日本の歴史 超私的概観 (3) 奈良時代から平安時代へ (その2)

平安時代:794年から1182-1192年

奈良時代は、隋や唐に使節団を派遣して積極的に政治や文化を学び、天皇を中心とする中央集権国家の確立に努めた時代だった。
平安時代になると、渡来した文物に関する受容の仕方が変化する。
約400年続く平安時代の間に「和様化」が大幅に進み、現在の私たちが「日本的」と感じるものが様々な面で出来上がっていった。

平安時代において、大きな転換点を示す象徴的な出来事は、遣唐使の廃止。
600年に第1回遣隋使が派遣され、630年からは唐が大陸の実権を握ったのに対応して、遣唐使に代わった。そうした制度が838年まで200年以上維持され、派遣が20回以上行われた。
その制度が、894年になりは正式に廃止されたのだった。

この外交関係の断絶は、江戸時代の「鎖国」に匹敵するものであり、その後の約300年の間、外来の文物が日本古来の心性を通して和様化する大きなきっかけとなった。

そうした和様化の過程で、仏教の仏と土着の神々が融合し、真名(まな)と呼ばれた漢字から仮名(かな)が発明された。
また、日本の風土にふさわしい真言宗や天台宗が形作られ、平等院鳳凰堂を頂点とする日本的な美が創造され、『古今和歌集』『枕草紙』『源氏物語』といった優れた文学作品が生まれたりもした。

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日本の歴史 超私的概観 (2) 奈良時代から平安時代へ (その1) 

奈良時代と平安時代は、現在の日本の政治的、文化的、思想的な基礎が形作られた時代だといえる。

710年に始まり793年に終わる奈良時代は約80年。それに対して、794年から1180年代まで続いた平安時代は約400年。その二つの時代が継続した約500年の間に、ヤマト政権は天皇を中心とした政治体制を整え、仏教を大幅に取り入れながら、私たちが「日本的」と感じる事物や精神性を作り上げていった。

奈良時代は、飛鳥時代の聖徳太子たちによって積極的に取り入れられた大陸の政治制度や仏教による国家運営を押し進め、国家としての体制を整えた時代だといえる。
その最も明確な印として、現存する日本最古の書籍である『古事記』と『日本書紀』を挙げることができる。
東大寺大仏殿は、その時代を視覚的に最も見事に表現する。

平安時代になると、奈良時代に受容した大陸の政治や文化の成果をしっかりと受け止めた上で、微妙でありながら重要な変化を加え、「もののあはれ」に美を見るといった感受性を醸成していった。
『古今和歌集』や『源氏物語』はその文学的な表現であり、平等院鳳凰堂はその美学を視覚的に表現している。

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日本の歴史 超私的概観 (1) 古代から飛鳥時代まで

日本のことを少しだけでも勉強しようと思った時、自分がほとんど何も知らないことに気付かされた。

知っていることといったら、学校で習った何人かの人物の名前やいくつかの出来事くらい。例えば、「1192(いい国) つくろう 鎌倉幕府」といった感じ。
最近の学説によれば、源頼朝が全国に守護・地頭を置き、実質的な支配を開始したのは1185年なので、「1185(いい箱)つくろう 鎌倉幕府」と言われるようになったらしい。
しかし、鎌倉時代が日本の文化においてどのような意味を持ったのかといったことに関しては、あいかわらずわからないままだ。

歴史に関するもう一つの傾向は、小説や芝居などで取り上げられたヒーローの個人的な物語を通して、自分たちの生き方の参考にするといったもの。
例えば、ある時期、坂本龍馬に脚光があたり、「死ぬ時はたとえどぶの中でも前向きにたおれて死ぬ」といった言葉だけが一人歩きしたことがある。
その時、幕末について少し語られることはあったとしても、明治維新が現代の日本のあり方にどのような役割を果たしたのか、私はまったく知らないままでいた。

そのような状況の中で自分の無知を自覚するにつれ、過去の日本が現在の日本にどのような痕跡を留めているのか知りたくなり、少しずつ調べてみることにした。

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