本質的なものは目に見えない(サン=テグジュペリ)? 存在は本質に先立つ(サルトル)? 二つの世界観と絵画の表現

1910年に描かれた2枚の絵がある。

これほど違う世界観を表現している絵画が同じ年に描かれたことに、驚かないだろうか。
一方には、モンマルトルの街角が再現されている。この場所に行けば、今でもそれとわかるだろう。
もう一方は、何が描かれているのかまったく分からない。ギタリストという題名を見て人間やギターの姿を探しても、立方体の塊しか見えない。モデルになった人と出会っても、認識することは不可能である。

この対照的な2枚の絵画を参照しながら、サルトルとサン=テグジュペリによって示された二つの世界観について考えてみよう。
L’essentiel est invisible pour les yeux. (本質的なものは目に見えない。)
L’existence précède l’essence. (存在は本質に先立つ。)

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サルトル 『嘔吐』 Jean-Paul Sartre La Nausée 存在とは何かという問い

サルトルと言えば「実存主義(existentialisme)」という哲学思想が浮かび、「実存(存在)は本質に先立つ(l’existence précède l’essence )」という表現と共に、代表的な小説として『嘔吐(La Nausée)』という題名が連想される。

そこで、『嘔吐』の読者は、まず哲学的な興味から作品にアプローチすることになるだろう。
しかし、主人公ロカンタンが日記らしきものに書くことは、「存在するとはたんにそこにあることだ。・・いたるところに無限にあり、余計なものであり、・・それは嫌悪すべきものだった。・・私は叫んだ、”なんて汚いんだ。なんて汚いんだ”。」(白井浩司訳『嘔吐』)
こんな調子が続くと、読者の頭の中は、???となってしまう。

少し頑張って、サルトルの哲学の主著『存在と無(L’Être et le Néant)』にトライして、「存在とはある。存在はそれ自体においてある。存在はそれがあるところのものである。」(松浪信三郎訳)が彼の主張だと言われても、ますます???が重なるばかり。

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