モーパッサン 小説と日常生活の心理学 1/3

ギ・ド・モーパッサン(1850-1893)は、しばしば自然主義に属する作家と紹介されるが、現実主義的な傾向の小説とは別に、幻想や狂気をテーマにした短中編小説によっても知られている。

多くの場合、現実主義的と幻想的という二つの系列は対立するものと見なされる。しかし、モーパッサンにとって、それらは決して相反するものではなかった。
そのことは、19世紀後半に成立しつつあった新しい学問分野である「心理学」について考えると理解できる。

人間の魂あるいは精神や心の研究は、伝統的に哲学や神学等によって担われてきたが、そうした分野はあくまで思弁的なものだった。
それに対して、実証主義精神が台頭するのに応じて、実験により検証可能な科学的アプローチが模索されるようになる。その結果、19世紀後半、身体反応と心の関連性を考察対象とする学問として、心理学が成立したのだった。

モーパッサンは、こうした思想に基づき、以下の二つの原則を小説の核心に置いた。
1. 現実以上に現実的と感じられる世界を小説の中に作り出す。
2. 登場人物たちの性格や日常の生活環境の絡み合いの中で、彼らの心理を浮かび上がらせる。

現実と感じられる世界の構築(1)は、モーパッサンがしばしば自然主義の小説家と見なされる要因となっている。
人間心理(2)に関しては、生理や環境が心理に及ぼす影響が学問的に認められるとしたら、その逆に、心理が五感に影響を与える様を描くことが、彼の幻想小説の核心となった。

この二つの要素は密接に関連していて、現実の日常生活を描いている小説でも、超自然な現象が恐怖を引き起こす小説でも、中心にあるのは常に人間の「心理」である。

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ギュスターヴ・フロベール 「純な心」の「美」 新しい現実の創造 4 /4

1821年に生まれたギュスターヴ・フロベールは、ロマン主義の時代に青春時代を過ごし、30歳を過ぎた頃からは新しい芸術観に基づいた小説を模索を始め、1857年には『ボヴァリー夫人』を上梓するに至った。

その後、歴史小説『サランボー』、自分たちの時代を舞台にした『感情教育』、宗教的神話的なベースを持った『聖アントワーヌの誘惑』などの長編小説を手がけるが、1877年になると、3つの短編からなる『三つの物語』を出版し、1880年に息を引き取った。

そうした彼の創作活動の中で、一般の読者にとって最も親しみ易い作品を挙げるとしたら、『三つの物語』に収められた「純な心」だろう。題名のフランス語をそのまま訳すと「シンプルな心」。
実際、いいことでも悪いことでも心のままに受け入れる女性の一生が、見事な文章で簡潔に綴られ、取り立てて大きな出来事はないのだけれど、自然に心を打たれる語り方がなされている。

フロベールは執筆の10年ほど前から、ジョルジュ・サンドと頻繁に行き来し、19世紀の最も美しい書簡集と言われることもある大量の手紙をやりとりしていた。
『三つの物語』の執筆中の手紙を見ると、フロベールはサンドに何度か「美」について語っている。

ぼくが追い求めているのは、何にもまして、「美」なのです。(1875年12月末)

ぼくが外的な「美」を考慮しすぎるとあなたは非難なさいますが、ぼくにとってそれは一つの方法なのです。(1876年3月10日)

(前略)ぼくにとって「芸術」の目的となるもの、つまり「美」。(1876年4月3日)

そこで、「純な心」を通して、フロベールが言葉によって実現しようとした「美」とはどのようなものか探ってみよう。

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ギュスターヴ・フロベール 『ボヴァリー夫人』 市民社会の生存競争とエンマの「黒い怒り」 新しい現実の創造 3/4

『ボヴァリー夫人』の「現実」は、現実の社会を「再現」した「コピー」ではなく、フロベールが幾何学的な精密さをもって「創造」した「新しい現実」あるいは「もう一つの現実」に他ならない。
それは架空の存在だが、しかし人間の生きる実際の現実の「典型」として、読者に「現実の効果」を感じさせるものになっている。

その効果の大きさ、つまり小説の中に作り出された社会のリアルさは、『ボヴァリー夫人』が公共の秩序を乱すという罪状で裁判にかけられたことによって、それ以上にない仕方で証明されている。
フロベールの言葉に、それだけ力があったということだ。

では、どのような現実が提示されているのだろう?

登場人物たちが生きるのは、19世紀半ばの市民社会。そこを支配するのは資本であり、人々は社会規範を遵守し、良識を持って生きることが求められた。悪徳や情念は偽善によって隠されている。
ロマン主義的魂を体現するエンマは、そうした規範に違反する存在であり、葛藤の末、死に至る。

『ボヴァリー夫人』が、エンマの夫シャルルの学校時代から始まり、薬剤師オメの叙勲で幕を閉じるのは、小説内に広がる市民社会を読者に実感させるために他ならない。

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ギュスターヴ・フロベール 『ボヴァリー夫人』 反リアリズムと現実の効果 新しい現実の創造 2/4  

1849年から51年にかけて中近東を周遊したフロベールは、帰国後すぐに『ボヴァリー夫人』に取りかかり、56年に執筆が終わるまでのほぼ全ての時を小説の完成に費やした。

その時期はフランスにおけるリアリズム芸術の勃興と重なっており、絵画においては、ギュスターブ・クールベが、当時主流だった新古典主義絵画やロマン主義絵画と異なる絵画の描き方を開拓しようとしていた。

フロベールも新しい時代の芸術を模索はしていたが、しかし、リアリズムの芸術観に共感を持つことはなかった。
彼が目指したのは「美」であり、最も心を砕いたのは、小説のテーマとして日常的な素材を取り上げ、ごく普通の人々の凡庸な会話を書きながら、どのようにして「美」として成立させるかということだった。
そのために、フロベールは一文字一文字の選択に時間をかけ、書き終わった原稿に何度も手を入れ、小説全体が詩に匹敵するような完璧な構造物になるように努めた。
『ボヴァリー夫人』はその最初の果実だった。

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「ボヴァリー夫人は私(Madame Bovary, c’est moi)」は本当にフロベールの言葉?

『ボヴァリー夫人』に関する文章を読んでいると、フロベールが「ボヴァリー夫人は私(Madame Bovary, c’est moi.)」と書いたとか、質問に答えて言ったと、至る所に書かれている。しかし、はっきりした根拠が示されることはあまりない。

ルーアン大学にあるフロベール・センターを統括するイヴァン・ルクレール教授が、インタヴューの中で、その言葉の由来について語っている。

フロベール『ボヴァリー夫人』 文章の音楽性

2021年は、1821年生まれたのギュスターヴ・フロベールの生誕200年の年だった。そこで数多くの催しが開催されたが、一つのテレビ番組の中で、『ボヴァリー夫人』の文章の音楽的な美しさを感じるために俳優が抜粋を朗読し、ピアニストがショパンの「 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作」 を演奏する場面があった。
こうした例は、フランスでは、詩だけではなく、小説においても、文章の音楽性が重要であることを示している。

ギュスターヴ・フロベール 新しい現実の創造 1/4 フロベールの生涯と時代精神

ギュスターブ・フロベールは、シャルル・ボードレールが詩の世界で行った革新を、小説に関して行った作家だといえる。
二人は1821年に生まれ、出版活動を本格的に開始したのは1850年代。そして、1857年には、社会の風紀を乱すという理由で、フロベールは『ボヴァリー夫人』が、ボードレールは『悪の華』が、裁判にかけられた。

そうした共通点に以上に大きな意味を持つのは、「新しい詩」、「新しい小説」の第一歩を記したこと。
フロベールに関して言えば、「文体=文章」にこだわり、韻文と同じレベルの構築物にまで散文の完成度を高めることで、現実世界に従属しない「新しい現実」を作り出そうとした。

通俗的な解説の中で、フロベールは、19世紀フランスの社会と人間をありのままに描く写実主義(リアリズム)の代表的な作家と定義されることがある。フロベールがリアリズムを嫌悪していたにもかかわらず、彼の意に反するレッテルが貼られ続けていることは、彼の言葉が生み出した「新しい現実」が、実際の現実を再現した写実よりも、さらにリアルであることを示している。

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ギュスターブ・フロベール生誕200年

2021年は、1821年生まれのギュスターヴ・フロベールにとって、生誕200年に当たる。
Quotidienで、フロベールや彼に関する出版物が紹介された。フロベールがフランスでどのように受容されているか知るにはいい機会になる。

個人的には、同じ年に生まれたボードレールと関連付けて欲しいような気もする。

Gustave Flaubert et le bovarysme

Cette année, on fête le bicentenaire de la naissance de Gustave Flaubert.
À cette occasion paraissent un album Pléiade sur l’auteur et « Le Monde selon Flaubert », de l’historien Michel Winock.
Deux moyens idéaux de mieux appréhender cet écrivain majeur du XIXème siècle. 

フロベール 『ボヴァリー夫人』 Flaubert Madame Bovary エンマとロマン主義

 『ボヴァリー夫人(Madame Bovary)』は1852年から1856年まで書き継がれたが、この時期は、ロマン主義から写実主義、象徴主義、モデルニテへと向かう転換期にあった。

 そうした芸術観の転換を象徴的に表すのが、1857年の『ボヴァリー夫人』と『悪の華(Les Fleurs du mal)』の裁判。フロベールの小説とボードレールの韻文詩集が、公衆道徳に反するという理由で裁判にかけられ、詩集の方は有罪になった。

 興味深いことに、二人の作家は、出発点では19世紀前半に主流だったロマン主義に深く傾倒していた。その後、ロマン主義を内部から解体することで、新しい芸術観を創造していった。

ボードレールに関しては、美術批評「1846年のサロン」の中で、「ロマン主義とは何か?」という問いかけを行い、そこからモデルニテのコンセプトとなる概念を発展させた。
https://bohemegalante.com/2020/08/29/baudelaire-heroisme-de-la-vie-moderne-salon-1846/

フロベールは、『ボヴァリー夫人』の中で、エンマの少女時代がロマン主義一色だったことを示し、その中に皮肉な視線を溶け込ませる。そのことによって、ロマン主義文学の概略を素描し、その上でほころびを作り出し、エンマの運命がロマン主義の行き着く先と重なり合う前兆とする。

注意しておきたいのは、フロベールの小説家としての姿勢。
彼は、語り手として物語の中に介入し、登場人物の心の中や様々な状況を説明することをほとんどしない。ただ淡々と出来事を物語っていく。
出来事の意味を読み取るのは読者の役割なのだ。
ただし、時に、こっそりと彼の視点を示し、読者の読み方に対して指針を示すことがある。

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フロベール 純な心 Gustave Flaubert Un cœur simple 卓越した散文

フランス語を勉強したら、フランス語で会話をするだけではなく、文学作品を原文で読んでみたいという気持ちが自然に湧いてくる。
そんな時、質が高く、しかも読みやすい作品として最初に推薦できるのが、ギュスターブ・フロベールの「純な心(Un cœur simple)」。

小説としての素晴らしさは言うまでもないが、フロベールの散文は、端切れのいい言葉の塊が、リズム感よく続く。
フランス語を前から順番に読んでいくと、単語さえ知っていれば、自然に意味が頭に入ってくる。

他にも数多くの優れた小説家がいるが、フロベールほどクリアーでありながら工夫に富み、言葉によってもう一つの現実世界を作り上げた作家はいないと思われるほど、卓越した散文を紡ぎ出した。

「純な心」は中編小説であり、一つの作品をフランス語で最初から最後まで読み通すためにも、最適な長さ。
しかも、内容が素晴らしい。
事件らしい事件は何も起こらないのだが、オバン夫人(Mme Aubain)の女中フェリシテ(Félicité)の姿を通して、人間の心の持つ素直さ、単純さ、純粋さ、そして神秘性が描き出されていく。

まず、冒頭の一節(Incipit)を読んでみよう。

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