レオナルド・ダ・ヴィンチ モナ・リザの謎 Mystères de La Joconde de Léonard de Vinci

ダ・ヴィンチの「モナリザ」は、世界中で一番有名な絵画といえるだろう。
しかし、ルーブル美術館で本物を見たとしても、なぜこの絵画がそれほど人々を惹きつけるのは、正直なところよくわからない。

絵そのものをじっくりと見つめるだけで美を感じられればいいのだろうけれど、眉がなく、顔と肩から下の身体のバランスが少し変で、手が異常に大きい女性の姿をみて、美しいとすぐに言うことはできない。

謎の微笑みと言われる顔の表情も、微笑んでいるのか、こちらを見つめているのか、はっきりしない。

そうしたわからなさに惹きつけられて、モナ・リザの謎を探ってみよう。

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動く線 スタジオ・ジブリ かぐや姫の物語 

スタジオ・ジブリの高畑勲監督が制作した「かぐや姫の物語」の映像表現は、「動く線」を最大限に活かした作品。
ディズニー・アニメの現実的な映像とは反対に、手書きの絵の雰囲気を最大限に活かしている。

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線の表現 Expression en ligne

絵画の中で、線は様々な表現をする。
直線、曲線、折れ曲がった線。それらを使うことで、物の形をしっかりと表したり、スピード感を出したり、ユーモラスな感じを伝えることもできる。

最初に、ラスコーの洞窟の中に描かれた馬の絵を見てみよう。
馬の身体は穏やかな曲線で描き出され、ゆっくりと進んでいく様子を見事に捉えている。

ベルナール・ビュッフェの「サバーバン・コーヒー」に目をやると、直線の表現が街並みを鋭角的に描き出し、スタイリッシュな雰囲気を生み出している。

こうして二つの絵を見比べてみるだけで、線の表現の面白さを感じることができる。

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印象派の目 光と色彩

Auguste Renoir, La Balançoire

物に固有の色はない。
印象派の目は、物に光が当たる波長で色彩感覚が変化することを見抜いた。
印象派の画家達の目は光を捉え、彼等の筆は光を描いた。

ルノワールの「ぶらんこ」の中心は、ぶらんこに乗る少女や彼を取り巻く3人の人物ではなく、彼等の服や地面一面に当たる光の形に他ならない。

その光によって、物の色彩も変化する。例えば、後ろを向いた男性の服はブルーと思われるが、光が当たる部分は白に近い。

私たちは物の色を概念的に見ている。例えば、この服はブルー、というように。しかし、実際には、光によって色が変わる。
ルノワールの絵画は、画家の目に見えるままを描いているのだ。

こうした印象派的な目を持つと、世界はこんな風に見えてくる。

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ボルケーゼ美術館の彫刻 アポロンとダフネ プロセルピナの略奪

ローマにあるボルケーゼ美術館には素晴らし彫刻が並んでいるが、なかでも「アポロンとダフネ」と「プロセルピナの略奪」には息を飲む美しさがある。
二つの作品とも、イタリア・バロックを代表するジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598−1680)の作品。
バロックらしい躍動感と細部の繊細さが見事に調和している。

Bernini Apollon et Daphné
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無の美学 水墨画と余白の美

水墨画は、13世紀以降、禅宗の教えと共に日本にもたらされ、室町時代に大きな発展を見た。

水墨画の本質は、墨のみで「造花の真」を捉えることであり、知性的な分析を排して直感によって生の実在に至る禅の精神と対応しているといえる。
色彩を排し、物の本質に即した省略を行うことで、対象の直截的な把握を目指した。

最初に、宋本国以上に日本で人気を博した南宋の画家、牧谿(もっけい)の「叭々鳥(ははちょう)図」と、可翁(かおう)の「竹雀(ちくじゃく)図」を見ておこう。

牧谿 叭々鳥図
可翁 竹雀図

二つの絵画の微妙な違いの中に、日本的な水墨画の特色を感じることができるかもしれない。

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無の美学 茶の湯と「本住地」

喫茶の習慣は、禅僧の栄西(1141-1215)によって中国から日本にもたらされ、最初は薬効のためにお茶が飲まれた。
その後、室町時代になると、一休和尚を経て、珠光(1422あるいは1430-1502)が、茶道(佗茶)を創始したと言われている。
このような歴史を顧みると、茶道が禅の教えと深く関係していることがよくわかる。

その両者に共通しているのは、人間が生きている上で背負っている様々な過剰物を「単純化」し、生の根源に至ることだといえる。
禅では知的な思考を離れ、直感によって生の実在そのものに到達しようとする。
茶道では、質素な小室(茶室)に客人を迎え入れ、世俗的な違いを廃し、主客の心の交わりを実現することを目指す。
茶室の限られた空間は、禅的な表現で言えば、「本住地」あるいは「父母未生以前本来面目」を、現実の一瞬に実現する場とすることを理想としている。

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日本の伝統的絵画の画法

日本の美には、平安朝や元禄時代のような華やかな美と、室町時代に確立した質素な美がある。
https://bohemegalante.com/2019/08/30/paul-claudel-et-la-beaute-japonaise/

他方、絵画における表現法は、二つの美の表現でも共通している部分が多い。
そしてその特徴は、ヨーロッパ、とりわけルネサンス以降のヨーロッパの絵画とは対照的である。

狩野永徳、四季花鳥図屏風
能阿弥 花鳥図屏風
Charles-François Daubigny, Bords de l’Oise

では、日本の伝統的な絵画の特色は、どのようなものだろうか。

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無の美学 能と幽玄の美

能が禅の精神を反映していることは、広く認められている。

能の完成者である世阿弥は、室町幕府の三代将軍・足利義満に重用された。
義満と彼の息子である足利義持は、禅宗の積極的に導入し、北山文化を開花させた。
そうした状況の中で、世阿弥も能の思想を吸収し、猿楽や田楽と呼ばれていた芸能に、禅の精神を注入したことは、自然なことだっただろう。

世阿弥が記した芸の理論書『風姿花伝』にも禅を思わせる教えが数々見られる。
例えば、「住(じゅう)する所なきを、まづ花と知るべし。」
住する、つまり一カ所に留まらないことが、芸の花を咲かせると言う。
これは、中国の禅僧・慧能(えのう)が説く、「住する所無くして、其の心を生ずべし]という言葉に基づいている。

現実の世界ははかなく、全ては時間とともに消え去ってしまう。その流れに押し流されながら、しかし、その現実に永遠を現生させ、美を生み出す。
とりわけ世阿弥が刷新した能は、幽玄の美を目指している。

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無の美学 禅寺と枯山水

足利尊氏は統治政策として禅宗を重用し、支配制度を強化した。そのために、日本各地に禅寺の伽藍形式が広まった。
その過程で、僧の住居となる方丈などの庭園には、枯山水が好んで作られた。

禅宗様(ぜんしゅうよう)の建築物に禅の精神が貫かれているかどうかを知るのは難しいが、枯山水が禅的な無の思想に基づいていることを理解するのは比較的容易だろう。

ちなみに、14世紀後半に建造された金閣寺は、一階が和洋の住宅風、二階が和洋の仏堂風、三階が禅宗様(ぜんしゅうよう)の仏殿風という、折衷様式。

15世紀後半に建造された銀閣寺は、一階が和風の住宅、二階が禅宗様の仏道。こちらも二つの様式が共存している。

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