ボードレール 化粧礼賛 Baudelaire « Éloge du maquillage » 「現代生活の画家」Le Peintre de la vie moderne   

ボードレールは、「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の第11章「化粧礼賛(Éloge du maquillage)」の中で、ナチュラルな美を良しとする傾向に対し、美とは人工的に作り出すものであるという美学を明確に表現した。
彼にとって、ファッションや化粧は、芸術や詩に匹敵する美を生み出す技術なのだ。

「化粧礼賛」の結論部分で、ボードレールは次のように言う。

Ainsi, si je suis bien compris, la peinture du visage ne doit pas être employées dans le but vulgaire, inavouable, d’imiter la belle nature et de rivaliser avec la jeunesse. On a d’ailleurs observé que l’artifice n’embellissait pas la laideur et ne pouvait servir que la beauté. Qui oserait assigner à l’art la fonction stérile d’imiter la nature ? Le maquillage n’a pas à se cacher, à éviter de se laisser deviner ; il peut, au contraire, s’étaler, sinon avec affectation, au moins avec une espèce de candeur.

  以上のように、もし私の言うことがしっかりと理解されたのであれば、顔に化粧するのは、人に告白できないような俗っぽい目的、つまり、美しい自然を模倣し、若さと対抗するといったことのために、なされるべきではない。すでに考察したことだが、人工的な手段は、醜い物を美しくはしないし、役に立つのは美しいものだけに対してだけである。誰が、芸術に、自然を模倣するという不毛な機能を与えようとするだろう? 化粧は隠すべきではなく、化粧だと思われるのを避けるべきでもない。反対に、化粧は、気取ってとはいわなくても、一種の無邪気さをもって、はっきりと見せることができるものである。

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小林秀雄 ボードレール 『近代絵画』におけるモデルと作品の関係

小林秀雄が学生時代にボードレールを愛読していたことはよく知られていて、「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(「詩について」昭和25(1950)年)とか、「僕も詩は好きだったから、高等学校(旧制第一高等学校)時代、『悪の華』はボロボロになるまで愛読したものである。(中略)彼の著作を読んだという事は、私の生涯で決定的な事件であったと思っている」(「ボオドレエルと私」昭和29(1954)年)などと、影響の大きさを様々な場所で口にしている。

そうした中で、『近代絵画』(昭和33(1958)年)の冒頭に置かれた「ボードレール」では、小林が詩人から吸収した芸術観、世界観が最も明瞭に明かされている。
その核心は、芸術作品の対象とするモデルと作品との関係、そして作品の美の生成される原理の存在。

『近代絵画』は次の一文から始まる。

近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯(ばれいしょ)らしいと思って、下の題を見ると、ある男の顔と書いてある。極端に言えば、まあそういう次第で、この何かは、絵を見ない前から私達が承知しているものでなければならない。まことに当たり前の考え方であって、実際画家達は、長い間、この当たり前な考えに従って絵を描いて来たのである。

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によるボードレールの散文詩「髪の中の半球」の翻訳 Lafcadio Hearn « A Hemisphere in a Woman’s Hair »

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がアメリカで新聞記者をしている時代、フランス文学の翻訳にも興味を持ち、ボードレールの散文詩の翻訳などもしていた。

1883年12月31日発行の「タイムズ・デモクラット(Times Democrat)」紙に、« ボー ドレールからの断片(Fragments from Baudelaire) »という記事があり、ボードレールの散文詩4編の翻訳が掲載されているが、その著者(訳者)がハーンであると推定されている。

フランス語を日本語に訳すのとは違い、英語の翻訳であれば、フランス語の構文はほぼ保つことができる。そうした中で、どのような変更が加えられたのか見ていくのは、ハーンの文学観を知る上で大変に興味深い。
ここでは、「髪の中の半球(Un Hémisphère dans une chevelure)」の原文と英語訳を対照しながら読んでみよう。

Un Hémisphère dans une chevelure

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

意味や読解については、以下の項目を参照。
ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

A Hemisphere in a Woman’s Hair

Ah! let me long, long breathe the odor of thy hair; let me plunge my whole face into the rippling of thy locks, even as a thirsty man plunges his face into the waters of a spring. Let me shake thy tresses with my hand, as one shakes a perfumed handkerchief, as one memories from them into the air around me.

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ボードレール 「髪の中の半球」 Baudelaire « Un Hémisphère dans une chevelure » 散文で綴った詩

散文詩「髪の中の半球(un hémisphère dans une chevelure)」は、韻文詩「髪(La Chevelure)」をボードレールが書き換えた作品だと考えられている。

実際、「髪の中の半球」が最初に発表された時、題名は韻文詩と同じ「髪(La Chevelure)」だった。さらに、韻文詩は7つの詩節で構成されるが、散文詩にも7つの段落がある。その内容も対応する部分があり、同じ単語が使われていたりもする。

従って、「髪」を下敷きにしながら「髪の中の半球」を読んでいくと、ボードレールが散文詩というジャンルをどのようなものとして成立させようとしていたのかが、わかってくる。

韻文詩「髪(La Chevelure)」はこのように始まる。

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !     おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !     おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure    恍惚! 今宵、暗い寝室を、
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,    この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir    この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ

散文詩「髪の中の半球」では、韻文詩の最初の2行及び3行目の最初に置かれた「恍惚(Extase !)」を含め、感嘆詞で綴られる部分が省かれる。
そして、「君の髪(tes cheveux)」の「香り(l’odeur)」を嗅ぎ、それを「揺する(agiter)」ことで、「思い出(souvenirs)」を掻き立てるという、具体的な行為から出発する。

Laisse-moi respirer longtemps, longtemps, l’odeur de tes cheveux, y plonger tout mon visage, comme un homme altéré dans l’eau d’une source, et les agiter avec ma main comme un mouchoir odorant, pour secouer des souvenirs dans l’air.

髪の中の半球

 吸い込ませておいてくれ、長い間、長い間、君の髪の香りを。そこに顔をすっぽりと沈ませておいてくれ、泉の水で喉を潤す男のように。その髪をこの手で揺らさせておくれ、香りのいいハンカチを振るように。思い出を空中に振りまくために。

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ボードレール 「髪」  Baudelaire « La Chevelure »  官能性から生の流れへ 

愛する女性の髪に顔を埋め、恍惚とした愛に浸る。「髪(La Chevelure)」と題された韻文詩で、ボードレールはそんな官能的な愛を歌いながら、いつしか読者を「思い出というワイン(le vin du souvenir)」で酔わせていく。そして、その過程が、官能の喜びから精神の恍惚への旅として描かれる。

「髪」は、7つの詩節から構成される。
それぞれの詩節は、12音節の詩句が5行から成り、全ての詩節の韻はABAAB。
12音節の切れ目(césure)は6/6と中央に置かれることが多く、詩全体が非常に整った印象を与える。

La Chevelure

Ô toison, moutonnant jusque sur l’encolure !
Ô boucles ! Ô parfum chargé de nonchaloir !
Extase ! Pour peupler ce soir l’alcôve obscure
Des souvenirs dormant dans cette chevelure,
Je la veux agiter dans l’air comme un mouchoir

「髪」

おお、首の上まで波打つ羊毛のような髪!
おお、髪の輪! おお、物憂さの籠もった香り!
恍惚! 今宵、暗い寝室を、
この髪の中で眠る思い出によって満たすため、
この髪を空中で揺り動かしたい、ハンカチを振らすように!

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ボードレール 「現代生活の画家」 Baudelaire Le Peintre de la vie moderne モデルニテについて — 生(Vie)の美学

1863年に発表された「現代生活の画家(Le Peintre de la vie moderne)」の中で、シャルル・ボードレールは、「モデルニテ(Modernité)」という概念を提示し、現代の美は「移り変わるもの」と「永遠性」の二つの側面からなるという説明をした。

 Il s’agit, (…), de dégager de la mode ce qu’elle peut contenir de poétique dans l’historique, de tirer l’éternel du transitoire.

問題は、(中略)、モードから、歴史の中でそのモードが含む詩的なもの全てを、一時的なものから永遠なものを、取り出すことである。

最も簡単な言い方をすれば、モデルニテとは、自分たちの時代の服や生活習慣など「すぐに変化してしまう現代的(モダン)な主題」を取り上げ、古代の美に匹敵する「普遍的で永遠の美」を作り出す、という美学だといえる。

この二重性を持つ美の概念は、「1846年のサロン」の最終章「現代生活の英雄性」においても言及されていた。

Toutes les beautés contiennent, comme tous les phénomènes possibles, quelque chose d’éternel et quelque chose de transitoire, — d’absolu et de particulier.

あらゆる美は、潜在的な全ての現象と同じように、永遠なものと束の間のもの、— 絶対的なものと個別的なものを内蔵している。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

では、1846年と1860年前後という二つの時期で、ボードレールの美意識に変化はなかったのだろうか?

こうした問題意識は、一般的な読者にとってはあまり意味がないと思われるのだが、少し専門的にボードレールについて調べてみると、どうしても気になってくる。

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ボードレール「窓」 Baudelaire « Les Fenêtres » 生の生成

「窓(les Fenêtres)」は、1863年12月10日に「小散文詩(Petits Poèmes en prose)」という総題の下で発表された散文詩の一つであり、ボードレールの創作活動の中でかなり後期に位置する。
それだけに、ロマン主義から出発した彼の芸術観に基づきながら、19世紀後半以降の新しい世界観をはっきりと意識し、明確に表現しうる段階に来ていたことを証す作品になっている。

ロマン主義からモデルニテと呼ばれる新しい芸術観への変遷を最も端的に表現すれば、プラトニスム的二元論から、感性的現実と理念的理想の区分を想定しない一元論への大転換ということになる。
芸術は現実の理想化された再現であることをやめ、創造された作品自体が第一義的な価値を持つと考えられる時代になる。

Les Fenêtres

Celui qui regarde du dehors à travers une fenêtre ouverte, ne voit jamais autant de choses que celui qui regarde une fenêtre fermée. Il n’est pas d’objet plus profond, plus mystérieux, plus fécond, plus ténébreux, plus éblouissant qu’une fenêtre éclairée d’une chandelle. Ce qu’on peut voir au soleil est toujours moins intéressant que ce qui se passe derrière une vitre. Dans ce trou noir ou lumineux vit la vie, rêve la vie, souffre la vie.

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ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves »  3/3 韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?

ボードレールは、もう一人の寡婦について語り始める。
彼女は、「私」が後を付けた寡婦と同じように、公園で催される公共の音楽会に立ち会っている。しかし、今度は音楽自体の力が問題になるのではなく、音楽会を通して二つの社会階級が浮き彫りにされ、その中で彼女のいる位置が考察の対象になる。

(朗読は3分32秒から)

Une autre encore :
Je ne puis jamais m’empêcher de jeter un regard, sinon universellement sympathique, au moins curieux, sur la foule de parias qui se pressent autour de l’enceinte d’un concert public. L’orchestre jette à travers la nuit des chants de fête, de triomphe ou de volupté. Les robes traînent en miroitant ; les regards se croisent ; les oisifs, fatigués de n’avoir rien fait, se dandinent, feignant de déguster indolemment la musique. Ici rien que de riche, d’heureux ; rien qui ne respire et n’inspire l’insouciance et le plaisir de se laisser vivre ; rien, excepté l’aspect de cette tourbe qui s’appuie là-bas sur la barrière extérieure, attrapant gratis, au gré du vent, un lambeau de musique, et regardant l’étincelante fournaise intérieure.

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ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves » 2/3  韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?  

ボードレールは、自分たちの時代を、悲しみや苦しみに満ちた「喪(deuil)の時代」と見なしていた。

蒸気機関車の線路が各地に引かれ、街角にはガス灯が設置され、文明の進歩を多くの市民が享受するように見える時代、そこから排除された人々の数も膨れ上がっていた。
マルクスがこの時代に共産主義宣言を出したことは、労働者の悲惨が社会問題となっていたことを示す一つの証拠だといえる。

そうした社会の中で、ボードレールが眼差しを注いだのは、進歩を享受する側ではなく、虐げられた人々の側だった。
その点では、『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』の著者ヴィクトル・ユゴーに近い感性を共有していたといえる。

彼の目には、男性の黒い服やフロックコートは喪の象徴に見えた。女性の側に目を移せば、夫を失った寡婦たちが喪を象徴した。
韻文詩「小さな老婆たち」では老婆たちの後を辿っていった彼が、散文詩「寡婦たち」では、寡婦の後をついていく。

(朗読は1分27秒から)

Avez-vous quelquefois aperçu des veuves sur ces bancs solitaires, des veuves pauvres ? Qu’elles soient en deuil ou non, il est facile de les reconnaître. D’ailleurs il y a toujours dans le deuil du pauvre quelque chose qui manque, une absence d’harmonie qui le rend plus navrant. Il est contraint de lésiner sur sa douleur. Le riche porte la sienne au grand complet.

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ボードレール 「寡婦たち」 Baudelaire « Les Veuves » 1/3 韻文詩「小さな老婆たち」の散文化?

シャルル・ボードレールは、1857年に韻文詩集『悪の華(Les Fleurs du mal)』を出版する少し前から、散文詩を書き始めていた。

その詩集が風俗を乱すという理由で裁判にかけられ有罪になると、1861年に出版されることなる第2版に向けて、韻文詩をさらに付け加える準備をしながら、それと並行して散文詩も積極的に発表した。
詩人の死後に『パリの憂鬱( Le Spleen de Paris)』という題名で出版された散文詩集はその果実である。

こうしたことは、現在の視点から見ると何の驚きもない事実を列挙しただけだが、19世紀の半ばにおいては、自明のこととはいえなかった。
では、何か問題なのか?

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