マルセル・プルースト 『失われた時を求めて』の世界 2/4 隠喩的な文

「記憶」とは、過去の体験が保存され、その経験が後になって思い出される現象だと定義される。
では、思い出された「記憶内容」は、過去に属するのだろうか? それとも現在に属するのだろうか?

その問いに対して、マルセル・プルーストであれば、何のためらいもなく、「現在に属する」と答えるに違いない。

確かに、思い出される出来事は、すでに過ぎ去ってしまった過去に属する。過去の出来事は、現在においてすでに存在しないし、誰も過去に遡り、何かを変えることはできない。
その一方で、思い出すという行為を行う時点は現在であり、記憶内容は”現在の意識の中”で想起される。つまり、思い出す限りにおいて、その内容は「現在の出来事」だという見方もできる。

そのように考えると、私たちの生きる現在という時間帯には、五感が知覚する現象世界だけではなく、記憶が呼び起こす様々な出来事も含まれていることになる。
そして、それらの出来事は、たとえ過去に起こった事実だとしても、思い出される時点では実在するものではなく、夢の中での出来事や、想像力が作り出す空想世界と同じものだといえる。

時計によって計測される「時間」は一定の速度で前に進むが、しかし、私たちの意識は過去へと戻ることもあれば、未来へと飛ぶこともある。しかも、思い出や予測は、時間の前後関係とは関係なく出現する。その全体が、私たちの生きる現実の時間に他ならない。

マルセル・プルーストは、そうした「生きた時間」を、『失われた時を求めて』という大建造物として提示したのだった。

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ボードレール 「高翔」 Baudelaire « Élévation » ロマン主義詩人としてボードレール 

「高翔(Élévation)」には、ボードレールの出発点であるロマン主義精神が屈折なく素直に表現されている。

ロマン主義の基本的な図式は、二元的な世界観に基礎を置いている。
ロマン主義的魂にとって、現実は時間の経過とともに全てが失われる空しい世界であり、その魂は、彼方にある理想の世界(イデア界)に上昇する激しい熱望にとらわれる。
その超現実的な次元に対する憧れが、美として表現される。

Élévation

Au-dessus des étangs, au-dessus des vallées,
Des montagnes, des bois, des nuages, des mers,
Par delà le soleil, par delà les éthers,
Par delà les confins des sphères étoilées,

Mon esprit, tu te meus avec agilité,
Et, comme un bon nageur qui se pâme dans l’onde,
Tu sillonnes gaiement l’immensité profonde
Avec une indicible et mâle volupté.

小さな湖のはるか上に、谷間のはるか上に、
山々の、森の、雲の、海のはるか上に、
太陽の彼方に、空間を満たす液体の彼方に、
星々の煌めく天球の境界の彼方に、

我が精神よ、お前は動いていく、軽々と,
そして、波の間で恍惚となる素晴らしい泳ぎ手のように。
お前は陽気に行き交う、奥深い広大な空間を、
言葉にできない男性的な官能を感じながら。

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シャルル・ボードレール 新しい美の創造  3/5 今という永遠の瞬間を捉える

ボードレールは詩人であるだけではなく、美術、文学、音楽等に関しての評論活動を行った。それら全ての根底にあるのは「美」の探求。
その点は『1846年のサロン』から1867年8月の死に至るまで、常に共通していた。

しかし、1857年の『悪の華』の有罪判決の後、1861年に出版される第2版の構想を練る時期を中心に、ある変化が見られた。
「現代生活の英雄性」という美学を中心にしながらも、後年になると、力点が「今という永遠の瞬間」に置かれるようになったのだった。

「今という永遠の瞬間」というのはボードレールではなく、私の表現だが、その言葉を理解することで、ボードレールが1860年前後に提示した「モデルニテ(現代性)」の美学を理解することができる。

その美学は、その時期に発表された様々な批評活動を通して言語化されていった。
a. 美術批評ー「1859年のサロン」「現代生活の画家」など。
b. 音楽批評ー ワグナー論
c. 文学批評ー『人工楽園』、ポー、ユゴー、フロベール論など。https://bohemegalante.com/2022/08/20/baudelaire-creation-beau-2/

ここでは、それぞれの批評を個別に取り上げるのではなく、美と忘我的恍惚(エクスターズ)の関係を中心にして、「新しい美」を生み出すいくつかのアプローチを検討していくこととする。

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ヴィクトル・ユゴー オランピオの悲しみ Victor Hugo Tristesse d’Olympio ロマン主義の詩を味わう 4/5

第19-20詩節では、かつて愛し合った思い出の地に別の恋人たちがやって来て、彼らの思い出は別の思い出に上書きされてしまうことに対する悲しみが表現される。

« Oui, / d’autres à leur tour // viendront, couples sans tache,
Puiser dans cet asile // heureux, calme, enchanté,
Tout ce que la nature // à l’amour qui se cache
Mêle de rêverie // et de solennité !

« D’autres auront nos champs, // nos sentiers, nos retraites ;
Ton bois, ma bien-aimée, // est à des inconnus.
D’autres femmes viendront, // baigneuses indiscrètes,
Troubler le flot sacré // qu’ont touché tes pieds nus !

(朗読は6分6秒から)

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ランボー 黄金時代 Arthur Rimbaud Âge d’or 詩句の音楽性

「黄金時代(Âge d’or)」は、ランボーの音楽性に富んだ詩の中でも、最も音楽性を感じさせてくれる詩。
詩句を口に出して発音すると、口の中に円やかな感覚が広がり、とても気持ちがよくなる。

他方で、何を言いたいのか考え始めると、訳が分からなくなる。
フランス人のランボー研究者でこの詩を大変に難しいという人が多くいる。
無理に解釈しようとすると、訳が分からなくなり、読むのが厭になるかもしれない。

詩句が奏でる音楽に身を任せ、Voix(声)という言葉が出てきたら、voixという音を口ずさみ、「声」と思うだけ。現実にある何かの声を探す必要はない。
詩は言葉によって成り立ち、詩の世界だけで自立している。「黄金時代」はそのことを実感させてくれる。

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ネルヴァル 『オーレリア』 Gérard de Nerval Aurélia コレスポンダンスと詩的散文

ジェラール・ド・ネルヴァルは、何度か精神の病に襲われ、最後は自ら死を選んだ。そのために、現在でも狂気と幻想の作家と呼ばれることがある。そして、そうしたレッテルがあるために、彼の作品は特定の色眼鏡を通して読まれ、理解が妨げられる傾向にある。

ネルヴァルは、若い時代から韻文詩を書いていた。その中で、詩法の規則に従い、音節数や韻を踏んでさえいれば、それだけで詩といえるのかどうか問いかけるようになった。その結果、散文でも詩情(ポエジー)を生み出すことができるのではないかと考えた。

彼が目指したのは、後にボードレールがするように、ジャンルとしての「散文詩」を作ることではなかった。散文というジャンルの中で、詩的散文(écriture poétique)により、詩情(ポエジー)を生み出すことだった。

このことは、ネルヴァルが何度か精神病院に収容され、最晩年の1855年に発表された『オーレリア』の中では、いかにも自伝のように見える作品の中で、狂気の体験について語っていることもあり、なかなか理解されてこなかった。
しかし、特定の偏見なしに彼の文章を読むと、ネルヴァル的散文の美を感じ取ることができるようになる。

ここでは、『オーレリア』の第2部6章の中で語られる、「私(je)」が精神病院で日々を過ごしている時の一節を読み、ネルヴァルが何を表現しようとしたのか見ていこう。

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ボードレール 「色について(De la couleur)」 1846年のサロン

シャルル・ボードールは、詩人としての活動だけではなく、絵画、文学、音楽に関する評論も数多く公にしている。
それらは詩とは無関係なものではなく、それ自体で価値があると同時に、全てを通してボードレールの芸術世界を形作っている。

『1846年のサロン』は、ボードレール初期の美術批評であるが、後に韻文詩や散文詩によって表現される詩的世界の最も根源的な世界観を表現している、非常に重要な芸術論である。
その中でも特に、「色について(De la couleur)」と題された章は、ボードレール的人工楽園の成り立ちの概要を、くっきりと照らし出している。

しかも、冒頭の2つの段落は、詩を思わせる美しい散文によって綴られ、ボードレール的世界が、言葉によって絵画のように描かれ、音楽のように奏でられている。

まず最初に、ボードレールの色彩論を通して、どのような世界観が見えてくるのか、検討してみよう。

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ボードレール 「旅への誘い」 散文詩 Baudelaire « L’invitation au voyage » en prose 2/2

Pieter Janssens Elinga, Interior with Painter, Woman Reading and Maid Sweeping

第6詩節では、室内の様子が絵画的に描きだされる。
ワルツへの招待に倣って言えば、絵画への招待。

 Sur des panneaux luisants, ou sur des cuirs dorés et d’une richesse sombre, vivent discrètement des peintures béates, calmes et profondes, comme les âmes des artistes qui les créèrent. (以下録音の続き)Les soleils couchants, qui colorent si richement la salle à manger ou le salon, sont tamisés par de belles étoffes ou par ces hautes fenêtres ouvragées que le plomb divise en nombreux compartiments. Les meubles sont vastes, curieux, bizarres, armés de serrures et de secrets comme des âmes raffinées. Les miroirs, les métaux, les étoffes, l’orfèvrerie et la faïence y jouent pour les yeux une symphonie muette et mystérieuse ; et de toutes choses, de tous les coins, des fissures des tiroirs et des plis des étoffes s’échappe un parfum singulier, un revenez-y de Sumatra, qui est comme l’âme de l’appartement.

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ヴェルレーヌ「詩法」 Verlaine « Art poétique » 何よりも先に音楽を La musique avant toute chose

詩は大きく分けると、歴史や神話を語る叙事詩と、個人の思いや感情を吐露する抒情詩に分類される。
19世紀のフランスでは、抒情詩が詩の代表と考えられるようになり、それに伴い音楽性がそれまで以上に重視されるようになった。
とりわけ、19世紀後半の詩人達、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメたちの詩句は音楽的である。

ポール・ヴェルレーヌの「詩法」« Art poétique »は、「何よりも先に、音楽を」という詩句で始まり、抒情詩=音楽の流れを見事に表現している。

実際、ヴェルレーヌ自身大変に音楽的な詩人であり、彼の詩は数多くの作曲家によって曲を付けられ、現在でもしばしば歌われている。
https://bohemegalante.com/2019/04/13/verlaine-musique-philippe-jaroussky/

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天空の城ラピュタ  生命の根源への旅

「天空のラピュタ」で宮崎監督が目指したのは、パズー少年を中心にし、愉快で、血わき、肉おどる、古典的な冒険活劇だという。この映画の企画書には、次のような言葉が書き留められている。

パズーが目指すものは、若い観客たちが、まず心をほぐして楽しみ、喜ぶ映画である。(中略)笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在もっともクサイとされるもの、しかし実は観客たちが、自分自身気づいていなくても、もっとも望んでいる心のふれあい、相手への献身、友情、自分の信じるものへひたむきに進んでいく少年の理想を、てらわずにしかも今日の観客に通じる言葉で語ることである。

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