ギュスターブ・フロベール生誕200年

2021年は、1821年生まれのギュスターヴ・フロベールにとって、生誕200年に当たる。
Quotidienで、フロベールや彼に関する出版物が紹介された。フロベールがフランスでどのように受容されているか知るにはいい機会になる。

個人的には、同じ年に生まれたボードレールと関連付けて欲しいような気もする。

Gustave Flaubert et le bovarysme

Cette année, on fête le bicentenaire de la naissance de Gustave Flaubert.
À cette occasion paraissent un album Pléiade sur l’auteur et « Le Monde selon Flaubert », de l’historien Michel Winock.
Deux moyens idéaux de mieux appréhender cet écrivain majeur du XIXème siècle. 

フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

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フロベール 純な心 Gustave Flaubert Un cœur simple 卓越した散文

フランス語を勉強したら、フランス語で会話をするだけではなく、文学作品を原文で読んでみたいという気持ちが自然に湧いてくる。
そんな時、質が高く、しかも読みやすい作品として最初に推薦できるのが、ギュスターブ・フロベールの「純な心(Un cœur simple)」。

小説としての素晴らしさは言うまでもないが、フロベールの散文は、端切れのいい言葉の塊が、リズム感よく続く。
フランス語を前から順番に読んでいくと、単語さえ知っていれば、自然に意味が頭に入ってくる。

他にも数多くの優れた小説家がいるが、フロベールほどクリアーでありながら工夫に富み、言葉によってもう一つの現実世界を作り上げた作家はいないと思われるほど、卓越した散文を紡ぎ出した。

「純な心」は中編小説であり、一つの作品をフランス語で最初から最後まで読み通すためにも、最適な長さ。
しかも、内容が素晴らしい。
事件らしい事件は何も起こらないのだが、オーバン夫人(Mme Aubain)の女中フェリシテ(Félicité)の姿を通して、人間の心の持つ素直さ、単純さ、純粋さ、そして神秘性が描き出されていく。

まず、冒頭の一節(Incipit)を読んでみよう。

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ボードレール 月の悲しみ Baudelaire « Tristesses de la lune » 新しいロマン主義?

1857年、『悪の華(Les Fleurs du mal)』を贈られたフロベールはボードレールに礼状を書き、「あなたはロマン主義を若返らせる(rajeunier le romantisme)方法を見つけたのです。」と詩集全体の総括をした。
さらに続けて、好きな詩の題名を幾つか列挙し、その中で、「月の悲しみ(Tristesses de la lune)」を挙げる。そして、そのソネの第1カトラン(四行詩)の3行目と4行目を引用した。

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマのロマン主義的な傾向を揶揄しているように見え、ロマン主義の批判者とも受け取れる。しかし、別の視点から見れば、彼もまた「ロマン主義を若返らせる」方法を模索したと考えることもできる。

では、詩人と小説家が同じ方向に歩みを進めていたとしたら、新しいロマン主義とはどのようなものなのだろうか。

同じ礼状の中で、フロベールはボードレールに、螺鈿(damasquinage)にも似た「言語の繊細さ(délicatesses de langage)」が、『悪の華』の「辛辣さ(apreté)」に価値を与えていて、その辛辣さが好きだと伝える。

エンマのロマン主義で批判の対象になるのは、センチメンタリスム。
それに対比されるのは、夢が消えた後の虚しさ、苦々しい想い、不快さ。一言で言えば、「辛辣さ(apreté)」。
とすれば、若返ったロマン主義は、「螺鈿の言葉を彫琢し、辛辣さから美を生み出す」ものと言えるのではないだろうか。

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フロベール 「ボヴァリー夫人」 シャルルの死 3/3 Flaubert, Madame Bovary, la mort de Charles 3 / 3

ロドルフと会った翌日、シャルルは庭のブドウ棚に行き、ベンチに座る。
その時の様子を、フロベールは淡々と描写する。花が香り、虫が飛び回り、空は青い。穏やかな一日。
そんな中、シャルルはある想いに捉えられる。

Le lendemain, Charles alla s’asseoir sur le banc, dans la tonnelle. Des jours passaient par le treillis ; les feuilles de vigne dessinaient leurs ombres sur le sable, le jasmin embaumait, le ciel était bleu, des cantharides bourdonnaient autour des lis en fleur, et Charles suffoquait comme un adolescent sous les vagues effluves amoureuses qui gonflaient son cœur chagrin.

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フロベール 「ボヴァリー夫人」 シャルルの死 2/3 Flaubert, Madame Bovary, la mort de Charles 2 / 3

シャルルの心はどうしてもエンマから離れることができずにいる。医者としての仕事も手に付かず、生活費もままならなくなる。最後には、診療に向かう時の馬車を曳く馬まで売るところまできてしまう。

Un jour qu’il était allé au marché d’Argueil pour y vendre son cheval, — dernière ressource, — il rencontra Rodolphe.

ある日、彼はアルギュイユの市場に行き、馬を売ることにした。ーー それが最後の収入源だった。ーー 彼はロドルフに出会った。

ロドルフは、エンマの不倫相手。シャルルは、彼の手紙をエンマの手紙入れの中で見つけ、妻の裏切りを確信したのだった。
そのロドルフに会ったのだ。
フロベールはここで、« Il rencontra Rodolphe.»とだけ書く。これほど単純な文もなく、その単純さが出会いのインパクトの大きさを印象付ける効果を発揮する

シャルルはどんな態度を取るのだろう。

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フロベール 「ボヴァリー夫人」 シャルルの死 1/3 Flaubert, Madame Bovary, la mort de Charles 1 / 3

『ボヴァリー夫人』の中で、シャルルは可哀想な役割を担わされている。
彼はどこまでも妻のエンマを愛し、彼女をいたわる夫として行動する。
それに対して、エンマはロマン主義的な空想に似つかわしくない夫シャルルを退屈だと見なし、レオンやロドルフとの不倫に走る。挙げ句の果てに、毒を飲み、死を選ぶ始末。

そんなエンマの視線を通して小説を読む読者も、シャルルを退屈で、ダサイ夫と思い込む。多くの批評家も、シャルルは平凡な町医者で、歩道のように平板な会話しかできないと言う。

しかし、『ボヴァリー夫人』の冒頭はシャルルの子供時代のエピソードから始まる。
https://bohemegalante.com/2019/06/29/flaubert-madame-bovary-incipit-1/
結末でも、シャルルの死の直前に行動に焦点が当てられている。
エンマの死で小説は終わらない。

そこでふと思う。
エンマの目を通したシャルルは平凡でさえない夫だが、本当にそんな男なのだろうか、と。

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フロベール『ボヴァリー夫人』 レアリスムを超えて

フロベールの『ボヴァリー夫人』は、レアリスム小説の傑作と言われる。しかし、その素晴らしさはなかなか理解されないらしく、フランスの高校の先生たちも教えるのに苦労しているらしい。
あらすじだけ追えば、平凡な夫に愛想を尽かした妻が、不倫と浪費の末に、自殺する話。しかも、描写が長く、話がなかなか進まない。なぜこれが傑作なのだろうと思う人も多いだろう。

そこで、アウエルバッハの『ミメーシス』の一節を参考にしながら、レアリスムとは何か、『ボヴァリー夫人』はその中でどのような特色があり、素晴らしさはどこにあるのか、探っていくことにする。

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フロベール 『ボヴァリー夫人』冒頭 3/3 Flaubert, Madame Bovary, incipit, 3/3

帽子の描写で物語の流れが中断した後、会話の文章がきっかけとなり、新入生の名前のエピソードまで一気に進む。

— Levez-vous, dit le professeur.
Il se leva ; sa casquette tomba. Toute la classe se mit à rire.
Il se baissa pour la reprendre. Un voisin la fit tomber d’un coup de coude, il la ramassa encore une fois.
— Débarrassez-vous donc de votre casque, dit le professeur, qui était un homme d’esprit.
Il y eut un rire éclatant des écoliers qui décontenança le pauvre garçon, si bien qu’il ne savait s’il fallait garder sa casquette à la main, la laisser par terre ou la mettre sur sa tête. Il se rassit et la posa sur ses genoux.

「立ちなさい。」と先生が言った。
彼は立った。帽子が落ちた。クラス中が笑い始めた。
彼は身をかがめて拾った。隣の生徒が肘で叩いて、帽子を落とさせた。彼はもう一度拾った。
「ヘルメットを片付けなさい。」と先生。彼は気の利いた人なのだ。
生徒たちが大爆笑し、哀れな少年は混乱した。帽子を手に持っていたらいいのか、床に置けばいいのか、頭に被っていればいいのか、わからなかった。もう一度腰掛け、帽子を膝の上に置いた。

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フロベール 『ボヴァリー夫人』冒頭 2/3 Flaubert, Madame Bovary, incipit, 2/3

新入生の描写が終わると、また物語が展開し始める。

On commença la récitation des leçons. Il les écouta de toutes ses oreilles, attentif comme au sermon, n’osant même croiser les cuisses, ni s’appuyer sur le coude, et, à deux heures, quand la cloche sonna, le maître d’études fut obligé de l’avertir, pour qu’il se mît avec nous dans les rangs.

教わったことの復唱が始まった。彼は耳を集中させてそれを聞いた。お説教を聞くみたいに注意をこらし、足を組みもせず、肘をつくこともなかった。2時になり、鐘が鳴った。その時、先生は、時間が来たことを知らせ、ぼくたちの並んでいる列に入るよう、促さないといけなかった。

復唱する主語として、フロベールは「ぼくたち」ではなく、一般的な人を指す« on »を使う。「ぼくたち」を使い続ける単調さを避けるためという理由もあるだろうが、先生が声を出して先導するという含みも持たせたと考えることもできる。
新入生も一緒に声を出したかもしれない。

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