
神戸の北側にたたずむ摩耶山は、現代でこそ観光スポットとして多くの人々が訪れる場所だが、歴史を紐解くと、日本における信仰の一つの形を体現した山であることが見えてくる。
実際、過去と現在を繋ぐ糸を意識してみると、山中に点在する様々な痕跡が私たちに密かに語り掛けてくるような気がする。
そして、その声は、日本人が神や仏とどのように接してきたのかを、静かに伝えてくれている。「摩耶山は私たちを見守り続ける”母なる山”なのだ」と。

神戸の北側にたたずむ摩耶山は、現代でこそ観光スポットとして多くの人々が訪れる場所だが、歴史を紐解くと、日本における信仰の一つの形を体現した山であることが見えてくる。
実際、過去と現在を繋ぐ糸を意識してみると、山中に点在する様々な痕跡が私たちに密かに語り掛けてくるような気がする。
そして、その声は、日本人が神や仏とどのように接してきたのかを、静かに伝えてくれている。「摩耶山は私たちを見守り続ける”母なる山”なのだ」と。

摩耶山・五鬼城展望公園のさらに先には、かつて「楽生神社(らくしょうじんじゃ)」があった。
六甲山・摩耶山の豊かな「水」への信仰を背景に、「水神(みずのかみ)」を祀る社として創建されたと伝えられている。山からの恵みへの感謝と水害防止を祈る場所であり、古くから地域の人々に守られてきた。
旧社地付近には、現在「観音寺堰堤(かんのんじえんてい)」が築かれており、古い石積みの土留めや、どこか厳かな雰囲気が今なお漂っている。

この堰堤は、昭和42年(1967年)7月の六甲豪雨による大水害の後、本格的な改築・整備が行われた。
コンクリート壁の表面に施された美しい石張りは、昭和中期の六甲山系における砂防工事の大きな特徴である。明治から大正期にかけて築かれた古い石造り堰堤の技術と美観を受け継ぎつつ、昭和の高度経済成長期以降のコンクリート技術を融合させて造られた。
地名の由来となった「観音寺」は、観音寺川(観音寺谷)を登った、現在の楽生公園跡や観音寺堰堤がある鬱蒼とした森の周辺にあった。
続きを読む摩耶山城

摩耶山城(まやさんじょう)は、1333年(元弘3年)、赤松則村(のりむら/円心)あるいはその長男・赤松範資(のりすけ)によって築かれたとされる山城。
単一の巨大な城郭ではなく、山の斜面や尾根を防御陣地として利用した「砦(とりで)」の集合体であり、本丸を中心に曲輪(二の丸・三の丸など)が連なるように配置された、小規模な塞群(さいぐん)のネットワークであったと考えられている。

本城は標高約500メートル、現在の摩耶ケーブル「虹の駅」西側の尾根一帯に位置していたとされる。

さらに、標高約270メートル付近(現在の五鬼城展望公園周辺)には、前線拠点として「上野塞(うえのさい)」が置かれていたという。
上野塞は、麓の灘方面から本城へ攻め上がる敵軍を、本城到達前に迎え撃つための防御拠点であったと考えられている。
「一人の殺人は犯罪者を生み、戦争での百万の殺人は英雄を生む。数が殺人を神聖化するのだ。」
チャールズ・チャップリン監督・主演の映画『殺人狂時代』(1947年)に出てくる有名な言葉だが、世界ではあいかわらずこの状況が変わらない。悲しい現実だが、なぜこの殺人狂時代が終わらないのだろう。
AIは、ビックデータの中から平均値をまとめて答える装置なので、一般論を知るためにはとても参考になる。
そこで、次のような質問を、ChatGTP、Gemini、Claudeにしてみた。
「戦争とは殺人である」という私の主張は、現代の日本ではほとんど受け入れられません。 つまり、戦争で敵を殺すことは正義の行為とみなされますが、その敵とは具体的な人間です。そして、それは殺人です。
そうした非常に簡単な論理が通用しないのはなぜだと考えられますか。
以下、3つのAIの回答を列挙してみよう。
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「ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。」
力で相手を打ち倒せばすべてが解決する、そんな発想からなのか、自己の正義を振りかざした戦争という愚かな暴力が、いまも世界各地で繰り返されている。
だからこそ、この言葉はいっそう強く心に響く。
Nous contemplons les mêmes astres, le ciel nous est commun, le même univers nous enveloppe.
Qu’importe par quelle sagesse chacun cherche la vérité ?
On ne peut parvenir par un seul chemin à un si grand secret.
私たちは同じ星を仰ぎ見ている。空はすべての人に共通であり、同じ宇宙が私たちを包んでいる。
いったい何が重要だろう、どのような叡智によって、人それぞれが真理を求めるのか、ということが。
ただ一つの道によって、これほど大いなる神秘に到達することはできない。
英語だとこんな風に訳される。
We look up at the same stars; the sky is common to us all; the same universe encompasses us.
What does it matter by what path each of us seeks the truth?
We cannot arrive at so great a secret by one route alone.
「能ある鷹は爪を隠す」という諺をフランス語に訳すとどうなるか考えていて、日本とフランスの文化、あるいは日本的精神とフランス的精神の違いに思いを巡らせることがあった。
日本語をフランス語に直訳すれば、« Le faucon talentueux cache ses serres. »

では、このフランス語の単文がフランスの文化の中で、日本語の諺が意味する「本当に力のある人間はそれを見せびらかすことなく謙虚に振る舞う」といったニュアンスを伝えるだろうか?
問題は、「隠す」という言葉がどのように受け取られるかにかかっている。

ChatGPT、Gemini、Claudeといった生成AIを使っていると、それぞれの個性に面白みを感じる一方で、その論理展開の精密さには驚かされる。人間を凌駕するほどの論理性を備えたこれらのツールが、極めて有用であることは疑いようもない。
しかし、その一方で危急の課題もある。
AIはこちらの問いかけの先を行く回答をスムーズに提示するため、油断するといつの間にかAIが示す方向へと、こちらの思考が引き寄せられてしまいそうになるのだ。
では、私たちはどのようにして自らの思考の主体性を保ちながら、AIの論理力を利用すればいいのか。少々矛盾するようだが、その術(すべ)をGeminiに問いかけてみた。
AIの論理の展開力は、普通の人間のレベルを超えているように思います。一般の人々が、どのように利用すれば、自分の思考を保ちながら、AIの論理展開力を利用できるでしょうか。
続きを読む愚痴にしかならないので、現在の世界状況について何かを語ることは、できるだけ避けている。しかし、アメリカ合衆国がイスラエルに先導される形でイランの最高指導者を殺害し、なお攻撃を続けているのに対して、いわゆる国際社会の反応を見ていると、思わず「いつまで西部劇が続くのか」と考えてしまう。
西部劇といえば、アメリカ西部の未開拓地を舞台に、白人の開拓者たちが先住民である野蛮なインディアンの襲撃を受けながら、フロンティア精神を発揮して勇敢に活躍する物語である。1970年代以降になると、さすがに、開拓者が正義を体現しインディアンは残虐な襲撃者であるという単純な二元論的世界観は、少なくとも表向きには見られなくなったように思われる。
しかし、現実の世界を眺めていると、依然として、西欧文明の価値観が正義であり、それに反対する勢力は悪であるという二元論が続いているとしか思えない。
そして日本人は、明治維新以降、その二元論をほとんど疑うことなく受け入れてきた。文明開化、すなわち欧米化を進めるなかで、その世界観の内部に自分たちを位置づけることを当然のこととしてきたように見える。
私は今、自分たちの信じる正義のためであれば、そして自衛という名を与えさえすれば、戦争を許してしまう世界観に疑問を感じている。西部劇の中で、大群で襲ってくるインディアンたちを撃ち倒していくヒーローの姿を、私たちは娯楽として見てきた。しかし、現実の世界でもまた、似た構図のもとで多くの人々が殺されているのを見るにつけ、そろそろ西部劇も終わってほしいと思うようになってしまった。
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最近よく話をする知り合いが「八咫烏にはまっている」と言い、Facebookのリールで得た情報を送ってくれた。
それによると、「イザナギの大御神、天照大御神、かもの大御神が八咫烏だったと、聖徳太子が記している」のだという。
八咫烏を中心にしたこの不思議な組み合わせがどこから出てくるのか、今から八咫烏を探す旅に出発してみよう。
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