ボードレール 「色について(De la couleur)」 1846年のサロン

シャルル・ボードールは、詩人としての活動だけではなく、絵画、文学、音楽に関する評論も数多く公にしている。
それらは詩とは無関係なものではなく、それ自体で価値があると同時に、全てを通してボードレールの芸術世界を形作っている。

『1846年のサロン』は、ボードレール初期の美術批評であるが、後に韻文詩や散文詩によって表現される詩的世界の最も根源的な世界観を表現している、非常に重要な芸術論である。
その中でも特に、「色について(De la couleur)」と題された章は、ボードレール的人工楽園の成り立ちの概要を、くっきりと照らし出している。

しかも、冒頭の2つの段落は、詩を思わせる美しい散文によって綴られ、ボードレール的世界が、言葉によって絵画のように描かれ、音楽のように奏でられている。

まず最初に、ボードレールの色彩論を通して、どのような世界観が見えてくるのか、検討してみよう。

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動くゴッホの絵画 Gogh en mouvement à l’Atelier des Lumières

パリのアトリエ・デ・リュミエールで、2019年の終わりから2020年の始めまで、ゴッホ展があった。
超精密なマッピングで描かれたゴッホの絵画が、現れ、動き、消えてはまた現れる。素晴らしい試み。

おもひでぽろぽろ Souvenirs goutte à goutte 思い出と向き合う

高畑勲が監督した「おもひでぽろぽろ」は、アニメ作品にありがちなファンタジー的な要素がなく、特別な主人公の特別な冒険物語とは正反対の作品。

主人公タエ子は27歳。独身で、東京の会社に勤めている。
物語は、田舎に憧れている彼女が10日間の休暇を取り、農業体験をするために山形の親戚の家に行くところから始まる。
田舎に行くと決めた時から、突然、小学校5年生の思い出がポロポロとこぼれ落ちるように蘇り、彼女の心を一杯にする。

山形では、親戚の家族に混ざって紅花を摘む作業を手伝ったり、有機農業に取り組むトシオに有機農業の手ほどきを受けたり、蔵王にドライブにいったりする。東京に戻る前の日、親戚のおばあさんからトシオの嫁になってくれと突然言われ困惑する。しかし、結局、そのまま東京に戻る電車に乗る。

しかし、電車の中で突然考えを変え、次の駅で電車を降る。そして、トシオが迎えに来た車に乗り、親戚の家に戻る道を辿る。

特別なことが何もなく、ただ一人の女性が田舎で農業体験をし、一人の男性と仲よくなるという物語。

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パリ時代のゴッホ Gogh à Paris 印象派と浮世絵

ゴッホは、1886年2月末にパリに突然姿を現し、1888年2月になると、南フランスのアルルへと去っていく。この約2年間のパリ滞在中、彼は何を習得したのだろうか。

アルルに到着後、彼はパリにいる弟のテオへの手紙で、こんな風にパリ滞在を振り返る。

パリで学んだことを忘れつつある。印象派を知る前に、田舎で考えていた色々な考えが、また返ってきた。だから、ぼくの描き方を見て、印象派の画家たちが非難するかもしれないけれど、ぼくは驚かない。

ゴッホの意識では、アルルでの仕事はオランダ時代に続くものであり、パリでの2年間は空白の時だったらしい。

しかし、ゴッホの絵は明らかに大きな変化を見せている。彼の絵画は、印象派の影響を受け、オランダ時代の暗いものから、色彩のオーケストレーションといえるほど、明るさを増している。

ここでは、パリ滞在の2年に限定し、ゴッホの絵画を辿ってみよう。

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オランダ時代のゴッホ Vincent van Gogh en Hollande 牧師になり損なった画家

一人の人間の本質的な気質はどんなことがあっても変わらない。

牧師の息子だったフィンセント・ファン・ゴッホ(1853−1890)は、最初に画商グーピル商会の店員となり、次に牧師になった。
その後、絵に専念することになるが、彼の根本にある気質は不変のままだった。たとえ、農民や炭坑夫になっていたとしても、ゴッホはゴッホだっただろう。

Vincent van Gogh, Les Mangeurs de pommes de terre

彼の気質は、牧師を辞めさせられた顛末を通して見えてくる。
そして、その気質は、オランダ時代だけではなく、フランスで創作活動をする間も、ずっと彼の絵画の奥深くにどっしりと根を下ろしている。
二つの時期の違いは、線と色彩のどちらに重きを置くかによる。
オランダ時代は、描線によって物の形を捉える画法を探った。パリに移り住んでからは、色彩を絵画表現の中心に据えた。

ここでは、牧師になり損なったゴッホを出発点として、オランダ時代の線描を中心にした絵画について考察していく。

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レバノン出身の歌手ミカ ハッピー・エンディング Mika Happy Ending

2020年8月4日、レバノンの首都ベイルートで、大爆発が起こった。
被害は最大30万人に及ぶという悲劇。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200806/k10012553261000.html

ベイルートに関して、ジェラール・ド・ネルヴァルは『東方紀行(Voyage en Orient)』の中で、世界で最も美しい都市と書いている。

レバノン出身の歌手ミカ(Mika)の「Happy Ending」。題名に反して、歌詞の内容は悲しい。しかし美しい曲が悲しみを慰めてくれる。この曲を聴きながら、復興を祈りたい。

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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その4 マニエリスム

フォンテーヌブロー派の美は、後期ルネサンスのマニエリスム絵画に大きな影響を受けている。

マニエリスム的な美とはどのようなものか?
盛期ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ビンチと後期ルネサンスに属するティントレットの描いた「最後の晩餐」を比較すると、違いは歴然としている。

Léonard de Vinci, La Cène
Le Tintoret, La Cène
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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その3 国王のルネサンス

Jean Clouet, François 1er

16世紀フランスのルネサンスは、国王フランソワ1世の主導の下で始まった。
彼は、1519年に行われたローマ皇帝を選出する選挙で、スペイン王カルロス1世(カール5世)に敗れ、その後の軍事的な対立でも敗北を続けた。
1525年のパヴィアの戦いでは、カール5世の軍に捉えられ、捕虜としてスペインに幽閉されてしまう。

そうした状況の中、フランソワ1世が王権の力を国の内外に誇示するために行ったのが、芸術の輝きによって王の威信を高める文化政策だった。

その政策の中心地として選ばれたのが、フォンテーヌブロー城。
すでに1516年にフランソワ1世はレオナルド・ダ・ビンチをフランスに招いていたが、1528年頃からは、次々にイタリアの建築家や画家を招聘し、フォンテーヌブロー城をフランス・ルネサンスの中心地にした。

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ジョスカン・デ・プレ Josquin des Prés ルネサンスの音楽

ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prés)は、15世紀後半から16世紀初めにかけて活動した、盛期ルネサンスを代表するフランドル学派の作曲家。

レオナルド・ダ・ヴィンチと同時代に活躍しため、レオナルドが絵画において果たした役割を音楽において果たしたと言われることもある。
宗教改革で有名なルターからは、「ジョスカンは音符の主人。他の作曲家は音符の指図に従う。ジョスカンに対しては、音符が彼の望み通りに表現する。」と言われたとされ、非常に高く評価された。

ルネサンス期の文学作品を読み、絵画を見る時、ジョスカン・デ・プレの曲に耳を傾けるのも悪くない。

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フォンテーヌブロー派の絵画 École de Fontainebleau 16世紀フランス 繊細で優美な絵画の始まり その2 アレゴリー

Allégorie de l’Amour

アレゴリーの鍵

アレゴリーは、ある抽象的な概念を具体的な形象によって寓意的に表現する方法。
例えば、狡猾さを狐で、公正を天秤で表す。

そこで使われる概念と形象の関係は予め決まっているものであり、芸術家たちはその約束事に基づいて創作活動を行った。
例えば、宗教画に関して言えば、白色が清純を、聖母マリアのマントの青色が「天の女王」を表す。そうしたことは、画家が発明するのではなく、予め決まっている規則だった。
そして、鑑賞者もその知識に基づいて作品を読み説いた。

しかし、時代の移り変わりと共に、アレゴリーを理解する鍵が失われた。そのために、作品の持つ意味を理解することが困難になり、専門家によって様々な研究が積み重ねられ、多様な解釈が提出された作品も数多くある。

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