18世紀の時代精神 幸福を求めて

フランスの18世紀は、ルイ14世の治世が終盤を迎えるところから始まり、フランス革命からナポレオンの登場で終わりを迎える。
一言で言えば、血縁に基づいた貴族の時代が終わり、ナポレオンという個人が能力を発揮して国家を支配できる時代が到来した。

こうした変化は、16世紀において「人間」という存在に価値があるという認識が行われ、17世紀になると全ての人間に「理性」が備わっているというデカルトの確認に続いて、実現されたのだと考えられる。
そして、18世紀に確立した人間観や世界観は、21世紀においても支配的な時代精神であり続けている。

その精神の根本にあるのは「幸福」の追求であり、「個人の自由」、「科学の進歩」等がその手段を支える思想となる。
しかし、興味深いことに、合理主義精神や科学主義が中心となる中で、「理性」よりも「非理性」に、「文明」よりも「未開」や「自然」に、「進歩」よりも「原初」に、「科学」よりも「神秘」や「超自然」に、価値を置く精神性が忘れられることはなかった。

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ラ・ファイエット夫人 『クレーブの奥方』 恋愛小説の危険

恋愛を扱った小説を読む時には、とりわけ注意を要することがある。
一般に恋愛は人間にとって普遍的な感情であると思われているので、小説が書かれた時代や国民性を考えることなく、読者自身の持つ恋愛観を投影し、小説を通して自分の恋愛に関する想いを読み取るだけに終わってしまう可能生がある。

マノン・レスコーがファム・ファタル(恋愛によって男性を堕落させる魅力的な女性)であり、ボヴァリー夫人が平凡な結婚生活に退屈し、不倫を繰り返して最後は自殺する女性といった平凡な類型を当てはめる。マノンに翻弄される男の愚かさを語ってみたり、それほど愛されるマノンに憧れたり、平凡な夫であるシャルル・ボヴァリーに退屈して結婚外の恋愛を憧れる女性に共感したり、やっぱり不倫はダメだなどといった感想を抱く。

François Clouet, Elisabeth d’Autriche

ラ・ファイエット夫人(Madame de La Fayette)の『クレーブの奥方(La Princesse de Clèves )』は、しばしばフランスで最初の恋愛心理を分析した近代小説と紹介されることがあり、恋愛感情を繊細に分析した小説といった先入観を持って読まれることが多い。

しかし、恋愛小説をそうした視点を通してだけ読むのであれば、芸能人の恋愛ネタと変わるところがなく、わざわざ古い時代のフランスの小説に手を出す必要もない。

せっかく『クレーブの奥方』を読むのであれば、読者自身の恋愛観を直接投影するのではなく、17世紀後半のフランスで書かれた作品であることから出発した方が、読書の楽しみはより大きなものになる。

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ラ・フォンテーヌの寓話とペローの昔話

17世紀後半はルイ14世が君臨した時代。当時の文学作品を読んでみたいという人がいたら、真っ先に推薦できる作家がいる。
一人は、ラ・フォンテーヌ。彼は、イソップ寓話を新しい読み物として語り直した。
もう一人は、ペロー。彼は、フランスの民話を取り上げ、王族や貴族の子女に向けて昔話を再話した。

「セミとアリ」「カラスとキツネ」といったイソップ寓話も、「赤ずきんちゃん」「シンデレラ」といった昔話も、私たちはよく知っているし、17世紀の読者にとっても同じことだった。従って、物語られる出来事に目新しいものはないはずである。

では、どこに興味を持って、ラ・フォンテーヌやペローを読めばいいのだろう? 彼らの書いたものを読むことで、何が理解できるのだろうか?

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ラシーヌ 恋は毒

ラシーヌの悲劇は、人間の弱さを描き、そこに美を生み出すという点では、日本的な感性に受け入れられやすいといえる。

必至に運命に立ち向かい、何とか理性を働かせて、自分を保とうとする。しかし、追い詰められると、どうにもならない感情にとらわれ、愛が憎しみに反転し、自分を押さえることができなくなる。
その葛藤の中で、もがき苦しむ。倫理的な行動を取ろうとすればするほど、自分を責める心持ちが強くなり、苦しみも深まる。
美は、まさに、そこに生まれる。

17世紀前半を代表する悲劇作家コルネイユの主人公たちは、義務と情の選択を迫られると、最終的には恥を避け、義務を選択する。栄誉こそが彼らの最高の価値であり、彼らは「あるべき」行動を取ることで、愛も獲得することができる。

それに対して、ラシーヌの主人公たちは、報われることのない恋愛から逃れられない運命にあり、愛と憎しみの間で揺れ動き、意志とは反対の方向に進んでいく。
17世紀後半、「あるがまま」の姿が自然であると見なされる時代になり、ラシーヌは、感情に逆らいながらも最後には感情に負け、崩れ落ちる人間のあり様を描いたのだといえる。

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モリエール 外見の偽りを暴く笑い

Nicolas Mignard, Molière

モリエールは17世紀後半を代表する喜劇作家であり、ルイ14世の庇護下にありながら、かなり過激な作品を上演することもあった。
王でさえ庇いきれず、上演を禁止にせざるをえないこともあったほどである。

実際、彼の喜劇は、私たちが普通にイメージする喜劇とはかなり違っている。笑わせることだけを目的にしているのではなく、社会批判を含んでいることがはっきりと感じられる作品が多い。

その笑いは、「楽しませながら、教育する」という17世紀の演劇の大原則に基づき、笑わせながら、社会生活を歪める人間の行動を告発し、当時の観客に一つの行動規範を示したとも考えることができる。

モリエールが笑いの対象にした人間の姿を辿りながら、彼の喜劇が目指したものが何か探ってみよう。

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ピエール・コルネイユ 感情に従う? 義務を果たす? 忠臣蔵 vs コルネイユ的英雄像

ピエール・コルネイユ(1606-1684)は17世紀を代表する劇作家であり、フランスでは現在でも彼の劇がしばしば上演されているし、紙幣の挿絵として彼の肖像画が使われたこともある。
それにもかかわらず、日本では翻訳があまりなく、代表作の『ル・シッド』でさえ容易に入手できない状態。
その理由はいくつかあるだろうが、一つには、コルネイユの芝居の表現する精神が、日本的な感受性にとっては受け入れがたかったり、反感を招くことがあるからだと考えられる。

たとえば、日本では「忠臣蔵」が大変に好まれる。12月14日は討ち入りの日として今でも人々の口に上ることがある。コルネイユの芝居の主人公たちは、こう言ってよければ反忠臣蔵的精神の持ち主。社会通念が課す義務を果たし、その社会において「あるべき」振る舞いをするヒーローとなる。そして、その姿は、17世紀フランスの社会が向かう方向性と軌を一にしている。

コルネイユの劇作家としてのキャリアは長く、30以上の演劇作品を書いているし、ヴァラエティーに富んでいる。初期の喜劇には16世紀後半から続くバロック的な要素が色濃く見られ、1640年前後になると古典主義的な悲劇の先駆けとなる作品が見られる。キャリアの後半になると、オペラの前身となるような作品や、大がかりな仕掛けを使った悲劇なども手がけた。
そうした中でも、私たちが現在あえて彼の作品に接するとしたら、1637年に初演された『ル・シッド』から始めるのが王道だろう。

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17世紀文学における演劇 日本の事情とフランスの状況

フランスの17世紀文学を代表するのは、3人の劇作家、コルネイユ、モリエール、ラシーヌ。
3人の芝居は、17世紀から今日まで、フランスではずっと上演され続けている。

ところが、日本では、モリエールの作品はかなり多く翻訳されているが、ラシーヌは少数、コルネイユに作品に至っては一般の読者が気軽に手に取ることができない状態にある。

その理由はどこにあるのか考え、日本ではなぜ演劇作品が読み物として受け入れられにくいのか、17世紀フランスにおいて演劇がなぜ文芸の中心だったのか、といった事情を探ってみよう。

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17世紀の時代精神 社会の中の「人間」

ルネサンスの時代、「人間」には価値があるという認識が生まれた。そして、16世紀の後半になると、ミッシェル・ド・モンテーニュが「私」を検討し、「動き」の中にある「人間」を様々な視点から描き出した。
その二つの段階は、調和した円環に動きが加えられ、凹凸のある、いびつな真珠へと変形していくというイメージで形象化できる。

モンテーニュの後、17世紀になると、いびつな真珠を矯正する動きが急速に強まり、世紀の後半になるとその形は直線になってしまう。しかもその線には方向性があり、前進する。

時間で言えば、循環する時間が直進する時間になる。その上で、前に進むことが「進歩」と捉えられるようになる。時間は前進し、人間も文明も進歩するという思想が支配的になっていく。

「進歩」はヴェルサイユ宮殿によっても確認される。
1623年、ルイ13世がヴェルサイユに小さな宮殿を建造させ、その後、徐々に拡張していく。しかし、まだ狩りの館といった状態に留まっていた。
その状態から一気に姿を変えるのは、ルイ14世の時代。1660年代に大改造が行われ、20年後にはパリからヴェルサイユに首都機能が移転されるまでになる。
わずか数十年の間のヴェルサイユの変化をみれば、文明の進歩を目の当たりにするように感じるだろう。

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「新大陸」を前にしたラブレーとモンテーニュ

16世紀、「新大陸」が文学のテーマとして登場することがあった。
フランソワ・ラブレーは、『パンタグリュエル物語』(1532)において、巨人パンタグリュエルの口の内部を「新世界」に見立て、滑稽なエピソードを語った。
ミッシェル・ド・モンテーニュは『エセー』(1580)の「人食い人種について」の章で、ブラジルの原住民たちに関する風俗を取り上げ、文明論を展開した。

同じテーマに対する二人の作家のアプローチを比較することは、16世紀前半と後半の時代精神の違いを知ることにつながると同時に、ラブレーとモンテーニュをよりよく知るための方法にもなる。

そのための前提として、新世界を巡る当時の状況を手短に思い出しておこう。

中世末期、ルネサンス、近代初期にかけて、西洋の国々は大航海の時代を迎える。
最初はアフリカに向かい、アジアへ。さらには、アメリカ大陸へと進出した。1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカを「発見」したと言われるのは、そうした海外進出の象徴的な出来事といえる。

日本に関していえば、1543年、種子島に火縄銃が伝えられ、1549年になるとイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが山口や大分でキリスト教の布教活動を行うなど、西欧との接触が始まった時期でもある。

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モンテーニュ 全ては変化する 2/2 旅の思考と人生という旅の記録

モンテーニュの『エセー』は3巻107章から成る膨大な書物だが、テーマもバラバラだし、章の長さもバラバラで、一貫性があるようには思えない。
尾も頭もなく、どこで切っても、それぞれの断片が独自に存在しうるような印象を与える。(ボードレールが散文詩集『パリの憂鬱』に付した序文に記されているように。)

実際、『エセー』を先頭のページから順番に読む必要はないし、一つの章でさえ、気になる文に出会えば読書を止め、自分なりの考えや夢想にふけってもいい。
モンテーニュ自身、愛読書を横に置き、その時その時に思いついたことを書き綴ったに違いない。

そうした中で、『エセー』を貫く姿勢があるとしたら、全ては動き、変化するという認識であり、そのことは旅行に関する姿勢によっても象徴される。
「空しさについて」(III, 9)と題された章の中で、彼はこう言う。

私が旅行を計画するのは、旅先から戻ってくるためでもないし、旅をやり遂げるためでもない。動くのが気持ちがいいと感じる間、自分を動かしておこうとするだけである。

モンテーニュは、普段の生活の中でも、読書の際にも、様々な考察を書き綴る時にも、「動き」に身を任せる「旅の思考」に従っている。

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