
小林秀雄を読むのは、なかなか骨が折れる。高度な考察が書かれているらしいのだが、すっと理解できる文章ではないし、思考の流れも入り組んでいるように思われる。わからないまま、途中で投げ出してしまうこともあるだろう。
「無常という事」も、日本文化を理解するうえでキーワードとなる「無常」という言葉が題名に掲げられ、しかも2200字程度の短い批評なので、なんとか最後まで読もうと思うのだが、飛ばし読みしたり、途中で挫折してしまう読者も少なくない。
そこで、ここではまず、論理の組み立てをたどることから始めてみたい。
読み解くための第一歩は、「二つの対立する要素」が積み重ねられながら論が展開されている点に注目すること。語られている具体的な内容が、その二つのうちのどちらに分類されるのかを丁寧に区別していくのである。
その二項対立を意識したアプローチで読み進めていくと、小林の批評において中心的な意味を持つ「美」という言葉の本質が見えてくる。単なる字面にとらわれることなく、彼が言葉にどんな思想を託して読者に伝えようとしているのかが、徐々に理解できるようになるはずだ。
そして、「無常という事」という短い文章を理解することができれば、小林秀雄という日本を代表する批評家の思想の中核にも近づくことができるだろう。
(1)対立する二つの軸


二つの対立軸は、冒頭に置かれた「一言芳談抄(いちげんほうだんしょう)」 — 鎌倉時代後期に成立した、中世日本の念仏者たちによる言葉や教えを集めた言行録 —の一節に対する姿勢を通して、最初に提示される。
引用されたその一節は次のようなものだ。ある女房が夜更けに巫女のふりをして、鼓に合わせてこの世のはかなさと来世への願いを歌った。そして、その真意を尋ねたある人に、「人間の生き死にや、この世の無常のありさまを深く思うと、現世のことはもう仕方のないことだから、来世では救って欲しいと神仏に願っている」と答えた、というエピソードである。
この引用に対して、小林秀雄は二つの態度を提示する。
これは、まず「一言芳談抄(いちげんほうだんしょう)」のなかにある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現(さんのうごんげん)の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠(ざんけつ)でも見る様な風に心に浮び、文の節々が、まるで古びた絵の細頸(さいけい)な描線を辿(たど)る様に心に滲(し)みわたった。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦(そば)を喰っている間も、あやしい思いがしつづけた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気にかかる。無論(むろん)、取るに足らぬある幻覚が起ったに過ぎまい。そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然(はんぜん)しないままに書き始めているのである。

小林が見せる態度のうち、一つは、引用の文章が古い絵巻物の断片でも見るように心に浮かび、その一節一節が古びた絵の細くかすかな線をなぞるかのように心にしみわたり、「あやしい思い」が持続した、というもの。
なぜそのように感じたのか、それが何を意味するのかは論理的に説明できないが、どうしてもその実感が心から離れないという態度である。(態度:1)
もう一方は、理性的に割り切って、頭に浮かんだイメージなど「取るに足らぬある幻覚」にすぎないとして片付けてしまう、というもの。(態度:2)
小林は最初から前者の「あやしい思い」に価値を置き、後者の「幻覚にすぎないとする便利な考え」を信用しないという選択を明確にしている。
そして、その選択が「無常という事」の根底を流れる思想であることを示すために、彼はあえて「何を書くのか判然しないままに書き始めている」(態度:1)と書き添える。
つまり、「判然しない」というのは、あらかじめ理性的に組み立てられたロジックに従うのではなく、『一言芳談』の一節に直面したときと同じ、ごまかしのきかない生身の実感に突き動かされて文章を紡ぐ、ということの告白に他ならない。
この「実感」(態度:1)と「理性」(態度:2)の対比を頭に入れておくと、次に続く吉田兼好の『徒然草』についての一節も理解しやすくなる。
「一言芳談抄」は、恐らく兼好の愛読書の一つだったのであるが、この文を「徒然草」のうちに置いても少しも遜色(そんしょく)はない。今はもう同じ文を眼の前にして、そんな詰らぬ事しか考えられないのである。依然(いぜん)として一種の名文とは思われるが、あれほど自分を動かした美しさは何処に消えて了(しま)ったのか。
この文章の仕組みは、次のようなものである。『一言芳談抄』の一節が『徒然草』に入れてもよいほど優れているという判断は、理性的・知的な評価である。しかし、そのような評価にとどまってしまうからこそ、比叡山でその一節を思い出した時に味わった感動は、もはや感じられないのである。
『徒然草』との比較を行い、その文章を「名文」と評価することは、理性的な判断である(態度:2)。そして、小林は、そのような判断を「そんな詰らぬ事」と呼び、否定的に捉えている。
そのメカニズムは、浮かんできた映像を「取るに足らぬある幻覚」と判断した場合と同じである。対象から距離を置き、それを客観的な評価の対象としてしまうと、直接に味わわれていた実感は失われてしまう。
では、その反対にあるものは何か。
ここで小林は、「美しさ」(態度:1)という言葉を用いる。彼が失ったのは、文章についての知識や評価ではない。失われたのは、かつて自分を動かした「美しさ」の実感である。つまり、「あやしい思い」の体験とは、彼にとっては美を直接に経験する体験だったのである。

この美に関するこれら二つの態度の対比は、小林秀雄が昭和32年(1957年)に行った講演「美を求める心」において、はっきりと口にされている。
絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を描いても、見ることです。聴くことです。
小林は、「美」とは「頭で解るとか解らないとか言うべき筋のもの」(態度:2)ではなく、まず目で見て楽しみ、耳で聴いて感動するもの(態度:1)であると、きっぱりと言い切る。この対比はきわめて明快である。
もちろん、小林は理性的な理解や解釈そのものを否定しているのではない。ここで問題にしているのは、美を味わうべき場面で、理性的な評価や解釈が前面に出てしまうことである。
「名文とは思われる」と理性的に評価しているうちに、引用された文章の美に動かされていた心は、いつの間にか失われてしまう。美を味わう場面では、そのような理性的な評価は、小林にとって「詰らぬ事」となってしまう。
では、美を実感を取り戻し、再び「文の節々が、まるで古びた絵の細頸(さいけい)な描線を辿(たど)る様に心に滲(し)みわたる」ためには、どうしたらいいのか。
その答えを小林自身が持たないからこそ、彼は「何を書くのか判然しない」のであり、次に続く文章からもわかるように、その思考はあえて手探りのまま進められている。
消えたのではなく現に眼の前にあるのかも知れぬ。それを掴(つか)むに適したこちらの心身の或る状態だけが消え去って、取戻す術(すべ)を自分は知らないのかも知れない。こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見付け出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。
比叡山の山中で感じた「美」が、後に消え去ってしまった理由を、小林は自問する。そして、「一言芳談抄」の文章そのものは変わっておらず、その文章が心の中に描き出す絵画的なイメージも本来は同じはずだと考える。すると、何が違うのだろうか。
その答えを、小林は「心身の或る状態」に求める。問題は文章ではなく、それを読む側にあるのではないか、と考える。つまり、感動した時の心身の状態(態度:1)を失い、それをどうすれば取り戻せるのかがわからないのではないか、と問い始めるのである。
別の視点から見れば、美は対象そのものに固定的に存在するのではなく、それを受け取る人間との関わりの中で生成するものだとも言える。「絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。」という言葉も、そのことを示しているのだろう。
しかし、その一方で、美を取り戻そうとして考えを巡らせること自体は、きわめて理知的な営みである。そして、その営みは、ともすれば対象から距離を置き、美を生き生きと経験する態度(態度:1)を、理性的な考察(態度:2)へと変えてしまう危険も孕んでいる。
この緊張関係を、小林は「子供らしい疑問」「美学の萌芽」(態度:1)と、「美学」(態度:2)という対比によって表現している。「美学の萌芽」とは、美をもう一度経験したいという素朴な願いである。しかし、その願いを理論として組み立て、「美学」へと向かおうとするならば、かえって美から遠ざかってしまう。その葛藤こそが、小林のいう「途方もない迷路」なのである。
小林の言葉は、次のように言い換えることもできるだろう。子供でも、ある文章を読んで美しいと感じることはある。大人になっても、そのような美をもう一度感じたいと願うことは自然である。そうした願いを「美学の萌芽」と呼ぶなら、それは少しも疑わしいものではない。大切なのは、まず美に触れ、感動し(態度:1)、その後で考える(態度:2)ことなのである。
しかし、そこから美を感じるための理論、すなわち「美学」(態度:2)を築き上げたとしても、それだけで美を再び経験できるようになるわけではない。大切なのは、美を感じることであって、その体験を理論化することではない。
小林が冒頭で語った「何を書くのか判然しないままに書き始めている」という告白は、この「途方もない迷路」という言葉と深く響き合っている。それは、「美学」に向かうのではなく、「美はいかに経験されるのか」という問いを考え続けることの難しさを示しているのである。
そこで小林は、いったん理論を離れ、比叡山の山王権現で美を感じた時の具体的な状況を描き出し、「美学の萌芽」(態度:1)の実際の姿をたどろうとする。

確かに空想なぞしてはいなかった。青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔(こけ)のつき具合やらを一心に見ていたのだし、鮮やかに浮び上った文章をはっきり辿った。余計な事は何一つ考えなかったのである。どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応したのだろうか。そんな事はわからない。わからぬ許(ばか)りではなく、そういう具合な考え方が既に一片の洒落(しゃれ)に過ぎないかも知れない。僕は、ただある充ち足りた時間があった事を思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。

ここでのポイントは、「一心に見ていた」ことであり、「余計な事は何一つ考えなかった」という状態である。対象に心を集中させ、理屈を差し挟まないこと、これこそが、小林の重視する態度:1なのである。
それに対して、「どの様な自然の諸条件に、僕の精神のどの様な性質が順応したのだろうか」と原因を分析しようとする問いは、態度:2に属する。
小林は、そのような考え方そのものが、「一片の洒落」、つまり知的な言葉遊びにすぎないかもしれないと述べている。理論的な考察そのものを否定しているのではなく、美を経験する場面では、それだけでは本質に届かないことを示そうとしているのである。
そして、その時には、「充ち足りた時間」、「自分が生きている証拠だけが充満」する時間があった。その時間の中で、小林は「一言芳談抄」の世界を、単なる知識としてではなく、生きた現実として感じていたのだろう。その感覚が、「何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。」という、ためらいを含んだ言葉となって現れている。今にいながら過去が甦る、それこそが最初に感じた「あやしい思い」なのだ。
ここで小林は、鎌倉時代を思い出したと断言しているわけではない。しかし、自分が生きている現在の時間の中に、鎌倉時代が不思議な仕方で立ち現れてきたような感覚を味わっていたことは確かである。その意味で、「巧みに思い出していた」とは、知識として過去を再現することではなく、生きた現在の中で過去を経験することを指していると考えられる。
この「生きた時間」の考察から、小林の思考は鎌倉時代という「過去」へ、そして「歴史」へと向かっていく。
(2/2に続く)