ランボー 「永遠」 Rimbaud « L’Éternité »

誰もが望みながら、どうやっても到達できない永遠。ランボーはその永遠を容易に見つけてしまう。
彼はいとも簡単に言う。「永遠がまた見つかった!」と。

1872年、彼はヴェルレーヌと一緒にあちこち放浪していた。
そして、腹が減ったとか(「飢餓のコメディ」)、我慢しよう(「忍耐祭り」)といった気持ちを、歌うようにして詩にした。

「永遠」もそうした詩の一つ。
その後、『地獄の季節』(1873)の中で、「言葉の錬金術」によって生み出された詩として歌われることになる。

Elle est retrouvée !
Quoi ? l’éternité.
C’est la mer mêlée
   Au soleil.

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 読み方の提案 2/2 天才ランボーを愛す

ランボーは、誰が何と言おうと、天才中の天才詩人。

生意気な少年で、伝統的な詩の規則を破り、汚い言葉を平気で使い、勝手な理論をでっち上げ、その場の勢いで、人を煙に巻くようなわけの分からない詩をでっち上げたに違いない。

普通なら、そんな詩はノートに書き付けられたまま、誰からも相手にされず、書いた本人からも忘れられてしまう。

ランボーが活字にしたのは、『地獄の季節』の一冊だけ。しかも、費用を払わなかったために、出版社の倉庫に積まれたまま、売りに出されることはなかった。
「母音」や「酔いどれ船」も含め、後の全ての詩は、ノートに書かれた状態でしか残っていない。
それにもかかわらず、彼はボードレールやヴィクトル・ユゴーと並び、フランス詩を代表する存在になっている。

それほどの天才の詩であれば、「酔いどれ船」がどんなに難しくても、やはりその良さを少しでも感じたいと思うのが、文学好きの宿命だろう。

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 7/7 未来の活力

「酔いどれ船」の最後の4つの詩節の中で、「ぼく=酔いどれ船」は、長い航海をもう一度振り返り、最後に、「もうできない」と諦めの声を上げる。
その声をどのように受け止めたらいいのだろうか?

ノーベル賞作家であるル・クレジオと、文学ジャーナリストのオーギュスタン・トラップナーが、この4節を交互に暗唱している映像がある。
二人の様子を見ていると、詩句を口にする喜びが直に伝わってくる。(残念ながら、この映像はyoutube上で削除されてしまった! Hélàs )

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 6/7 自省の時

第18詩節から第21詩節までの4つの詩節では、「ぼく=酔いどれ船」がどのような存在であるのかが、”moi”という言葉を先頭にして示される。

第18詩節

Or moi, bateau perdu sous les cheveux des anses,
Jeté par l’ouragan dans l’éther sans oiseau,
Moi dont les Monitors et les voiliers des Hanses
N’auraient pas repêché la carcasse ivre d’eau ;

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 5/7 言葉で遊ぶ

幸福感

難破は悲劇だけれど、しかし、束縛から逃れ、自由になることでもある。疲れ果てることもあるが、美と遭遇し、癒やしを感じることもある。
第15詩節では、ランボーの筆から、肯定的な雰囲気を持つ言葉が数多く繰り出される。

J’aurais voulu montrer aux enfants ces dorades
Du flot bleu, ces poissons d’or, ces poissons chantants.
Des écumes de fleurs ont bercé mes dérades
Et d’ineffables vents m’ont ailé par instants.

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 読み方の提案 1/2

「酔いどれ船」の第1−14詩節、56行の詩句を読み、瑞々しさや素晴らしさを感じるだけではなく、難しさを感じているかもしれない。分からない、という感覚。
そこで、旅の中間地点で一度船を止め、この詩の読み方について、いくつかの提案をしておきたい。

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 4/7 疾走する言葉たち 

大海原の牛の群れとマリア

第10節が幸福感を漂わせていたとすると、第11詩節では岩礁が現れ、大海原も喘ぎ、航海の困難が感じられる。

第11詩節

J’ai suivi, des mois pleins, pareille aux vacheries
Hystériques, la houle à l’assaut des récifs,
Sans songer que les pieds lumineux des Maries
Pussent forcer le mufle aux Océans poussifs !

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 3/7 見者のヴィジョン

第6−7詩節において、「ぼく=酔いどれ船」は「海という詩」を航海していることが明かされた。そこで示されたのは、新しいポエジーの定義。錯乱とリズムを中心に、青を基調として赤茶色が配色された。

第8詩節から第10詩節になると、「見る」という言葉を中心に、「ぼく=酔いどれ船」が航海する間に見たと思われるものが描かれる。

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ランボー 「酔いどれ船」 Rimbaud « Le Bateau ivre » 2/7 詩の大海原

「詩は絵画のように」から詩の大海原へ

Willam Turner, Calais Pier

第1−2詩節では、酔いどれ船(私)が、「大河」を自由に下ることになったいきさつが明らかにされた。

第3−5詩節になると、船は河から海に出、海岸近くから沖へと流されていく。

ランボーはその様子をナレーションで語るのではなく、イメージを連ね描いていく。

その手法は、ut pictura poesis(詩は絵画のように、絵画は詩のように)と言われる、詩に関するローマ時代からの考え方を思わせる。

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