ピカソ 常に新しい絵画を求めた画家

パブロ・ピカソ(1881-1973)は常に新しい美を追究し、次々に絵画の様式を刷新した、20世紀を代表する画家として知られている。

実際、彼の画風は、スペインにおける「修行時代」を経て、パリに進出してからもめまぐるしく変化した。「青の時代」「バラ色の時代」「キュビスムの時代(セザンヌ的、分析的、総合的)」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」「ゲルニカの時代」「ヴァロリスの時代」「晩年」といった区分けがなされることが多い。

ところが、この分類で気になることがある。
キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムは絵画の様式だが、それ以外の、青の時代とバラ色の時代は色彩、ゲルニカの時代は戦争の惨禍という絵画のテーマ、ヴァロリスは地名、晩年は人生の最後の期間であり、様式とは関係がない。
そこで、こんな疑問が生じる。本当にピカソは次々と作風を変化させたのだろうか?

その疑問を考えるために、彼のキャリアの最初から最後までの何枚かの絵画を、先入観なしで見てみよう。

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ポール・セザンヌ 色で持続する生命を捉えた画家

セザンヌはしばしば「近代絵画の父」と呼ばれ、フランス絵画の歴史の中で重要な位置を占めている。

しかし、サント・ヴィクトワール山のような風景画、リンゴなどを描いた静物画、肖像画、自然の中で多数の人間が水浴をする場面を描いた集合水浴図など、様々なジャンルのどの絵を見ても、最初はあまり美しいと思えないし、なにか不自然な感じが残る。

セザンヌが偉大な画家だと言われても、どこがいいのかよくわからない。ところが、彼の絵画の見方を学ぶにつれて、その素晴らしさが感じられるようになってくる。

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小林秀雄 ボードレール 『近代絵画』におけるモデルと作品の関係

小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。

『近代絵画』は次の一文から始まる。

近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。

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シュールレアリスムの忘れられた女性画家トワイヤン

シュールレアリスムの女性画家トワイヤンの作品を展示する« Toyen l’écart absolu»が、2022年3月25日から7月24日まで、Musée d’Art Moderne de Parisで開催されている。https://www.mam.paris.fr/fr/expositions/exposition-toyen

Le retour en grâce de Toyen, peintre aux multiples facettes
La peintre Toyen est l’une des figures du mouvement surréaliste. Elle a pourtant été complètement oubliée ces dernières années, malgré une œuvre aussi prolifique que géniale.
Le Musée d’Art Moderne de Paris lui consacre une grande exposition, de quoi la remettre à sa juste place : en pleine lumière. 

ドガ 生命の脈動を捉える「持続」の画家

エドガー・ドガは、オペラ座の踊り子を生き生きと描いた画家として、日本でもよく知られている。
彼の絵画の中のバレリーナたちは、本当に生きているように感じられる。
外から絵を眺めるのではなく、実際に会場に入った気持ちになり、舞台の上で彼女たちが踊る姿をその場で眺めると、息づかいまで聞こえてくる。

じっとしている姿が描かれているとしても、彼女たちの生命の動きが感じられ、自然に彼女たちの気持ちに共感している自分がいるのに気づく。

止まっているはずの絵によって、どうしてこれほどの「動き」が表現されるのだろうか。
その秘密を、ここではデッサンと構図という二つの面から探ってみよう。

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ドガ 「14歳の小さな踊り子」 知る楽しみ 1/2

文学部の大学院生だった頃、文学の研究をして何の意味があるのだろうかと考えたことがあった。
そんなことが頭に浮かぶのはだいたい勉強が行き詰まっている時なので、教師や友人に問いかけたり、色々なジャンルの本を読んだりと、要するに真正面から研究に取り組まない時間を過ごすことになる。
とにかく、そんな風にしている中で、「研究を通して対象とする作品の面白さや価値を人に伝えること」という言葉を誰かに言われ、一つの答えとして納得した覚えがある。

最近、ドガに関する本(アンリ・ロワレット『ドガ 踊り子の画家』)に目を通している時、そんな思い出が急に頭に浮かんできた。
今までドガの絵画を面白いと思ったことがあるけれど、彫刻にはそれほど興味がなかった。しかし、最初のページに置かれた「14歳の小さな踊り子」の写真と、それに付けられたユイスマンスの言葉を見て、彫刻の素晴らしさに心を動かされ、初めて美を感じることができた。

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ボードレール 「現代生活の画家」 Baudelaire Le Peintre de la vie moderne モデルニテについて — 生(Vie)の美学

1863年に発表された「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の中で、シャルル・ボードレールは、「モデルニテ(Modernité)」という概念を提示し、現代の美は「移り変わるもの」と「永遠性」の二つの側面からなるという説明をした。

 Il s’agit, (…), de dégager de la mode ce qu’elle peut contenir de poétique dans l’historique, de tirer l’éternel du transitoire.

問題は、(中略)、モードから、歴史の中でそのモードが含む詩的なもの全てを、一時的なものから永遠なものを、取り出すことである。

最も簡単な言い方をすれば、モデルニテとは、自分たちの時代の服や生活習慣など「すぐに変化してしまう現代的(モダン)な主題」を取り上げ、古代の美に匹敵する「普遍的で永遠の美」を作り出す、という美学だといえる。

この二重性を持つ美の概念は、「1846年のサロン」の最終章「現代生活の英雄性」においても言及されていた。

Toutes les beautés contiennent, comme tous les phénomènes possibles, quelque chose d’éternel et quelque chose de transitoire, — d’absolu et de particulier.

あらゆる美は、潜在的な全ての現象と同じように、永遠なものと束の間のもの、— 絶対的なものと個別的なものを内蔵している。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

では、1846年と1860年前後という二つの時期で、ボードレールの美意識に変化はなかったのだろうか?

こうした問題意識は、一般的な読者にとってはあまり意味がないと思われるのだが、少し専門的にボードレールについて調べてみると、どうしても気になってくる。

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エドゥアール・マネ 「エミール・ゾラの肖像」  物と人を等しく扱う絵画 — 何を措いても見ること —

私たちは花を見ると花だと思うし、人間を見れば人間だと思う。しかし、そのように認識することで、一本一本の花、一人一人の人間の具体的な姿に注目しなくなるようである。
それに対して、画家の目は、それぞれの対象の形態や色彩に注意が引かれるらしい。

エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」に関して、画家オディロン・ルドンの言った言葉が、そのことをはっきりと教えてくれる。

ルドン

ルドンはこの絵のエミール・ゾラを見て、「人間の性格の表現であるよりも、むしろ静物画」だと感じる。
私たちは直感的に、人間の形態があればそれを人間だと思う。しかし、画家はそれとは違う目を持つため、人と物の区別の前に、形と色に敏感に反応する。

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エドゥアール・マネ 「フォリー・ベルジェールのバー」 現前性の絵画

エドゥアール・マネ の 「フォリー・ベルジェールのバー」 は絵画の専門家だけではなく、哲学者や文学者たちの分析対象になることも多く、驚くほど数多くの言葉が費やされてきた。
その理由の一つは、カウンターの中央にいる女性と、後ろにある大きな鏡に写った彼女の背中や男性の位置が不自然なところにある。

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モナリザに浸る

ルーブル美術館で「モナリザ」を見る。誰もが一度はそうしてみたいと思うだろうが、実際には、絵を見るために1時間以上並び、実際に絵を見る時間は1分程度。ゆっくり見ることなどできない。

それであれば、デジタルで再現した映像の方が、よりよく「モナリザ」を見ることができるのではないかといった発想で企画された展覧会 « La Joconde l’exposion immersive »の紹介。

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