比較できるほど、短い期間に流星のように流れ去っていった。
そして、ランボーと同じように、生前にはまったく評価されなかった。

しかし、ゴッホの死後、比較的早く、彼の絵画を評価する動きが始まり、現在では、世界で最もよく知られ、人気のある画家の一人になっている。
彼の死を境に、何が起こったのか、当時の美術界の状況を含めて見ていこう。

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ゴッホ サン・レミからオヴェールへ Gogh de Saint-Rémy à Auvers-sur-Oise 狂気と創造

Vincent von Goth, À la porte de l’éternité

1889年5月初旬、ゴッホは、アルルから北東20キロほどにあるサン・レミの療養所に入院する。そこは、聖ポール・ド・モゾールという修道院を改修した精神病院で、修道女たちによって運営されていた。

最初は満足していたようであるが、制度的なキリスト教に幻滅していたゴッホには耐えられない入院生活となり、一年後の1890年5月、南フランスを離れ、パリ北部にあるオーヴェル=シュル=オワーズでの生活を始める。
そこでは、ポール・ガシェ医師の治療を受けながら、ラヴーの経営する小さな宿屋に滞在した。

1890年7月27日の夕方、ゴッホはラヴー旅館に怪我を負って戻ってくる。自分で左胸を銃で撃ったと考えられているが、他の説もあり、実際に何があったのかはわからない。とにかく、その傷が元で、29日午前1時半に息を引き取る。

この間、約14ヶ月。ゴッホは狂気の発作に何度も襲われながら、創作活動を続けた。

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アルルのゴッホ Gogh à Arles 黄色の画家

1888年2月、ゴッホはパリを離れ、アルルで活動を始める。
同じ年の10月下旬にはゴーギャンが合流し、画家の共同体の夢が実現するかのように思われる。しかし、二人の画家の関係はすぐに悪化し、12月23日、ゴッホが自分の左耳をそぎ落とすという事件が勃発、共同生活は終わりを迎える。
ゴーギャンはパリに戻り、ゴッホはアルル市立病院に収容される。

1889年1月、ゴッホは退院を許されるが、2月下旬になると住民たちがゴッホの存在を恐れ、彼の立ち退きを求める請願書を提出した。そのために、再びアルル市立病院に入院させられ、5月初めまで留まることを余儀なくされる。

この15ヶ月ほどの間に、ゴッホは風景画、肖像画、静物画を数多く描き、彼の絵画を特徴付ける「黄色の世界」に到達した。

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ボードレール 「色について(De la couleur)」 1846年のサロン

シャルル・ボードールは、詩人としての活動だけではなく、絵画、文学、音楽に関する評論も数多く公にしている。
それらは詩とは無関係なものではなく、それ自体で価値があると同時に、全てを通してボードレールの芸術世界を形作っている。

『1846年のサロン』は、ボードレール初期の美術批評であるが、後に韻文詩や散文詩によって表現される詩的世界の最も根源的な世界観を表現している、非常に重要な芸術論である。
その中でも特に、「色について(De la couleur)」と題された章は、ボードレール的人工楽園の成り立ちの概要を、くっきりと照らし出している。

しかも、冒頭の2つの段落は、詩を思わせる美しい散文によって綴られ、ボードレール的世界が、言葉によって絵画のように描かれ、音楽のように奏でられている。

まず最初に、ボードレールの色彩論を通して、どのような世界観が見えてくるのか、検討してみよう。

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動くゴッホの絵画 Gogh en mouvement à l’Atelier des Lumières

パリのアトリエ・デ・リュミエールで、2019年の終わりから2020年の始めまで、ゴッホ展があった。
超精密なマッピングで描かれたゴッホの絵画が、現れ、動き、消えてはまた現れる。素晴らしい試み。

おもひでぽろぽろ 思い出と向き合う

高畑勲が監督した「おもひでぽろぽろ」は、アニメ作品にありがちなファンタジー的な要素がなく、特別な主人公の特別な冒険物語とは正反対の作品。

主人公タエ子は27歳。独身で、東京の会社に勤めている。
物語は、田舎に憧れている彼女が10日間の休暇を取り、農業体験をするために山形の親戚の家に行くところから始まる。
田舎に行くと決めた時から、突然、小学校5年生の思い出がポロポロとこぼれ落ちるように蘇り、彼女の心を一杯にする。

山形では、親戚の家族に混ざって紅花を摘む作業を手伝ったり、有機農業に取り組むトシオに有機農業の手ほどきを受けたり、蔵王にドライブにいったりする。東京に戻る前の日、親戚のおばあさんからトシオの嫁になってくれと突然言われ困惑する。しかし、結局、そのまま東京に戻る電車に乗る。

しかし、電車の中で突然考えを変え、次の駅で電車を降る。そして、トシオが迎えに来た車に乗り、親戚の家に戻る道を辿る。

特別なことが何もなく、ただ一人の女性が田舎で農業体験をし、一人の男性と仲よくなるという物語。

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パリ時代のゴッホ Gogh à Paris 印象派と浮世絵

ゴッホは、1886年2月末にパリに突然姿を現し、1888年2月になると、南フランスのアルルへと去っていく。この約2年間のパリ滞在中、彼は何を習得したのだろうか。

アルルに到着後、彼はパリにいる弟のテオへの手紙で、こんな風にパリ滞在を振り返る。

パリで学んだことを忘れつつある。印象派を知る前に、田舎で考えていた色々な考えが、また返ってきた。だから、ぼくの描き方を見て、印象派の画家たちが非難するかもしれないけれど、ぼくは驚かない。

ゴッホの意識では、アルルでの仕事はオランダ時代に続くものであり、パリでの2年間は空白の時だったらしい。

しかし、ゴッホの絵は明らかに大きな変化を見せている。彼の絵画は、印象派の影響を受け、オランダ時代の暗いものから、色彩のオーケストレーションといえるほど、明るさを増している。

ここでは、パリ滞在の2年に限定し、ゴッホの絵画を辿ってみよう。

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