中原中也 汚れつちまつた悲しみに…… “傷ついた抒情精神を歌う”

「汚れつちまつた悲しみに……」は、中原中也の詩の歌心をはっきりと教えてくれる。

4行から成る4つの詩節が一見規則正しく並び、一行の拍数も7/5調を基本としてほぼ一定。
その整然とした枠組みの中に、微妙なニュアンスが加えられ、単調さを感じさせない。
例えば、「汚れつちまつた悲しみ」がわずか16行の詩の中で8回も反復されるが、格助詞の「に」と「は」が巧みに使い分けられ、独特の味わいを生み出している。

内容面では、前半部では外の風景が描かれ、後半部では感情や心の中の思いが表現される。そして最後に、「日は暮れる……」と外の風景に戻る。

詩全体を通して、一度も悲しみの主体に関する言及がなく、何が悲しいのか、なぜ悲しいのか、誰が悲しいのかさえ明らかにされない。
それにもかかわらずなのか、それだからこそなのか、読者は悲しみを自分の悲しみであるかのように思いなし、歌を口ずさむように、「汚れつちまつた悲しみに」と繰り返し口ずさむことになる。

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中原中也 月夜の浜辺 “貴方が情けを感じるものを”

「月夜の浜辺」は、中原中也の詩心をかなり明確に示している。

詩が語る内容はほとんどないに等しい。
月の出ている夜、浜辺を散歩している時に一つのボタンを拾い、捨てられないでいる。
散文にすれば1行で終わる。

その内容を17行の詩句で展開するとしたら、詩の目指すものは何だろう?

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

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フランス人と文法 

フランスの子どもたちに学校で嫌いな教科は何かと質問すると、「Grammaire(文法)」という答えがよく返ってくる。
” Notre grammaire est sexy “という本の著者たちとのインタヴューの様子を見ていると、一般のフランス人がいかに文法を知らないかよくわかって、とても興味深い。

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中原中也 サーカス まどろむ悲しみ

Bernard Buffet, The Trapeze Artists

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」。
このオノマトペ(擬音語・擬態語)が「サーカス」の印象を決定付けると言っても過言ではない。
中原中也は、この音の塊を、「仰向いて眼をつぶり、口を突き出して、独特に唱った」という。

詩の中心をなす単語一つを取り上げるとしたら、「ノスタルジア」。
かつて愛していたけれど今はない何か。その何かに対する切ない想い。郷愁。

どこか淋しげだけれど、しかし、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と揺れるブランコが、揺り籠のように心を揺らし、まどろませてくれる。

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ランボー 「花々」 Arthur Rimbaud « Fleurs » ランボー詩学の精髄:初めに言葉ありき

「花々(Fleurs)」は、ランボー詩学の精髄を理解させてくれる散文詩。

詩人は現実に存在する何らかの花を描くのでも、それについて語るのでもない。

彼の詩学の理解に有益な韻文詩「アマランサスの花の列(Plates-bandes d’amarantes…)」において、詩人は現実から出発し、言葉が現実から自立した世界へと移行した。
https://bohemegalante.com/2019/07/09/rimbaud-plates-bandes-damarantes/

散文詩「花々」になると、現実などまったくお構いなしに、ただ言葉が連ねられていく。
読者は、勢いよく投げかけられる言葉の勢いに負けず、連射砲から繰り出される言葉たちを受け取るしかない。
ランボーがどんな花を見、何を伝えようとしたかなどを考えるのではなく、言葉そのものが持つ意味を辿るしかない。
そうしているうちに、言葉たちが生み出す新しい世界の創造に立ち会うことになる。

正直、「花々」を一読して、何が描いてあるのか理解できない。まずは、文字を眼で追いながら朗読を聞き、言葉の勢いを感じてみよう。

Fleurs

D’un gradin d’or, – parmi les cordons de soie, les gazes grises, les velours verts et les disques de cristal qui noircissent comme du bronze au soleil, – je vois la digitale s’ouvrir sur un tapis de filigranes d’argent, d’yeux et de chevelures.
Des pièces d’or jaune semées sur l’agate, des piliers d’acajou supportant un dôme d’émeraudes, des bouquets de satin blanc et de fines verges de rubis entourent la rose d’eau.
Tels qu’un dieu aux énormes yeux bleus et aux formes de neige, la mer et le ciel attirent aux terrasses de marbre la foule des jeunes et fortes roses.

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Hokkaido : le paradis blanc du Japon 北海道:日本の白いパラダイス

2021年4月15日に放送されたTF1の20時のニュースの中で、雪の北海道が紹介されていた。

” Hokkaido : le paradis blanc du Japon “という題も含め、とても美しい映像を見ることができる。
これを見たフランス人は、きっと” Hokkaidou “という名前に夢を抱くだろう。

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パリはゴミまみれ?

パリの町を歩くと、あちらこちらにゴミが溢れているのを眼にして驚くことがある。眼を下に向けていたら、とても美の都などとはいえない。

そんなパリの一面が垣間見える映像。

こうした映像は、パリに対する失望よりも、パリを美の都市にしている文化の価値を再認識させてくれる。

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中原中也 一つのメルヘン 生=美の原型

中原中也の詩は抒情的で、読者をうっとりとさせてくれる。しかし、彼を実際に知っていた人たちの証言では、とにかく人にからみ、みんなに厭な思いをさせたらしい。

有名なのは、太宰治と一緒に飲んでいる時のこと。中也が太宰に言う。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」
太宰は、今にも泣き出しそうな声で、「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と応え、悲しい薄笑いを浮かべる。
「チエッ、だからおめえは。」と中原は言い、その後、乱闘が始まった。
(檀一雄『小説 太宰治』より)

ある作家は、中原を直接知らない読者は幸せだと言った。彼を知っていたら、詩を読んでも、彼の厭な姿が思い浮かんできてしまう、と。

私たちは普通、人柄が文章に反映すると考えがちだ。「文は人なり。」と言われれば、容易に納得する。
しかし、「からみ」体質の中也の筆から、「一つのメルヘン」のような清浄で静謐な詩が生まれる。
詩人の中で、何が起こっているのだろう?

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