(宮沢賢治 原体剣舞連 — 詩のリズム 1/3 舞手たちへの祈願 から続く)
オノマトペ — 3
ここで突然、それまでとは性格の異なるオノマトペが出現する。
Ho! Ho! Ho!
「Ho! Ho! Ho!」という三拍のオノマトペは、詩人が踊り手たちに呼びかけた願いと、その後に続く場面との間に置かれ、詩の流れが大きく転換することを告げる役割を果たしていると考えられる。

このオノマトペについては、賢治自身が驚きを表す声として用いていたことをうかがわせる証言が残されている。

賢治が原体村で剣舞を見たのは、大正6(1917)年8月28日から9月8日にかけて、友人たちとともに江刺地方で地質調査を行った際のことであった。その折、賢治は五輪峠で蛇紋岩脈にハンマーを打ち込み、飛び散る岩片を拾いながら、「ホー、ホー! 二十万年もの間隔の目を見ずに居たのでみな驚いている」と叫んでいたという。この思い出を、同行した友人の一人が後年語っている。
こうした証言を踏まえると、「Ho! Ho! Ho!」もまた、賢治が驚きを表すために用いた声と読むことができる。そして、この驚きの声の直後に、伝説の英雄・悪路王が突如として姿を現すことに注目するならば、このオノマトペは、前半の祈願の世界から後半の伝説の世界へと読者を導く転換点として機能していると考えることができる。
すなわち、「Ho! Ho! Ho!」は、単なる感嘆の声ではない。それは、踊り手たちの舞が「師父たち」の姿を超え、東北の歴史と伝説が重なり合う新たな世界の扉を開く合図となっているのである。
第六連

「Ho! Ho! Ho!」という驚きの声は、踊り手たちの激しい舞が、「師父たち」の姿をさらに超え、平安時代初期、大和朝廷に激しく抵抗したと伝えられる伝説の頭領・悪路王を思わせるものとなったことから生まれたものではないだろうか。
そして、その存在が異次元のものであることを示すかのように、「悪路王」を描く八行の詩句には、二つの特別な仕掛けが施されている。
一つは、行下げが行われ、他の詩行とははっきり区別されていることである(ここでは背景を灰色で示した)。もう一つは、各行の後半に短く引き締まった語句を反復して置くことによって、詩句全体に切迫したリズムを生み出していることである。

むかし(3)/達谷(たつた)の // 悪路王(あくろわう)(5)
まつくらくらの // 二里の洞(ほら)(5)
わたるは(4)/夢と //黒夜神(こくやじん)(5)
首は(3)刻まれ // 漬(みず)けられ (5)
詩全体の基本となるリズムは七拍・七拍である。その中で、この連と次の連では、行の後半に簡潔で力強い語句を繰り返し配することによって、詩句は一気に切迫した調子を帯びる。
同時に、その規則的な響きは、踊り手たちの身体や太刀の動きが一糸乱れぬものとなり、集団として統一された舞を生み出していることも感じさせる。
冒頭に「むかし」という言葉が置かれているのも印象的である。「むかし」は、冒頭と第五連で繰り返された「こんや」と鮮やかな対照をなし、祭りの時間が、「今」から伝説の時代へと移っていくことを暗示している。


「「悪路王」は、現在の岩手県平泉町にある達谷窟(たっこくのいわや)を拠点とし、朝廷軍に激しく抵抗したと伝えられる伝説上の人物である。その姿は、しばしば蝦夷の指導者アテルイと結び付けて理解され、賢治もまた、そのようなイメージを踏まえてこの人物を描いた可能性が高い。朝廷側から見れば、「悪しき道を進む王」という意味をもつ存在である。
伝承によれば、征夷大将軍・坂上田村麻呂によって討たれたものの、その首はなお飛び回って田村麻呂の兜に噛みついたという。そして最後は塩漬けにされ、深く地中へ埋められたと伝えられている。「二里の洞」や「首は刻まれ/漬けられ」という表現は、この伝承を踏まえたものと考えられる。
「二里の洞」や「首は刻まれ/漬けられ」という表現は、この伝承を踏まえたものである。
なお、「漬けられ」の読みについては、賢治自身がルビを残していないため確定することはできない。「みずけられ」と読めば、東北地方に見られる「みずける(水に漬ける)」という方言を連想させ、悪路王の首が野菜のように塩漬けにされるという生々しい印象をいっそう強める解釈も成り立つ。しかし、これは一つの可能性であり、読みを断定することはできないのだが。。。

さらに、洞窟の暗闇は、「まつくらくら」という言葉だけでなく、密教に取り入れられた夜の女神である「黒夜神」、そして夢が一面に広がっていくことを表す「わたる」という表現によって、いっそう深く、神秘的なものとなっている。
しかし、この暗い世界は、単なる歴史や伝説では終わらない。
それは、東北地方の厳しい自然の中で生きてきた「アルペン農」たちの苦難の歴史であり、「師父たち」が歩んできた人生でもある。そして、その苦難の中で育まれた生命力は、今まさに剣舞を舞う者たちへと受け継がれている。
悪路王は、歴史上の一人の英雄として描かれているだけではない。時代を超えて受け継がれる苦難と生命力の象徴として、「師父たち」であり、賢治の時代の農民であり、さらに今、剣舞を舞う若者たちの姿へと重ね合わされているのである。
その意味で、この悪路王の姿もまた、時代ごとに異なる姿をとりながら繰り返し立ち現れる Mental Sketch Modified の一つの表れと考えることができるだろう。
。。。。。。。

次に、一行だけ行下げが終わり、暗い洞窟から一転して、視線は天上へと移される。そして、その瞬間、詩句のリズムも再び七拍・七拍という基本形へと戻る。
アンドロメダも // かゞりにゆすれ

踊り手たちを照らすかがり火は、天空に浮かぶアンドロメダ銀河にまで届き、その揺らめく炎に呼応するかのように、星雲までもが静かに揺れているように感じられる。
その際、七拍・七拍の基本リズムへ戻ることによって、詩は再び安定した広がりを取り戻し、その視線は、一時的ではあるものの、洞窟から宇宙へと解き放たれる。
ここで賢治が描こうとしているのは、地上の悲惨と天上の光との対立ではなく、むしろ、悪路王をめぐる伝説の世界と、アンドロメダ星雲へと広がる宇宙とを、一つの連続した世界として結び付けることだったのではないだろうか。
。。。。。。。
しかし、その視線の上昇は一瞬のものである。意識は再び「悪路王」の世界へと引き戻される。そして、再び行下げが行われ、各行の後半には短く切り詰められた語句が反復され、切迫したリズムが刻まれる。

青い仮面(めん)この // こけおどし(5)
太刀(たち)を浴びては // いつぷかぷ(5)
夜風の底の // 蜘蛛(くも)おどり(5)
胃袋(4)はいて //ぎつたぎた(5)
ここでとりわけ耳を打つのは、「いつぷかぷ」と「ぎつたぎた」という、促音「っ」を含んだ五拍の言葉である。どちらもオノマトペを思わせる響きをもち、読者の身体感覚に直接訴えかける。
青い仮面をつけ、勇壮に舞っていた踊り手たちも、侵略者の太刀を浴びれば、容赦なく切り刻まれてしまう。「いつぷかぷ」は、切り裂かれた肉体が血の中を漂うような凄惨な光景を思わせるとも読め、「ぎつたぎた」は、胃袋までもがえぐり出され、ずたずたに切り裂かれる惨状を生々しく伝えている。

その際、促音「っ」は、破裂音「ぷ」や濁音「ぎ」と結び付き、肉体が断ち切られる一瞬の衝撃を、鋭い音として読者の耳に刻み込む。ここでは、意味だけではなく、言葉そのものの響きが悲惨さを表現しているのである。
さらに、切り裂かれた肉体の断片が散乱する様子は、「夜風の底の蜘蛛おどり」という異様な光景へと転じていく。「蜘蛛」という語は、大和朝廷に従わなかった東北の蝦夷が「土蜘蛛(つちぐも)」と蔑称で呼ばれたことを読み手に想起させる。そのように読むならば、「蜘蛛おどり」は、悪路王たち蝦夷の悲劇的な運命を暗示する表現として理解することもできるだろう。

また、「青い仮面この/こけおどし」と「夜風の底の/蜘蛛おどり」では、「おどし」と「おどり」という二つの五拍の言葉が音の上で響き合っている。「こけおどし」が虚勢や威嚇を意味するのに対し、「蜘蛛おどり」は死と破壊の舞を思わせる。この響きの近さと意味の対照が、詩の緊張感をいっそう高めている。
このようにして、悪路王は、「師父たち」の苦難をさらに極限まで押し進めた存在として描かれる。その姿は、単なる伝説上の英雄ではなく、東北の大地で幾世代にもわたって苦難を背負ってきた人々の歴史を象徴する存在となり、その生命は、剣舞を舞う若者たちの身体の中にも受け継がれているのである。
次に、再びオノマトペが再び響き渡る。
(3/3に続く)