ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 5/8

「4.若い時代」では、自分の過去を祖父の時代に遡り語ったのに続き、「5.少年時代」では、7歳くらいから青春時代までの思い出が綴られる。

1815年、エルバ島を脱出したナポレオンがパリに戻り、シャン・ド・マルス(ネルヴァルの時代にはシャン・ド・メと呼ばれていた広場)で行った軍事集会、ネルヴァルの叔母や友人たちは、現実に存在したことが確認される。

その一方で、一人の作家・詩人の形成を説明するために潤色されたと考えられるエピソードも多々見られる。
それらのエピソードを通して、ネルヴァルが自分をどのような作家・詩人として提示しようとしたのだろ? その問いを頭に置きながら、死を目前にした彼の自画像を読んでいくことで、私たちはネルヴァルの世界を徐々に理解していくことになる。


5.少年時代

不吉な時が、フランスに対して鳴り響いた。フランスの英雄(ナポレオン)自身、巨大な帝国の内部に捕らえられ、「シャン・ド・メ」の地に、忠誠を誓ったエリート軍人たちを集結させた。私がその崇高な光景を見たのは、将軍たちの席からだった。黄金の鷲で飾られた旗が彼らの部隊に配布されていた。それらの旗は、それ以後、全員の忠誠に委ねられるものになった。

ある夜、私は、町の巨大な広場の上に、巨大な飾りが広げられているのを目にした。海に浮かぶ船が描かれていた。大帆船が大荒れの海で揺れながら、岸を示す塔の方に向かっているようだった。激しい突風が絵に描かれた光景を台無しにした。不吉な前兆で、祖国に外国人たちが戻ってくることを予告していた。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 4/8

「散歩と思い出」の第4章からは、ネルヴァル自身のことが語られ、その話は、祖父から始まり、父と母へと繋がり、彼の子ども時代のエピソードへと続く。

ただし、全てが事実に基づくというわけではなく、晩年に至った作家が、自らの過去を想像力によって作り直している物語だといえる。その狙いは、「今の私は散文で夢見る人間でしかない。」という言葉に込められている。

前の章「歌声結社」の最後で、ネルヴァルはジャン・ジャック・ルソーの『孤独な夢想者の散歩』を思わせる言葉を書き綴った。モンマルトルとサン・ジェルマンでの散策の後、「若い時代」から始まる章では、孤独な夢想者に相応しい過去のエピソードが語られていく。


4.若い時代

 偶然が私の人生の中で非常に大きな役割を果たしたので、偶然が私の誕生を支配した特別なやり方について考えても、驚きはない。誰でも同じことだ、と言われるかもしれない。しかし、誰もが自分の話をする機会を持つわけではない。

 一人一人が語ったとしても、悪いことではない。一人の経験はみんなの宝なのだ。

 ある日、馬が一頭、エーヌ川沿いの緑の芝生から逃げ出し、灌木の間に姿を消した。木々の暗い茂みに入り込み、コンピエーニュの森の中に消え去った。1770年頃のことだ。

 馬が森に逃げ込むことは、まれなことではない。しかし、そのこと以外に、私が存在する理由はない。ホフマンが「事物の連鎖」と呼んだことを信じるなら、少なくとも、それが私の存在のもっともらしい理由になる。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 3/8

サン・ジェルマンの散策は3章でも続き、今度は秘密結社であるフリーメーソンに関係する集会の様子が描かれ、そこで歌う男性歌手の様子から、1810年にナポレオンの遠征に参加したネルヴァルの父親の思い出が思い出され、シレジアの地で亡くなった母親のことにも言及される。
さらに、若い時代に感じた恋愛感情が思い出され、「彼女たちへの愛が、私を詩人にした。」といった作家としての自己を語る試みがなされていく。

3.「歌声結社」

 管理人が最も愛情を込めて見せてくれたのは、一列に並んだ小さな部屋だった。「独房」と呼ばれ、監獄で働く何人かの軍人が寝泊まりしている。本物の寝室で、風景を描いたフレスコ画で飾られている。ベッドは馬の毛で作られ、ゴム紐でとめられている。全てが清潔で可愛く、船室のような感じ。ただし、日光が欠けていて、パリで私に提示された部屋と同じだった。——— 日光を必要とする「状態なら」、そこに住むことはできないだろう。私は守衛長にこう言った。「私なら、もう少し飾り付けが少なくていいので、窓に近い部屋の方が好きですね。」——— 「夜明け前に起きる時には、それはどうでもいいことです。」と彼は答えた。確かにその考察は正解だと思う。

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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 2/8

「 モンマルトル」の章では、1850年からパリの再開発が始まり、パリ近郊のモンマルトルにも開発の波が押し寄せる様子がリアルに綴られていた。
その中で、ネルヴァルの視線は、一般的には貧しく不潔な地区とされたモンマルトルに美を見出し、画家たちが憧れたローマ近郊の風景と比較することで、後に来る印象派絵画に先立つものだったといえる。

続く「サン・ジェルマンの城」の章では、1837年に開通したパリとサン・ジェルマンを結ぶ鉄道を利用して、サン・ジェルマンで住まいを探すという口実の下、サン・ジェルマン城を巡る描写や歴史、個人的な思い出などを書き綴っていく。

最初の部分で、アニエール、シャトゥなどと地名が列挙されるが、そのリズムは列車の通過する速度を感じさせる。

ネルヴァルのジョークも披露される。
ビールの中のゴキブリのエピソードに込められたユーモアは、現代の私たちにもすぐに理解できる。
サン・ラザール通りの番地を130番というのは、通りが108番地までしかなかったことを知ると、とても面白い。パリから30分も郊外にある町に、パリの通りの番地を付けるというジョーク。

パリ近郊鉄道図(1859年)
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ジェラール・ド・ネルヴァル 「散歩と思い出」 散文のポエジー Gérard de Nerval Promenades et Souvenirs 1/8

「散歩と思い出」は、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)が生前に残した最後の作品の一つであり、詩人でもあった作家の美学がもっとも端的に表現されている。

パリやモンマルトルは、1850年あたりから都市開発の波に洗われ、古い街並みが新しい姿へと変貌を遂げつつあった。
それまで目に見えていた過去の姿が徐々に消え去り、目に見えないものへと変わっていく。
そうした中で40歳を少し超えたネルヴァルは、ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出し、人生の半ばを超え、現在の時間を生きながら、過去が甦ってくるように感じる始める。

そうした意識を持った時、ネルヴァルは、今を描くことが過去の探求にもつながり、過ぎ去った過去という目に見えないものを追い求めることでメランコリックな憧れを心の中に醸成するというシステムを、彼の美学の中心に据えた。

絵入りの雑誌「イリュストラシオン」に1852年に発表した「十月の夜」は、パリの場末やパリ郊外の町を通して、同時代の現実をリアルに描くという口実の下で、目に見えない「夜」を出現させる試みだった。
https://bohemegalante.com/tag/10月の夜/

同じ「イリュストラシオン」誌に掲載した「散歩と思い出」になると、過去の探索はネルヴァル自身の幼年時代にまで及び、「思い出」を核にしたポエジーの創造が目指されている。

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イラクの国際会議に出席したマクロン大統領のインタヴュー

2021年8月28日、イラクの首都バグダッドで、サウジアラビア、イラン、エジプト等の中東9か国とフランスの首脳が参加する国際会議が開催され、アフガニスタンにおけるIS(イスラミックステート)の活動への対策などが話し合われた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210829/k10013229821000.html

翌8月29日に行われたマクロン大統領のインタヴュー。
内容もさることながら、相手に対して話しかける姿勢が、日本の政治家とはかなり違っていることに気づく。
その違いが、政治家の資質なのか、それとも自動詞的な日本語と他動詞的なフランス語の違いによるのか、興味深い。

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小林秀雄「モオツアルト」と中原中也の四編の詩

小林秀雄の評論の中でも最もよく知られている「モオツアルト」は、昭和21年12月30日に発行された『創元』の創刊号に掲載された。
この雑誌の編集者の一人は小林自身であり、その号には彼が選んだ中原中也の未発表の詩4編も収録されている。

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